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08_シェイクスピア『ハムレット』解釈:「悲劇的喜劇的歴史劇的牧歌劇」とは何か?

Q. 「悲劇的喜劇的歴史劇的牧歌劇」とは何か?
『ハムレット』の中盤、ポローニアスは、旅役者をハムレットに紹介するのに、下記のような言い方でおどけてみせます。

揃いも揃って天下の名優、十八番は悲劇、喜劇、歴史劇、牧歌劇、牧歌劇的喜劇、歴史劇的牧歌劇、悲劇的歴史劇、悲劇的喜劇的歴史劇的牧歌劇、はたまた何でもありの何とも言えない劇。
tragedy, comedy, history, pastoral, pastoral-comical, historical-pastoral, tragical-historical, tragical-comical-historical-pastoral, scene individable, or poem unlimited.

(102)

この表現にはどんな意味があるのでしょうか。過去記事をお読みいただいた方にはもうお分かりかもしれませんが、本稿の解釈はこう。
A. ポローニアスが建てたバベルの塔。
以下に理由を述べます。




シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。

1 ホンネとタテマエ

前々回、前回の記事で、ハムレット王子は父世代から授けられた言葉の呪いに縛られていること、それらは騎士道のおきてや先人が記した書物などとして表現され、ハムレットの狂気の原因と思われること、作品の後半でクローディアスがしたためた勅書をハムレットが書きかえるという行為を通して、父たちを乗り越え、新しい世界を創造しようとする息子の姿が示されていることを見てきました(詳細下記参照)。今回もその続き。『ハムレット』に描かれた言葉の問題を考察します。

物語の序盤、クローディアスはハムレットや臣下らが集まる場へ、ファンファーレとともに登場し、「最愛の兄、ハムレット王崩御の記憶は/いまなお生々しく、われらみな/心に悲しみをたたえ、国を挙げて/嘆きをひとつにし、眉を曇らせることこそふさわしい」(22)と述べます。これは一国の王としての改まった発言。王という立場上求められていることを、いわばパフォーマンスとして表明しているわけですね。
 
けれど、先王を殺したのは他でもないクローディアス。ならばこの言葉は明らかに偽り。そのあとに、クローディアスがハムレットにいう「お前にそそぐ私の愛の深さは/最愛の息子への実の父にもひけをとらない」(28)という言葉もまた、おそらく真実ではないし、ハムレットもたぶん信じていない。ここで、クローディアスのホンネとタテマエは完全に正反対になっている。
 
ハムレットはそのことに薄々気がついていて、そのことに嫌悪感を持っている。だから王子はクローディアスに対し、「血のつながりは濃くなったが、心のつながりは薄まった」(25)と皮肉をいって相手をけん制し、以下のように続けます。

見えるですって、母上? いや、事実です。
「見える」ことなど知るものか。(中略)
僕(ハムレット)のなかには見せかけを超えたものがある。
目に見えるこうした仕草は悲しみの飾り、衣装にすぎません。

(26)

汚れたホンネを隠し、虚飾に満ちた言葉で表面的に取り繕おうとするクローディアスと、そもそも目には見えない世界があることにさえ気づきもしない浅はかなガートルード。そんな義父と母にはさまれて、息子ハムレットだけが、目には見えない領域に隠された真実を見極めよう、心の奥深くにあるホンネで語り合おうと呼びかけているのですが、両親はまるで取り合わない。この戯曲は最初から、そんな三者のすれ違いが示されています。
 
この場面で、クローディアスは光の世界に、ハムレットは闇の世界にいる。そんなパラレルワールドが表現されているのだという解釈については、下記で示しました。これが、光に満ちた表層=タテマエの世界を見つめるクローディアスとガートルード、闇の奥の真実=ホンネを見つめようとするハムレットの対比と呼応している。ハムレットはこの時点ですでに、周囲の人々が発する心のこもっていない虚飾にまみれた言葉を、まったく信じられない状況に置かれているんですね。

