温故知新(75)ポセイドン シヴァ神 須佐之男命(孝霊天皇) 幣立神宮 チブサン古墳 上塩冶築山古墳 神龍八大龍王神社 虎塚古墳 ミタンニ王国 瀧原宮 江田船山古墳 稲荷山古墳 西都原古墳群 仁徳天皇陵古墳 オリオン アテナ ヤマタノオロチ
ポセイドン、シヴァ神と須佐之男命(孝霊天皇)
クサール・ヌアイラと幣立神宮を結ぶラインの近くには、主祭神として豊玉姫命、配祀神として彦火火出見命、宗像神、道主貴神、鵜茅草葺不合命を祀る海神神社(長崎県対馬市)や八龍神社(福岡県八女市)があります(図1)。アトランティスを造ったのは、ポセイドンといわれ、アトランティスの人々はポセイドンを崇拝していましたが、須佐之男命も海神と推定されるので、須佐之男命はポセイドンと関係付けられていたと推定されます。

熊本県山鹿市にあるチブサン古墳は、幣立神宮(熊本県上益城郡山都町)とシラクサを結ぶラインの近くにあり、このラインは、神龍八大龍王神社(熊本県菊池市)と、宇佐神宮とレイラインでつながっている金峰山(熊本市西区)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。幣立神宮と金峰山を結ぶラインの近くには健軍神社(熊本市東区)があります(図2)。幣立神宮は、海神神社(長崎県対馬市)とレイラインでつながり、神龍八大龍王神社は、須佐之男命を祀っていると推定される都々智神社とつながっています。

6世紀に築造されたチブサン古墳の壁画には、3本の角のある兜を被った武人とされる絵がありますが、ポセイドンのシンボルは、三叉戟(三叉槍、トライデント)なので、この武人は、ポセイドン(海神)を表しているのかもしれません。 下記のブログにあるように、シュメール文字の三叉槍のような形は、男神を表しているので、ポセイドンと関係があると思われます。
三叉槍は、インド神話におけるシヴァ神の武器ともされます。熊山遺跡から、踊るシヴァ神の像が見つかっていることや、須佐之男命がモヘンジョダロと関係付けられていることから、須佐之男命(孝霊天皇)は、ポセイドンやシヴァ神と同一視されたのかもしれません(シヴァとスサノヲ ―その奇妙な類似について)。須佐之男命とポセイドンの類似性については、小林太市郎氏の論文があります1)。
島根県出雲市の上塩冶築山古墳から見つかった3本に分かれた剣のようにも見える飾りのある金銅冠は、馬上の大首長像の冠として復元されています(写真1)。

上塩冶築山古墳は、熊山遺跡と須佐之男命と関係付けられているメンフィスのネクロポリスだったサッカラを結ぶラインの近くあり、このラインは、幣立神宮と上塩冶築山古墳を結ぶラインとほぼ直角の関係になります(図3)。上塩冶築山古墳と幣立神宮を結ぶラインの近くには、素戔嗚尊を祀る八坂社(富来神社)(大分県国東市国東町)があり、幣立神宮と熊山遺跡を結ぶラインの近くには、三島神社(愛媛県今治市今治村)があります。これらのラインから、上塩冶築山古墳は須佐之男命(孝霊天皇)と関係があると推定され、金銅冠の形はポセイドンやシヴァ神のシンボルの三叉戟(三叉槍、トライデント)と関係があると推定されます。

