見出し画像

製薬企業の価値はどこにあるのか——決算資料で読む上市品・パイプライン・財務 #28

本記事は、製薬業界の解説シリーズの最終回です。ラインナップは→ 第1回の記事でご確認いただけます。


このシリーズでは、創薬から臨床開発、製造、薬価、特許、アライアンス、M&Aまでを見てきた。別々に見えるこれらの活動も、企業価値という視点に立つと一本につながる。

シリーズを締めくくる本稿では、製薬企業の価値を「上市品・開発品・財務」に分解するSOTPの考え方と、それを決算やニュースにどう使うかを紹介する。

ただし、初心者が精密な理論株価を計算する必要はない。目指すのは、企業活動が企業価値にどう効くかを読む、次の2つの問いである。

  • その会社の価値は、今売っている薬・開発中の薬・財務のどこから来ているのか。

  • 新製品や買収のニュースは、そのどこを動かすのか



SOTP——価値を「部品」に分ける

製薬企業の価値は、会社全体を一つの箱として見るだけではわかりにくい。

製薬企業には、成長中の上市品、LOEが近い成熟品、開発中のパイプライン、現金・負債など、性質のまるで違う資産と負債が混在しているからだ。これらをまとめて「会社全体」で見ると、どこに価値があり、どこにリスクがあるのかが見えにくい。

そこで、製品ごと・事業ごとに価値を分けて積み上げる。この考え方をSOTP(Sum of the Parts、部分の合計)という。

平たく言えば、製薬企業の株式価値は次のように考えられる。

株式価値
≒ 今売っている薬の価値
+ 開発中の薬の見込み価値
+ 現金
− 借金

※実務ではこれに加え、製品別評価に含まれない本社費用や年金・リース債務を差し引き、保有株式などの非事業資産を加える。本稿では初心者向けに単純化している。

以下では、上市品のNPV、開発品のrNPV、現金・負債の順に見ていく。


公開情報だけで精密なSOTPは作れるのか

結論から言えば、公開情報だけで精密なSOTPを作るのは難しい。製品別の費用やキャッシュフロー、残りの開発費までは開示されないことが多く、プロも類似製品や全社利益率などから推計している。したがって本稿では、正確な理論株価ではなく、企業価値を構成する3つの部品と、それを動かす方向を見る。


部品①:上市品——収益の「寿命」を見る

上市品の価値は、売上そのものではなく、製造費・販売費・税金などを差し引いた将来キャッシュフローで決まる。そのキャッシュフローを現在価値に直したものがNPVである。

※将来キャッシュフローは、WACC(加重平均資本コスト)などを基礎にした割引率で現在価値に直す。割引率は金利環境や企業のリスクで変わる。

そのうえで、上市品でまず聞くべきは、次の問いである。

この会社の主力製品はどれか。
そして、その収益はあと何年続くのか。

主力品は、特許や規制上の独占期間に守られている間は高い収益を生む。しかしその独占期間が終わると、ジェネリックやバイオシミラーが参入し、売上が落ちることがある。この独占が切れるタイミングをLOE(Loss of Exclusivity)という。

企業はLOEを見越し、適応追加、剤形変更、投与回数の削減などによって製品価値を維持・拡大しようとする。これをLCM(ライフサイクルマネジメント)という。ただし、LCMによってジェネリックやバイオシミラーの影響を必ず防げるわけではない。

だから上市品では、次の3つを確認する。

  • 売上が会社計画や市場予想を上回っているか。重要なのは現在の増減だけでなく、将来予想が上方・下方修正されるかである。

  • LOEまで何年あるか

  • 後継品、適応拡大、競合への備えがあるか

この3点で、「成長中で寿命の長い薬が厚い会社」なのか「成熟品で食っていて崖が近い会社」なのかを見分ける。


部品②:開発品——主要候補に「成功確率」を掛ける

開発品は、承認されれば大きな価値を生む一方、途中で失敗する可能性がある。したがって、成功した場合の価値を、そのまま企業価値に足してはいけない

たとえば、成功した場合のNPVが1,000億円、承認まで到達する確率が50%なら、単純化した見込み価値は500億円となる。

簡易rNPV
= 成功した場合のNPV × 承認確率
= 1,000億円 × 50%
= 500億円

これがrNPV(リスク調整後NPV)の基本的な考え方である。実際には、上市までの時間や、今後必要になる開発費も織り込む。

すべてのパイプラインを見る必要はない

大手製薬企業は多数の開発品を抱えており、外部の投資家がすべてを評価するのは現実的ではない。

まずは、会社が次の成長ドライバーに位置づける候補、Phase 3・承認申請中の候補、想定ピーク売上が大きい候補など、企業価値への影響が大きそうな1〜3品目に絞ればよい。それだけでも、会社の将来価値が何に依存しているかが見えてくる。

