14_シェイクスピア『ハムレット』考察:オフィーリアの部屋で行う奇妙なしぐさの意味は?
Q. ハムレットがオフィーリアの部屋で行う奇妙なしぐさの意味とは?
『ハムレット』の前半、父の亡霊に会った後、ハムレットは恋人の部屋を訪ねます。オフィーリアは後に、そのときのハムレットの様子を以下のように回想します。
私の手首を取って引き寄せると、きつく私を抱きしめ、
腕を伸ばしてあとずさりなさり、
もう片方のお手をこうして額にかざし、
まるで肖像画でもお描きになるように
私の顔をじっとご覧になりました。長いこと動こうともなさらず。
それからようやく私の腕を軽く振り、
こんなふうに頭を三度上げ下げなさり
悲し気な深いため息をおつきになった。
ハムレットは一連の奇妙なしぐさを行うと、何の説明もなく「目がなくても道は分かるとでもいうように」恋人の部屋から出ていったといいます。この場面に込められた意味は何でしょうか。
本稿の解釈はこう。
A. ハムレットとオフィーリアの恋愛模様を鏡に映した〈黙劇〉では。
以下に理由を述べます。
シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。
1 芝居は現実の鏡
戯曲中盤、ハムレットは旅役者を前に、以下の有名な一節をいいます。
芝居が目指すのは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡をかかげ、美徳にも不徳にもそれぞれのありのままの姿を示し、時代の実体をくっきりと映し出すことだ
そして、役者たちにクローディアスの悪事を再現した劇中劇を演じさせ、彼が犯人であることを確信します。また、旅役者がハムレットとポローニアスの前でトロイア戦争の一節、ピラスが父の仇プライアムに復讐する場面を朗読する。これがハムレットのクローディアスへの復讐と鏡映しになっている。『ハムレット』において、劇中劇は現実の出来事の鏡です。
2 物まねという鏡
ハムレットが親たちの真似をする場面は親子の鏡映し。ポローニアスが「殿下、いささかお耳に入れたいことが My lord, I have news to tell you.」といったのを、ハムレットが「殿下、いささかお耳に入れたいことがMy lord, I have news to tell you.」と物まねをしてみせる(102)。その後には、王妃と以下のようなやり取りをします。
王妃 お前のことで父上はたいそうご立腹です。
ハムレット 母上のことで父上はたいそうご立腹です。
王妃 まあ、まあ、そんなふざけた返事がありますか。
ハムレット あら、あら、そんなたわけた質問がありますか。
親の資質を子供が受け継ぎ、同じ過ちを繰り返して、悲劇的な運命に巻き込まれていくというテーマを、物まねを使って表現している場面。親たちの現実を息子ハムレットが真似して茶化すことで、その滑稽さを浮き彫りにし、乗り越えようとする。「この世界すべてが一つの舞台、/人はみな男も女も役者にすぎない」(『お気に召すまま』_84)といわれるとおり、シェイクスピア作品では誰もが役者。『ハムレット』でも、旅役者だけでなく、ハムレットやオフィーリアら、みなが役者です。
3 黙劇も鏡
旅役者はゴンザゴー殺しに重ねて、クローディアスが先王を殺した場面を演じてみせる。さらにその前には、この芝居とまったく同じ内容を、セリフなしの黙劇(マイム)で演じてみせる。セリフ付きの芝居が現実の鏡だとしたら、セリフなしの黙劇は、鏡を映すもう一つの鏡。
先王の亡霊を見た直後、ハムレットはオフィーリアの部屋を訪ね、奇妙なジェスチャーによって思いを伝えようとする。これが今回考察する問題の場面。ここでハムレットは、言葉をいっさい発することなく、パントマイムのような身振り手振りだけで何かを訴える。これも役者ハムレットによる黙劇ではないでしょうか。
4 黙劇のパラレルワールド
ゴンザゴー殺しの黙劇では、セリフがないために、役者たちが演じている場面がいったい何を意味しているのか、クローディアスやガートルード、オフィーリアらには理解できない。その芝居を企画したハムレットにだけ、黙劇の内容が理解できるのは当たり前なのだけれど、ここにはさらに、〈此岸・光・音のある世界〉に身を置くクローディアスと、〈彼岸・闇・音のない世界〉に半分足を踏みいれているハムレットの対比があるのではないか、という解釈ついては、以下で示したとおり。
