夏目漱石の『坊ちゃん』の先生たちが魅力的でした|前作『吾輩は猫である』との違いも比較と考察をしてみた
最近は古典も好きでいろいろ読んでいます。夏目漱石の作品『坊ちゃん』を読みました。先日は、同じ夏目漱石作の『吾輩は猫である』は少し根性を出して読みました。
読んでみたら文章を読むのが意外に大変でオーディブルで再挑戦してようやく読み終わりました。(記事にもしてますのでよろしければ>>こちらをどうぞ)
『坊ちゃん』の方は、『吾輩は猫である』より平易でしたので、面白く読ませていただきました。この読みやすさの違いはどこからくるのでしょう?
『吾輩は猫である』は1905年の作品で、その翌年に出版したのが『坊ちゃん』です。この1年に何かが変わったのでしょうね。
『吾輩は猫である』の方は、俳句雑誌のホトトギスに連載されたようです。知識人向けの内容だったのが、結構受けたので、一般大衆向けに『坊ちゃん』を出版されたのでそこに違いがあるのかもしれません。
<オーディブル版>
<キンドル版>
学校の先生の家に生まれた子供が、無鉄砲な性格そのままに中学教師になった物語
「親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。」
この坊ちゃんの出だしは有名だと思います。坊ちゃんというと、子供の物語を連想してしまいます。実際は、その坊ちゃんが成長し中学の先生(数学)になります。その後、四国の学校に赴任するようになり、その数カ月が本書のメインストーリーです。
無っ鉄砲だけど、人情の熱い先生
坊ちゃん先生は、成長しても無鉄砲というか、自分で決めたことは、その心情を曲げない性格でした。絶対その心情を曲げないので無鉄砲なのかもしれません。
しかし、その一本筋の通った性格が読んでいると頼りがいのある存在に思えていきます。先生は、他の先生にあだ名をつけます。例えば校長は狸、教頭は赤シャツなどです。そのあだ名で終始呼んでいるので面白く親しみがわきます。
世の中どこでもいる嫌な奴
本を読んでいると、今も昔も人との関わり合いは変わらないのだなと改め思いました。赤シャツと称される先生が教頭先生なのですが、結構イヤな奴です。そのあしらい方がけっこう面白かったです。
自分を曲げずに生きていくと、時に多くの反発を買うこともありますが、自分に味方をしてくれる人も出てきます。良い人生にする意味からすると、自分の信念に忠実に生きることが大切なんだということが良くわかりました。
気になる方言「〜なもし」、「〜ぞなもし」
語尾に「もし」が付く方言あるようです。なにか懐かしい響きがします。どうやら愛媛県の方言らしいです。明治時代までは使われていたみたいですが、今は使われてないようです。
この方言がなぜか気になりました。もしかしたら聞いたことあるかもしれません。まさか坊ちゃんで登場しているとは思いませんでした。
「坊ちゃんは」「吾輩は猫である」より身近なので読みやすかったです
先日読んだ『吾輩は猫である』は、最初の方は珍妙で面白いのですが、ずっと猫目線なのでちょっと飽きるというか、人間の部分と猫同士の掛け合いの部分があり、正直理解が追いつかない部分もありました。
しかし、『坊ちゃん』は人目線ですし、登場人物も実際いそうで個性豊かです。なので、最後まで面白く読むことができました。もし『吾輩は猫である』を完読できなかったとしても、『坊ちゃん』は面白く読めるかもしれません。
夏目漱石シリーズの他の作品の感想はこちら
せっかくなので、夏目漱石シリーズの作品を集めてますので、よかったらどうぞ。感想が書けた者から出現してきます!
1. 吾輩は猫である(1905年)
主人公は名前のない猫。中学教師・珍野苦沙弥の家に飼われる猫の視点から、人間社会の滑稽さや矛盾をユーモラスかつ風刺的に描きます。最後はあっけなく終わるみたいですね!
2. 坊っちゃん(1906年)
江戸っ子気質で正義感が強い主人公「坊っちゃん」が、四国松山の中学校に数学教師として赴任し、同僚教師や生徒たちの中で騒動を起こしながらも自分の信念を貫く物語です。
3. 草枕(1906年)
画家である主人公が熊本県の温泉地を旅しながら、芸術や人生について思索を深めていきます。
4. 二百十日(1906年)
二人の男が阿蘇山に登る道中で、自然の厳しさや人間の滑稽さを体験する短編小説です。
5. 野分(1907年)
東京で暮らす青年たちの友情や恋愛、理想と現実の葛藤を描きます。
6. 虞美人草(1907年)
新聞連載小説です。複雑な人間関係や恋愛、金銭問題を背景に、近代知識人の苦悩や社会の矛盾を描きます。
7. 坑夫(1908年)
若者が鉱山労働者として働く体験を通じて、社会の底辺や人間の本質を見つめるリアリズム色の強い作品です。
8. 三四郎(1908年)
九州から東京帝国大学に進学した青年・三四郎が、都会の知識人社会や恋愛、自己の未熟さと向き合います。「ストレイシープ(迷える羊)」しゃれた英語が飛び出します。漱石の前期三部作の第一作目です。
9. それから(1909年)
裕福な家庭に育った長井代助が、親友の妻・三千代への恋と社会との葛藤の末、安定した生活を捨てて愛を選びます。漱石の前期三部作の第二作目です。前期三部作は、登場人物は全く異なりますが、ストーリーは繋がっているかのようです。
10. 門(1910年)
過去の罪(親友の恋人を奪ったこと)を背負い、社会から距離を置いて暮らす宗助と御米夫妻の静かな日常と、救いを求めて禅寺を訪れる宗助の心の葛藤を描きます。漱石の前期三部作の第三作目です。
11. 彼岸過迄(1912年)
複数の人物の視点から、家族や恋愛、人生の意味を探ります。結婚に踏み切れない男女や、知識人の深刻な苦悩を描きます。漱石の「後期三部作」の一作目です。
12. 行人(1912-1913年)
兄弟や家族の関係を通じて、人間の孤独や不安、自己探求を描きます。妻を愛しているが、その妻を信じることができないという心理描写に重点を置いた作品です。漱石の「後期三部作」の二作目です。
13. こゝろ(1914年)
「先生」と「私」の交流を軸に、明治から大正への時代の変化や個人の孤独、罪の意識を描きます。友人「K」との友情をとるか恋愛をとるかの心の葛藤に苦悩します。漱石の「後期三部作」の三作目です。
14. 道草(1915年)
漱石自身の体験を色濃く反映した自伝的作品です。家庭や親族との関係、作家としての苦悩が率直に描かれています
15. 明暗(1916年、未完)
夫婦の心理的葛藤や人間関係の複雑さを描きましたが、漱石の死により未完となった作品です
3行日記:日々感謝が本当に本当に大切だと思うこと
日々感謝です。本当に。今こうして平和に生活できていること。今日、明日でやることや、楽しみなことがあることは本当に幸せなこと。
そんな日常生活があることを幸せに感じたいと思います。
なんか意味不明なこと言ってすみません。思ったことを書いてみました。
1年前:400日達成記念だったようです
1年前の今日あたりは、400日連続投稿達成記念だったようです。今が765日目くらいなので、計算は合っている!
765日を見て、800日目指そうと思う一方で、時間ばかり経過しているという後ろ向きの気持ちも出てきます。不思議なものです。
でも、何か目標をもって取り組めることは大切なことだと思うので今日も一日楽しんでいきたいと思います!
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