相互レビュ−投稿祭2026【もっと知りたい方に】。レビューの佇まい。息づかいと言葉づかい。

夜風見さんの文がわかりやすかったので引用します。

レビューや考察は、正解探しとは違う営みだと思います。

レビューはかなり創造的な活動だと思いまして、ある作品を受けて如何に各要素や受けたイメージを紐解いて再構築するかに掛かっています。ことクリエイターとすれば、そこで得た知見が次の創造の糧になる訳ですね。正誤より、感性整理かも?

https://note.com/yoll_cazami/n/n6e30a3a3ad95


例として、これらのカテゴリーをすべて網羅したレビューを書きました。全てを網羅したレビューを書かなくてもいいんですよ!!!!


下の記事はレビュアー?さんにインタビューした記事です。



音楽体験としてのレビュー(感情・音と言葉の情景)ー感覚の理解:息づかい空間


▶︎ムード(雰囲気、感情)

音が醸し出すムードがある。「軽快なギター」「安定感がありながら情緒的」「気持ち良すぎ」「この曲のテンションならこういう音来て欲しい! と、思ったところにバチーンとハマる音! リズム!」。(楽宮さんhttps://note.com/rakumiya/n/nf11632dc25c4#28193D29-11A4-466A-8DBA-458E339FD5FE

音ではなく、歌詞を指して「切ない」ことを言葉にした例。「緊張感」を感じる箇所を具体的に指し示している。(楽宮さん

おわァァァ切ない……
この最初の2行だけで、慣れ親しんだ2人が大切な、さらに言えば切り出しづらい話をするために集まったことがわかる。「いつも通り」と「言葉を選び始めた」という言葉の日常/非日常のコントラストがそっと緊迫感を生む、描写のセンスが光る一説だ。

https://note.com/rakumiya/n/nf11632dc25c4#28193D29-11A4-466A-8DBA-458E339FD5FE

週末と終末をかけていることを「面白い」と感じた。これは意味の解釈・受容(後述)というより、感情に近いだろうと思う。

このカテゴリーの一番単純な例が「好き」という表現。

これも「好き」の表現をより(相対的に)具体化したり「好き」の表現を「掴まれる」という言葉に変えたもの。

感情についてはNVC(非暴力コミュニケーション)が制作した感情リストを参考にしてもいいと思う。感情を言葉にしてみよう。https://nvc-japan.net/data/Feeling&Needs+intention.pdf

▶︎身体感覚・身体性

感情、と似ているけれど、ygchさんのレビューは感情、とは言い切れないものを含んでいる気がするので別カテゴリーにした。ygchさんの言葉は、曲が作る世界の情景を描いている気がする。感情、というよりも、体感。


声は合成音声だが、その歌う姿を想像して出てくる言葉だと僕は思う。

曲の音?から感じる、音空間における身体感覚。

「凛とした空気」がygchさんの身体感覚に関わる言葉。「生身の」は作り手の文脈に関するものだろう(作り手の____naturalが生演奏をしていることを指している?)。

音空間に身を浸した時の身体感覚を言葉にする。

森林浴!!!?(8年前????)

言葉に、しようぜ。

「心が洗われる」。

僕が書いた記事で身体感覚に関わるものはこれだろうか。


音楽体験としてのレビュー(思考・音と言葉の意味)ー言葉の理解:言葉づかい空間


▶︎意味の解釈・受容

歌詞から、自分が思ったこと。考えたこと。


これは言葉からygch さんが読み取った、解釈した、感じた、思ったことだろうと僕は思う。

これは歌詞の意味、物語をまとめた「理解」の表明だろうか。「私はこのように受け取りました」ということを簡潔にまとめている。

「苛立ちや怒り」はygchさんが言葉と音から感じ取った、読み取った、曲に込められた感情の理解。(ygchさんの「曲」の「理解」。)