ハムレットがオフィーリアの部屋を訪ねてマイムをおこなった時にも、彼らはパラレルワールドにいたのだと思う。ハムレットは〈音や言葉のない世界〉に、オフィーリアは〈音や言葉がある世界〉にいて、だからオフィーリアはハムレットのしぐさの意味を理解できず、ただ怖がっている。メッセージは伝わらず、恋人たちはすれ違ってしまいます。
5 恋の物語の鏡
劇中劇のゴンザゴー殺しは、クローディアスによる先王殺しの再現であると同時に、甥が叔父を殺すという内容でもあることから、ハムレットによる現王への復讐の予告、復讐劇の鏡ともいえる。トロイア戦争の朗読もこれと重ねられる。
ハムレットがオフィーリアの部屋で行う黙劇(マイム)も、何らかの現実を映しだす鏡であるに違いない。『ハムレット』には、クローディアスへの復讐劇、象徴的父たちとの闘いのラインと、オフィーリアや母ガートルードとの愛情問題のライン、二つの物語が並行して走っているという解釈については、以下で述べたとおり。
すると、ハムレットがオフィーリアの部屋で行うマイムは、もうひとつの軸、ハムレットとオフィーリアとの恋愛模様を黙劇として演じたものかもしれない。そんな風に仮定して、オフィーリアが語るハムレットの様子やしぐさの意味をひとつずつ考えてみたいと思います。
6 マイムの意味
6-1 問題の場面
ハムレットが部屋を訪ねて来たときの様子を、オフィーリアは父に、以下のように語ります。
お父さま、部屋で縫物をしていると
ハムレットさまが、上着の胸をはだけ
帽子も被らず、汚れた靴下は
足枷のようにくるぶしまで下がり、
お顔は真っ青、両膝をがくがくさせ
まるで地獄の恐ろしさを告げるため、
そこから抜け出していらしたばかりというように
悲しげな眼差しで、ふいに私の前に。(中略)
私の手首を取って引き寄せると、きつく私を抱きしめ、
腕を伸ばしてあとずさりなさり、
もう片方のお手をこうして額にかざし、
まるで肖像画でもお描きになるように
私の顔をじっとご覧になりました。長いこと動こうともなさらず。
それからようやく私の腕を軽く振り、
こんなふうに頭を三度上げ下げなさり、
悲し気な深いため息をおつきになった。
まるでお体が粉々に砕け
かき消えてしまいそう。それから、手をお放しになり、
肩ごしに顔をこちらにお向けになったまま
目がなくても道は分かるとでもいうように、
目の助けなしに出ていかれた。
最後まで私から目をお離しにならず。
6-2 部屋で縫物
オフィーリアがハムレットにとっての運命の女神であるしるし。この後、ハムレットの奇妙なしぐさが印象づけられるのは、彼が運命の女神の引っ張る糸によって操られる者になってしまったことの表現ではないでしょうか。この直前、ハムレットは先王の亡霊に会って、言葉の呪いを自らの記憶に刻み込み、狂気にとりつかれた。これが操り人形になること、黙劇のパラレルワールドに入り込むこととイコール。だからこそ、このタイミングでハムレットはマイムをする(操り人形については[10_ポローニアスが壁掛けの裏に隠れるのはなぜか?(下記リンク)]をご参照ください)。
6-3 上着の胸をはだけ~くるぶしまで下がり
服を脱ぐのは理性的な判断力が弱くなり、現世的・社会的なルールを忘れて、本能優位になること。帽子が脱げているのは狂気が極まっているからでしょうか。くるぶしまで下がった靴下は、亡霊に吹き込まれ、ハムレットが自ら記憶に刻み込んだ父の言葉の呪いが彼の足かせになっていることを示すのだと思う。
6-4 地獄の恐ろしさを告げるため
亡霊に会って以降、ハムレットは現実にいながら片足を地獄に踏み入れた状態。ハムレットがいるパラレルワールドは、「地獄があんぐり口を開け」(37)、「墓はあんぐり口を開け」(153)、「墓という墓は空になり、経帷子を纏った死人の群れが/金切り声を挙げてローマの街をうろついた」(17)のと近い状況、「墓が重い大理石の口を開け、/再び死者を地上に吐き出したのか?」(51)と思うような闇の中にいる。狂気と正気が半々の、亡霊が見える者として、現実にいる者たちに地獄の恐ろしさを告げに来る。
6-5 オフィーリアを抱きしめる
ハムレットからオフィーリアへの愛の告白と誓い。オフィーリアは父ポローニアスに、ハムレットが「優しい言葉でくりかえし愛を/打ち明けてくださいます」(45)「お言葉が偽りでないしるしにと/ありとあらゆる誓いもお立てになります」(46)といっています。ハムレットは「わが魂の偶像/美の化身たるオフィーリアへ」(85)と記した恋文も送っていますね。この気持ちを示したものではないでしょうか。