美保神社(島根県松江市)の「諸手船神事(もろたぶねしんじ)」では、船の帆先に魔除けに真劔(まっか)という三又の木鉾が取り付けられていますが、もしかするとポセイドンやシヴァ神の三叉戟と関係があるかもしれません。
チブサン古墳、虎塚古墳とミタンニ王国
熊本県山鹿市には、相良観音(あいらかんのん)など千手観音を祀る寺があります。チブサン古墳の壁画は、フルリ人の陶器の幾何学模様に似ているので、チブサン古墳とミタンニ王国の首都ワシュカンニではないかとされるテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)を結ぶラインを引くと、このラインは、室山熊野神社(福岡県八女市)と銀で象嵌された太刀が見つかった江田船山古墳(熊本県玉名郡和水町)を結ぶラインとほぼ直角に交差しました(図4)。チブサン古墳とテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)を結ぶラインの近くには、命の神様(遠野立神)(熊本県玉名郡和水町)、厳嶋神社(佐賀市)、日子神社(佐賀市)があり、チブサン古墳と室山熊野神社を結ぶラインの近くには、彦嶽宮 下宮(熊本県山鹿市)があります(図4)。このラインから、チブサン古墳はフルリ人と関係があると推定されます。

テル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)と、チブサン古墳と同様な幾何学模様の壁画のある虎塚古墳(茨城県ひたちなか市)(写真トップ、2)を結ぶラインの近くには、勝覚寺(新潟県小千谷市)、岩戸別神社(栃木県塩谷郡塩谷町)、今宮神社(栃木県さくら市)があり、このラインは、崇神天皇皇子の豊城入彦命の墓と推定される元島名将軍塚古墳と磐梯山 恵梯町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。虎塚古墳と元島名将軍塚古墳を結ぶラインの近くには、水戸東照宮(茨城県水戸市)、足利織姫神社(栃木県足利市)があり、元島名将軍塚古墳と惠日寺を結ぶラインの近くには、関山観音堂(会津三十三観音)(福島県大沼郡会津美里町)があります。このラインから、虎塚古墳もフルリ人と関係があると推定されます。


瀧原宮とすばる
共にフルリ人のミタンニ王国と関係付けられていると考えられる虎塚古墳とチブサン古墳を結ぶラインの近くには、筑波山神社、大阪城、伊弉諾神宮があり、このラインは、天照大神を祀っている皇大神宮別宮 瀧原宮と、スカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。このラインは、フルリ人の根拠地がスバルの地で、天照大神が「すばる」と関係があるので天照大神はフルリ人と関係があると推定されることと整合します。瀧原宮と虎塚古墳を結ぶラインの近くには、武蔵一宮 氷川神社があり、瀧原宮とスカラ・ブレイを結ぶラインの近くには神皇産霊尊や猿田彦命の墓があると推定される音羽古墳群があります(図6)。

江田船山古墳、聖徳太子、空海、羊太夫と天馬
江田船山古墳は、幣立神宮とアナトリア半島の古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインの近くにあり、このラインは、神龍八大龍王神社と新開大神宮(熊本市南区)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図7)。

江田船山古墳からは、銀象嵌の銘とペガサス(写真3)と十二弁菊花紋の彫刻がされた直刀が出土しています。ペガサス(天馬)は、ギリシャ神話に登場する空を飛ぶことができる馬でポセイドンとメドゥーサの子です。もしかすると、ペガサスの彫刻は、海神(須佐之男命)の子孫を表しているのかもしれません。聖徳太子の愛馬だった甲斐の黒駒や、空海を乗せて天竺まで案内した馬は天馬だったという伝説があります。また、丹生氏の宇胡閉と推定される羊太夫の伝説にも天馬が登場します。