2 魚屋並みに正直でいて

物語の中盤では、ハムレットとポローニアスが以下のような会話をします。

ハムレット せめて魚屋なみに正直でいてほしい。
ポローニアス 正直ですと?
ハムレット そうとも。このご時世だ、正直者など一万人に一人もいない。

(90)

ハムレットはクローディアスとの攻防、オフィーリアとの恋愛、母の再婚など、互いの腹の内を探りあうような関係性に嫌気がさし、正直に語り合える人間関係を築きたいと望んでいる。そんな思いを抱えつつ、ハムレットはローゼンクランツには以下のような皮肉をいう。

ローゼンクランツ 世の中、正直者が増えてきました。
ハムレット するとこの世の終わりも近いな。

(93)

ホンネを腹の内に隠して、タテマエでコミュニケーションを取りあうからこそ、人間関係は良好に保たれ、世界はまわる。みんなが正直に語り合い始めたら、あっという間にそこらじゅうで喧嘩や戦争だらけになってしまうに違いない。そんな思いを抱きつつ、この後ハムレットは、友人のローゼンクランツとギルデンスターンに、正直さへの一縷の望みをかけて、デンマークに来た理由を問いただす。しかし、王に命じられた二人は口を濁すことしかしない(96)。こうしてハムレットの中に、表面的な言葉のやりとりへの不信が植え付けられていきます。

3 己に誠実であること

『ハムレット』で示されるひとつの理想は、ポローニアスのいう「何よりも肝心なのは、己に誠実であること」(44)。けれどこの直前、ポローニアスはパリへ留学する息子レアティーズにさまざまな忠告をする際、「思ったことは口に出すな」「みんなの話に耳を貸し、自分からはめったに口をきくな」(43)といっています。処世術としてはうかつにホンネをもらさず、場の空気を読んでできるだけ下手なことは言わない方がいい。
 
この両方をポローニアスがいっているのが皮肉なところですね。彼も本当は自分に正直でいた方がいいとわかっていながら、世間の荒波をうまく渡っていくためにはホンネを隠した方がいいと息子に教えざるを得ない。ポローニアスもまた、相反する価値観に心が引き裂かれているひとりであり、その教えを受け継ぐ息子も同じように育っていく宿命にある。
 
ハムレットは序盤では、自分のホンネに忠実であろうとしている。けれどそれを実現するのは、ポローニアスやレアティーズにだって難しく、王子という立場ならなおのこと困難。自分の本心に忠実であろうとするほど、義父との仲はこじれ、民衆を裏切り、母や恋人を悲しませることになる。さらに先王の亡霊が出てきて、父の言葉に従って復讐しろと言い、ハムレット自身もそうしたいと望む。けれど、ハムレットが復讐すべきか否かを迷っている姿から察するに、彼の心の奥底には復讐したくないという気持ちもあるらしい。ハムレット自身も、自分のホンネとタテマエの乖離に気づいていく。そして心が引き裂かれたハムレットは、オフィーリアを愛していながら、「お前を愛したことなどない」と心とは裏腹の言葉を放って恋人を傷つけ、演技から徐々に本物の狂気に陥っていきます。
 
序盤でハムレットは、ドイツに行かないでと懇願する母に、「できるかぎりお言葉に従いましょう」(29)と答えている。ここでのハムレット返答は、彼の心にも母にも誠実であり、クローディアスの「おお、愛にあふれた立派な答えだ」というコメントは、ハムレットの受け答えが誠心誠意、真心から出たものと信じられるかどうかという本作のテーマにつながるものだと思う。けれど中盤、王妃の部屋を訪ねる際、ハムレットは以下のように自分に言い聞かせています。

言葉の刃は用いても、本物の剣は抜くまい。
舌と心があざむき合ってくれればいいのだが。

(154)

