デジタルアクター試論 30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
デジタルアクター試論 目次
1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

政治家のこの技術の使用については、話が面倒になる。
権力者以外の使用は禁じられる。また、自分の権威に役立つなら使うし、矛盾するなら使わない——これは、テクノロジーが極めてグロテスクな形で権力に回収されるシナリオであり、歴史が証明している独裁者や権力者の行動原理そのものである。
政治、それも国家権力がこの「肖像のデジタル化・若返り・不滅化」の技術を手にしたとき、エンタメ業界の比ではない、極めてグロテスクな「二重基準(ダブルスタンダード)」のルールが敷かれるはずだ。
まず、一般市民や野党、あるいは批判的なジャーナリストがこの技術を使うことは、国家安全保障や「フェイクニュース対策」という大義名分のもと、法律でガチガチに禁止される。「指導者の偽動画(ディープフェイク)を作って社会を混乱させた」として、逮捕・厳罰化される世界だ。つまり、テクノロジーの「民主化」なんてものは政治の世界では1ミリも許されず、真っ先に「権力による独裁(独占)」へと舵が切られる。
市民が使えるのは、せいぜいSNSの顔加工フィルター止まりで、政治的な文脈での使用権は完全に剥奪される。
そして、その禁止令の裏で、権力者側は自分たちの都合の良いように技術をフル活用する。「全盛期のカリスマ」の永久機関化——例えば70代、80代になった独裁者が、国民向けのテレビ演説では最新のリアルタイム・ディープフェイクを使い、30代〜40代の最もエネルギッシュで、肌に張りのある、声にドスの効いた「全盛期の姿」で登場し続ける。
国民に対して「我が指導者は今もなお若々しく、健在である」という神話をテクノロジーで捏造するわけである。
都合の悪い「老い」や「病」の隠蔽もあり得る。
もし本人が大病を患ったり、あるいはすでに死亡していたとしても、国家の体制を維持するために「デジタル・アクターとしての指導者」が完璧な答弁を行い、法案を可決し、国民に語りかけ続ける。
逆に、もし「生々しい老い」や「弱々しさ」を演出した方が国民の同情を引けて選挙や政権維持に有利だと判断すれば、あえてCGは使わず、車椅子に乗った姿や疲弊した顔をそのまま見せるだろう。
彼らにとってデジタル技術は、芸術の表現ではなく、純粋な「支持率と権力をコントロールするための計器」に過ぎないからだ。
ここで、エンタメの「優しい嘘」と政治の「冷酷な詐欺」の違いが鮮明になる。
私たちがここまで話していた『ボヘミアン・ラプソディ』や『仮面ライダー』のCGは、観客の側も「これはフィクション(嘘)である」と分かった上で、そこに愛やリスペクトという「共通の幻想」を乗せて楽しむ、いわば「優しい嘘」だった。
しかし、政治家がこれを使う時、それは「嘘を本物だと信じ込ませて大衆を支配する」ための、文字通りの「詐欺(プロパガンダ)」になる。
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する独裁者「ビッグ・ブラザー」は、実在する個人ではなく、党が作り上げたただの「記号(アイコン)」ではないかという説があるが、現代のCG技術は、それを小説の中ではなく現実のシステムとして完成させてしまう。
「売れるからと乱用するプロデューサーは叩かれる」というエンタメ界の健全な市場原理すら、政治の権力の前では通用しない。
この技術の行く末を考えたとき、一番最初に「突破口」を開けるのがハリウッドや東映のようなクリエイターであることを、むしろ切に願いたくなる。
もし政治が最初にこれを完璧に使いこなしてしまったら、私たちは何が本当の「人間の言葉」なのか、本当の意味で見失ってしまう気がする。
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