アファンタジアとSDAMは才能である
1. 私の考え
自分は生まれながらにして二つの才能を授かった。(*1)
心の目や心の耳に揺さぶられない才能(アファンタジア)と、過去に揺さぶられない才能(SDAM)で、何の努力もせず最初から自動的に備わっていた。(*2)
この才能のおかげで、これまで生きやすかったと思うし、いまも生きやすいと感じている。(*3)
もしこの二つがなかったら、おそらく人生のあらゆる場面でグワングワン揺さぶられていたに違いない。(*4)
そうでなくて本当によかったと、いまもしみじみ思っている。(*5)
おそらく、自分の生来の気質とも相性がよかったのだと思う。(*6)
※ 出典(2026年3月22日)https://x.com/imageless_img/status/2035688914305118513
https://x.com/imageless_img/status/2035688980164035032
2. 脚注
(*1)
" 自分は生まれながらにして二つの才能を授かった。"
ここでは「生まれながら備わっていた性質」という意味で「才能」という語を使った。
(*2)
" 心の目や耳に揺さぶられない才能(アファンタジア)と、過去に揺さぶられない才能(SDAM)で、何の努力もせず最初から自動的に備わっていた。"
(※ おそらくだが、生涯を通じて感覚的(例:五感)な夢をみない才能も備わっている。また、過去のみならず、現在や未来の心的体験(mental time travel)も経験しないという才能も備わってる。)
よく目にする意見として、「努力できること自体が才能だ」「続けられること自体が才能だ」という考え方がある。これに同意する。
余談だが、SNSのお絵かき界隈等では、「頑張った自分」と「頑張ってないお前ら」を峻別し、自分は「才能も」あるが、お前らと違って「死ぬほど努力した」云々を過激にアピールする人もいるが、私から言わせればそれも「才能」であり「運」である。
そもそも、たとえば
「生存しており、それが持続する見込みがある(死んでない状態、ただし死にたい人は除外)」
「呼吸ができる(過呼吸に襲わてない)」
「意識がある(うつ等で朦朧としてない)」
「目もある」
「手がある」
「買い物に行ける(身体が動き、カネもある)」
「SNSをウロウロできる(ゆとり時間がある)」
「とりあえず処世できてる(これを著しく困難にする障害もない)」
「絵がうまい」
「戦争してない国で暮らしてる(爆撃されない)」
「普通に食事できるのみならず、おやつも楽しめる」
等々、こうした条件のいくつかが持続的に揃っているだけでも、すでに十分に恵まれている。
自らの「才能(多くは当たり前すぎて気づかない)」と「運(その多くは自分の力ではどうにもならない環境であったり人間関係であったり)」に感謝したほうがよい。
(*3)
" この才能のおかげで、これまで生きやすかったと思うし、いまも生きやすいと感じている。"
ここの因果関係は証明されていない。つまり私の主観であり、思い込みである。それを率直に書いた。客観性はなく、ただ私がそう感じているだけ。
(*4)
" もしこの二つがなかったら、おそらく人生のあらゆる場面でグワングワン揺さぶられていたに違いない。"
ここも (*3) と同じく因果関係は証明されていない。ただし、私の主観をある程度支持しうる知見(アファンタジアに関する研究論文など)は複数ある。
(*5)
" そうでなくて本当によかったと、いまもしみじみ思っている。"
これは本音で、心の底から本当にそう思っている。正直、ちょっとズルいかもしれない、と思うこともある。
過去の出来事や未来への不安などによって、PTSD・強迫症・不安症・パニック症などに苦しむ人は多い。私はこれまでそういった心のトラブルがない。
もちろん私に備わった (*2) の「才能」がそれら心のトラブルへの耐性となっている客観的証拠はない。これは (*4) で述べた通り。
(*6)
" おそらく、自分の生来の気質とも相性がよかったのだと思う。"
これは個人差ということで確実にあると思う。
ここでいう個人差とは、才能(生来の気質や健康状態およびそれによって育まれた後天的な性格など)のほかに、運(環境や人間関係といった後天的な何かによってもたらされた境遇や人格など)も含んだ広義。
3. 「私の考え」に対する、客観的知見に基づく評価
4. 所感
本稿は、竹数さんによる以下の no+e 記事を読んだあとに、「そういえば…」という連想から、気ままに(勢いで)書きあげたものです。
