コバルト文庫デビューの少女小説家のなれの果て③負け犬は、負け犬だから負けるんだっ!
90年代後半にコバルト文庫でデビューした僕は、逃げるように小説家を辞めました。
次に目指したのは漫画家、そしてイラストレーター……
でも「負け犬だから負ける」――技術を磨いても、結局無残に散る第三弾です。
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● 少女小説デビュー者が、今度は絵を磨いたら……
僕はもともと漫画家志望で、文章よりも絵を描くことが好きでした。
そして、コバルトで本をだすために四苦八苦したこともあり、しばらくは文章を書いたり話を考えたくない気分でした。
そこで、話を作りたい気分になるまで、絵の腕を磨いていようと思ったのです。
コバルト文庫で頂いた印税もあったので、アニメーションの背景美術の専門学校に行ったり、油絵の予備校にいったり、カルチャーセンターで彫金を学んだりしていました。
僕は発達障害(ADHD&ASD併発型)なのですが、この辺りを振り返ると、本当に多動というか、ADHDの典型的な”いっちょ噛みモード”全開で動いてますね。
● とはいえ本気で漫画家を目指すつもりでいたのです。
小説でデビューして本一冊だせるくらいだから、ストーリーテリング能力はそこそこは身についただろう。
ならば、画力を手に入れれば、スーパー漫画家になれるはずだ。
漫画の絵だけ描いていても、根本的な画力はさほど上がらない。
「いい漫画を描くためには漫画だけ読んでちゃダメ。小説も読んで映画見ようねえ~」思想の、画力特化修行として「美術的な基礎の習得と、立体や質感に対する勘を磨こう」と考えたのです。
背景をしっかり描けるようになれば、画面全体の迫力が増すはずだと、アニメの背景美術を学ぶ。
デッサン力や観察力をあげるべく、油絵の教室に通う。
質感や素材感を学ぶべく、彫金をやりました。
若いこともあり、画力はめきめきあがってゆきました。
これなら、漫画家デビューは近いと思いこんでましたが、それは全くの見当違いだったのです。
そして、本当のスランプはここから始まります。
より正確にいうならば、自分がぶっ壊れていたことに気づき、底なし沼に沈んでゆくのです。
● 技術を統合するための”脳”が弱かった。貫く力も喪っていた
『寄生獣』という名作漫画の後半にでてくる敵に、三木と後藤というのがいたのを、覚えてらっしゃる方はおりますでしょうか?
ネタバレありで説明しますが、両方とも「一人の肉体に、五匹の寄生生物を宿した」同一個体になります。
三木は3匹の寄生生物しかコントロールできないが、後藤は5匹の寄生生物を統制できます。
それは、IQや経験の差など、いろんな要因が考えられますが、ようは「足し算で盛ってゆくだけで、レベルアップできるわけではないぞ」ということなのです。
僕は、自分の画力をあげるために、部分トレーニング的なことを色々やりましたが、それを、漫画というフォーマットの中に落としこむ”統括力やセンス”は持ってなかったのです。
数種類の技術を身につけたとしても、それを使いこなせなければ、宝の持ち腐れでしかない。
むしろ、荷物が多くなった分、旅が楽しめなくなるのです。
実害として、絵を描くときにいろんなことを考えるようになって、作業スピードが五分の一くらいにまで低下しましたね。
● 絵の修行に全振りしていたせいで、ストーリー製作の勘も鈍っていました。
漫画を描こうと思っても、話もキャラも浮かんでこなくなっていました。
調子のいいときは、頭の中の劇団員たちが毎日エチュードを見せてくれていました。
それを、ただ並べるだけで、勝手に話はできあがりました。
しかし、絵のスキルをあげている間に、イマジナリーフレンドたちは皆いずこかへ去っていました。
小説を書いていた間は漫画は描いておらず、3年以上も漫画脳を使ってなかった弊害が、露骨にでた感じですね。
漫画力がなまりきっていた所に加え、変な欲も芽生えていました。
「身につけたデッサン力をアピールできるよう、アクション要素の強い作品にしよう」
「背景の美しさがきわだつような、ファンタジー作品はどうだろうか」
といった感じで
「自分の技術をひけらかすための話しづくり」
を考えるようになっていたのです。
これは「仏作って魂入れず」状態ですね。
僕は余分なものを抱えすぎたせいで、がんじがらめになり、物語が転がせなくなっていたのです。
● キャリアのある人ならば、ガワから入っても、商品レベルの物語に到達できるのかもしれません。