フルリ人の話した言語は、日本語と同じ膠着語で、フルリ語の文章にはシュメール語の表意文字が多く用いられたようです。紀元前13世紀にはフルリ人の全ての国が異民族によって征服されています。もし空海がフルリ人のDNAを受け継いでいたとすると、空海がサンスクリット語を含む真言密教を2年余りで習得できたことも理解できます。須佐之男命と関係があると推定されるサムハラ神社の「サムハラ」は、サンスクリット語に由来するという説があります。また、梵語(サンスクリット語)では蘇迷虜(スメル)は「至高」を意味しているようなので(国生みの神々から誕生したスメラミコト)、天皇(すめらみこと)の「すめら」やシュメールやスバルの元の意味は「至高」かもしれません。
崇神天皇の陵墓と推定される浦間茶臼山古墳もテル・エル・ファハリヤ遺跡とレイラインで結ばれています。第10代崇神天皇の時代には、畿内で馬の飼育が行われていたと推定されますが、古墳時代の遺跡から出土した馬の歯の同位体比の分析から、畿内で飼育された馬の中に、東日本で生まれ育った馬が一定数いることが明らかになっています2)。茨城県行方市にある三昧塚古墳の金銅製馬形飾付冠は、江田船山古墳の銀象嵌の馬模様に類似しているといわれています(趣味悠遊・古代を訪ねて)。
三昧塚古墳と虎塚古墳を結ぶラインは、姫塚古墳とアルテミス神殿を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図8)。したがって、これらの古墳の被葬者は血縁関係があると推定されます。姫塚古墳の被葬者は、孝元天皇の皇子の少彦男心命と推定されるので、これらの古墳の被葬者は、孝霊天皇(須佐之男命と推定)とも血縁関係があると推定されます。

江田船山古墳、西都原古墳群、益生田古墳群、仁徳天皇陵古墳と甲冑
江田船山古墳からは、鉄板を鋲でとめる横矧板鋲留式の短甲(板甲)なども出土しています。西都原古墳群(宮崎県西都市)から出土した鉄板作りの甲冑「鉄製鋲留板甲」は、益生田古墳群(福岡県久留米市)から出土したものと部品が同じ形をしていて、5世紀に作られた比較的西洋式に近い甲冑は、設計図を基に大量生産されていたと考えられています2)(NHKスペシャル 相次ぐ新発見)。宇佐神宮と豊玉姫神社(嬉野市)を結ぶラインの近くに益生田古墳群があり、このラインは、西都原古墳群とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9)。西都原古墳群とスカラ・ブレイを結ぶラインの近くには、浮羽稲荷神社(福岡県うきは市)や宗像大社 辺津宮があります(図9)。

明治5年(1,872年)、仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)の前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿などが出土しました。アメリカのボストン美術館には、本古墳出土と伝えられる細線文獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されています(osaka-info)。また、仁徳天皇陵から見つかった5世紀後半頃のものと推定される金銅製の横矧板鋲留甲冑(板甲)の絵図が残っています(堺市指定有形文化財)。
稲荷山古墳、江田船山古墳と鉄剣
共に第21代雄略天皇(倭武、昆支王と推定)と考えられている名前が刻まれた鉄剣が見つかった稲荷山古墳(写真4、5)と江田船山古墳を結ぶラインは、仁徳天皇陵古墳とスケリッグ・マイケルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図10)。稲荷山古墳と江田船山古墳を結ぶラインの近くには、金井神社(三重県いなべ市)、開化天皇と関係があると推定される舟木石上神社(兵庫県淡路市)、天太玉命(伊弉諾尊と推定)を祀る粟井神社(香川県観音寺市)があります(図10)。また、仁徳天皇陵古墳とスケリッグ・マイケルを結ぶラインの近くには、尼崎えびす神社(兵庫県尼崎市)、紫雲山 中山寺(宝塚市)、野間の厳島神社(丹波篠山市)があります(図10)。



