見出し画像

コバルト文庫デビューの少女小説家のなれの果て① 三つの大失敗

このnoteは、小説の新人賞を受賞しておきながら、何者にもなれなかったオッサンの悔恨と、教訓が書かれています。

このシリーズをまとめて読む

1996年、コバルトノベル大賞佳作を受賞した僕は、わずか1冊だしただけで少女小説家を引退しました。
 二十歳の僕が犯した“三つの致命的な間違い”を、オッサンになった今振り返ります。

 まず、当時の僕の状況から。
 僕は漫画家を目指していたのですが……物語を考えるのが苦手だったので、ストーリーテリングを学ぶべく、専門学校の小説コースに通っていました。
 そこの一学期末の宿題としてだされたもので、いきなり賞を獲ってしまったのです。
 その宿題は、コバルトノベル大賞に応募するまでで、完結というものでした。

 まだ、小説について学び始めて三ヶ月というところだったし、スニーカー文庫やソノラマ文庫(当時のジュニア小説の人気レーベル)は結構読んでましたが、コバルト文庫は未読でした。

 なので、覚悟も知識もないままのデビューとなったのです。それは若き日の僕にとって、混沌とした圧力の中に放りだされたようなものでした。

 川村蘭世というペンネームをつけられて、翌年に『吸血鬼の綺想曲』という小説を出版しました。そこで僕のキャリアは終りました。
 当時、20歳の愚かな僕(今も愚かではある)では、編集さんとの関係をうまく構築できず、この一冊しかだしていません。

 本を出版した翌日か翌々日に、やめる旨をFAXでお伝えさせていただきました。ペンネームやタイトルづけでも揉めたし、当時の僕は「他者と合意形成する」という能力が、致命的になかったんですよねえ。(今も、高いわけではない)

 僕のライトノベル(当時はジュニア小説といっていた)デビューには、明確に三つ問題がありました。それを振り返ってみたいと思います。

『問題1.二十歳の未熟さと、コミュ障が致命的だった』

 僕は今を持ってコミュ障は改善されてないですが、この頃は更にアホでキレやすかったです。社会や大人に敵意を持ってました。
 そしてフリーランスとして、一流出版社のエリートと交渉する、知性も理性も愛嬌もありませんでした。(今もないけど)

 僕は昔から「剛腕タイプの人と衝突する」傾向があります。
「正しいのはこちら側、間違っているのはあなたです」という構図から降りない人と会話することが、苦手です。

 ただ、この手の「己の感覚・経験を押しつけてくるタイプ」の中に、優秀な人がいたりするんですよねえ。
 その剛腕で権力も握っていたりします。リーダーシップには、パワーと熱量が重要な側面はありますので。

 だから、どれだけ剛腕パワフル熱血オバサンがしんどかったとしても、仲良くしておくのが吉なのです。

「何が正しいのか、本当のところはわからないクリエイティブ業界」において、権力とかパワーって、かなり信頼できるものです。
 己の作品の「商品としての力」は、影響力を持っている人に推されることが、一番強くなるんですよねえ。

 苦手なタイプであろうと、うまくやる方法を模索すべきでした。

 当時の僕にとって必要だったのは「先達の言葉に乗っかってみる柔軟さ」や「可愛がられる愛嬌」だったのだと、年を重ねた今は思えます。それは創作の才能と同等か、それ以上に大切な要素かもしれません。

 小説は一人で書けるけれども、本は誰かの力を借りないと作れない。(同人誌とかなろう系とかDLとか、現在では例外もありますが)
 本を作るというのはチームプレイであり、小説家は1ポジションにすぎません。

「花形ポジションのピッチャーではあるが、監督ではない」という視点が、僕には欠けていました。

 あの剛腕マダムとコミュニケーションをとっておけばよかったと、己の未熟さを恥じ入る気持ちの方が、今は大きいですね。(当時は嫌いというか、支配されるような怖さがあったけど)

 三十代になってからのデビューだったならば、もう少しうまくやれていたのになぁ~と思うのですが、二十歳の僕には無理でした。

『問題2.小説能力の低さ・コバルト文庫への理解の低さ』

 僕は小説家志望だったわけでもなく、書いたこともなく、コバルト文庫もよくわかってない状態でした。なので、編集さんや読者の気持ちが、まったく想像できませんでした。

 当時の僕は、少年ジャンプでのデビューを目指す漫画青年でしたので、コバルト読者の求めているものに対するズレが大きかったと思います。

 デビュー後に氷室冴子先生の本は結構読みました。それらは楽しめましたが、その頃のコバルトの主流作品は、僕には理解が難しかったです。

 やはり……三十代になった後のデビューならば、もう少しやりようがあったとは思うのです。

 己の読書経験をもとに、コバルト文庫を俯瞰・解体して、その魅力を構造的に理解する。その上で、自分の素材の中からコバルト読者に刺さるものを見繕い、編集者さんに相談しながらパッケージングし、よき商品へと昇華するという”職人スタイル”を目指せばよかったのだと思います。

 けれども、当時の僕は「自分の頭の中にあるイメージ」に固執していました。己の内側からわきあがるモチーフにしか、価値を見出せなかった。

 そんな僕にとって、コバルト文庫作品を研究するということは「自分を否定する材料を探す」ということでした。コバルト文庫を読むたびに、切り刻まれるような、たこ殴りにされるような気持ちになりました。