ここでハムレットは母への愛ゆえに、相手を傷つけまいとして、あえて本心を隠して嘘をつこうと考えている。「愛にあふれた立派な答え」が、相手を思うがゆえに「飾りたてた言葉」(119)へと変化してしまうんですね。それが先王を殺したような「作り話の毒」(58)へと変わるのは、案外簡単なことなのかもしれません(詳細上記リンク[01_両耳に流し込まれるヘボナの毒の謎]参照)。

4 オズリックのおべっか

戯曲の後半に登場するオズリックが、現世的な価値観にとらわれる愚か者として描かれていることは、以下の記事でも見ました。

オズリックは、王子ハムレットが寒いといえば寒いと相槌をうち、暑いといえば暑いと前言を翻す、立場が上の者の言葉に追従してとことんこびへつらい、自分の頭では何もものを考えない愚か者。上っ面の言葉に翻弄されて右往左往するオズリックをハムレットは馬鹿にしています。けれど、オフィーリアに愛しているといった数行後に愛したことなどないと真逆のことをいう、自分の本音が分からなくなって、その場の気分で言葉をくるくる変えるハムレットも、ほとんど同じ愚かさを抱えていますよね。

5 ポローニアスの冗漫

前々回の記事でも触れましたが、ポローニアスはハムレットから「イスラエルの名判官、エフタ殿」(102)に例えられます。シェイクスピア作品では、法律家は言葉を巧みに扱える人の象徴。この作品では、ポローニアスが言葉を巧みに扱う象徴的父・現世的な価値観を身につけた大人の男性として描かれている。それが以下のようなセリフで示されます。

ポローニアス さて、両陛下、
 そもそも国王の主権とはいかなるものか、臣下の義務とは何か、
 何ゆえ昼は昼、夜は夜、時は時であるかを詮索するのは
 夜、昼、時の空費にほかならず。
 従って、簡潔こそは知恵の塊、
 冗漫はいわば手足、うわべの飾りでありますゆえ、
 簡潔に申し上げます。王子様は気違い。
 ずばり気違いと申し上げます。なんとなれば、真の狂気を定義するなら
 気違い以外の何物でもない、と申す以外の何ものでありましょう?
王妃 言葉の綾より本題を。
ポローニアス お妃さま、断じて綾ではございません。
 殿下は気違い、それは本当でございます。本当にお気の毒。
 お気の毒だが本当。これは馬鹿な言葉の綾——
 綾をあやつるのはもう止めます。
 さて、殿下は気違い、といたしますと、残る問題は
 かくなる結果の原因究明、
 と申しますより、かくなる欠陥の原因ですな。
 なぜなら、この欠陥ある結果には必ず原因がある。
 これが残る問題であり、そこに問題点があるとすれば(後略)

(84)

「王子は気違い」というひと言を伝えるために、ポローニアスはこれだけの言葉を費やす。自分で冗漫はうわべの飾りで不必要なものだといいながら、時の説明をして王妃の時を奪い、言葉について語るために余計な言葉を重ねに重ねて、王妃に「言葉の綾より本題を」と注意されても、なおしつこく言葉の綾を織り重ね、自らが言葉を巧みにあやつる能力を持ち合わせた者であることをこれでもかと印象づける。
 
ところが別の場面で、クローディアスは兄を殺しておきながら、王として臣下や民衆に甘い言葉をささやいている自分を顧みて、「俺のしたこと」は「飾りたてた言葉より醜い」(119)といい、黙劇を見たあと懺悔する場面では、「言葉は舞い上がり、心は地に留まる。/心の抜けた言葉は天には届かない」(161)といっています。兄殺しほどではないにせよ、虚飾に満ちた言葉はそれと比べられるほどに醜く、天には届かない。ポローニアスが使う技巧を凝らした言葉だって似たようなもの。決して褒められる対象ではない、という感覚がありそうですよね。

