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仕舞う人、建てる人 1

あらすじ
 滋賀県大津市、琵琶湖を見下ろす岡山霊園。その斜面に佇む石材店「梛木石材店」で、津田は四十年以上、石と向き合ってきた。
 最近は墓じまいの相談が増えてきた。現場の下見に向かっていた時「墓を建てる」と津田に声をかけてきたのは、闘病中だという若い娘だった。
「墓を仕舞う人」と「墓を建てたい人」
 墓は終わりの場所ではない。ご先祖とのつながりを感じるとともに、子孫に残す場所。思いを形にするお墓を通じて、静かで、確かに誰かの心に届くお仕事小説。
 これは、石屋という仕事を通して描かれる、人と命の物語である。

本編 1話

 わざとらしく長い溜息をついて、事務員の田村はキーボードを叩いていた手を止めた。 彼女は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、「店長。その話、聞きましたよ」と言った。
「へぇ?」
「さっき、聞きました」田村は手の平でこめかみをこする。それから書類の束を少し乱暴に揃え、机の端を指で軽くなぞった。ワシはその連続の動作を眺めながら、それが何を意味するのか考えた。しかし、わからない。
「そうやったっけ?」ワシはコーヒーを口に含めた。コーヒーはぬるいどころやない。これはもう完全に冷めとる。人生と同じや。一度冷めたものは、どれだけ温め直しても、同じ味には戻らんのや。
「そうです」田村の声は平坦で、まるで湿った紙を机に置いたような響きだった。
「九寸の竿石の話?」
「ええ、九寸の竿石の話です」
「ワシが若い頃に、九寸の竿石を担いで岡山霊園の坂を登った話?」
「ええ」田村は短い息を吐いた。 それは溜息と呼ぶには鋭すぎて、まるで空気を切るような音をやった。 ワシはコーヒーをまた口に運んだけど、もう味なんか感じられへん。
「でな、昔のことやけど——」
「ちょっと待ってください。まだ続けますか?」田村が手を挙げて遮った。指が空気の中で止まって、ワシはなんかわからんけど、笑ってしもた。
「いや。もうええ。何でもない」ワシはマグカップを机に戻し、腕を組んだ。
「ところで、お墓じまいのお見積もり、できましたか?」
「お墓じまい?」ワシはしばらく考えた。お墓じまいの相談に来た客。うーん……。まあ、確かにそんな客はようけおる。でも、正直なところ、ワシの頭の中には、急いで見積もりせなあかんという記憶は残ってへん。
「……ええと、誰やったっけ?」
 田村は静かに目を閉じ、それから、長い溜息をついた。
「佐藤さんです」
「佐藤?」
「はい、佐藤さんです。五区にお墓があるけど、自分の代で墓じまいを考えているって話でした」
「ああ……」 確かに、そんな感じの客と話をした気がする。
「で、お見積もりは?」ワシは再びコーヒーカップを上げ、それを口元まで運んだが、もうなかった。
「まあ、ぼちぼちやな」
「ぼちぼちとは?」
「お墓だけにな」
 田村はしばらく無言だったが、デスクの上のボールペンをつまみ上げ、それを指の間でくるくると回した。 そして、目を閉じて「……はあ」と言った。
「なんや、その反応」
「いや、笑えませんよ」田村は淡々と言った。
「まあ、そういう日もあるわな」
「どういう日ですか」田村はボールペンを机に放り投げて「で、結局、佐藤さんの見積もりはどうなっているんですか? 忘れていたんですよね?」と詰めてきよった。
 ワシはその質問について少し考えた。いや、正確に言うと、考えているふりをした。 実際には、どう言えばこの状況を切り抜けられるかを考えていた。
「まあ、ぼちぼちやな」
 田村は静かに目を閉じた。 それからゆっくりと眼鏡を外し、机の上に置いて、「私は今、店長という存在をなんとか許容しようとしていますが、限界が近いです」という非常に明確なメッセージをワシに伝えてきた。ワシはなんとなく時計を見た。 特に意味はない。ただ、こういうときは時計を見るもんや。
「まあ、これからしようと思ったところや。むしろ、ワシの頭の中で、見積もりを組み立てるとる最中や」
「店長の頭の中ですか?」田村はワシの方も見ず、キーボードを叩きながらそう言った。指の動きは正確に流れていて、迷いがなかった。ワシが何を言おうと関係ないという固い意志が、その指のリズムの中に見え隠れした。ワシは口を開きかけたが、何を言うべきか決めかねて、とりあえず空のマグカップを持ち上げた。
「それにしても、お墓じまい多いな。お墓をなくして、どこに納骨すんねやろ」田村はキーボードを叩く手を止めず、「正徳院さんの合祀塔や言っていたやないですか」とまるで自分の作業とは無関係の雑音を聞き流すような調子で答えた。
 ワシは口を半開きにして、「あー、そうや」ワシは言った。 田村は少しだけ肩をすくめた。
「佐藤さんな。あの佐藤さんやんか」ワシは自分の発した言葉を反芻しながら、佐藤さんがどの佐藤さんなのか、ぼんやりと考えた。 この仕事を四十年以上もしとると、佐藤という名前の人間に山ほど出会った。
「あぁそうや。佐藤さんの竿石も、ワシが担いで五区まで持っていったんや」
「……だから、私は今日、二度も、三度もその話を聞いてるんです」それは、限りなく透明に近い失望を含んだ声だった。
 お墓じまいの相談が増えた。いや、増えたなんてもんやない。新しいお墓を建てるよりも、片付ける方が多い。娘が嫁いで、お墓の後を継ぐ者がいない。息子が都会に出て、大津には帰るつもりがない。 夫婦二人だけで、子供はいないとか、そんな理由や。お墓じまいするとなったら、墓地に土地を返さなあかん。墓地いうのは、殆どの場合、霊園とか、お寺から永代使用権を買って、土地を借りとるわけや。せやから、お墓じまいするんやったら、土地は返す。これは、両者でやればええ。ほんで、お骨をどこに移すか決めなあかん。これは、役所に「改葬許可申請書」を出さなあかんねや。お骨の住民票みたいなもんやな。それで許可を得て、新しい納骨先にお骨を持っていくんや。
「店長、早く見積りしてくださいよ。佐藤さんのお墓、見に行ったんですよね?」 田村の声は平坦で、まるで湿った紙を、机に置いたような響きやった。ワシは空のマグカップを手に持ったまま「へぇ?」と言った。
「佐藤さんが待ってるんですよ。現実の紙に書いた見積もりを作ってください」と言う。言葉の端に棘がある。
「佐藤さんから電話あったらどうするんですか? 『まだできません』って言うの、しんどいですわ」
 事務所の窓から差し込む光が空気の中で細かく揺れている。 遠くで電車の音が聞こえて、それが一瞬だけ田村の言葉を掻き消した。

第2話 https://note.com/matamatakichi/n/n2d62b513c0d4

第3話 https://note.com/matamatakichi/n/nab01d96dcfe9

第4話 https://note.com/matamatakichi/n/n45bafea44ac6

第5話 https://note.com/matamatakichi/n/ne079fcd0914d

第6話 https://note.com/matamatakichi/n/n6e2c4063f342

第7話 https://note.com/matamatakichi/n/n257f6495d0d5

第8話 https://note.com/matamatakichi/n/nc7c6e0fc9a82

第9話 https://note.com/matamatakichi/n/n0a254bab8718

第10話 https://note.com/matamatakichi/n/n622783e83b63

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中島亮 一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!