しかし、当時の僕には、その能力はありませんでした。
キャラも弱いのしか浮かばないし、ネームを切っても、張りぼてみたいな中身・強度のない作品になってしまうんです。
僕は、自分のスタイルをみうしない、そして「若い感性や衝動」もそこなわれていました。
気がつけば、二十代半ばです。
少年ジャンプで漫画家デビューを目指すには「リミット間際」になっていました。
(現在では30代で少年誌デビューも、珍しくないと思いますが……当時のムードとして、少年漫画家志望25歳限界説がありました)
シリーズ2回めの『本を一冊だしただけの人』で書いた”建築現場の先輩”とのエピソードが、この頃ですね。
コバルト文庫から逃げ、小説も漫画も書けなくなり、モヤモヤしながら生きてました。
画力をあげる訓練だけはつづけていましたが、それは話がつくれないので、絵を描くことに逃げていただけです。
それは不安をまぎらわすための、クリエイテビティ・ゼロの行為なのです。
なにも産みだせないことに苛立ち、無為な日々がつづくことに焦り、鬱々とした日々を送ってましたねえ。
● ハルキ文庫でイラストデビューするが……無残に負ける!
閉塞した状況を打破するために、僕はまたまた逃げだしてしまうのです。
「絵しか描けないのなら、イラストレイターで世にでて、スキルを磨きながらキャリアを積み、人脈も作った上で、コネで漫画家になればいいっ!」
と、志の低い方向転換をするのです。
漫画家という仕事も、イラストレイターという仕事も、舐め腐った、実に半端な選択です。
こんなもの普通はうまくいきません。
けれども、僕はなぜかビギナーズ・ラックだけはあるんです。
全体的には不幸な子なんですが(二十代半ばの時点で、中卒、年金&健康保険未払い、食うや食わず)
日常的に不運が多く、その分の運が貯まっているせいか、ときどき妙な幸運が訪れるのです。
● 初めてイラストを持ちこんだら、いきなり5冊シリーズの表紙の仕事をゲットできちゃった!
小説でも最初に書いたもので受賞しましたが、イラストも最初の持ちこみで仕事ゲットしたわけです。
でも、こういうのって、実は危険なんです。
たとえば「最初につきあった相手が、人生で出会った中でもっともハイスぺ」って、かなりモヤモヤする人生になると思いませんか。
せめて、三~五人目辺りで出会えてたら、末長く楽しく過ごせたのにって。
ものごとには、ちょうどいい頃合いというのがあると思うんです。
未熟で、覚悟も定まらないまま世にでてしまうのは、リスキーだと思います。
遅かれ早かれつまずくので。そのときに、立ちあがる基礎体力(精神力)を持ちえていないと、そこで第一部(完)です。
本人は「オレの戦いは、まだ始まったばかり」と思っていても、第二部が始まることなんて、まずまずまずまずまず、ねぇんだよぉぉぉぉぉっ!!!
僕は角川春樹事務所では、表紙の絵を5冊描かせていただきました。
そこでイラストレイターとしてのキャリアは終わりです。
● 当時の表紙画を振り返って
で、下に貼るアマゾンリンクがそのとき担当した絵です。
このイラストを見ていて感じるのが、姿勢が逃げ腰で、投げやりということです。
課題や作品にフォーカスできてない。
対象を見つめていない。作品世界に潜れていないんですよ。
技術的にも未熟ですが、まず、姿勢が間違っている。
小説を読みこみ、作品を愛したうえで、その魅力を伝わるように、表現することを目指すべきでした。
僕は、それまでオリジナルの絵しか描いたことがなくて、誰かの小説をイラスト化したことはありませんでした。
その、弊害が全面に現れている気がしています。
他者のイメージを、拡張(応援)するというマインドを持ってなかったから「変な癖はありつつも、イラストとして際立つ個性がない」絵なんです。
このとき描いたもの全部、恥ずかしい出来です。
当時の自分にアドバイスするならば「誰かの書いた小説を読んで、勝手に表紙イラストを描く」という作業を「とりあえず10冊やってみろ」ということですね。
また、本屋に並んだときに目立つような、色とか構図とかを工夫するというマインドも、持ってない絵だと感じます。
今回、僕が過去の自分に向けて発した「苦言的アドバイス」ですが……これらは、普段から本屋さんに通っていれば、自然と身につくマインド(スキル)だと思うんです。
勝手に「書店でバエるイラストの、構図や色味」というのがインストールされてしまうものなんです。
それが、当時の僕にはなかった。
その理由こそが”負け犬”だったからなんです!!