6 言葉がうますぎる者たち

『リア王』で、長女ゴネリルと次女リーガンは言葉巧みに、心にもない父王への愛を語って領地と権力を譲り受ける。対する三女コーディリアは、心の底から父を愛しているのだけれど、不器用な性格でそれをうまく言葉にできない。結果、父王の怒りをかって勘当されてしまいます。けれど結局長女と次女は、領地をもらったらあっさり父王を裏切る。リアはコーディリアと再会し、心から愛してくれているのは三女だけだと悟るも時遅し、みな命を落としてしまいますね。
 
前々回も引用しましたが、『リチャード三世』では、悪魔のようなリチャード三世が言葉巧みに天使のような女性アンを口説き落として結婚してしまう。アンは後に、「あの男の蜜の言葉のとりこになり、/魂からほとばしり出た私自身の呪いの的になったのです」(177)と後悔する。
 
『終わりよければすべてよし』で〈言葉〉を意味する名を持つパローレスは、数カ国語をあやつる語学に長けた人物。虚飾に満ちた言葉で自分を飾り立てるけれど、中身は臆病で卑怯な悪人。シェイクスピア作品では、口が達者であることは必ずしも称賛される資質ではない。巧みすぎる言葉遣いをひけらかす者は、上っ面の飾りに惑わされて本質が見えていない浅はかな愚か者として描かれることが多いように思います。

7 言葉がへたすぎる者たち

かといって『リア王』のコーディリアのように、不器用すぎて思いをまったく言葉にできないのも考えもの。大人ならばある程度は自分の思いを伝える能力が必要なのは当然で、コーディリアにこれがあれば、リアの運命だってあそこまで悲劇的にはならなかったかもしれない。以下は『ハムレット』の一節。

悲しみも歓びも、その激しさの極みにて
企てしことを打ち壊す。
歓びの頂きに達するところ、悲しみは奈落に落ち、
些細なことで悲しみは歓びに、歓びは悲しみに姿を変える

(142)

ここに示されているように、シェイクスピアはしばしば、何らかの性質や事態が過剰であることの弊害を描く。言葉がうますぎるのも、へたすぎるのも問題なんですね。
 
前述の、ポローニアスが巧みな言葉の使い手であることを披露した直後、ポローニアスは王と王妃の前で、ハムレットが娘におくった恋文を読み上げます。

『わが魂の偶像/美の化身たるオフィーリアへ』——これはまずい、ひどい言い回しだ。
「美の化身たる」はいただけない。だが、まあ、先を——
『ここに綴る言葉を、その妙なる白き胸に、云々』

(85)

ポローニアスはここでハムレットの恋文を批評し、言葉の使い方が稚拙だと指摘する。年長者である自分は言葉を巧みに扱えるのに対し、若者ハムレットは言葉の使い方が下手だとことさらに指摘してみせるんですね。さらに、この手紙の中でハムレット自身が「詩を書くのは苦手です」(86)と記した一文も読み上げられ、ハムレットの言葉の拙さが印象付けられています。
 
この場面でシェイクスピアは、言葉巧みな父親世代と、言葉が稚拙な息子世代の対比を描きだそうとしているのではないでしょうか。ポローニアスやクローディアスらが使う、飾り立てた上っ面の言葉というのは、光の世界に属するもの。場を明るく照らして盛り上げるのには役に立つ。けれど真心がこもっていない。一方、ハムレットがオフィーリアに宛てた恋文は、あまりにストレートで読んでいる方が恥ずかしくなるような稚拙さがある。けれどそれは彼の真心から出た言葉ですよね。ここには彼の誠実さが現れているように感じます。

8 物まねからの自立

ハムレットは半ば無意識に自ら破滅の道へ、悲劇的結末へと進んでいく。それと並行するようにして、ハムレットの中で、父世代から受け継いだ所与の世界観を象徴する〈言葉の崩壊〉が進行していきます。
 