6-6 腕を伸ばしてあとずさり
オフィーリアはこの後、父と兄の助言に従って、ハムレットの愛を拒絶する。もう手紙を送らないで、部屋にも来ないでといい、ハムレットからの贈り物を返す。ハムレットは自分の愛の誓いを信じてもらえなかったことにショックを受けて、「尼寺へ行け」と自分からもオフィーリアを突き放す。「腕を伸ばしてあとずさり」は、まもなく訪れる二人の別れを、予告的に示しているのだと思う。
繰り返しになりますが、このときのハムレットは、片足を彼岸に踏み入れている。「目がなくても道は分かるとでもいうように、/目の助けなしに出ていかれた。」という表現にも示されているように、現実が見えなくなっているかわりに、闇の世界、現実の向こう側が見えるようになっている。前回見た『オイディプス王』に出てくる盲目の予言者ティーレシアスに未来が分かるのと同じように、このときのハムレットには、未来を見透かす能力があるのかもしれない。他のシェイクスピア作品にも、例えば『トロイラスとクレシダ』のカサンドラなど、狂気にとりつかれているため、未来が見える予言者が登場しますし、それと同じなのでは。
6-7 片手を額にかざし、オフィーリアの顔をじっと見た
過去記事でも引用しましたが、ハムレットは戯曲の序盤から以下のように、目には見えない世界に目を凝らせといっています。
見えるですって、母上? いや、事実です。
「見える」ことなど知るものか。(中略)
僕(ハムレット)のなかには見せかけを超えたものがある。
目に見えるこうした仕草は悲しみの飾り、衣装にすぎません。
また、人格者だった先王と、欲にまみれて罪を犯しながら平然としている現王との違いが分からない王妃に向かって「目がないんですか?」と二度(166・167)繰り返し、たとえ見えていても「その感覚は麻痺している」「悪魔にたぶらかされ/目隠しされたのですか?/触れる手がなくても目があれば、目がなくても手があれば、/手や目がなくても耳があれば、何もなくても鼻があれば、/いや、病んだ感覚のひとかけらでもあれば、/これほど血迷うわけがない」(167)といって非難する。王妃は見ているつもりで、大切なものを見逃している。闇の世界にいるハムレットには、それが分かる。
だから、マイムの場面で片手を額にかざしてオフィーリアの顔をじっと見るのも、恋人の目には見えない本心、本人も気づかずにいるような心の奥深くに隠された気持ちにまで目を凝らそうとする、そんな態度を表現するものではないでしょうか。肖像画を描くとき、画家は対象の表面的な姿かたちばかりでなく、モデルとなる人の内面にまで潜り込んで、それをキャンバスに表現したいと望むはず。そんな風に、ハムレットはオフィーリアの本質を見抜こうとしているのかもしれません。
オフィーリアは純粋な心を持つ女性ですが、意志が弱すぎるところがある。このときハムレットは彼女の心の奥深くにある弱さを見抜く。それは「もろきもの、お前の名は女」(30)という言葉に結びつく危うさ。ハムレットはオフィーリアも将来、ガートルードのように悪気なくハムレットを裏切ることになるかもしれない、そんな可能性を感じ取ってしまう。これが後の「尼寺へ行け」というセリフへ結びついていくように思います。
6-8 オフィーリアの腕を軽く振り
戯曲の最後、ハムレットらが悲劇的に死んだあと、デンマークを任されるのはノルウェイの王子フォーティンブラス。名前の意味は〈強い腕〉で、彼が良いことも悪いことも動じることなく受け止められる強い腕、強い心の持ち主であることを示すもの。対するハムレットやオフィーリア、クローディアスやガートルードらこの戯曲で命を落とす者たちは、いずれも弱い心(他者の言葉に惑わされやすい弱い耳)の持ち主。悲劇の原因は、大切な人を信じ切れない弱い心にあったといえることは、過去記事でも述べてきたとおり。
弱い心、弱い腕は作中で、オフィーリアがのぼって命を落とす柳の枝にも重ねられています。ハムレットは一連のマイムのはじめにオフィーリアをきつく抱きしめましたよね。彼はそうして、せいいっぱいの愛を伝えた。けれど、オフィーリアの腕=心は柳の枝のように弱く頼りなく、ハムレットの愛を受け止めることができなかった。ハムレットもまた、オフィーリアを信じ続ける強い心を持っていなかったために、「お前は貞淑か?」「尼寺へ行け」とひどい言葉で突き放してしまう。