作者の提示した文脈の受容を丁寧に表明しつつ、丁寧に自分事としてうけとる夜風見さん。(夜風見さんはレビューと冠しない)。経験を丁寧に、文字にしながら味わっている。

歌詞を積極的に受容し、「感じ」を言葉にしている。言葉の意味を受け止めているプロセス。(楽宮さん

あなたのことを時と共に少しずつ忘れてしまう不安が如実に現れている。歌詞の「いま、思えば全部が幸せだったな」という部分に少しの雑さが伺えて、幸せだったけど具体的に説明できないところに説得力がある。
多分人間はみんな好きな人が居なくなると幸せだったこと以外を覚えていられないのだろう。
そう思えば、「開け放った窓から風が吹いた
深く息を吸って背伸びをした」という歌詞も残酷に聞こえるかもしれない。「風」という流動的なもの、「息」という命を繋ぐものを出すことによって、思い出を取っておきたい気持ちと裏腹に自分を取り巻く時間だけが先に進んでいく無常さが表現されている。

https://note.com/rakumiya/n/nf11632dc25c4#A02521F4-0B18-4627-B102-1751E8950870



歌詞の意味については『砂の惑星』の僕のレビューが例になるか。

作者の言葉を受けて、僕が正直に思ったことを書いてレビューした例。

▶︎楽曲の音の分析(言葉と音の関係性)

このカテゴリーは「感情・音と言葉の情景」に入れるか迷ったけど、分析的、一次的でない思考が必要になるという意味でこちらに分類した。

以下、2つとも楽宮さん

このフレーズの「救える」の部分から、一気にギターとドラムが入ってきて楽器隊の力が強くなる。この部分の静かな音、静かな歌詞、静かな情景とのコントラストをしっかり表現して次のフレーズへ向かっていく。

https://note.com/rakumiya/n/nf11632dc25c4#F14B16D0-A9C5-4642-9300-E1334F0F4C80

いわゆる「落ちサビ」と呼ばれる部分である。前半はほとんどピアノのみで「君」の控えめで健気な印象を、後半は他の楽器も合流して「気づいて欲しい」という訴えを力強く乗せていく。

https://note.com/rakumiya/n/nf11632dc25c4#F14B16D0-A9C5-4642-9300-E1334F0F4C80

「め」さんのレビューは楽曲分析を通じて曲を「理解」するアプローチが印象的だ。


音楽体験としてのレビュー(その他)

▶︎「作者」への問い・おもい


新見凶犬さんは、ずっと歌愛ユキを使って曲を作り続けている人。「どうして音楽を作るのか」をygchさんは疑問に思ったのだと僕は思った。

僕は(雑)談配信で人を待っている間、僕の曲を流している。その時、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた人がいる。僕の曲を聴いて、精神的に参っていて弱っていると思って声をかけてくれたらしい。(まぁいつも大抵参っているから困る)。作り手自身への問いかけ、言葉掛け。



文脈・説明としてのレビュー

曲(作品)の文脈を補うもの(説明)としてのレビューという営みがある。

例えばこの記事(レビュー)

ここには展示会の「意義」が書かれている。まずこの展示会に至った経緯、背景が説明され、その後にこの展示会が「伝えたいこと」を展示会を訪れた人が「理解」することを促す文章が続く。(この記事には次に説明する「社会的意義」も含まれている気がする)

ygchさんのこのレビューは現在の曲に至る文脈の話。(すごい、2022年の曲を覚えていたのか??)

作者自身が自分の作品が生まれる文脈を書いた記事(結サさん)

食パン丼さんが『僕の食卓』を作るに至る文脈を自身で書いた記事↓


その曲が対多数に対して与える影響。曲を大きな文脈の中で位置付ける。

そもそも「歌」って何だっけを問う。「歌」の歴史という文脈から曲を捉えた。

キミナミさんの『深海は無い』についてのこの記事はこの種のレビューになると思う。曲の「テーマ」、曲を作るに至る「動機」、キミナミさんがこの曲を作った文脈。




批評・批判としてのレビュー

批評には2つのあり方がある。と僕は思う。

▶︎小林秀雄の批評(レビューの書き手にとっての価値を問う)

このレビューの一形態はあまり使われていないように思う。批評という文学ジャンルを作った?小林秀雄という人がいる。「美しい「花」がある。「花」の美しさというものはない」で有名な人だ。

