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24_キャッチしない理由_J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』考察


こちらのマガジンでは、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、聖杯伝説的な側面から読み解いています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。

Q.24-1 フィービーが算数の教材を持っているのはなぜか?

 前半には、ホールデンがふざけて、「お母さん、手を貸してください」(40_傍点原文)とキャッチャーの手を求める場面がある。これが後半で、真っ暗闇の中、フィービーがホールデンに「お金を渡そうとしていた。でも僕の手がみつからなかった。「ねえ、どこにあるの?」(304)と、フィービーがホールデンの手をさがす(304)場面と対になっている。前半でキャッチャーの手を求めていたのはホールデン。それが、後半ではフィービーに変わっている。
 この前の場面では、ホールデンが、フィービーの「算数は楽しい!」という教材を見つける(270)。算数や数学は、数字という記号を覚え、論理で思考する理性的な人間を象徴する学問。知恵の実を食べたものだけが理解できる概念。いまは幼さの残るフィービーも、算数を学ぶことに象徴されるように、少しずつ大人社会のルールや秩序を身につけつつある者である。それは、フィービーもやがて、ホールデンと同じように、さまざまな二項対立に揺らぎ迷う心を抱える者へと成長していくことを暗示する。(「笑い男」で「算術の先生の額を的に、人さし指でビー玉の狙いをつけたりしていた」(100)と記されているのも、「ズーイ」で、ベッシ―は息子に数学の博士号を取ってほしいと望んでいる(87)と書かれているのも、おそらく同じ理由)
 ホールデンが内心で、フィービーに「コンプレックスみたいなのを持ってほしくなかったからさ」(298)と思うのは、フィービーがコンプレックスを持つ大人になっていくのを案じているから。その根底には、程度の差はあれ、基本的に誰もが成長とともに何らかのコンプレックスを持つものだという考え方がある。
 フロイトからの影響も大きいサリンジャー作品では、コンプレックスをいかに克服するかが重要なテーマのひとつ。ホールデンが、ジェーンのボーイフレンドであるアル・パイクについて語る場面で、「ほんもののコンプレックス」(228_傍点原文)とは何か力説するように、『キャッチャー』では、コンプレックスをいかに克服するかがホールデンの成長、イニシエーションの試練ともいえる。(他のサリンジャー作品も基本的には同じ)
 そして、本作でホールデンのあとに神話の英雄として、コンプレックスの克服という試練に立ち向かうことになるのは、フィービーなのだ。『キャッチャー』の後半では、フィービーがホールデンの次に、コンプレックスを抱きながら、キャッチしてもらう手を探すことになる未来が予告的に仄めかされている。
 フィービーに、純粋な子どものままでいてほしいと願いながら、そのままではいられないことも分かっているホールデンの複雑な心境については、前回(以下)考察したとおりだ。

Q.24-2 ホールデンがフィービーをキャッチしないのはなぜか?

 以下は『キャッチャー』の最後、フィービーがメリーゴーランドに乗っているのを、ホールデンがそばで眺めている場面からの引用。

子どもたちはみんな、金色の輪っかをつかもうとしていた。フィービーも同じようにそれをつかもうとした。それで、彼女がそのろくでもない馬から落ちちゃうんじゃないかと、見ていてちょっとはらはらした。でも僕はべつに何も言わなかったし、何もしなかった。もし子どもたちが金色の輪っかをつかみたいと思うのなら、好きにさせておかなくちゃいけないんだ。余計なことは言わずにね。落ちたら落ちたときのことじゃないか。あれこれそばから口を出しちゃいけない。

(357)

 ホールデンはこう語り、フィービーをキャッチするのではなく、見守ることを選ぶ。キャッチャーになりたがっていたホールデンが、ここで逆の選択をするのはなぜだろうか。
 
 神話では、英雄は現世から追放され、異世界へ〈落下〉し、死にきわめて近い体験をしたのちに再生する。それを繰り返して、精神的に成長していく様子が語られていることは、[07_冒険への召命]以降の読解で見てきたとおり。[10_クジラの腹の中]で引用した「一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」という考え方のとおり、種は地面に落ちて、象徴的に死ぬことによってこそ、より豊かな実り、精神的な豊饒がもたらされるという考え方がある。