中盤、ハムレットが旅役者たちに演技指導をするシーンがありますよね。演技のテーマについては改めてまとめますが、これが親子の物まねと重ねられています。以前もふれたのですが、前半では、ポローニアスが「殿下、いささかお耳に入れたいことが My lord, I have news to tell you.」といったのを、ハムレットが「殿下、いささかお耳に入れたいことがMy lord, I have news to tell you.」とまったく同じ言葉を繰り返す(102)。ここでハムレットは象徴的父の言葉をそのままなぞる息子としての自分を相対化して、滑稽に茶化している。
 
物語がすすみ、王妃と会話する場面になると、物まねに次のようなアレンジが加わります。

王妃 お前のことで父上はたいそうご立腹です。
ハムレット 母上のことで父上はたいそうご立腹です。
王妃 まあ、まあ、そんなふざけた返事がありますか。
ハムレット あら、あら、そんなたわけた質問がありますか。
QUEEN Hamlet, thou hast thy father much offended.
HAMLET Mother, you have my father much offended.
QUEEN Come, come, you answer with an idle tongue.
HAMLET Go, go, you question with a wicked tongue.

(163)

ハムレットの返答はここで、単なる物まねから、王妃の言葉を真似つつその一段上を行く言い回しへと進化しているんですね。大げさにいえば、親世代の言葉を自分のウィットで書き換えるという成長を見せている。これは、前回見た王の勅書を書き換えるのと同じ。上の世代から与えられた言葉=生き方をなぞるのではなく、与えられた言葉を理解したうえで、自分なりの言葉に更新することが、成長の兆しなのだと思う。

9 道化のマラプロピズム

墓掘りの場で、道化たちがオフィーリアの自殺が罪だといいあう場面では、「それが法律かね?」(226)といって、現世の人間社会のルールを茶化す。それも、道化の言葉遊びで「地獄落ちdamnation」を「極楽落ちsalvation」、「自己防衛 se defendendo」を「自己暴行 se offendendo」と言い間違えながら茶化すことで、これまでに築いてきた言語体系や知性を崩していく。この詳細は下記で考察していますので、併せてご覧ください。

道化がオフィーリアの自殺について、「行為には三段階あってだな——つまり、やる、する、行う、だ。an act hath three branches—it is to act, to do, to perform.」(226)と似た意味の言葉を複数重ねるのも、シェイクスピアがときどき使う言葉の解体のひとつですね。
 
この流れで前回考察した、アダムが知恵の実を食べて土地持ちになった話しが語られる。それは、ハムレットが生まれてから言葉を覚え、知性を獲得した過程と重ねられる。そして、物まねやマラプロピズムによって、獲得してきた言葉や知性を崩すということをしていく。
 
ハムレットも掘り出された頭蓋骨について、「あの頭蓋骨にも舌があった、昔は歌も歌えたんだ」「「おはようございます、閣下。ご機嫌いかがで、閣下」なんて言っていたかもしれない。こいつは何のなにがし閣下で、別の何のなにがし閣下の馬をほめそやし、あわよくば頂戴したいと思っていたかもしれない」(229)と、言葉を話すことと、身分にこだわること、お追従をいうこと、物欲にとらわれることといった世俗的な価値観を結び付け、それらを幾重にも否定していきます。

10 ポローニアスのバベルの塔

冒頭でふれたように、ポローニアスは名優ぞろいの旅役者をハムレットに紹介する際、下記のような言い方をします。

悲劇、喜劇、歴史劇、牧歌劇、牧歌劇的喜劇、歴史劇的牧歌劇、悲劇的歴史劇、悲劇的喜劇的歴史劇的牧歌劇、はたまた何でもありの何とも言えない劇。
tragedy, comedy, history, pastoral, pastoral-comical, historical-pastoral, tragical-historical, tragical-comical-historical-pastoral, scene individable, or poem unlimited.