ChatGPTに「小林秀雄の批評という文学ジャンルが意味すること」とプロンプトをうって出力した結果。批評とは「思考の運動」であって、「感情の運動」ではない。

■ 1. 「批評」は“評価”ではなく“思索の文学”である
一般的な「批評」は、作品を分析し評価する“評論”に近いものとして理解されがちです。
しかし 小林秀雄の批評は、文学作品の価値判断や分析ではなく、自らの思索を文学的に記述する行為 でした。
作品を「説明する」のではなく、作品と向き合うときに生まれる“自分の思考の運動”を言葉にする
・分析的・客観的というより、直観的・哲学的・文体的な試み
・批評そのものが一つの独立した文学作品になる
彼にとって批評とは criticism ではなく、むしろ essay や 思想の記述 に近い性格を持ちます。

小林秀雄は、作品を分析して構造を説明する批評を拒みました。
その代わりに 作者の“ものの見方”“精神の運動”に触れること を批評の目的としました。
有名な言葉に
「芸術家の精神の運動を、我々の精神の運動として追体験すること」
があります。
つまり批評とは、
作品を読むことで、自分の精神に起こる変化そのものを書くこと なのです。

小林は「批評も創造である」と繰り返し述べました。
なぜ創造なのか
批評家は作家の思考を受け取るだけでなく、
それを自分の言葉で再構成する新しい表現者 である

読む行為が新しい作品を生む、という考え方
結果として、小林秀雄の文章は
随筆、哲学、文学作品の境界が曖昧な“思索の文学” のジャンルをつくったと評価されます。


曲の言葉から、振り返って色々考える。これも一つの音楽体験だ。僕の記事では「伝わらなさ」「伝えたいこと」というテーマで僕が考えてきたこと。感じてきたことを書いた。これは批評の類ではないか。どうかしらん。

ふらいぱんQさんのレビューは、「連想」が含まれている。ふらいぱんQさん自身が何を考えているか、そのプロセスを追う、という点で、批評に値すると僕は思う。


▶︎従来の批評(レビューの読み手にとっての価値を問う)


批判、にちかいニュアンスを持つ。というか従来の批評は柔らかい批判だろう。と僕は思った。

またもやChatGPTを使用。

▪️批判(critique / criticism)
問題点・誤り・不足を指摘すること。是非を判断する行為。
何が良くないのか、何が間違っているかを示す
対象を評価し、改善点や否定すべき点を挙げる
道徳的・社会的判断が入りやすい

■ 批評(criticism / review, critique)
対象を読み取り、その価値・意味・背景を“理解し、解釈し、語る”行為。
良し悪しを断じることよりも、意味を掘ること
対象に“寄り添い”、理解するための言葉をつくる
芸術・文学・思想の世界で用いられることが多い


漢字を研究した白川静さんがこんなことをいったらしい。

批判にしても批評にしても自己の再形成に役立つものであってほしいとおもう。

曲(作品)の「理解」の「観点」による「良し悪し」としてのレビューを僕は書いたことがある。「ん?ここどうなん?」と思った時に書くレビューという営みがある。このレビューを書く際には、観点を明確にする必要がある。「歌詞が薄い」というときに、歌詞の薄さとは何なのかを明確に示さなくてはならない。歌詞が薄いとどうなるのか。その観点の持つ価値を示さなくてはならないと僕は思う。

これは僕が高校演劇をみて書いた批判めいたレビュー(今思うと、上の定義によれば批判だ)。結局、僕がどういう観点で演劇を見ているかを伝えることになった。その観点が、高校生たちの演劇観と異なっていたら、僕のレビューは彼ら彼女らにとって価値はない。

僕の演劇観によれば、僕がみた演劇はここがこうだった。という書き方になる。「観点」があるならその良し悪し、というよりも到達度を述べることができる。(良し悪し、ではない。到達度が低いことを「悪い」というのは「悪い」という言葉に悪い)。

例えば。僕が曲を聴くとき、「声が聞き取れるか」という基準を持って聴く。声が聞きれない曲を聴くたびに「この曲の作り手は声にどんな価値を持っているんだろうか」と聞きたくなる。僕の価値観はこうだ。「音楽って、きくものじゃないの?」。「いや、これは動画であって、音楽ではない」という答えが返ってくるかもしれない。僕は第一に、音楽として動画を「聴いている」。音楽としての価値基準で「声が聞き取れるか」が重要になってくる。


いいなと思ったら応援しよう!