続かないのは、意志が弱いからではない― 習慣に“楽しみ”が足りていないだけかもしれない ―
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
昨日の記事で、
「感じる力が、習慣を変えていく」という話を書きました。
感じる。
気づく。
わかる。
できる。
この順番の通りに進んでいけば、
私たちは自分の状態に合わせて、
少しずつ調整できるようになっていきます。
でも、次に出てくる悩みがあります。
それは、
わかっているのに、続かない。
です。
運動した方がいい。
早く寝た方がいい。
スマホを見る時間を減らした方がいい。
呼吸を整えた方がいい。
少し歩いた方がいい。
書いた方がいい。
発信した方がいい。
学び続けた方がいい。
頭ではわかっている。
でも、続かない。
そして、続かない自分に対して、こう思ってしまう。
「自分は意志が弱い」
「やっぱり根性がない」
「また続けられなかった」
「どうして自分は変われないんだろう」
「私はダメなやつなんだ」
続かないのは、
あなたの意志が弱いからだけではありません。
今日は、新たな視点を書きたいと思います。
もしかすると、それは、
楽しみが足りていないから
だけかもしれないのです。
義務感だけでは、続かない
何かを始める時、
私たちはよく「正しさ」から入ります。
健康のために、運動しなきゃ。
体のために、ストレッチしなきゃ。
仕事のために、発信しなきゃ。
成長のために、勉強しなきゃ。
将来のために、習慣を整えなきゃ。
もちろん、それらは間違っていません。
運動は体にいい。
睡眠は大切。
学び続けることも必要。
発信も、仕事につながるかもしれない。
頭では、ちゃんとわかっている。
でも、
「やらなきゃ」だけで始めたことは、
どこかで重くなります。
最初のうちは、頑張れるかもしれません。
でも、忙しい日が続いたり、
体が重い日があったり、
思ったような結果が出なかったりすると、
だんだん足が向かなくなっていく。
そして、やらなくなる。
やらなくなると、
また、自分を責める。
「やっぱり続かなかった」
「自分には向いていない」
「意志が弱いんだ」
でも本当は、
その習慣の中に、
自分の心が向かう理由が、少なかっただけかもしれません。
人は、正しさだけでは動けない
人は、正しいことだけでは動き続けられません。
正しい。
必要。
大事。
やった方がいい。
それだけでは、
行動のエネルギーとしては、足りなかったりする。
なぜなら、
人の行動には、感情が関わっているからです。
楽しい。
気持ちいい。
嬉しい。
落ち着く。
すっきりする。
安心する。
少し自分に戻れる。
誰かに届いている感じがする。
昨日より少し軽い感じがする。
こういう感情があると、
人はまたやってみようと思えます。
逆に、
どれだけ正しいことでも、
そこに苦しさや義務感しかないと、
心と体は、少しずつ遠ざかっていきます。
頭では「やるべき」と思っている。
でも、心は向かっていない。
体も動こうとしない。
この時、
心と体と思考の間には、ズレが起きています。
思考は、やるべきだと言う。
でも、心は重い。
体は動かない。
その状態で無理に続けようとしても、
なかなか習慣化はできません。
続かない習慣には、問いを立ててみる
続かないことがある時、
自分を責めることは、やめましょう。
まず、少し問いを変えてみるといいです。
「なぜ続けられないんだろう」
ではなく、
「この習慣の中に、楽しみはあるだろうか」
と問い直してみる。
たとえば、
運動が続かないなら、
その運動は、体が気持ちよくなるものだろうか。
終わったあとに、少し軽くなるだろうか。
呼吸が深くなるだろうか。
気分が変わるだろうか。
自分に戻る感じがあるだろうか。
たとえば、
発信が続かないなら、
その発信の中に、楽しみはあるだろうか。
誰かに届く嬉しさ。
自分の考えが整理される感覚。
言葉になっていく面白さ。
同じテーマを違う角度から見つめる楽しさ。
そういうものはあるだろうか。
たとえば、
学びが続かないなら、
その学びは、自分の仕事や人生とつながっているだろうか。
