本能寺の変1582 信長の台頭10 317 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
信長の台頭 10三好長慶の死 317
フロイスが堺に到着した。
永禄七年(1564)、十二月。
フロイスが京に入った。
同、十二月二十九日。
一五六三年七月六日(永禄六年六月十六日)、待望の日本に着き、
西彼杵(そのぎ)半島北端の横瀬浦に第一歩を印した。
時に三十一歳である。
彼は日本布教長コスメ・デ・トルレスから大いなる喜びをもって
迎えられたが、横瀬浦が破壊されたために、
十二月には平戸に近い孤島度島に避難した。
ここで十ヵ月、病魔と戦いながら、同僚フェルナンデス修道士から
難解な日本語、および日本の風習や宗教について学び、
一五六四年八月二十四日、平戸に入り、
口之津に転じた後、
同年十一月十日、平戸を出発、念願久しい京都へ旅立った。
入京したのは「日本の新年の前日」、すなわち一五六五年一月三十一日
(永禄七年十二月二十九日)のことである。
(『日本史』解題一ルイス・フロイス略伝)
【参照】15 フロイスもまた、歴史の証人である。
目次 1~316
信長の台頭 10三好長慶の死
316 信長は、東美濃に進出した。
315 信長は、犬山城を攻略した。
314 長慶、没す。
313 信長と謙信の交流が始まった。
312 三好長慶が安宅冬康を殺害した。
信長の台頭 8三好の衰退
308 長慶は、義継を後継者に定めた。
307 三好義興が病死した。
306 信長は、於久地城を手にいれた。
305 信長、清洲城から小牧山城に。
304 信長、小牧山に築城を開始。
303 「永禄六年諸役人附」
302 細川藤孝は、「御供衆」だった。
301 三好長治が実休の後を継いだ。
300 畠山方は、総崩れになった。
299 教興寺の戦い。
298 三好義興が後詰の軍勢を率いた。
297 畠山氏は、飯盛山へ攻め上った。
296 実休が討死した。
295 本陣がガラ空き状態になった。
294 久米田合戦の事。
293 十河一存の死。
⇒ 次回へつづく