(102)

これが、前々回の記事でふれた以下の場面と響きあう。

(ハムレット、本を読みながら登場)
ポローニアス 殿下、何をお読みで?
ハムレット 言葉、言葉、言葉。

(91)

ハムレットが読んでいた「言葉、言葉、言葉」とは、うわべの世俗的な価値観でしかものを見ることができなくなっていながら、そのことに気づかないどころか、自分の巧みな言葉づかいに酔いしれている父親世代が積み上げたバベルの塔ではないでしょうか。
 
バベルの塔の神話でも、シェイクスピア作品でも、自分の能力を過信して天へ挑むような傲慢さが命取り。ポローニアスによって、自分の言語能力をひけらかすように積み上げられた言葉の塔は本来の意味を失い、滑稽で空疎な文字と音の羅列となる。クローディアスが「心の抜けた言葉」と表現する意味なき塔は、真心のこもっていない虚飾に満ちた言葉であふれたハムレットの周りの人々、広くは人間社会を象徴しているのかもしれません。
 
これが墓掘りの場面で言及される「証書類を集めれば棺桶には収まりきらない量だろうに、ご当人の所有地はこれっぽっちだ」(231)という表現とも結びつく。法律家に象徴されるような父親たちは、言葉や証書類を積み上げるけれど、そんなものは死後の世界では役に立たないではないかと、若者ハムレットは反発しているのだと思う。

11 バベルの塔の崩壊

ハムレットが王妃に、自分は正気だと訴える場面では、「嘘だと思うなら/一言一句繰り返してみせる。狂気なら/言い間違えるはずだ」(172)という。これは前半で、ポローニアスがハムレットの手紙を「一言一句たがえず読みます」(85)というのと対。言葉を正確に繰り返し、物まねができることが正気の証明、それが崩壊したら狂気のはじまり。狂気におちいると、言葉の秩序、バベルの塔は崩れ始めます。
 
ポローニアスが、ハムレットについて「ご発狂の挙げ句あらぬことを口ばしり」(88)というのはその予告。「気違いの言いぐさにしては、一本すじが通っている/気違いのまぐれ当たりというやつだな、正気の頭からはこれほどうまい言葉は出てこない」(92)というのも同じ考え方からでるセリフですね。
 
また、ハムレットはクローディアスと再婚して先王を裏切った母に対して、神話の英雄のように象徴的に死んで生まれ変わるべきだと憎まれ口をたたく。これに王妃は以下のように答えます。

言葉から息が生まれ
息が命から生まれるなら、
お前が言ったことを息に洩らす命はない
if words be made of breath
And breath of life, I have no life to breathe
What thou hast said to me.

(175)

王妃はこのとき、ハムレットに指摘されてはじめて自らの罪に気づく。そのうえで、ハムレットの忠告を受け入れ、改心しよう、生まれ変わろうという意思を示している。それが生きること、息をすること、言葉を話すことと結びつけられています。
 
そして、このハムレットと王妃の会話のあいだじゅう、目の前では文字通り息をしていない、命を失ったポローニアスの死体が転がっている。ハムレットがポローニアスの死体をひきずりながら「この大臣閣下も/ようやくおとなしくなった、口も堅く、厳粛な顔つきだ。/生きていた時は無駄口たたくおしゃべり爺だったのに」(176)というように、ポローニアスの口からはもう「悲劇的喜劇的歴史劇的牧歌劇」という滑稽で冗漫な言葉が出てくることはない。ポローニアスの死体はここで、崩壊したバベルの塔そのもののようではないでしょうか。
 
常識的に考えれば、狙っていたのと間違った人物を殺してしまったら、慌てて人に知らせるなり、急いで遺体を隠すなり、何らかの行動を起こしますよね。けれど『ハムレット』のこの場面で、殺してしまったのがポローニアスだと分かった後も、ハムレットと王妃は異様なほどたんたんと長い会話を続ける。ハムレットは半ば狂気のうちにあり、王妃は気が動転しているためである、という説明は一応成り立つ。けれどそれだけでなく、もしかするとシェイクスピアはここで、ポローニアスの遺体を舞台上に横たわらせておくことで、崩壊したバベルの塔を観客にしっかり印象付けたいという意図をもって、あえてこういう構成にしているのではないか、というのは勘繰りすぎでしょうか。