ただ知識を詰め込んでいるだけなのか。
それとも、誰かを見る目が変わる実感があるのか。
自分の問いが深まる喜びがあるのか。
何かが続かない時は、
そのやり方が悪いのではなく、
心が動かないやり方を選んでしまっているだけかもしれません。
そもそも、それは本当に必要なのか
もう一つ、大事な問いがあります。
それは、
そもそも、それは本当にやる必要があるのか。
という問いです。
続けられないことを、
全部「続けるべきこと」として扱わなくてもいい。
世の中には、
「やった方がいい」と言われることがたくさんあります。
朝活。
筋トレ。
読書。
瞑想。
発信。
勉強。
日記。
手帳。
整理整頓。
健康管理。
自己分析。
どれも、悪いものではありません。
でも、
全部を自分の習慣にしようとしたら、
それだけで疲れてしまいます。
誰かにとって必要な習慣が、
今の自分にも必要とは限りません。
誰かにとって合う方法が、
自分に合うとは限りません。
大切なのは、
「正しい習慣」を増やすことではなく、
今の自分に合う習慣を見つけることです。
続かないものの中には、
本当は、今の自分には必要ないものもあります。
あるいは、
今の自分には大きすぎるものもあります。
やめていいもの。
小さくしていいもの。
形を変えていいもの。
今はまだ置いておいていいもの。
そうやって見直すことも、
ととのえることの一つです。
楽しみとは、派手なことではない
「楽しみ」が足りていないかもしれないと書きました。
ここでいう「楽しみ」は、
大きなワクワクや派手な喜びでなくて構いません。
毎回、テンションが上がる必要はありません。
楽しみとは、もっと静かなものでいいのです。
終わったあと、少し呼吸が深くなる。
体がほんの少し軽くなる。
頭の中が少し整理される。
心が少し落ち着く。
昨日より少し自分に戻れた感じがする。
今日も小さくできた、という安心がある。
そういう静かな楽しみ。
たとえば、散歩。
「健康のために歩かなきゃ」と思うと、
少し重くなることがあります。
でも、
季節の空気を感じる。
雨上がりの匂いを感じる。
風の湿り気を感じる。
道端の花を見る。
歩いたあと、少し体がゆるむ。
そこに楽しみがあると、
散歩は義務ではなくなります。
たとえば、書くこと。
「毎日書かなきゃ」と思うと、
言葉は重くなることがあります。
でも、
自分の中にあった感覚が言葉になる。
ぼんやりしていたものに輪郭が生まれる。
誰かの心に少し届く。
同じことを別の角度から見られる。
そこに楽しみがあると、
書くことは、自分をととのえる時間になります。
楽しみとは、
自分の心と体が、
少しだけ前を向く感覚なのだと思います。
感情は、行動の動力源になる
感情は、あらゆる行動の動力源になります。
楽しいから続く。
嬉しいからまたやりたくなる。
気持ちいいから戻ってくる。
安心するから続けられる。
意味を感じるから積み重なる。
反対に、
怖さや不安、焦りや義務感だけでも、
一時的には動けるかもしれません。
でも、それが続くと、
心と体は疲れていきます。
「やらなきゃ」
「変わらなきゃ」
「ちゃんとしなきゃ」
「結果を出さなきゃ」
この感情だけで動き続けると、
習慣はいつの間にか、
自分を追い込むものになります。
だから、
習慣を考える時には、
方法だけでなく、感情も見る必要があります。
その習慣は、
自分を安心させているのか。
それとも、
自分を急かしているのか。
自分に戻るためのものなのか。
自分を責めるためのものになっていないか。
そこを見てあげることが大切です。
うまく続かない時は、小さくする
もし、続けたいのに続かないものがあるなら、
まずは小さくしてみましょう。
運動を30分やるのが重いなら、
1分だけ体を動かす。
ストレッチを全部やるのが重いなら、
肩を一回まわすだけでもいい。
日記を書くのが重いなら、
一行だけ書く。
発信が重いなら、
今日感じたことを一文だけ残す。
片づけが重いなら、
机の上のものを一つだけ戻す。
大切なのは、
大きく変えることではありません。
戻れる大きさにすること。
習慣は、完璧に続けることよりも、
戻れることの方が大切です。
