【小説】8月某日の夢 第4話

「よっしゃー! 明日は休みだー!!」
 教室に入ろうとすると、そんな声が響き渡った。気持ちは分かるけど、学校に着いて第一声にそれ言う? なんて思いながら、私は教室に入った。
 まだ朝とはいえ、紬貴くんを見かけていない。いつもなら、私とほぼ同じ時間に登校しているはずなのに。
 少し寂しくなった私は自分の机にカバンを置いた後、廊下に出て窓から外を覗き込んだ。広々とした校庭を眺める。
 すると、校庭の隅に植えられた木の下で立ち尽くしている紬貴くんを見つけた。
 木陰で涼んでいるようにも見えたが、彼の手にはスケッチブックと鉛筆。上を見上げては、スケッチブックに視線を落とす。それを何度も繰り返していた。
 ——新しい絵を描いているんだ。
 そう気づいた私は、思わず見惚れてしまった。
 すぐに描きたいものを見つけて、紙に写せてしまう。私には到底できないことを、彼はさらさらとやりこなしてしまう。


 しばらくして、ふと紬貴くんの鉛筆を持つ右手が動きを止めた。その後、スケッチブックをパタンと閉じて振り返った。
「あっ……」
 その時、外にいた紬貴くんと目が合ってしまった。歩き出そうとした紬貴くんは、驚いたように足を止めた。
 どうしよう……私がずっと見ていたなんて知ったら、紬貴くんは気味悪がったりするのかな。
 だけど、私がソワソワと心配している時に見たのは、紬貴くんの優しい笑顔だった。
 紬貴くんは、私に手を振る。私も慌てて振り返す。その次に、紬貴くんは走って私の方に駆け寄ってきた。
 私は廊下の窓を開け、しどろもどろになりながらも「おはよう」と声をかけた。
「おはようございます」
 挨拶が言い終わる前に、紬貴くんは自分のスケッチブックを開いた。
 色鮮やかなページを見つけ出して、私に見せる。
「新しい絵が描けました」
 それは、木漏れ日の絵だった。たくさんの青々とした葉の中を通り抜ける一筋の光が、なんとも美しかった。風が吹いたら、今にも揺れ動きそうな木々。
 手書きの温かみがありつつ、絵の中の植物たちは確かに生きている。
 紬貴くんは木陰で何度も上を見上げて、この景色を描いていたんだ。彼にとって、世界はいつでもこんなに美しく見えているんだろうか。
「すごく、綺麗……」
 絵の感想はいくらでも浮かんでくるのに、実際の私は言葉を失ってしまっていた。言葉を必死にかき集めても、ほぼつぎはぎの状態になってしまう。もともと話すのが苦手だからかもしれないけど。
 私は、嬉しそうにする紬貴くんの笑顔と絵を見つめながら、今持っている言葉を使い尽くした。

「そんなに褒めてくれるとは……嬉しい限りです。これも文化祭で展示しましょうか。……でも、あまり飾りすぎると、高坂さんたちの展示スペースが無くなってしまいますね」
 いたずらっ子みたいに笑って、紬貴くんはスケッチブックを閉じた。
 すると、後ろから男性の明るい笑い声が響いた。振り向くと、そこには私たちに笑いかけるクラス担任の先生がいた。
「2人とも、窓越しに話すなんておしゃれじゃん。でも、そろそろホームルーム始まるから帰ってきてね」
「分かりました」
 先生は紬貴くんの返事を聞くと教室に入り、紬貴くんはすぐに駆け出していった。実は、私たちの教室と校庭への出入り口はかなり近い場所にある。紬貴くんは1分もしないうちに教室の前まで走ってきた。
「それじゃあ、入りましょうか」
 私を教室の方へと手招きする。私も紬貴くんに続いて教室に入った。