ハムレットとオフィーリアの恋の成就のために必要だったのは、相手を受け止めて抱きしめる強い腕、互いを信じて受容する強い心。だけれど、彼らはそれを持てなかったために傷つけあって別れてしまう。命を落としてしまう。腕を軽く振るのは、そのことの無念と悲しみを表現したしぐさではないでしょうか。
『テンペスト』や『トロイラスとクレシダ』では、それまで敵対していた相手、兄弟や敵国の戦士を抱きしめることが和解や赦しのしるしとして描かれていますね。『お気に召すまま』『マクベス』などには聖書の放蕩息子の帰還を思わせる記述もあります。この物語でも、放蕩息子が帰って来た時に、父が息子を抱きしめる姿が、和解と赦しの象徴となる。対立物の一致、和解や赦しがシェイクスピア作品におけるハッピーエンド。フォーティンブラス、強い腕はこれに結びつくイメージ。『ハムレット』では、最後にフォーティンブラスが現れることにだけわずかな救いがある。けれど大筋では、父の仇への復讐、オフィーリアとの恋愛の両軸においてこの強い腕がなかったことが悲劇の原因で、腕を振るのはこれを嘆くしぐさだと思う。
6-9 頭を三度上げ下げして、悲し気な深いため息をついた
『ハムレット』の中で三度なされることといえば、ホレイショーとマーセラスが、亡霊を見たことを他言しないと誓いをたてること。これが、亡霊が「さらば、さらば、さらば、父の言葉を忘れるな」といい、ハムレットが復讐せよという父の言葉を忘れないと誓うこと、ハムレットがポローニアスに「何をお読みで?」と訊かれて「言葉、言葉、言葉」(91)と答えることと響きあう。さらに劇中劇の「魔女の呪いを三たび受け、三たび毒気を吹き込まれ」(145)という言葉と呼応し、父の言葉や誓いが呪いになることは、過去記事で見てきたとおり。
だから、ハムレットがオフィーリアに向けて頭を三度上げ下げするのは、復讐の誓いとパラレルで、オフィーリアへの愛を三度〈誓う〉意味が込められているのではないでしょうか。そのうえで、前述のとおり、狂気のハムレットには、このとき自分たちの仲がだめになっていく未来も見えているから、悲し気な深いため息をつくのかもしれません。
6-10 お体が粉々に砕け、かき消えてしまいそう
旅役者がハムレットの前でトロイア戦争の物語を朗読する場面には、オシリス神話が重ねられていることは以下でみました。
あさましき布一枚を纏ったヘキュバの「眼前にて夫の五体を切り刻む」(109)場面は、オシリスの体が八つ裂きにされて大地にばらまかれるエピソードと重ねられます。「お体が粉々に砕け、かき消えてしまいそう」という表現は、オフィーリアが女神として、ハムレット=オシリスが腐敗した宮廷を浄化するための生贄となり、粉々に砕け大地に還る宿命にあることを感じ取っていることを示すものかもしれない。これが、物語の最後にハムレットが力尽きたのを見て、ホレイショーが「気高い心が砕けてしまったNow cracks a noble heart.」(267)というのとも呼応しているとも読めます。
こんな風に見ていくと、ハムレットのパントマイムが、オフィーリアとの恋愛問題を鏡に映したものとして解釈できると思うのですが、いかがでしょうか。
7 言葉の塔を壊し、黙劇的な領域へ
『ハムレット』には言葉が巧みな年長者ポローニアスと、言葉が稚拙な若者ハムレットの対比が描かれているという解釈については、以下で述べた通り。
ポローニアスは、冗漫すぎるほどすらすらよどみなく話す技術に長けた人物。クローディアスもまた、己の罪を隠し、虚飾に満ちた言葉で心にもないことを口に出し、立派な王を演じているキャラクター。そんな彼らは、自分の意志とは関係なく、周囲から求められる言葉を話す操り人形でもある(詳細下記参照)。
年長者が身につけた話術は世間を上手にわたっていくために欠かせない。けれど虚飾が過ぎれば言葉には真心がなくなり、空疎なバベルの塔はいつか崩壊してしまう。対するハムレットは若く言葉は未熟だけれど、真心を込めて話したいという気持ちを持っている。けれど、言葉が稚拙なうえに、言葉を発する側も受け取る側も心が弱く、自分の気持ちも相手の言葉も信じ抜くことができなくて、傷つけあってすれ違ってしまう。
行き詰まったハムレットは、父たちから教わってきた虚飾に満ちた言葉を捨て、言葉の呪いを乗り越えて、自分らしい言葉で、新しい世界観を構築しようともがく。そのために、父たちが築く言葉=バベルの塔を壊そうとする、という流れも過去記事で見てきたとおり。それが、言葉なき沈黙の世界、黙劇的な領域へ足を踏みいれることと結びついていきます。
