本能寺の変1582 【重史260】 №6-161 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史260】 №6-161
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 概略 5月12日 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 15日
密室にて 1/3 2/3 3/3 ① ② ③ ④ ⑤
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史260】 №6-161
①毛利を平定し、
②日本六十六ヵ国の絶対君主になった暁には、
③一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、
④諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
『日本史』
信長の「さらなる夢」。
信長は、事実行なわれたように、都に赴くことを決め、
同所から堺に前進し、
毛利を平定し、
日本六十六ヵ国の絶対君主になった暁には、
一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、
諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。
そして後嗣の長男(信忠)には、すでに美濃と尾張両国を与えていたが、
今回新たに占領した甲斐国の国主の四ヵ国を加え、
御本所と称する次男(信雄)には、伊勢と伊賀両国を与え、
都に向かって出発するに先立ち、
三七殿と称する三男(信孝)を四国の四ヵ国を平定するために派遣した。
『日本史』
【引用】5 信長の油断 3 足蹴事件 概略
密室にて 1/3 2/3 3/3 ① ② ③ ④ ⑤
【参照】
【重史008】 ◎第8話 ◎小8
①一大艦隊を編成してシナを征服し、 「イエズス会日本年報」
②一大艦隊を編成して、シナを武力で征服し、 『日本史』
【重史077】 そ第152話③
①明智が悪魔及び偶像の友であり、
②デウスの教えを嫌ってゐた
「イエズス会日本年報」
【重史256】
①これら東洋に於ける征服事業により、
②主への奉仕及び多数の人々の改宗に役立つところ大である
③征服事業は、霊的な面ばかりでなく、
④陛下の王国の世俗的な進展にとって益する。
⑤征服事業の内、最大のものの一つは・・・シナを征服すること
⑥閣下と相談することが出来れば大変嬉しく思う。
⑦イエズス会が主や陛下に対して忠誠を尽くすべきところから、
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
【重史257】
①私は日本に三年近く滞在して、今年当地に戻って来た
②日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである
③国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うから
④日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
⑤日本は、・・・最も国土が不毛且つ貧しい
⑥国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいる
⑦(日本は)征服が可能な国土ではない
⑧シナに於いて・・・日本は・・・非常に益することになる
⑨日本の地を極めて重視する必要がある。
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
⇒ 次へつづく