12 狂気が壊す言葉の塔

ここからさらに、父親世代が積み上げたバベル=言葉の塔を、子供世代が壊していきます。後半で登場する紳士は、気が狂ったオフィーリアについて下記のようにいう。

口走るのはあやふやなことばかりで
ほとんど意味が分かりません。たわいもない言葉ですが、
支離滅裂な口ぶりだけに
意味ありげに聞こえます。聞く者は勝手に憶測し、
言葉を都合のいいようにつなぎ合わせる

(194)

オフィーリアが秩序ある言葉の世界を崩壊させていることを伝えるとともに、さりげなくポローニアスが積み上げた言葉のバベルの塔を批判しているようにも読めるかもしれない。
 
(話がずれますが、都合のいいセリフをつなぎ合わせて読解しようと試みるこの連載もまた、狂気の沙汰の最たるもの、バベルの塔そのものかもしれませんね、知恵の実はおいしい笑)
 
閑話休題、クローディアスはこういう。

気の毒なのはオフィーリア、
心を引き裂かれ判断力もなくしている。
人間ああなると人形か畜生に等しい
Without the which we are pictures or mere beasts

(199)

オフィーリアは、もともと父の操り人形として生きていたキャラクターなのですが、ここでそれが畜生と同列になっています。このあとハムレットは下記のセリフを言う。

ヘラクレスにはしたい放題させておけ。
猫はニャーニャー、犬はワンワン、そのうちいい目も見るだろう。
Let Hercules himself do what he may, The cat will mew, and dog will have his day.

(242)

発狂して畜生といわれるオフィーリアと、狂気のハムレットの発する言葉が、猫や犬の鳴き声のように意味不明なものになっていく。人間的な理性や言葉を使う能力が崩壊して、獣と同格になってしまう。『リア王』の最後に、コーディリアの死を悟って絶望したリアが、人間的な言葉を忘れて「咆えろ、咆えろ、咆えろ!」(242)ということしかできなくなるのと同じ。『ロミオとジュリエット』で、恋に落ちたロミオが犬のように吠え始めるのと同じ。
 
こうして、子供世代はバベルの塔を崩壊させながら、破滅へと向かっていく。それは、上の世代から受け継いだ言葉や価値観を壊し、自分たちの力で新しい世界観、自分らしい生き方を創ろうとするための闘いなのだと思うのです。

13 トロイの城壁の崩壊

『ハムレット』の中盤、旅役者はハムレットの前で、トロイア戦争の一場面を以下のように朗読します。

ここぞとばかり駆け寄るピラス、怒りこめたる一刀は
狙いはずれて空を切るも、激しき太刀風に煽られて、
脆くも王は倒れたり。五感持たざるトロイの城も
この一撃を感じてか、燃え盛る櫓もろともに
一挙にどうと崩れ落ち、大地も揺らぐ轟音に
ピラスは耳を聾されり、ゆえに、見よ、その剣、
尊きプライアムの白き頭めがけ
振り下ろされんとせしままに、宙にひたっと凍り付く
さながら猛将の絵姿にして、さしものピラスも立ちすくみ、
茫然自失、戦意も消えて
なすこと無し。
されど、これぞ嵐の前の静けさ、
天は黙し、天駆ける雲は動かず、
烈風も声をなくし、大地もまた
死のごとき静寂に沈みしとき、雷鳴突如とどろきて、
虚空を切り裂く。不動のピラスも我にかえり、
憎悪も新たに切り掛かる

(106)