 サリンジャーがしばしば参照しているT.S.エリオットの『荒地』のエピグラフには、神話で長く生きることを許されたが、若さを求めることを忘れたため、身体が老い衰え、しぼんで蝉のように小さくなったクマエの巫女(「バナナフィッシュ」のシビル)が、甕の中に入れられ「わしは死にたいよ」とつぶやく場面が引用されている。『荒地』もまた、都市生活によって荒廃した精神が、象徴的な水死と炎によって浄化され、より成長した姿で再生するようにという願いが描かれた詩だ。
 神話においては、英雄=未熟な若者は、物語の中で象徴的に死ぬことで、弱さや汚れを浄化し、象徴的父から与えられた所与の価値観や、それによって自らが築いてきた不完全な世界観をいちど壊したうえで、クジラの腹のなかから生まれなおし、より成長した姿で再生・復活できるという世界観がある。神話では、成長のために、むしろ死ぬことが推奨される。(繰り返すけれど、現実を生き抜くために、物語や夢の中で象徴的な死が語られるということ、本当に死んだ方が良いという意味ではありません、あたりまえですが)
 シェイクスピア、エリオット、サリンジャーらが何度も引用するイエスの受難は、この物語の代表的なものといえるだろう。
 そして、〈落下〉は、神話の英雄が試練を経て死と再生に向かっていく、英雄の旅の、異世界への最初の入り口である。
 ホールデンは、大切な妹フィービーが成長していくにあたり、〈落下〉とその先にあるさまざまな試練、象徴的な死と再生をくぐり抜けなければならないこと、成長のためには、むしろ〈落下〉する方が良いことを知っている。だからこそ、回転木馬から落ちそうになっている妹を心配しつつも、あえてキャッチせず、見守ることを選ぶのではないだろうか。
 
 亀山郁夫氏は、ドストエフスキーの『罪と罰』には、改悛の機会があったにもかかわらず、神に見過ごされて罪を犯してしまう、〈黙過〉と呼ばれるテーマが描かれていると述べている。さらに、イエスが磔刑にかけられたとき、神に見過ごされ、「なぜ、わたしを見捨てたもう」と叫びながら亡くなったことも〈黙過〉にあてはまると説明している(『別冊NHK100分de名著 集中講義 ドストエフスキー 五大長編を解読する』亀山郁夫、NHK出版)。
『キャッチャー』に、イエスの受難や、ドストエフスキーの『罪と罰』に結びつくモチーフが見られることは、下記[02_見えない傷][18_精神的な孤児]で見たとおり。

 イエスの受難や、ドストエフスキーの『罪と罰』の〈黙過〉を、キャンベルが示す神話の考え方と重ねるなら、イエスは死という最大の試練を経験し、ユダに象徴される汚れを浄化した後、より高次の存在として復活する必要があったからこそ、神に見過ごされた。ラスコーリニコフは、実際に罪を犯し、自らの罪に苦しみ、自らの行いを深く反省した先で、罪を悔い改め、精神的に成長する。そのために、神に見過ごされたのだ、ということになるだろうか。
 大げさだと笑われるかもしれないが、私は『キャッチャー』で、ホールデンがメリーゴーランドから落下しそうなフィービーをキャッチせず見守るという場面も、この〈黙過〉のテーマと本質的には同じなのではないかと考えている。
 英雄として試練に立ち向かうことは苦しいが、成長のためには必要なものだというのが神話の教え。道端で小さな子どもが転んだのを見たとき、手を差し出したくなるのを我慢して、立ち上がるのを見守る方が良い場合もある。一般論にしてしまうと陳腐だけれど、陳腐なものを感動的に語ることこそ神話の役割のひとつで、ホールデンの最後の選択は、そんな思想を表したものではないだろうか。
 次の英雄になろうとする者が落下しそうなとき、まずは見守るべきである、というのが神話の掟。キャッチャーとして手を差し伸べるべきタイミングは、たぶん今ではないのだ。
 
 本作において、フィービーこそがホールデンをキャッチする聖杯であり女神であることは、[16_女神フィービー](以下)で確認した通り。

 ホールデンの次に落下するのが、他でもないホールデンにとっての究極の女神であることも、ポイントであろう。キャッチャーとしての資質を持つアントリーニ先生でさえも、ホールデンの額を触って驚かせ、完ぺきな人間ではないことは下記[19_教師・兄・父]でみたとおり。

 誰もが、フィービーやアントリーニ先生のように、誰かのキャッチャー・救世主・聖杯になれると同時に、誰もがいつでも、ふとしたきっかけで、落下する者・キャッチされる者になりうる。「ズーイ」に記された言葉でいうなら、誰もが太ったおばさんであり、同時にキリストである。誰もが未熟者であり、同時に神聖な存在である。サリンジャー作品には、そんな世界観が表現されているのではないだろうか。

つづきはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解21~30のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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