承認確率の出発点

開発品の承認確率を外部から正確に知ることはできないが、過去の業界平均を出発点として使うことはできる。

BIO / Informa Pharma Intelligence / QLS Advisorsが、2011〜2020年の9,704開発プログラムを分析した調査では、各フェーズから承認まで到達する平均確率は次のようになっている。

  • Phase 1開始:約8%

  • Phase 2開始:約15%

  • Phase 3開始:約50%

  • 承認申請:約90%(再申請を含む)

※過去の開発プログラムの平均値であり、個別の薬の承認確率を直接示すものではない。

なお、成功確率は疾患領域やモダリティによって異なる。同じ調査では、がん領域のPhase 1から承認までの確率は約5%と、全体平均の約8%を下回る。ただし、がん領域内でも差があるため、表の数字は個別資産を評価する出発点として使いたい。

また、この確率は「そのフェーズに入った時点」の平均である。同じPhase 3でも、「試験を開始した」のか、「主要評価項目を達成した」のかでは意味が異なる。Phase 3で好結果が出れば、重要な不確実性が一つ減り、rNPVは上昇しうる。

主要候補はシナリオで見る

もう少し踏み込むなら、選んだ主要候補について、次の4つを確認する。

  1. ピーク売上:対象患者数、薬価、競合、浸透率から、どこまで売れる可能性があるか

  2. 自社の取り分:提携先との利益分配やロイヤリティを考慮すると、会社にいくら残るか

  3. 上市までの時間:同じピーク売上でも、上市が近いほど現在価値は高くなりやすい

  4. 承認確率:開発段階に加え、試験結果や疾患領域をどう見るか

これらを一点で決めつけるのではなく、強気・中立・弱気の3通りで置く。正確な評価額を一つ当てるよりも、どの前提が企業価値を大きく動かすのかを見る方が実用的である。


部品③:現金と借金——「選択肢」を左右する

ネットキャッシュ = 現金 − 有利子負債

現金は株式価値への上乗せ、借金は差し引き要因になる。ただし、財務余力の本質は、研究開発、導入、M&A、株主還元、債務返済などの選択肢をどれだけ持てるかにある。なお、現金のすべてが自由に使える余剰資金とは限らない。

武田薬品は2019年のShire買収後に大きな負債を抱え、資産売却とキャッシュフローで債務削減を進めた。大型M&Aは事業規模を広げる一方、財務の自由度を制約することもある。


実践——決算資料の「どこ」を見て、企業の重心を探すか

ここまでの話を、実際の作業に落とす。

精密なSOTPを作らなくても、次の5つを確認すれば、企業価値の「重心」は見えてくる。

  1. 売上上位3製品は何か

  2. その製品の成長率とLOEはいつか

  3. 主要な次の成長候補は何で、Phase 1・2・3のどこにあるか

  4. 現金と有利子負債はどちらが多いか

  5. 経営陣は研究開発・導入・M&A・設備・返済のどこに資金を使っているか

5項目を見ると、主力品依存型、パイプライン期待型、外部導入型など、企業価値の大まかな性格が見えてくる。

ただし、売上と成長率だけでは「崖の上で最高益」の会社を見落とす。足元の業績が好調でも、主力品のLOEが近く、次のパイプラインが薄ければ将来価値は不安定である。現在の稼ぐ力、残りの寿命、次の成長源をセットで見る必要がある。

実際に当ててみる——4社の「重心」

この見方を、シリーズで取り上げてきた会社に当ててみる。

同じ製薬企業でも、第一三共は提携込みのADC、中外は技術と販売網の分担、エーザイは新薬が患者に届くまでの経路、塩野義はロイヤリティ収入と買収の回収に重心がある。会社ごとに、まず何が価値を動かしているかを探すことが、SOTP的な見方の実践である。

(※いずれも公開情報にもとづく一般的な整理であり、特定銘柄の売買を推奨するものではない。)


一歩進んだ見方——資本配分・薬価政策・株価からの逆算

ここまでで、企業価値の重心を見る道具はそろった。ここからは、もう一歩踏み込みたい人向けに、部品を動かす力と、SOTPの応用的な使い方に触れる。

資本配分——「使う」ことと「創る」ことは別

経営陣がお金をどこに使うかは、上市品・開発品・現金・借金のすべてに影響する。ここで投資家がいちばん取り違えやすい点がある。

お金を「使う」ことと、価値を「創る」ことは同じではない。 買えば資産は増える。だが、支払った額を上回るキャッシュフローを生まなければ、価値は創られていない。

パイプラインを買っても、そのrNPVがそのまま企業価値に上乗せされるわけではない。たとえば、その開発品単体(スタンドアロン)のrNPVが1,000億円なのに1,500億円を支払うなら、買い手は差額の500億円以上を、開発の加速、成功確率の向上、販売シナジー、技術基盤といったものから生み出す必要がある。