ギリシャ軍の若い戦士ピラスが、父の仇であるプライアムを倒したのと同時に、トロイの城壁が崩れる場面。振り上げた刀が一度宙に凍り付いてしまう瞬間が、クローディアスへの復讐の機会があったにもかかわらず、一度剣を抜くのを思いとどまったハムレットの姿と重なることは、しばしば指摘されること。
 
『トロイラスとクレシダ』で描かれるトロイの城壁が、バベルの塔、言葉の構築物を象徴しているのではないかという解釈については、下記で述べました。これと合わせて、『ハムレット』の上記の場面にも、言葉の塔の崩壊の意味を読み込んでもいいかもしれません。

「大地も揺らぐ」というのは、以下でみた大地震のイメージで、これが前回も見た領土が精神性を表すということと重なってくる。心の動揺が、言葉の崩壊と結びつきます。

さらに、「五感を持たない」トロイの城も崩れる、その轟音に、ピラスは「耳を聾される」。『ハムレット』では聴覚がひとつのキーワードになっていることは[01_両耳に流し込まれるヘボナの毒の謎](上記リンク)でふれた通り。城が崩れるものすごい轟音を聞いて、ピラスは一瞬、他の音が聞こえなくなってしまう。そして「死のごとき静寂」がやってくる。プライアムが倒れて城が崩れた瞬間、ピラスも一瞬、音のない世界に足を踏み入れる。それは[02_クローディアスが黙劇に反応しないのはなぜか?](上記リンク)でみたような光と闇のパラレルワールドの、闇の方の世界に引き込まれるのと同じ。ハムレットが最後に「あとは、沈黙」といって死ぬ、その後の世界、彼岸、冥界。
 
城が崩れ、象徴的父が死に、息子も死の世界に一瞬引き込まれた後我にかえる。こうして父殺しと一体化が果たされる。神話学者ジョーゼフ・キャンベルがいう英雄神話の典型にもそのまま当てはまりますね。雷鳴を操るジュピター(ゼウス)はローマ神話の最高神。『リア王』など、シェイクスピア作品では父親の表象として使われています。
 
また別の場面では、「体という寺院が大きくなるにつれ、/中で行われる精神や魂の礼拝も幅広いものになるas this temple waxes,/The inward service of the mind and soul/Grows wide withal.」(40)という言い方がされています。人の心や体が神殿templeなど建物に例えられることは、下記で示したとおり。これが、人の死と言葉の崩壊、バベルの塔の崩壊のイメージとつながる。

そして上記でみたように、大工の息子もまた大工になる宿命にある。『ハムレット』で、墓掘りの道化たちは以下のような会話をします。

石屋や大工、船大工よか頑丈なものこせえるのは誰だ?
絞首台作るやつよ(中略)
絞首台は教会よりも頑丈だってことだよな、こいつは悪いことだ(中略)
墓掘りの作る家は最後の審判までもつからな

(227)

船大工がつくる船に乗る船乗り・漁師もまた未熟者のイメージ。ハムレットが「水夫のコートを羽織り」(244)海賊船に乗ったのと同じ(詳細下記)。

大工が建てるtemple 寺院・神殿・教会は、一人ひとりの精神世界の比喩でもある。そこに驕りが入ると、それはバベルの塔のように崩壊してしまう。前々回の記事では、ポローニアスが自らをdesk机に例えている場面があり、これは言葉と家を結び付ける家財道具なのではないかと述べました。ポローニアスの体も、崩壊するバベルの塔のひとつであることは前述のとおり。
 
教会よりも絞首台の方が頑丈だというのは、この戯曲に出てくる主要な登場人物たち、ハムレットやオフィーリア、クローディアスや王妃らが建てた精神世界やそれを支える信仰の力=教会よりも、死の引力=絞首台の方が強いという意味なのだと思う。墓掘りの道化たちは、この言葉を通して悲劇的な結末を予言しているのではないでしょうか。
 
今回はここまで。お読みいただき、ありがとうございました。
続きはこちらから。ぜひご覧ください。


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