孝霊天皇と応神天皇、仁徳天皇、継体天皇
第16代仁徳天皇の父の第15代応神天皇は、第7代孝霊天皇と血縁関係があったと推定される吉備上道臣の中彦命と推定されるので、仁徳天皇は、男系でも孝霊天皇と血縁関係があったと推定されます。図10から仁徳天皇の時代には、ヤマト王権は関東地方から九州地方まで統治していたと推定されます。稲荷山古墳や江田船山古墳から出土した鉄剣がつくられたのは、王権が簒奪された時期と推定されることから、それぞれの古墳の被葬者が、自らのルーツを後世に伝えるために、レイラインの指標として鉄剣を残したのかもしれません。第25代武烈天皇(武寧王と推定)の後、応神天皇5世孫の男大迹王が、第26代継体天皇となったのは、応神天皇と同様に孝霊天皇の血筋が重視されたためと思われます。
アトランティス、マドレーヌ文化、メソポタミア文明、インダス文明、二里頭文化、縄文・弥生文化
およそ紀元前17,000年/15,000年から紀元前9,000年までの6,000年から8,000年の間、南西ヨーロッパでは、ラスコー洞窟の壁画に代表されるマドレーヌ文化が発展しましたが、この装飾洞窟の分布は、プラトンが描いた「アトランティス」の支配がおよんだとされる地域と重なります2)。「アトランティス」では馬は特別な位置を占めていましたが、ギリシャ神話でも、ポセイドンは初めて馬を飼いならした神とされていました3)。マドレーヌ期の馬の彫刻には、馬具を装着した表現もあるという報告もあります3)。
紀元前2,000年頃、フルリ人は中央アジアからオリエントに馬を導入したかもしれないとされ、相当数のフルリ人が住んでいたと考えられるイシュワの国名は「馬の国」を意味するようです。イシュワの国名の「馬の国」は、「邪馬台国」の名前と関係があるかもしれません。紀元前1,700年から紀元前1,500年頃、フルリ人はヒッタイトに追われて拡散していますが、紀元前1,600年頃に夏王朝が殷に滅ぼされています。二里頭遺跡(夏王朝)は、モヘンジョダロ(紀元前2,500年~紀元前1,800年)やロータル遺跡(紀元前2,600年~紀元前1,800年頃)とつながっていますが、ロータル遺跡は、エーゲ海のサントリーニ島のティラ遺跡とつながっています。前1,450年のテラ島(サントリーニ島)の火山噴火によるミノア文明の崩壊がアトランティス神話の元になったのではないかと考えられていましたが、ミノア文明の崩壊は、直接的にはその後の本土ギリシャ人によるのクレタ侵入と略奪によると考えられています。
ミタンニ王国の首都ではないかともいわれるテル・エル・ファハリヤ遺跡は、「アトランティス」の都市があったと推定されるクサール・ヌアイラとつながっています。弥生人と関係があったと推定されるフルリ人は、起源が謎とされていますが、縄文人と同じく「アトランティス」にルーツがあると推定されます。そうすると、縄文人と弥生人がレイラインを共有していることや、弥生時代の初期までは、争いも少なく混血が進んだことが理解できます。
ギリシャ神話と日本神話
ギリシャ神話でポセイドンが出てくるときは、不可侵の領海に居座る乱暴でけんか好きな神として描かれています3)。須佐之男命が、日本神話で同様に乱暴な神として描かれているのは、ポセイドンと関係付けられていたためではないかと思われます。
*ポセイドン、アトランティスの祖神
ポセイドンという名前からは「大地の夫」「大地の王」(Posis Das)といった語源が連想される。・・ポセイドンは、ギリシャ神話において、その子や孫が巨人あるいは怪物のような姿をしていることでも知られている。・・ポセイドンの子孫たちは、ギリシャの英雄、特にヘラクレスの敵となることが多い。・・メドゥーサとその姉妹のゴルゴンたちは、たいていの場合、リビアのトリートーニス湖あるいはアトラス山脈の近くに位置づけられており、・・要するに、ギリシャ神話では、ポセイドンは好ましくない存在だった。・・彼の子孫やその崇拝者は、神話のなかで、アテナイ人たちの土着の先祖の一人であるエレクテウスの敵として描かれているにもかかわらず、どういうわけかアクロポリスのエレクテイオン神殿の前にはポセイドンの祭壇が建っている。
