人物・バンド解説「レスマッキャン」
今回はレスマッキャンを紹介します。サンプリングソース、レアグルーヴとして有名な彼。しかし例によってその経歴は紹介されることが少ないので今回紹介していきます。
生涯
生い立ち
本名はレスリーコールマンマッキャン。このMcCannという姓はマッキャンと表記されますがライブのMCを聞くとマキャーン、マカーン、マッカーンという表記の方が近いように感じます。1935年ケンタッキー州はレキシントン生まれ。4人弟妹とともに聖歌隊に参加し、両親ともに音楽に親しむ音楽一家でした。学生時代はマーチングバンドに参加。はじめはスーザフォン、ドラム、続いてベース、そしてチューバを学びます。ピアノに関しては先生についてレッスンしたものの、6週間後に先生が亡くなってしまったため独学となんら変わらないそうです。
※ピアノを始めたのは3歳とする資料も存在します。
プロへ
1954年に海軍へ入隊。サンフランシスコに駐留し勤務時間外にはジャズクラブに入り浸るという生活をしていました。そして海軍のアマチュア歌手コンテストで優勝すると、エドサリヴァンショーに出演。この番組は過去のパフォーマンスをYouTubeにアップロードしているので、もしかしたら彼のも公開されるかもしれません。
退役後はプロミュージシャンとして、歌手のユージン・マクダニエルの伴奏やソロで活動。さらにキャノンボール・アダレイからスカウトされますが、「自分のバンドを持ちたい」との思いからこれを断ります。もしレスが了承していたらその音楽性も大きく変わっていたはず。一作だけでも共演してほしかったと思います。
1959年にはテディエドワーズとIt's About Timeを連名で発表。

この時まだソロアルバムを出していない新人にもかかわらずテディと同列に名前が記されジャケットには同じ大きさで顔写真が掲載されているので会社としても期待していたのでしょう。翌年ついにソロアルバムをリリース。しかもレーベルはクールジャズの本拠地のパシフィックジャズです。

同じ頃にはマイルスデイヴィスのライブを聴きに行くと彼はレコードを聴いていたのかライブ終わりに「なぜ飛び入りしなかったのか?君は素晴らしい!」と言われたそうです。この頃はレッドガーランドやウィントンケリーのようなバップでも泥臭さのあるピアニストがお気に入りだったのでレスの演奏にも惹かれるものがあったのでしょう。
61年には同じく西海岸で活動していたバンドリーダー兼アレンジャーのジェラルドウィルソン指揮のバンドをバックにした歌唱作やオルガン奏者リチャード"グルーヴ"ホルムズとのツインキーボードの作品を制作。62年にはNYへ行きスタンリータレンタインと共演したり新人歌手のルーロウルズと共演、63年にはソウルフルなThe Shampooがヒットと挑戦しつつも順調にキャリアを伸ばします。