 ホームルームが終わって、紬貴くんに話しかけに行こうと近づいた。
 だけど、当の本人は突っ伏して顔を埋めている……。もしかして寝てる?
 そう思った私の考えを否定するように、紬貴くんが顔を上げた。
「英語、嫌です」
 開口一番に、私に顔を向けることもなく呆然とそう言った。まるで、私が近づいてきたことに最初から気づいていたように。
「待って待って、英語は5時間目だよ。落ち込むにはまだ早いよ」
 元気づけるつもりで言ったけど、ただ真正面を向いたままだった紬貴くんは顔を覆って俯いた。
「苦手な教科に向かって時間が進んでいるのが嫌なんです。せめて1時間目だったら、残りの時間は苦手な教科から解放された気持ちで過ごせる。だけど、5時間目ですよ? 落ち着いて過ごせるの、6時間目だけじゃないですか」
 確かに、それなら1時間目の前から落ち込むのも納得。それにしても、そんなに英語が苦手だったんだ……初めて知った。
「さてと、」
 紬貴くんはすでに疲れた顔をして立ち上がった。
「教科書を取りに行きましょうか。1時間目は国語。英語よりも頑張れることを祈りましょう………………」
「そう……だね」
 教室の後ろにある自分たちのロッカーには、教科書が詰め込まれている。
 私は紬貴くんの背中をそっとさすりながら、一緒に歩いて行った。

 しまった、と思ったのはその後すぐだった。
「あ、ありがとうございます。さすってくれて……」
 嬉しいのか、戸惑っているのか、どちらの感情か分からない。そんな声で、紬貴くんが声をかけてきた。
「え、あ、あ! ごめんなさい……」
 私は慌てて手を離した。
 そうだった。私にとっては、紬貴くんは仲の良い友達……親友だ。だけど、今の紬貴くんから見たら、私とはまだ出会って数日。
 ……こんなスキンシップみたいなことされたら、嫌だよね。
 3年前は……………………
「ああ、いや、その、嫌だっていう意味じゃなくて……そのままの意味で、お礼が言いたかっただけで……」
 逆に気まずい雰囲気になってしまった。
 その後、紬貴くんは申し訳なく思ったのか、明るい話をしてきた。私も、気遣わせて申し訳ない、という気分になったけど、紬貴くんが何も気にしていないようにいつも通りに振る舞ったから。私は、いつも通りに笑うことができた。


 気がつけば、チャイムが1時間目の授業が終わる合図を告げていた。
 今回は、なかなかに騒がしい授業だった……。教科書の小説を読んで、登場人物の心情を考える授業だった……はずが、主人公と幼馴染の女の子は両思いだったのか否かで大議論が始まるなんて。でも、3年前もこんな感じだった気がする。
「……で、どう思います? 俺は、幼馴染と部長とやらが付き合っていたと思うんですけど」
「あ、そっち?」
 別の視点からの議論は、私たちの方で続いていた。
 だけど、私は、そもそもあの小説に恋愛要素があったのかが気になっていた。
 引っ込み思案な主人公は、中学校に入学して早々に友達をたくさん作っている幼馴染を遠くの存在のように感じていた。部活の部長を始めとした、先輩とも仲良くなり、反対に主人公は独りになっていく。いつもそばにいた人が離れているように感じる……そこから何度も葛藤し、主人公は思い切って友達を作り始める。
 ざっくりと言えば、そんな物語だ。
 主人公と幼馴染が仲良しなのは、幼馴染だから。幼馴染と部長が仲良かったのは、そもそも幼馴染が先輩と友好な関係を築いていたから。
 そう考えると………………
「私は……あまり恋愛感情があるようには見えなかったな。でも、確かに幼馴染は先輩の誰かと付き合いそうだよね」

 しばらく紬貴くんと話し合って、結論は「いずれ主人公は幼馴染に告白するだろう」ということになった。
 やっぱり、紬貴くんとはどんな話をしても楽しい。
 だけど………………男女の友情って本当に成立するのかな? と、そんなことを考え始めてしまった。
 恋愛に憧れている人も多いから盛り上がってしまうのが事実とはいえ、やっぱり異性同士で仲良くしているのを”恋愛”と捉えられるのは、ちょっと。
 思い出さないようにしよう。きっと、もう一度、やり直せるんだから。