● 本を一冊だしただけで終わった・通用しなかったという事実が、僕を本屋さんから遠ざけるようになってしまったんです。
書店に陳列されている、さまざまな本を見るたびにへこむからっ!
「ああぁ、ワイかて、そこに居場所があったのかもしれんのやでぇぇっ」
「のぉぉぉぉぉ、こんなん絶対に、ワイには思いつかん。書けまへん。遅かれ早かれ、駆逐されとったんやぁぁぁぁっ」
という気持ちになってしまうから!
本屋さんは、僕を一番傷つける場所に変わっていたのです。
まさに、ザ・負け犬です!
この当時、本屋に足繁く通っていれば、僕はもう少し「小説にとって、いいイラスト」を提供することができたと思います。
自戒を込めて、僕がイラストを担当した作品のアマゾンリンクを、当記事内にすべて貼っておきます。
● 負け犬に、必要だったものは……
僕はイラストレイターデビューの失敗を、当時は、センス不足が大きいと考えてました。
もちろん、それも理由の一つではあります。
ですが、前述した通り、最大の敗因は「負け犬が、および腰で挑んだこと」だと思うのです。
この時期の僕にとって必要なのは、いったん絵を描いたり物語をつくることを考えるのを、やめることだったと思います。
今一度ファンに戻り、一読者として、小説や漫画などのエンタメを楽しめるようになることが必要だったんです。
現役のプロの中には「一切他者の作品を嗜まない・研究もしない」という人もいます。
きわだった個性を持っているタイプとか、周囲にブレイン的な人材がいるならば、他作品を気にしないやり方でも通用するのかもしれません。
ですが、これから世に出ようとする時期には「そのジャンルが好きっ!」と「この書店に並んでいる、どの本とだって戦ってやるぜ」という気持ちが必要だと思うんです。
それが弱いと、突き抜けられない気がします。
● コバルト文庫を去った後の僕は「失恋した後に、やたらと明るくふるまう人」みたいな痛さがあった気がします。
ボロボロで不安なのに、周囲に傷ついている人と思われたくないがゆえに……妙なムーヴをかましている感じが、本当にみっともない。
そういうときは、まず、静かに休め。
そして、最初の気持ちと向きあうべきだったのだと思います。
空想することの楽しさや書店に並んでいる本たちへの憧れといった、かつて持っていたものを取り戻してから、戦場に向かうべきだったのでしょう。
僕は小説で負け、イラストでも負けました!
次回も、負けつづける話になります。
コバルト文庫デビューの少女小説家のなれの果て④セツ・モードセミナーで、完全敗北を知る!!
ご期待ください!
過去に一冊だけだした本のアマゾンリンクも残しておきます(^^;
● NOTEのサムネ変更中!(2026年8月追記)
最近、AIの使い方を覚えたので、サムネなどをいじってます。
以前に僕がキャンバで作ったものより、ずっとわかりやすいです。
しかしながら、ある種の”情念”は薄れてしまった気がしています。
何か物足りないのです。
しかし……しばらくはAIと向きあってみるつもりです。
旧サムネを残しておきます。

2026年9月に『檻の薔薇』という単行本が発売予定です。
第一話『蜜蜂と怪物』が、徳間書店さんのNOTEで公開されています。
いつまで、公開されているのかわからないので、興味のある方はぜひ覗いてみてください!ついでに、イイネも押してきてくれると嬉しいです('ω')ノ
他「なれの果て」のシリーズはこちらから
全八話(第一部完になります)
2025年に、大藪春彦新人賞 & 映像化奨励賞のW受賞しました。
徳間書店さんつくってくれたPVを見ると、主人公(視点人物)である男性のことは全然触れられてないので、コバルトで僕が書いたものとは違う印象を持たれる方もいるかもしれませんが……作風は、大きくは変わってないと思います。コバルト文庫の『吸血鬼の綺想曲』を好きな方ならば、きっと楽しめると思います♪
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