須佐之男命と推定される住吉三神は、オリオン座の三ツ星に例えられているともいわれますが、オリオンは、ポセイドンとアマゾンの女王の間に生まれたとされています。アテネの主導権を巡ってアテナとポセイドンが争ったという話が創作とすると、オリオンの母のアマゾン(アマゾネス)の女王は、アテナではないかと思われます。そうすると、ポセイドンの龍宮城があると推定される場所とアテネがレイラインで結ばれていることや、縄文のビーナスがアテナに似ていることと整合します。
オリエントの農耕社会においては、若い男神と偉大な女神による死と再生の祭礼が広くとり行われていた。・・このドラマの舞台となるのは豊穣を約束する大地にほかならない。だから生命の再生をつかさどるのは大地母神であり、彼女こそまぎれもなく豊穣の女神なのだ。
ギリシャ神話では、太陽神のアポロは男神で、京都祇園祭の岩戸山の御神体の伊弉諾命・手力男命・天照大神は、いずれも男性の姿です。藤原北家と血縁関係にあった秦氏が、景教(キリスト教のネストリウス派)徒だったとすると、ギリシャ神話と日本神話の類似性や、ポセイドンと関係付けられていた孝霊天皇(須佐之男命)を含む天皇の時代を欠史八代としたことも説明できます。神武天皇がウガヤフキアエズと海神の孫娘タマヨリビメとの間に生まれたという話は、スキタイ人の始祖タルギタオスや、高句麗を建国した東明王(朱蒙)の話との類似性が指摘されています(AI時代の弥生人)。
「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、夫余・高句麗・百済に共通して見られるが、高句麗・百済共に扶余語族にあたる。・・特徴としては王の政治的権威の源泉を天に帰属させ、同時に農業生産を左右する河神の権威を主張することである。
ギリシア神話では、各地の川が神格化され、その多くはティーターン一族の海神オケアノスの息子とされています。河神(かしん)は河川の神で、黄河の神「河伯」が6世紀頃に日本に伝わり河童になったともされます。河伯は、若い女性を生贄として求め、生贄が絶えると洪水を起こすとされ、この「河伯の嫁入り」の習俗は殷代からありました。スサノオに退治されたヤマタノオロチは、一説には出雲の斐伊川(簸川)を象徴しているとされますが、河伯と関係があり、須佐之男命(孝霊天皇)が、夏王朝と関係があるとすると、治水工事によって洪水を防ぎ、生贄を止めさせたのかもしれません。『日本書紀』の日本武尊の妃が走水で海に身を投じたとされる話も、河伯と関係がありそうです。
1986年に三笠宮さまがくわ入れ式を行ったトルコ中部にあるカマン・カレホユック遺跡では、2017年に日本の調査団が、ヒッタイトより約1000年前の人工鉄を発見しています。ヒッタイトは、前14世紀の中頃、フルリ人のミタンニ王国を征服していますが、古代エジプト第18王朝のファラオ ツタンカーメン(在位: 紀元前1336年頃 - 紀元前1327年頃)の鉄剣は隕鉄で作られ、ミタンニから送られたものと考えられています。
ミタンニ王国は、アトランティスや龍と関係があると推定されるので、ヒッタイトやギリシャの英雄神話で退治される蛇や龍(ドラゴン)は、アトランティスを象徴しているのではないかと思われます。ヨークシャー州のウォントリーの竜の伝説では、モアが美しい乙女を妻にすることを条件にドラゴン退治をしていますが、ドラゴンの弱点である肛門を刀の付いた武具で蹴って殺しています5)。『古事記』の小碓命の西征の段で、小碓命(日本武尊)が熊襲の弟建の尻を剣で刺し殺しているのは、弟建(五百城入彦皇子、弟彦公と推定)が龍神やアトランティスと関係があることを暗示しているように思われます。
文献
1)小林 太市郎 1959 「ポセイドーンとスサノオノミコト : 比較神話学の一方法の試み」 古典学ジャーナル 第7巻 25-38ページ
2)NHKスペシャル取材班 2025 「新・古代史」 NHK出版
3)メアリー・セットガスト 山本貴光・吉川浩満(訳) 2018 「先史学者プラトン」 朝日出版社
4)本村凌二 2024 「地中海世界の歴史2 沈黙する神々の帝国 アッシリアとペルシア」 講談社
5)ジョイス・ハーグリーヴス 斎藤静代/訳 2009 「ドラゴン 神話の森の小さな歴史の物語」 創元社