 5時間目。
「What's wrong? How are you?」
「え、えっと……アイム……なんて言うんだっけ、ちょっと眠くて…………」
 がんばれ、紬貴くん!
「Oh, you are a little sleepy, right?」
「……イェス……多分そう」
 ちゃんと会話できてるよ! その調子!
「OK! Please rest your body slowly.」
「あ、えっと……ありがとうございます…………??」

「これで5時間目の授業を終わります。ありがとうございました」の『た』で、座り込んで突っ伏したのは紬貴くんだった。
「お疲れ様〜……大丈夫だった?」
「大丈夫じゃないです………………」
 なんで俺ばっかり〜、英語苦手なのに〜、などと呟きながら、さらに顔を埋め込んでいく。え、なんか可愛い。
「ちゃんと会話できてたよ、自信持って!」
 そう言って私は、思わず紬貴くんの頭を撫でてしまった。
 少し驚いて、紬貴くんは顔を上げる。
「ありがとうございます……」
 声や言葉は嬉しそうだった。でも、表情は相変わらず疲れたままだ。
「あと1時間だけ頑張ろう!」
「そうですね、もう英語に怯えなくて済むし……」
 そう言ってやっとの思いで立ち上がった紬貴くんを、私は支えて。そして、また一緒に歩き出した。


 6時間目は理科だった。
 理系が好きな紬貴くんは元気そうに授業を受けていたが、実験に失敗したらしい。授業が終わった後、疲れ切った顔で私に近づいてきた。

「それで、理科で何があったの? 慌てていたように見えたけど……」
 帰り道で、実験失敗の詳細を訊いた。でも、本当は目星がついている。
「いや、まさかフラスコが急に割れるなんて、誰も想像しないでしょうに……本当に焦った………………」
 ついには『損害賠償しないといけないな……』とまで言い出した。紬貴くんの周りの空気感がどんよりとしている。
 やっぱり……。理科室に響いたガラスの割れる音と、水浸しになった床。その近くで慌てていたのは、確かに紬貴くんだった。
 ガラスの破片が危ないから、片付けは理科の先生が。私もできることがあれば、手伝いたかったけど……
「でも、怪我が無くて本当に良かったよ〜」
 私はほっと胸を撫で下ろした。そう、損害賠償より大切なのは怪我をしていないか。ほぼ間近でフラスコが割れたというのに、紬貴くんは傷1つ無かった。
「俺、瞬発力だけはあるんで……運動とかできないけど。でも、結局なんでフラスコ割れたんでしょうか?」
「う〜ん、経年劣化?? ……気持ちは分かるけど、まずは自分の心配だよ。紬貴くん」
 猫背になってるよ、まだ項垂れている紬貴くんの姿勢を真っ直ぐに直した。
「うぅ……ありがとうございます」
 その後、私はなるべく明るい話題を振ってみた。
 紬貴くんは失敗したことを引きずらない人だけど、今回はかなり申し訳なく思っているみたいだったから。 

 やがて、いつもの分岐点に差し掛かった。
 その頃には紬貴くんもいつもの笑顔に戻っていた。……でも、青信号に変わるまでが、あまりにも短く感じた。
「じゃあ、一週間お疲れ様でした。また来週」
 手を振って、颯爽と走っていく紬貴くん。
 名残惜しかった、彼の後ろ姿を静かに見送るのは。
 寂しくなる前に、私は早々に歩き出した。

 早く、月曜日になってほしい。

 切実にそう願いながら。



第5話
https://note.com/light_hyssop657/n/n3d09fd335414

第6話
https://note.com/light_hyssop657/n/ncc0d4b0cdf9c

第7話
https://note.com/light_hyssop657/n/ndb8389d87e68

第8話
https://note.com/light_hyssop657/n/nfb16c41b9eaa

第9話
https://note.com/light_hyssop657/n/nc5deecf1fa95

第10話
https://note.com/light_hyssop657/n/n11c9e1d2c389

第11話
https://note.com/light_hyssop657/n/ne0b1d46617b5

第12話
https://note.com/light_hyssop657/n/n75a6f2b6cf77

第13話
https://note.com/light_hyssop657/n/n727b1ee68199

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