転機
このころはフリージャズが生まれジャズが荒れていました。これに対してレスは「緊張感に満ちていて心が絞めつけられるように感じる。自分の音楽が人々の感情に訴えかけるものでありたい。」と語っています。
当時所属していたパシフィックジャズの業績が芳しくなく、資産家であったレスが株主となることで会社を援助。会社の経営方針やレコード制作にも発言力を持つようになります。ミュージシャン自らレーベルを立ち上げるのは珍しくないですが、所属する会社に金銭援助し、経営に参加するというのはかなり珍しいように思います。
新人発掘にも長けていたレスは以前から10代後半だったハービールイスを始め新人を多くバンドに迎えていましたが、会社の経営に参加するようになると、テディエドワーズ、カーティスエイミー、モンティアレキサンダー、リチャード"グルーヴ"ホルムズ、ジャズクルセイダーズ、クリフォードスコット(オルガン奏者ビルドゲットのバンドのテナー奏者)等をパシフィックに紹介しコテコテの出城を築きます。さらにそこにジェラルドウィルソンやジョーパス等非コテコテも引き込んでしまう引力の強さを見せます。以前はクールジャズをメインにボサノヴァ、インドや日本の伝統音楽。果てはビートルズで有名なマハリシや日本でも有名だった(らしい)サイババの説法?など意識の高い白人向けの企業からレーベルカラーを一転させます。
65年にはパシフィックジャズがリバティに買収されるとマーキュリー傘下のライムライトへ移籍。音楽性に大きな変化はないもののブーガルーに挑戦したりギターを入れたりと視野を広げるような活動を続けていきます。契約期間は3年と短いですが7枚のレコードを残します。
アトランティック
69年アトランティックに移籍してすぐ大きな転機が訪れます。モントルーでのテナー奏者エディハリスとの共演です。二人は初対面で直前になってトランペットも参加。しかもレスは質の悪いマリファナのせいで気分は最悪。グダグダになってもおかしくはない状況ですが結果はノリにのりまくり大盛況。さらにSwiss Movementとしてレコード化されると人気作になり、一曲目のCompared To Whatが大ヒットと大逆転です。この直前にはMuch Lesにてジョーザヴィヌルとも親交があったウィリアムフィッシャーのアレンジを入れてソウルとサードストリーム(クラシックとジャズの融合。MJQやウィリアムフィッシャー、ガンサーシュラー、フリードリヒグルダが有名)の融合という新たな境地を開きましたがそれもこれの前には霞んでしまいます。
そんなとき一人の弾き語りをする女性シンガーに出会います。彼女の名前はロバータフラック。レスは彼女の才能に惹かれ、レコード会社への売り込みや前座に起用するなどした結果彼女は大スターに。レスの新人発掘の一番の成功でしょう。さらにアルジャロウがワーナーと契約したきっかけはワーナーの重役がレスのライブを見に来ていた時にたまたま前座としてでていたからでした。レスとアルの関係は分かりませんが、アルもまたレスのおかげで世にでることができたという点は変わりません。
スイスムーブメントでもその兆しは見えていましたが、70年代になると本格的にニューソウルに接近。71年にはガーナで開かれたSoul To Soulにエディハリスと共に参加。サントラに一曲が収録されています。このころはファンクやソウルにエレクトリックマイルスに接近。作品を出すたびに音楽性がコロコロ変わっていますがそれでもマッキャンらしさは一貫しています。
さらに70年代後半にはフュージョンにも接近。しかし再発も多くなくあまりパッとしない印象です。ここら辺はアコースティック時代はソウルと端正なジャズの間で揺れて当たりはずれが大きかったのがリチャードエヴァンス、チャールズステップニーという有能な裏方を味方につけて上質なクロスオーバーを世に出したラムゼイルイスとは対照的です。
その後
80年代のアコースティックジャズ回帰、レアグルーヴブームによって再評価されますが他のミュージシャンとは異なり華々しいカムバックはなくマイペースな活動を続けます。しかし日本ではギタリストである山岸潤史さんと知り合い、彼のバンドであるバンドオブプレジャーや大ヒットしたゴスペルミュージカルMama, I Want To Sing、デイヴィッドTウォーカーが日本で作ったAhimsaへ参加しています。ただこの後、日本の仕事をするきっかけになった山岸さんがニューオーリンズに行ってしまったせいかレスが日本で仕事をすることもなくなってしまいました。

レアグルーヴブームやヒップホップでジャズのサンプリングが流行るとレスも注目されます。例えば74年発表のGo On And CryはスヌープドッグのNext Episord他65曲、72年のNorth CarolinaはATCQのAfter Hours他42曲でサンプリングされています。さらにネタとしてだけでなく72年のTalk To The Peopleや73年のLayersは新たな価値観による名盤として聴かれてもいます。その後も活動を続け1980年代には脳卒中を患うも復帰。2018年まで活動を続けますが2023年に88歳で亡くなっています。報道されたのが年明けでしかもスイスムーブメントの紹介記事を投稿しようと思っていたタイミングだったのを覚えています
演奏について
演奏スタイル
レスの最大の持ち味はゴスペルが根底にある力強くガンガンとリズムを聴かせるタッチです。その一方でしなやかなスウィングも兼ね備えています。
彼は評論家のレナードフェザーに自分の代表曲をゴスペル風の曲だけにしないでほしいと言ったというエピソードがあり、ここから単にソウルフルなピアノ弾きという評価を好まなかったことが良くわかります。
単なるソウルフルなピアノ弾きでなかった例としてスペイン風、タンバトリオのようなジャズサンバ、ピアノの弦を直接弾くといったものがあります。
ソウルジャズ系にしてはブルースをあまり感じず、ブルースを弾いてもウィントンケリーやボビーティモンズのようなビバップの枠内にとどまった演奏になります。特に1stアルバムは第二のウィントンを目指したかのようなタッチです。しかし同年リリースのPlays The Shoutの時点でそう言ったカラーは薄れています。一方でルーロウルズのStomy Moundayではブルース色が強くいつもは敢えてブルースから距離を取っていたと思われます。そしてその代わりか60年代中盤にはラテンやソウル、60年代後半にはジャズファンク、70年代にはフュージョンと音楽性が変わっていきました。
共演者
時期によって変わりますが60年代後半までは基本ピアノ、ウッドベース、ドラムのトリオを好み、彼の許にはロンジェファーソンやポールハンフリー、ドナルドディーン(ドラム)ハービールイスやリロイヴィネガー、ヴィクターガスキン(ベース)といった強力なリズムセクションが常にいました。三人の息の合った演奏はソウルジャズのなかでも特に明るくしなやかです。特にレスはリロイのことを「彼の演奏を聴きすぎて自分の演奏を忘れて笑ってしまう。なぜなら彼の演奏が素晴らしすぎるから。これほど音楽的に素晴らしい関係は見つからない!」と絶賛しています。一方ルロイもレスを「彼は真に偉大なジャズミュージシャンの一人へ確実に近づいている」と評しています。(どちらもおそらく60年の発言)しかし個人的にはポールハンフリーこそレスのサイドマンとして最高の人物であったと考えています。というのも彼のタンバリンを組み込んだドラムはゴスペル色の強いレスとの相性がよく、彼のソウルフルなノリは最大限まで増幅させているからです。時系列順にアルバムを聴いているとハンフリーが加入してからグッとソウル度が増したように感じます。もちろん他のドラマーも素晴らしいですがそういう訳でハンフリーが参加している作品が一番レスマッキャンを聴いたなという気分にさせてくれます。

