デジタルアクター試論 17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
デジタルアクター試論 目次
1. 発想の出発点——肖像権を払ってCGで作るという可能性
2. 最初の突破口は誰が開けるか
3. ブルース・リーという最有力候補
4. アイコンと役柄のバランス問題
5. 完全オリジナルのCGキャラによるスターシステム
6. 契約のパーセンテージ化
7. 仮面ライダー1号という日本の特殊事例
8. ルパン三世・クレヨンしんちゃんとの対比
9. 違う人が本郷猛を演じても定着しなかった理由
10. 今の仮面ライダーがほぼCGという逆説
11. 一文字隼人と佐々木剛氏
12. 美空ひばりとの違い——役を演じるか否か
13. 性格の可変性という基準——ブルース・ウェイン、長谷川平蔵、車寅次郎
14. 「群像劇化」が原点を重くする逆説
15. 特撮主演というキャリアの賭け——村上弘明、長谷川初範、細川茂樹、オダギリジョー
16. 西島秀俊という稀有な存在——シン・ウルトラマンからBLACK SUNへ
17. 西島秀俊と木村拓哉——芸能人としての格と俳優としての評価
18. 30代・40代の本郷猛を描くという可能性
19. 総3Dアニメ化という選択肢
20. フランケンシュタインの被造物として
21. 唯一無二性を生んだ三つの偶然
22. 撮影現場の一体感、という最後の鍵
23. ブルース・ウェインとクラーク・ケント——比較対象の精緻化、そして本郷猛の特異性のまとめ
24. 最初のデジタル化に生じる微妙な変更
25. 『ボヘミアン・ラプソディ』が示した「受け手の補完」
26. マイケル・ジャクソンの伝記映画
27. 『ワイルド・スピード』のブライアン・オコナーと、ドミニクたちの老い
28. 乱用するプロデューサーへの懸念
29. 「コモディティ化」と「民主化」という言葉の歪み
30. 政治権力による技術の独占とプロパガンダ
31. ゲリラ的パロディというもう一つの危険
32. 結語

Shuji Okishima (Takuya Kimura)
“Beautiful Life”
西島氏と木村拓哉氏は、ともに俳優としては駆け出しだった1993年の『あすなろ白書』で共演しており、当時は二人の俳優としての格はほぼ同格だったとされる。おまけに二人とも大手事務所のイチ押し俳優だったが、すでにSMAPのメンバーだった木村氏がアイドルとしての地位を武器に先に駆け上がっていった。
しかし西島氏には、1997年から2002年までNHKのドラマ以外はマイナーな映画のみの出演となり、民放ドラマブームの中で忘れ去られた存在になってしまうという、約5年間の空白期間があった。その間、酒や女に溺れることなく、ひたすら一人で映画館に入り浸り、年300本以上を見て、そのすべてを役作りにぶつけたという逸話が残っている。
救いとなったのが2002年、北野武監督の映画『DOLLS』の主役への抜擢だった。
そして2022年、『ドライブ・マイ・カー』で西島氏が日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、全米批評家協会賞でもアジア人初の主演男優賞を受賞する一方、木村氏は同年の報知映画賞で主演男優賞は受賞したものの、最優秀賞候補となる優秀主演男優賞の5人の中には入らなかった。
業界関係者は「西島はひたすら演技を磨いて体を鍛え、もはや俳優としての評価は木村を上回ったかもしれない」と評している。これは「芸能人としての格」(露出・知名度・事務所の力学)と「俳優としての評価」(演技力・批評的な評価)という、二つの異なる軸が、長い時間をかけて分岐していった実例である。
西島氏の役の幅広さを象徴するのが、ダイワハウスのCMキャラクター「ダイワマン」の系譜である。初代は役所広司氏、その後唐沢寿明氏のダイワマンXが続き、2022年に西島氏が継承者として選ばれた。西島氏自身は「僕がやることは役所広司さん、唐沢寿明さんに失礼にあたらないでしょうか」と継承の重みを自覚していたという。
シリアスな演技で国際的な評価を受ける俳優が、真面目な顔でコミカルな企業ヒーローを演じる——このギャップ自体が商品価値になっているのは、役に飲み込まれるリスクがすでにゼロだからこそ、コミカルな役さえ「芸の幅」として消費され、むしろ俳優としての評価をさらに豊かにするという、本郷猛問題とは正反対の力学が働いているからである。
対照的に、木村拓哉氏のキャリアは、強すぎる個人としてのオーラそのものが、すべての役を上塗りしてしまうという、別の種類の「個人性の呪縛」を抱えていた。
ディカプリオのように増量してだらしない容姿の役を演じれば違う局面が開けるかもしれないという仮説に対し、実際の木村氏は近年むしろ痩せて引き締まった方向に向かっている。
それでも『教場』の風間公親役は「過去1木村拓哉を感じない」と評される、数あるキムタク作品の中でも異例の評価を得た。この役が用いた武器は、見た目の崩しではなく、感情表現の凍結と研ぎ澄まされた厳格さであり、容姿の美しさを保ちながら表情と感情の幅を極限まで削ぎ落とすことで、いつものキムタクというイメージそのものを裏切るという、ディカプリオとは似て非なる、もう一つの脱イメージの経路を示した。
木村氏が今もCMで「かっこよさ」を商業的価値の中核に据え続けていることを考えると、容姿の崩しを選びにくい事務所システムの制約が、この方向性の違いに影響している可能性も高い。
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