途中で止まってもいい。
できない日があってもいい。
また戻ればいい。
戻れるくらい小さくしておくと、
習慣は少しずつ、自分の暮らしに馴染んでいきます。
楽しみは、あとから見つかることもある
そしてこれも大切な視点です。
最初から楽しいことばかりではありません。
始める前は、少し面倒くさい。
やる前は、気が重い。
続ける意味が、まだよくわからない。
そういうこともあります。
でも、少しやってみると、
あとから楽しみが見つかることがあります。
歩き始めたら、空気が気持ちよかった。
書き始めたら、言葉が出てきた。
体を動かしたら、少し気分が変わった。
片づけたら、空間が軽くなった。
学んでみたら、見える世界が変わった。
だから、
最初から大きな楽しみを探さなくてもいい。
まずは、
小さく始められる形にする。
そして、
そのあと自分の中に何が起きたかを感じる。
少し楽になったか。
少し軽くなったか。
少し嬉しかったか。
少し安心したか。
その小さな感情が、
次の行動につながっていきます。
自分を責める前に、設計を見直す
続かない時、
自分の意志を責める前に、
習慣したいことの設計を見直してみましょう。
大きすぎないか。
重すぎないか。
義務になりすぎていないか。
楽しみが入っているか。
今の自分に合っているか。
そもそも本当に必要か。
戻れる形になっているか。
これらを見直すだけで、
習慣は少しやさしくなります。
習慣は、
自分を縛るためのものではありません。
自分をととのえるためのものです。
自分を責めるためのものではありません。
自分に戻るためのものです。
だから、続かない時は、
「自分がダメなんだ」と決めつける前に、
少しだけ立ち止まってみてください。
その習慣は、
今の自分にとって、やさしい形になっているでしょうか。
続けることより、戻れること
習慣化というと、
毎日続けることが大切だと思われがちです。
もちろん、続けることも大切です。
でも私は、
それ以上に大切なのは、
戻れることだと思っています。
できない日がある。
忘れる日がある。
体が重い日がある。
気持ちが乗らない日がある。
予定が崩れる日がある。
それでも、
また戻ってこられる。
それくらいのやさしさがある習慣は、
長く続いていきます。
反対に、
一度途切れたら終わり。
できなかったら失敗。
毎日完璧にやらないと意味がない。
そういう習慣は、
少しずつ自分を苦しくさせます。
習慣は、
自分を裁くものではありません。
自分を支えるものです。
続かないのは、意志が弱いからではない
続かないことがある時、
すぐに自分を責めなくていいのです。
もしかすると、
楽しみが足りていないだけかもしれない。
義務感が強すぎるだけかもしれない。
大きく始めすぎているだけかもしれない。
今の自分に合っていないだけかもしれない。
そもそも、今は必要ないだけかもしれない。
だから、まずは問いを変えてみる。
これは、本当に必要だろうか。
どこに楽しみがあるだろうか。
どうしたら、もう少し小さくできるだろうか。
終わったあと、何が少し楽になるだろうか。
どんな形なら、戻ってこられるだろうか。
そんなふうに見直していく。
ととのえるとは、
自分を無理やり変えることではありません。
今の自分に合う形へ、
少しずつ調えていくことです。
習慣も同じです。
続けられる自分になる前に、
続けられる形を探してあげる。
戻れる場所をつくってあげる。
そこに、小さな楽しみを見つけてあげる。
その時、習慣は、
義務ではなく、
自分に戻るための道になります。
今日、続けられなかったことがあっても大丈夫です。
それは、あなたの意志が弱いからではないかもしれません。
ただ少し、
形が合っていなかっただけ。
楽しみが足りていなかっただけ。
大きすぎただけ。
戻る場所が見えなくなっていただけ。
また、小さく戻ればいい。
自分を責める前に、
今の自分に合う形へ。
そこから、
習慣は静かに育っていきます。
また、次の記事でお会いしましょう。
ととのえ職人
五木田穣
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