影響を受けた人物
影響を受けた人物として軍隊時代にプロミュージシャンを志すきっかけとなったエロールガーナーやカールパーキンスの名を挙げています。

彼はもちろんロカビリー歌手とは別人でビッグジェイマク二ーリーやオスカームーア、チェットベイカーらと共演した経験をもつピアニストです。彼はポリオの後遺症を補うため左腕を鍵盤と水平にして低音を弾くという特徴的な演奏スタイルでしたが、オスカーピーターソンやエロールガーナー系統の卓越した演奏技術を持っています。実際に両者の演奏を聴くとバラードやミディアムテンポでの演奏がよく似ているように感じます。逆にハービーハンコックはレスの影響を受けたという指摘があります。そう主張するのはドナルドバード。彼はハービーのウォーターメロンマンはレスのA Little 3/4 for God & Coからヒントを受けたとレスに話したそうです
収録アルバムの写真
その他
レスは歌も歌います。そのだみ声はゴスペルで鍛えた深みのあるものでLes McCann Singsはリラックスして聴けるジャズアルバムとしておすすめできます。声質は違いますがジミーラッシングやジョーターナーのようなブルースシャッターが好きならフィーリングが似てるので気に入ると思います。余談ですが彼は漫談も得意としてライブでも常にユーモアがある(と観客の反応から思われる)MCを行い、5分を超える漫談も披露したこともあったとか。写真にも関心がありスタジオを持ち70年にリリースしたInvitation To Opennessのジャケ写を担当したほか写真集もリリース、さらに絵も得意としています。

おすすめ作品
The Shout
初期のライブアルバムで同名曲は初のヒット曲。But Not For Me、C Jam Blues、Djangoなどピアニストが好んで取り上げる曲をコクのあるタッチでカバー。ゴスペル風のソウルフルなノリもたまりません。
Soul Hits
ピアノトリオにジョーパスを加えてソウルジャズの曲をカバー。様々なソウルジャズの有名曲がレス流にアレンジされています。ブルージーなジョーパスもうれしいです
Les McCann Sings
ジェラルドウィルソン指揮のビッグバンドをバックに歌います。ジェラルドの粋にスウィングするバンドとレスの渋い声は特別さはないもののリラックスできる一枚です。
A Bag Of Gold
ライブ盤でシャンプーも収録。アップテンポでノリノリのA面とじっくりバラード~ミディアムテンポを聴かせるB面と一枚で二度お得です。これに限らずパシフィック後期〜ライムライトのライブはどれもハズレなし。
Bucket O' Grease
ブーガルーに挑戦した一枚でライブの方が本気がでるということで広いスタジオにスナックやジュースを用意して観客を集めてはしゃいでもらいながら録ったそうです。これは果たしてジャズなのか?と思うほどハッピー&ラテン!
Swiss Movement
これは欠かせない一枚です。アコースティック楽器だけ(厳密にはテナーだけは電化されている)でここまでファンクを演奏できるとは!本人曰く人生で一番サインしたのがこの作品だったとか。ノラジョーンズやアーマッドジャマル、ブランフォードマルサリスなどミュージシャンからの評価も高いです。特にアーマッドは壁に飾り失敗作と考えていたレスにこのアルバムの素晴らしさを説くほど入れ込んでいたようです。
Invitation To Openness
パーディ、デュプリー、スピノザだけでなくアルフォンソムザーンやユセフラティーフも参加。ソウルジャズ版In A Silent wayと言った感じでエレクトリックマイルス、ジョーザヴィヌルの同名作、初期ウェザーが好きなら気に入ると思います。ただMuch Lesとこれはレスではなくプロデューサーで当時ソウルジャズもフリージャズも同時に飲み込んでいたジョエルドーンの意向な気がします
Never A Dull Moment! (Live From Coast To Coast 1966-1967)
何回も良さを語ってきた一枚でLP3枚に純度100%のレスが詰め込まれています。しかもアコースティック時代のレスが一番ソウルフルだった時代の録音ともなれば言うことなしです。
参考文献
英版、日本語版Wikipedia
Udiscovermusic.jp 「ジャズピアニスト/作曲家/ヴォーカリストのレス・マッキャンが88歳で逝去。その功績を辿る」
各種ライナーノーツ
紹介済み作品
