#558[短編]琥珀色の間[15]──追いついた背中
姉との通話で大翔の “自分には見えていない一面” に気づく爽子。年明けの Barで起きたズレは、恋か、錯覚か。連載第17回です。
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、6話、7話、番外編・爽子、8話、本稿、前半まとめ
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
──雨上がりのアスファルトは、夜の駅前通りを鏡のように映し出す。冷たい空気が肺の奥まで入り込み、少しだけ思考をクリアにしていった。
横断歩道の向こう側に広がる、夜の静寂。
追い抜いて行ったのは、確かに大翔だった。
その背中を追いかけることができずに、ただ立ち尽くしていた自分。走り去る後ろ姿を眺めるだけだったのは、彼を繋ぎ止めるより、いつか本当の意味で、隣を歩ける自分になりたかったからだ。
◇
大翔は、ふと歩みを緩めた。追い抜く瞬間、信号待ちの女性に声をかけようとした。けれど、後ろ姿だけでは確信が持てず、人違いも怖かった。それに…走り抜けるとき、爽子が泣いているように見えて、足が止まらなかった。
渡り切った横断歩道の先で足を止め、息を整えた。少しだけ引き返すと、赤信号の前で俯き加減に立つ、見覚えのあるステンカラーのグレーのコートが目に入った。
やっぱり……。
爽子だった。どこか遠くを見つめるような瞳で、冬の夜風に疲れを溶かすように横断歩道を見つめている。もう少し目線を上げてくれたら──
爽子は、ミシマと悠里の言葉を思い出していた。大翔を想うことで自分をすり減らすより、彼を想う自分を、まずは愛したい。静かな覚悟が、冷えた指先に伝わる雪のように、じわりと心に滲んでいく。
──もし、今ここで名前を呼ばれたら。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、信号が青に変わり、爽子はゆっくりと歩き出した。澪のBarとは反対の方へ歩みを進めると、後ろで声がした。
「サワコさん」
爽子は頭の中の声の主を確認しようと振り返った。大翔がいた。
イタズラっぽくはにかんだ笑顔が、街灯の光にふわりと縁取られて見えた。
「あれ、ひろ…と、さん…?」
「こんばんは」
大翔の声は、思ったより落ち着いていた。
「こ、こんばんは……」
爽子の声は、少しだけ震えていた。
目が合った瞬間、大翔の口元がふっと緩んだ。その小さな笑みに、胸の奥のこわばりが少しだけほどけた。気づけば、歩幅が自然と揃っていた。
ふたりのあいだに落ちた静けさが、わずかに揺れた。
大翔は、爽子の目を見て、小さく息を吸った。
「……傘、持ってませんでしたよね」
その言い方に、迷いと照れが少しだけ残っていた。
「はい。でも、もう上がったみたいです」
爽子も少しぎこちなく笑い返した。
爽子は瞬きをして「ありがとうございます」小さく答えた。
自分の空いた手を見つめて、微笑んだ。
「冬の雨、僕は嫌いじゃないです」
大翔の言葉は、爽子の心を否定もせず、ただ隣で肯定してくれるような響きをもっていた。
──会いたいなんて言えない。
爽子は心の中にあった小さなこわばりが、大翔のさりげない一言で、ゆっくりと解けていくのを感じていた。
「あの、大翔さん」
「はい」
「……待っててくれて、ありがとう」
そう言ったとき、街灯の灯りが少しだけ温かく見えた。
大翔は、迷いと照れが少しだけ残っていた。
「サワコさん、メシ食いました?」
「え、まだです。もういいかなって。この時間だし」
「じゃあ、一緒にどうですか。…俺、腹減っちゃって」
言った側からよそ見をして、そわそわと落ち着かない大翔を見て、爽子は言った。
「それじゃ、この時間ならやっぱりあそこ……?」
「あそこしかないですね」二人は同時に駅前の中華屋の方を指差した。
大翔は、爽子の斜め後ろを少し遅れがちに歩いた。何かを言いかけては飲み込み、視線を泳がせる。言葉にできない何かが、冬の夜気の中で白く濁って消えていく──。
重なりそうで重ならない、2つの影。
ふたりの影が並んだその瞬間、冬の夜はようやく静かに息をついた。
執筆: 2026/2/12 <了, 1,700 字>
最終更新: 2026/3/13 17:15
続きを今夜、公開予定です🌟
あとがき
長らくお待たせしてしまいました。家庭の事情で連載が止まっておりましたが、ひとまず再開です。物語の終盤、ラストまでよろしくお願いします😊

未完での投稿を失礼いたします
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