見出し画像

温故知新(113)鵜葺草葺不合命(開化天皇 伊香色雄命 伊香色謎命) 鵜羽神社 椿井大塚山古墳 丹波竹野媛 竹野神社 出雲大神宮 モン・サン・ミシェル 意賀美神社 矢田神社 矢田部神社 石上神宮 纒向遺跡 高忍日賣神社 葛木倭文坐天羽雷命神社 尾張氏

 鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)は、日本神話の神で、日向三代の3代目、神武天皇の父とされています。伊勢谷武の『アマテラスの暗号』では、ウガヤフキアエズと神武天皇の関係が、聖書にあるエフライムの家系に類似していることを示していますが1)、この神話が、古代キリスト教と関係があると推定される秦氏姻戚関係にあった藤原北家の創作とすると理解できます。

 讃岐国(香川県)には、山幸彦(第8代孝元天皇、大国主命と推定)と豊玉姫(倭迹迹日百襲姫命、卑弥呼と推定)の物語が多くあり、高松市屋島西町にある鵜羽神社の由緒によると、海神(第7代孝霊天皇と推定)の長女豊玉姫が、お産に臨んで亀に乗って浦生の地(神社鎮座地)に来て鸕鶿草葺不合尊(鵜葺草葺不合命)(第9代開化天皇と推定)を生んだとされています2)。鵜葺草葺不合命の名前の由来は、豊玉姫命が海宮で懐妊し、浜辺に産屋を作ろうとしたところ、茅草がわりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づいたことによるとされ(Wokipedia:山幸彦と海幸彦)、鵜羽神社の名前と関係があります。下記のブログによると鵜羽神社には、大国主命を祀る石碑があります。

 鵜羽神社と高龗神(たかおかみのかみ)を祀る貴船神社(京都市左京区鞍馬貴船町)を結ぶラインは、開化天皇の陵墓と推定される椿井大塚山古墳(京都府木津川市)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。このラインは、椿井大塚山古墳が開化天皇(鵜葺草葺不合命)の陵墓と推定されることと整合します。

図1 椿井大塚山古墳、貴船神社、鵜羽神社を結ぶ三角形のライン、椿井大塚山古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶライン

 下記ブログによると、636年に成立した『梁書』に「復立卑彌呼宗女臺與爲王。其後復立男王、並受中國爵命」とあることから、266年に西晋に朝貢した台与が王位に擁立された後、再び男王が立ち、並んで中国の爵位を受けた男王を第9代開化天皇と推定しています。

266年に九代開化天皇は王位に在った

出典:日本古代史

 開化天皇の后(台与)と推定される姥津媛の陵墓と推定される西殿塚古墳(奈良県天理市)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、椿井大塚山古墳と住吉大社(大阪市住吉区)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、「丹後国竹野郡舟木郷」のあった船木区を通ります(図2)。このラインは、開化天皇が船木氏と関係があると推定されることと整合します。

図2 西殿塚古墳、椿井大塚山古墳、住吉大社を結ぶ三角形のライン、西殿塚古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶラインと船木区

 開化天皇の妃の丹波竹野媛は、丹波大県主の娘で、京都府京丹後市に竹野媛命が天照大神を祀ったことに始まる竹野神社があります。椿井大塚山古墳とマラケシュを結ぶラインの近くに丹波国一宮 出雲大神宮(京都府亀岡市)があり、モン・サン・ミシェルと出雲大神宮を結ぶラインの近くに竹野神社があります(図3)。

図3 椿井大塚山古墳とマラケシュを結ぶラインと出雲大神宮、モン・サン・ミシェルと出雲大神宮を結ぶラインと竹野神社

 丹波竹野媛は、開化天皇(鵜葺草葺不合命)の母と推定される八上比売命(多紀理毘売命 田心姫と推定)と関係があると推定されたので、八上比売命の墓と推定される那珂八幡古墳と竹野神社を結ぶラインを引くと、出雲大神宮とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角の関係にあり、ラインを延長すると加賀一ノ宮 白山比咩神社(石川県白山市)がありました(図4)。このラインは、那珂八幡古墳が八上比売命の墓で、白山比咩大神(菊理媛尊)が倭迹迹日百襲姫命(多岐都比売命 豊玉姫命)と推定されることと整合します。

図4 出雲大神宮、白山比咩神社、那珂八幡古墳を結ぶ三角形のラインと竹野神社、出雲大神宮とモン・サン・ミシェルを結ぶラインと竹野神社

 大阪府枚方市にある意賀美神社は、延喜式内の古社で、元伊加賀宮山の地にあり、ここに伊香色雄命(開化天皇、伊香色謎命と推定)の邸宅があったといいます2)。貴船神社と全興寺(大阪市平野区)を結ぶラインは、椿井大塚山古墳とドンゴラを結ぶラインとほぼ直角に交差し、交点付近に意賀美神社があります(図5)。このラインは、開化天皇が伊香色雄命と推定されることと整合します。

