本能寺の変1582 見えてきたもの 光秀の年齢 1~2 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
見えてきたもの 2光秀という男
1光秀の年齢 1~2
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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親
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→【 重要史料 】 【 人物 】
*進捗状況
【対象範囲】第5~13話
1光秀の年齢
光秀の年齢は、六十代前半以下。
光秀は、甲斐遠征が出来る年齢だった。
また、直近に、中国への出陣を控えていた。
こちらは、信長の「天下布武」の総仕上げ。
期間・規模等において、それを、はるかに上回る大遠征となる。
すなわち、光秀には、知力・気力・体力・行動力があった。
これらから、光秀の年齢は、その上限が六十代の前半以下と判断する。
それ以上では、ない、と思う。
【参照】見えてきたもの 3年齢 4光秀の年齢 第1~12話
【参照】テーマ別 光秀の年齢 第5話 1000km
【参照】3信長の甲斐侵攻 1信忠、出陣 ◎第5話 第5話
光秀は、己の老いを自覚していた。
光秀は、悩んでいた。
己の年齢。
そして、老い。
体力に不安を感じていた。
そのような年代だった。
光秀は、かつて、陣中で、大病を患ったことがあった
(天正四年1576) 。
体力的に見て、それ程、頑強な肉体の持ち主ではなかったように思う。
「老い先は、長くはなかろう」
おそらく、そう、思っていたのではないか。
【 重史 013】 「兼見卿記」
【参照】見えてきたもの 3年齢 4光秀の年齢 第1~12話
【参照】見えてきたもの 6-1 老い 第1~12話
【参照】その一因 一、光秀の年齢 第07話 小07
【参照】テーマ別 光秀の年齢 第7話 天正四年の大病
【参照】4 光秀の苦悩 1嫡男光慶 ◎第07話 ◎小07
【参照】その一因 一、光秀の年齢 第13話 小13 天正四年の大病
2嫡男光慶
光秀の後継者は、光慶である。
天正十年五月二十七日。
「愛宕百韻」の中に、嫡男光慶(みつよし)の名がある。
発句 時は今、あめが下なる五月哉、 光秀
結句 国々は、猶、長閑(のどか)なる時、 光慶
【 重史 005 】 「続群書類従」
この時、光慶は、まだ13歳だった。
【 重史 014】 『日本史』
【参照】その一因 一、光秀の年齢 第07話 小07
【参照】テーマ別 光秀の年齢 第7話
【参照】4 光秀の苦悩 1嫡男光慶 ◎第07話 ◎小07
光秀は、そのことで悩んでいた。
光秀は、高齢だった。
光慶は、若すぎた。
このことが、光秀を苦しめる。
【参照】見えてきたもの 4 後継者 4 光秀の後継者 第1~12話
【参照】見えてきたもの 6 光秀の苦悩 2 嫡男光慶 第1~12話
【参照】その一因 一、光秀の年齢 第06話 小06 小6~13
【参照】テーマ別 光秀の年齢 第6話 光秀は、高齢だった。
【参照】3信長の甲斐侵攻 1信忠、出陣 ◎第06話 ◎小06
【参照】1 信長の後継者 2 藤孝の後継者 3 秀吉の後継者
⇒ 次へつづく
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「本能寺の変」
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