 ペガサス流星拳とか北斗百裂拳で、コバルト文庫に打たれまくっている姿をイメージしてもらえば、当時の僕の気分が理解してもらえるかもしれません。

 だから、逃げだしたくてしょうがなかった。
 コバルトをやめた後も、しばらくは恐怖と怒りの混じった敵愾心のようなものが、僕の心に渦まいてましたね。

『問題3.粘りが足りなかった。心を作れてなかった』

 項目の1と2で「三十代になった後のデビューならば、もう少しやりようがあった」と語りましたが、それは甘い幻想でしかありません。
 チャンスは準備万端のときに、都合よくおとずれたりしないからです。

 チャンスの女神に後ろ髪はないので、今その時しかないという覚悟で、つっこんでゆくしかないのです。自分を売って生きるというクリエイター稼業を歩むためには、ボロボロになる覚悟を持って、倒れても立ちあがりつづけるしかない。

 古臭い精神論ではありますが「負けを覚悟しつつ、希望を喪わない」というようなマインドセットは必要かもしれません。

 当時の中卒無能の川村蘭世君に対して、おじさんとしては

「やばめのブラック業界だが、おまえが金をつかむチャンスはここしかなかったんだぞ。お前の人生の中盤戦に訪れる苦難の8割は金がなかったことの影響が大きいぞ。金がないと選択肢は狭まるぞ。
 金がないと、時間を売りつづけることになるぞ。金がないと、いい流れが来たときに、それに向けて準備を整えることもできず、機会を棒に振りつづけるぞ」

 と伝えたいですね。

 とはいえ「まあ難しかったかなあ~」という諦観もあります。後に発覚するのですが、僕は発達障害(ADHD&ASD併発型)があり、メタ認知機能が弱く、イヤなことを反芻しつづける特性を持っています。遠からず、どこかでゆきづまっていたとも思います。

 でも、うまく大人として行動できていれば、三冊~五冊くらいはだせていたかもしれないし、そうすれば数百万くらいは金を残せたかもしれない。その金があれば「あそことあそこの負けは……防げたかもなあ」という後悔はありますね。

 また「三十代になった後のデビューならば、もう少しやりようがあった」という自論に対する、アンチテーゼも記しておきますが「ハタチの未熟でナイーブな若者が書いたものだから、コバルトノベル大賞で佳作を獲れた」ともいえるのです。

 三十を越えて世間を知り、いろんなことに折り合いのついたオッサンの感性では、少女小説でデビューできなかったと思います。

 なので、僕のコバルトデビューに関しては「ああしとけば、少しは勝てたかも」という後悔を持ちつつ「負けるべくして、負けた」と理解しています。

『バタフライ・エフェクト』とか『まどかマギカ』とか『オール・ニード・ユー・キル』とかループ系コンテンツを見るたびに、人間は「後悔をひきずって生きる」「何週かして磨かなければ、超えられない難関はある」ということを、ものづくりする人たちは考えつづけているのだなあと痛感します。

 そして、実際にはループすることはできませんが、脳内では何周もループすることができます。

 現実社会でループするということは、考えつづけるということです。
 状況を観察し、情報を集め、仮説を立て、検証する。それを何度もやり、思考を磨く。
 当時の僕に一番足りなかったのは「考えつづける」ことでした。
 粘り強く考え、モアベターな選択肢を探しつづけるべきだった。
 そうすれば、もう少しましな人生になっていたかもしれない。

 ちなみに、僕はこの後も七転八倒三十年くらい負けつづけるわけです。
(これからも負けを噛みしめさせられつづけると思う)

 考えていても負けるときは負けますし、考え過ぎたせいで負けるときもある。
 けれども考えるという行為からは、逃げずにおこうと思っています。

 思考を尽くした果てでの”負け”ならば、ある程度は納得できる。
 人生の後半戦って、自分をどう納得させてゆくのかということが、心身の健康に与える影響は大きいと思います。

 次回は”本を一冊だけだした人”のその後の苦難についてお話しします。

 コバルト文庫デビューの少女小説家のなれの果て②コバルト文庫で小説を一冊だしただけの人

 ご期待ください。

 最後に、約30年前にコバルト文庫で出版した『吸血鬼の綺想曲』のアマゾンリンクを貼っておきます。

● 2025年に、大藪春彦新人賞 & 映像化奨励賞のW受賞しました。

● 2026年9月に『檻の薔薇』という単行本が発売予定です。

第一話『蜜蜂と怪物』が、徳間書店さんのNOTEで公開されています。
いつまで、公開されているのかわからないので、興味のある方はぜひ覗いてみてください!ついでに、イイネも押してきてくれると嬉しいです('ω')ノ

● 下の映像は、徳間書店さんつくってくれたPVになります。

 PVでは、主人公(視点人物・影が薄い)である男性のことは触れられてないので、コバルトで僕が書いたものとは違う印象を持たれる方もいるかもしれませんが……作風は、大きくは変わってないと思います。

 ● NOTEのサムネ変更中!(2026年8月追記)

最近、AIの使い方を覚えたので、サムネなどをいじってます。
以前に僕がキャンバで作ったものより、ずっとわかりやすいです。
しかしながら、ある種の”情念”は薄れてしまった気がしています。
何か物足りないのです。

しかし……しばらくはAIと向きあってみるつもりです。
旧サムネを残しておきます。

●「なれの果て」のシリーズはこちらから

全八話(第一部完になります)

 
#コバルト文庫
#吸血鬼の綺想曲
#川村蘭世
#小説家デビュー
#ライトノベル黒歴史
#小説持ち込み
#新人賞
#大藪春彦新人賞
#檻の中のワルキューレ


いいなと思ったら応援しよう!

伽村あきら……元川村蘭世 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!