図5 椿井大塚山古墳、貴船神社、全興寺を結ぶ三角形のライン、椿井大塚山古墳とドンゴラを結ぶラインと意賀美神社

 マラケシュと椿井大塚山古墳を結ぶラインは伊賀加色許命を祀る矢田神社(京丹後市峰山町)の近くを通り、椿井大塚山古墳とクサール・ヌアイラを結ぶラインは伊香色雄命を祀っているといわれる矢田部神社(与謝野町)の近くを通ります(図6)。このラインは、椿井大塚山古墳が、伊香色雄命(開化天皇)の陵墓と推定されることと整合します。

図6 マラケシュと椿井大塚山古墳を結ぶラインと矢田神社、椿井大塚山古墳とクサール・ヌアイラを結ぶラインと矢田部神社

 石上神宮(天理市布留町)は、第10代崇神天皇の勅命によって、物部氏の祖 伊香色雄命が神剣「韴霊」を石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)に遷して祀ったのがの創始とされます。椿井大塚山古墳と龍田神社(奈良県生駒郡斑鳩町)を結ぶラインは、石上神宮とメンフィス博物館を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには塩田八幡宮(兵庫県神戸市北区)があります(図7)。このラインは、椿井大塚山古墳の被葬者が、伊香色雄命(開化天皇)と推定されることと整合します。龍田神社のある斑鳩町の名前の由来は、伊香留我伊香志男命(いかるがいかしおのみこと)が、この地の神として祀られていることから言われたともされるので、伊香留我伊香志男命は、伊香色雄命(開化天皇)と推定されます。

図7 石上神宮、椿井大塚山古墳、龍田神社(斑鳩町)を結ぶ三角形のライン、石上神宮とメンフィス博物館を結ぶラインと塩田八幡宮

 奈良県桜井市の纒向遺跡は、弥生時代から古墳時代への転換期の様相を示す遺跡で、邪馬台国畿内説をとる研究者からは、邪馬台国の最有力候補地ともされています。纒向石塚古墳は、220年頃に造られた「古墳成立以前の前方後円形の墳丘墓」と考えられていて、彦五瀬命(和邇日子押人命と推定)の墓と推定され、纒向遺跡の中心部にある箸墓古墳は卑弥呼(倭迹迹日百襲姫命と推定)の墓と推定されます。和珥氏の台与(姥津媛と推定)と開化天皇(鵜葺草葺不合命と推定)は、纒向遺跡に宮を造ったと推定されます。2011年に大型建物跡の東側から別の大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が3世紀後半以降の可能性があるとされています。

 私は奈良にある箸墓古墳は吉備邪馬台国と大和狗奴国の統合のモニュメントであるとの「吉備邪馬台国東遷説」を唱えた。邪馬台国は吉備にあって、女王・卑弥呼は岡山にいた。卑弥呼の後継者の臺與(とよ)は桃を使った祭祀と特殊器台・弧帯文を持って大和に東遷した。纏向の宮殿跡は臺與の宮殿であり、そこで桃を使った祭祀を継続したのである。

出典:吉備邪馬台国東遷説と吉備線 LRT 埴輪の起源・特殊器台と桃祭

 椿井大塚山古墳と鵜羽神社を結ぶラインは、纒向遺跡とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図8)。椿井大塚山古墳と鵜羽神社を結ぶラインの近くには、野崎観音 慈眼寺(大阪府大東市)があり、鵜羽神社と纒向遺跡を結ぶラインの近くには岩上神社(兵庫県淡路市)があります。このラインは、纒向遺跡に開化天皇の宮があったと推定されることと整合します。

図8 纒向遺跡、椿井大塚山古墳、鵜羽神社を結ぶ三角形のラインと野崎観音 慈眼寺、岩上神社、纒向遺跡とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶライン

 伊予国(愛媛県)の高忍日賣神社(愛媛県伊予郡松前町)にも鵜葺草葺不合命の出生伝説があります2)。配神として祀られている天忍人命と天忍男命は、尾張氏の系譜に登場する名で2)、産屋を掃除をするために遣わされたとされています。天忍人命は、奈良県の二上山山麓に鎮座する葛木倭文坐天羽雷命神社(葛城市加守)にも祀られています。これらのことから、佐藤洋太氏は、豊玉姫の親族が尾張氏と推定しています。

 葛木倭文坐天羽雷命神社と高忍日賣神社を結ぶラインは、弘法大師空海ゆかりの鯖大師本坊 八坂寺(徳島県海部郡海陽町)とフェロー諸島を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図9)。後者のラインの近くには、鵜羽神社、沖田神社・道通宮(岡山市中区)、江戸時代までは「大社」と呼ばれた形部神社・佐波良神社(真庭市社)、伯耆稲荷神社(鳥取県東伯郡琴浦町)があります(図9)。

図9 鯖大師本坊 八坂寺、葛木倭文坐天羽雷命神社、高忍日賣神社を結ぶ三角形のライン、鯖大師本坊 八坂寺とフェロー諸島を結ぶラインと鵜羽神社、沖田神社・道通宮、形部神社・佐波良神社、伯耆稲荷神社

文献
1)伊勢谷 武 2024 「アマテラスの暗号」 宝島社文庫
2)佐藤洋太 2022 「神武天皇と卑弥呼の時代」 新潮社