『三四郎』で感じた恋と未熟さの明治リアリズム|夏目漱石 前期三部作の出発点
夏目漱石の『三四郎』を読みました。感想を書いてみたいと思います。
『三四郎』は前期三部作の1作目で、『それから』『門』と続き、淡い恋から深い恋愛の苦悩へ移っていきます。
今日の記事では「三四郎」を読んでの感想と、このシチュエーションはたまったものではないと思うところを書いてみたいと思います。
『三四郎』の作品リンク
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熊本から東京への若い学生の状況物語
三四郎は高校を卒業し、東京の帝国大学に進学するため東京へ行きます。東京での大学生活というと今でもありそうなケースですが、当時、東京の帝国大学とは現代の東京大学にあたるので超エリートですし、今の東大生よりもさらに特別な存在だったと言えます。
進学率を調べてみるとこんな感じでした
尋常小学校・・・98%(12歳卒業)
高等小学校・・・20%(14歳卒業)
旧制中学校・・・8%(17歳卒業)
旧制高等学校・・1%(20歳卒業)
大学・・・・・・0.1%(23歳卒業)
大学院・・・・・極小(25~27歳卒業)
現代では大学進学率が約60%、大学院が約10%くらいなので、いかに大学卒業生が学士様といわれていたかがわかりますね!
超エリートなのだが、まだ初心(うぶ)で大人の免疫の少ない三四郎
成績はトップクラスなのですが、世渡りというか、社会経験値はゼロに等しい三四郎です。東京は当時から進んでいて、上京は最先端に触れる新鮮体験でした。
この物語は世渡り物語でもあり、恋愛物語でもあります。東京の女性は進んでいて、その振る舞いは三四郎を気恥しくさせます。シティガールといってよくて、三四郎を翻弄させます。
思わせぶりな態度がすごいというか、女性の魔性的な振る舞いにどう反応してよいやら困る姿は、時代は変わっても同じなんだなと親近感を覚えました。
初対面の女性と一夜を同じ布団で共にするってどういう状況?
特に印象深かったシーンは物語冒頭に訪れます。三四郎が名古屋である女性と同じ宿に泊まります。部屋がなく同じ布団で寝ます。これを1908年と今から100年以上も前に書いているのです。
おそらく読者は、何かあるぞと期待マックスだったのかもしれません。とはいえ、これは現代感覚かもしれません。当時は、そこまでオープンではないのと、何か事を起こすと色々面倒かもしれないからです。
結局、何も起こらないのですが、女性は別れ際に「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」とたしなめられるのです。
世の男はどう思うでしょうか。ちょっと複雑な心境だと思いませんか?
明治の貞操観念は今と違い、何もなかったと考えるのが妥当そうです(本当かなぁ)。しかし2000年代なら何か起きてもおかしくない状況かも。
ただ、2026年の今はかなり微妙です。逆に何か起こる可能性は下がるような気がします。なぜなら現代は「同意」が必要な時代です。無理に踏み込めば、すぐに事件になってしまいます。
草食系男子が増えている今、意外と明治と同じかもしれませんね。
そんなことを、ついあれこれ妄想してしまいました。
おしゃれな英単語が飛び出してくる物語
さすが帝国大学が舞台の物語。随所に英語が会話の中で出てきます。初心で成長途上の三四郎を、進んだ女性が物足りなさげに『ストレイシープ(迷える羊)』と評します。
三四郎は最初意味が分からず、のちに意味が分かりだして機嫌をそこねていきますが…。
ただ、この都市的で考え方が進んでいる女性から、経験の浅い男性に対してあしらう姿は、現代にも通じるところがあって、いつの時代も青春時代はあるものだなとおもったのでした。
次作「それから」の代助と三千代の若いころを思わせる
三部作の2作目「それから」を読んだ後に、三四郎の感想を書いています。若い時代はいろいろな「いいこと」が起きます(「いいこと」とは、後で振り返るとという意味です)
そこで、チャンスをしっかりつかんだ人が良い人生を歩めるのだなと思いました。三四郎よ、もっと勇気をだしてがっちり彼女のことを掴んでおけばよかったのに…などという感想を持ちました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
夏目漱石シリーズの他の作品の感想はこちら
1. 吾輩は猫である(1905年)
主人公は名前のない猫。中学教師・珍野苦沙弥の家に飼われる猫の視点から、人間社会の滑稽さや矛盾をユーモラスかつ風刺的に描きます。最後はあっけなく終わるみたいですね!
2. 坊っちゃん(1906年)
江戸っ子気質で正義感が強い主人公「坊っちゃん」が、四国松山の中学校に数学教師として赴任し、同僚教師や生徒たちの中で騒動を起こしながらも自分の信念を貫く物語です。
3. 草枕(1906年)
画家である主人公が熊本県の温泉地を旅しながら、芸術や人生について思索を深めていきます。
4. 二百十日(1906年)
二人の男が阿蘇山に登る道中で、自然の厳しさや人間の滑稽さを体験する短編小説です。
5. 野分(1907年)
東京で暮らす青年たちの友情や恋愛、理想と現実の葛藤を描きます。
6. 虞美人草(1907年)
新聞連載小説です。複雑な人間関係や恋愛、金銭問題を背景に、近代知識人の苦悩や社会の矛盾を描きます。
7. 坑夫(1908年)
若者が鉱山労働者として働く体験を通じて、社会の底辺や人間の本質を見つめるリアリズム色の強い作品です。
8. 三四郎(1908年)
九州から東京帝国大学に進学した青年・三四郎が、都会の知識人社会や恋愛、自己の未熟さと向き合います。「ストレイシープ(迷える羊)」しゃれた英語が飛び出します。漱石の前期三部作の第一作目です。
9. それから(1909年)
裕福な家庭に育った長井代助が、親友の妻・三千代への恋と社会との葛藤の末、安定した生活を捨てて愛を選びます。漱石の前期三部作の第二作目です。前期三部作は、登場人物は全く異なりますが、ストーリーは繋がっているかのようです。
10. 門(1910年)
過去の罪(親友の恋人を奪ったこと)を背負い、社会から距離を置いて暮らす宗助と御米夫妻の静かな日常と、救いを求めて禅寺を訪れる宗助の心の葛藤を描きます。漱石の前期三部作の第三作目です。
11. 彼岸過迄(1912年)
複数の人物の視点から、家族や恋愛、人生の意味を探ります。結婚に踏み切れない男女や、知識人の深刻な苦悩を描きます。漱石の「後期三部作」の一作目です。
12. 行人(1912-1913年)
兄弟や家族の関係を通じて、人間の孤独や不安、自己探求を描きます。妻を愛しているが、その妻を信じることができないという心理描写に重点を置いた作品です。漱石の「後期三部作」の二作目です。
13. こゝろ(1914年)
「先生」と「私」の交流を軸に、明治から大正への時代の変化や個人の孤独、罪の意識を描きます。友人「K」との友情をとるか恋愛をとるかの心の葛藤に苦悩します。漱石の「後期三部作」の三作目です。
14. 道草(1915年)
漱石自身の体験を色濃く反映した自伝的作品です。家庭や親族との関係、作家としての苦悩が率直に描かれています。
15. 明暗(1916年、未完)
夫婦の心理的葛藤や人間関係の複雑さを描きましたが、漱石の死により未完となった作品です
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