つまり問うべきは「払いすぎたか」ではなく、支払ったプレミアムを回収できるかである。ここは前回のM&Aの回とそのままつながる。

これは買収に限らない。工場などの設備投資も、それが生む増分キャッシュフローが投資額を上回って初めて、価値になる。

だから、買収や大型投資のニュースを見るときは、金額の大きさより「この投資で何を伸ばすのか」を確かめたい。そして、その会社が過去に買った資産や導入品をきちんと育ててこられたか——その実績こそが、今回もプレミアムを回収できるかを見るいちばんの手がかりになる。

薬価政策——制度も上市品の価値を動かす

米国のIRA(2022年のインフレ削減法)では、一定の高支出薬がメディケアの価格交渉対象になる。低分子薬は承認後少なくとも7年、バイオ医薬品は11年で選定対象になり得るため、低分子薬の方が影響が早く現れる可能性がある。

選定されても売上がゼロになるわけではないが、将来価格が下がればNPVも低下する。見るべきは、対象候補への依存度と、影響を補う後継品・新製品があるかである。制度の詳細は薬価シリーズに譲る。

株価から市場の期待を逆算する

SOTPは、株価から逆向きに使うこともできる。まず、時価総額に有利子負債を加え、現金を差し引いてEV(企業価値)を求める。

EV ≒ 時価総額 + 有利子負債 − 現金

たとえばEVが3兆円、上市品などの推定価値が2兆円なら、差額は1兆円である。この差額には、パイプラインや初期研究に市場が置く価値から、全社共通費などの負担を差し引いた残りが表れている。

なお、ここで比較する上市品の価値は、借入金の返済前に生み出す事業価値として計算する必要がある。EVと比較軸をそろえるためである。

ただし、上市品の価値も推計にすぎない。1.5兆円と置けば差額は1.5兆円、2.5兆円と置けば0.5兆円になる。だから一点で決めず、幅を持たせる。

その幅を見て「将来成長への期待が大きすぎる」と考えるなら市場より弱気、「もっと価値がある」と考えるなら市場より強気になる。SOTPの目的は正解を出すことではなく、株価がどんな前提に支えられているかを考えることである。


おわりに——製薬業界を「つながり」で見る

製薬企業の価値は、今売れている薬だけでは決まらない。開発品、LOE、薬価、提携、M&A、そして資本配分が重なって将来価値を形づくる。

正確な評価は簡単ではない。それでも、価値を部品に分ければ、決算やニュースが「どこを動かす話なのか」が見えてくる。それが、このシリーズで伝えたかった製薬業界の地図である。


この記事の各パーツを、より深く

本稿の各部品は、シリーズ各回の内容をそのまま使っている。気になった項目から戻ってみてほしい。

上市品の価値(LOE・特許切れ)を決めるもの

価格と「実際にいくら残るか」を決めるもの

開発品の成功確率を決めるもの

医療現場で使われ、売上につながるまで

外部資産を取り込み、「取り分」を決めるもの

シリーズ全体の地図は第1回・目次から。


次に読むなら——「地図」から「実物」へ

このシリーズは、製薬業界を読むための道具立てを一通り揃えるものだった。ここから先は、その道具を実際の企業に当ててみる作業になる。

世界の大手を俯瞰する海外製薬メーカー・トップ20の地図、日本勢の現在地を見る国内製薬大手の地図が、その入口になる。

最後に、読んでくださった方に問いを一つ。

あなたが気になっている製薬企業は、上市品・パイプライン・財務のうち、どこに価値とリスクが偏っているだろうか。そして経営陣は、次に生み出すキャッシュをどこへ配分しようとしているだろうか。

その問いを持って決算資料を開くと、同じ数字がまったく違って見えてくるはずである。


参考資料

  • BIO / Informa Pharma Intelligence / QLS Advisors「Clinical Development Success Rates and Contributing Factors 2011–2020」(2021)
    ※本稿のフェーズ別成功確率の数値は本レポートをもとにした目安である。疾患領域・調査期間・対象によって変わる点に留意されたい。

  • Inflation Reduction Act (2022) および CMS「Medicare Drug Price Negotiation Program」
    ※選定要件の年数(低分子7年/バイオ11年、価格適用は9年目/13年目)は同制度の規定による。2025年の法改正により希少疾病薬の除外範囲が拡大され、この変更は2028年に適用される交渉価格の選定から反映される。


Hiro|製薬企業の経営企画担当(公認会計士)。製薬業界をビジネス視点で解説。

※本稿は公開情報に基づく業界・ビジネスの解説であり、特定銘柄の投資判断を推奨するものではありません。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事は noteマネー にピックアップされました

noteマネーのバナー