8 ためらいから沈黙へ
下記では、笛や口笛が、運命の女神の糸と重ねられると述べました。口先だけの言葉をすらすら喋れる状態は、上手に笛が吹けることと同じ。反対に、言葉が滞りがちであること、常にその言葉でいいのか迷い、ためらいながらしか話せない状態は、運命に従うことに疑問を持ち、抗おうとすること。吃音はその表れのひとつで、ハムレットが復讐をためらうのもこれと似ているのではないかと思う。
言葉を話すことをためらい続ければ、沈黙へ至り、剣を抜くのをためらい続ければ、優柔不断で復讐できないハムレットになる。言葉で愛を伝え続けることを諦めて、奇妙な独りパントマイムで恋人に想いを訴えようとしても、オフィーリアからすれば狂気にとりつかれた滑稽な道化、愚かな操り人形にしか見えず、心は離れてしまう。
戯曲の序盤、亡霊に会うシーンで、ハムレットがホレイショーらに誓えと命じるのは、「今夜見たこと、決して他言しない」(65)こと。その前にも、亡霊を見たことについて「これからも沈黙を守ってくれ」(38)と言っています。また、ポローニアスもレアティーズに、「思ったことは口に出すな」「みんなの話に耳を貸し、自分からはめったに口をきくな」(43)と忠告する。言葉を口にすることの弊害が強調され、沈黙を良しとする考え方が語られていく。
父が築いたバベルの塔を壊す、親から教えられた価値観を手放し、その上に自分らしい言葉を使って、新しい価値観を創りなおすことは、ひとつのイニシエーション、子供が大人になるために通らなければならない試練。だけれどハムレットにとって、それは破滅に至る道。言葉を手放し、黙劇の世界へと進んでいくその道の先には、沈黙の世界、死が待っています。
9 流暢に話す役者、台詞のない脇役
[12「鷹とのこぎりの区別はできる」のはなぜか?](上記リンク)で見た通り、中盤では、旅役者の朗読を聞いたハムレットが秀でた演技力に感激していました。この前にはハムレットが、役者の「セリフの流れが止まる the blank verse shall halt for't」のは良くないから、役者に貢ぎものや祝儀をはずもうといっています(98)。
戯曲の最後、レアティーズと相打ちになり、死を悟ったハムレットは、周囲でその悲劇を言葉もなく見つめる者たちに、「この惨状に蒼ざめ震えているお前たち、/この芝居の台詞のない脇役か、/それとも観客か」(266)と呼びかけますね。これもハムレットやレアティーズ、国王や王妃らが運命に操られる人形であり、役者であることの表現。同時に、ここにもよどみなくセリフを話す役者と、目の前の悲劇を言葉を失って見つめている者たち、言葉を発しない役者との対比があります。
10 客席もろとも、沈黙の世界へ
このときレアティーズはハムレットに、「ハムレット、君は殺された Hamlet, thou art slain.」(264)といいます。もう助かる見込みはないけれど、毒がまわるまでに数分の猶予がある。ここでハムレットとレアティーズは、つかの間、彼岸と此岸のあわいにいる。生きているとも死んでいるともいい切れないような、不思議な時間が流れていることが、このひと言でわかる。
すると台詞のない脇役たちが、彼岸の亡霊のようにも思えてくる。さらに、「それとも観客か」という言葉で、そのとき現実に『ハムレット』の舞台を見に来ている本物の観客たちの方にも、このあわいの感覚が流れ込んでくる。本物の観客たちも、言葉もなく悲劇を見つめる脇役のひとりとして、戯曲の内側に引き込まれる。舞台と客席、虚構と現実の境界線が融ける。此岸と彼岸、言葉のある生者の世界と、沈黙の死者の世界が鏡のように反射しあい、混ざりあう。
そして最後、ハムレットは「あとは、沈黙」といって果てる。この瞬間、『ハムレット』を観劇する者は、ハムレットとともに言葉なき死後の世界、黙劇的領域に巻き込まれ、一瞬見えるはずのない境界の向こう側を垣間見る。そんな風にも解釈できると思います。
J.D.サリンジャー「コネティカットのひょこひょこおじさん/アンクル・ウィギリー」読解はこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解はこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

