【短編小説】比翼連理のプロンプト(上)|「嘘じゃない」って、どういう意味?【7,000字】
職場体験:紗希の場合
ある日、佐久間 紗希(さくま さき)は同級生数人とともに、地元の幼稚園で職場体験をした。
園児たちの中に、双子__「みずはら りつ」「みずはら みお」の名札をした兄妹が居た。
兄妹は利発そうな瞳で、とても可愛らしかった。他の園児より少し大柄だけど、まるで子猫のような甘い声をしていた。
初めから双子は紗希に懐いてきた。
時間はあっという間に過ぎ、園児を帰宅させる時刻になった。
保護者が迎えに来るか、園のバスで送るのかのいずれかである。
通常なら、双子は「送迎バス」で帰宅する方だ。
双子がバスに乗り込む前に、母親から連絡が入った。
「律くーん!澪ちゃーん!お母さんがそこまで来ているから、今日は待ってて!」
兄妹の顔が喜びで満ちていく。
紗希まで嬉しくなった。
そして、母親__水原 栞が現れた。

紗希は栞を見た。
紗希は目を疑った。
え?
4歳の双子のお母さんだよね?
何歳なの?
「ママー、お姉ちゃんと遊んでもらった!」
「あら、職場体験なんですね。高校生?きれいなお姉ちゃんに遊んでもらってよかったねー!」
栞は紗希に向き直り、深々と頭を下げた後、こう言った。
「兇暴な怪獣2匹だったでしょう?どうもありがとうございました。ほら、律!澪!お姉ちゃんに『ありがとう』は?」
双子、声をそろえて「ありがとう!」と言って、ペコリと頭を下げた。
「あの、お母さん、ごめんなさい。失礼ですけど、23歳くらいですか?高校卒業と同時くらいのファスト婚なんですか?」
「えー!嬉しい!……でも、不正解。今年で32歳になります。今は31歳」
「ウソ!!私の姉が21歳ですけど、お母さん、姉より若いです!」
(シンちゃんが描いてるAI生成画像、リアルに降臨したよ!)
(私を理想化して描いた『№1』の画像よりも、きれいな女の人……)
(背ぇ高っか!私163cmだけど、見下ろされてるし)
(双子ちゃんとそっくり!声も猫みたい……)
(……不可侵領域の匂いがする……なんのニオイだろう?)
「お母さん、身長170cm超えてませんか?」
「そうです。171cmあるんです。ハイヒールにすると180cm近くて、夫を見下ろしてしまうんですよ。でも、彼、ハイヒールフェチの気があって、むしろ履けって強いてくるんです。うふふ」
(B93W60H94くらいありそう……私とは段違い過ぎて、うらやましさすら感じない……『リアル女神』……他のお母さんたちと全然、違う!まったく違う!くたびれた感じがまったくない。疲れも何も感じさせない。すごいお金持ちを射止めたんだろうな。玉の輿じゃない!……いいな~!)
「お母さん、旦那さんはどんな方なんですか?」
(しまった!ついやってしまった……)
幼稚園の先生が「ちょっと……」と話に入りそうになるところを、栞は目で制してこう言った。
「元々、同じ証券会社に勤めていました。夫は金融の研究者で、私の3歳年上。今は独立して、法人の皮をかぶった個人事業主です。私は夫の共同経営者ってことになっていますが、名前だけです」
「お母さんは元の職場で何をされていたんですか?」
「システムエンジニアでした」
「提供するサービス関連ですか?」
「いいえ、社内ネットワークのセキュリティの方でした」
「ママー!おうちに帰ろ!」
「……帰ろうか!……お姉さん、今日はありがとうございました」
紗希の嗅覚は、栞から漂ってくる「ニオイ」の正体を感知した。
(すごく優しくて綺麗なお母さんなのに……なんでこんなに甘くて熱い匂いがするの……?あ、これダメなやつだ!! 34歳か35歳の旦那さんからの、本物の『愛と情熱』がそのまま残ってるやつっ!?!?)
(嫌だ嫌だ!! 私には刺激が強すぎる!! 鼻を通り越して脳に直接大人のフェロモンが刺さってくる!! ヒロシくんのバニーガール画像どころの騒ぎじゃない!! 本物の『愛されまくってる大人の女の人』の匂いっ!!)





幼稚園からの帰り道、クラスメートたちの話題は栞のことだけ。
紗希は熱に当てられたようになって、いつものマシンガントークが出来なかった……。
職場体験:慎一郎の場合
紗希が職場体験をした日とは別の日。
新城 慎一郎(しんじょう しんいちろう)は他のクラスメートとともに、森の中の事務所「株式会社 Ailes Conjuguées(エール・コンジュゲ)」を訪れた。
職場体験の事前説明を、慎一郎は浅倉 由芽(あさくら ゆめ)とともに受けた。
教師によれば、それは次のようなものだった。
Ailes Conjuguées(エール・コンジュゲ)の事業内容について
1.投資最適化AIの開発・改善
金融市場で安定して利益を出すための「AI(人工知能)」やプログラムを独自に設計・開発しています。
開発者(経営責任者の水原 峻さん)が基本設計を行い、共同経営者(水原 栞さん)がプログラムのミス(バグ)の修正やシステムの安全確保(セキュリティ)を担当しています。
2.独自のAIを使った資産運用
自分たちが作った投資AIを活用し、計算されたリスクのもとで余剰資金を効率よく運用・管理しています。
3.AIシステムの利用権販売(ライセンス事業)
AIの仕組み(プログラムの中身)は秘密にしたまま、その高精度なAI機能を使いたい企業や投資家に対して、利用権を販売しています。
【解説】
どんな仕事?
一言でいうと「お金を自動で増やす最先端のAIソフトウェアを作り、それを自分たちで使ったり他人に貸したりする仕事」です。
働き方の特徴
自然に囲まれた環境に専用のIT設備を整え、決まった勤務時間に縛られず、AIを活用して自動的に収入を得る働き方を実現しています。
クラスメートたちの反応は……
「満員電車に乗らず、緑豊かな静かな場所でコーヒー飲みながら仕事ができるなんて最高すぎる」
「自分が寝ている間もAIが自動でお金を稼いでくれる仕組みって、まさに理想の働き方かも」
「夫婦(ペア)でそれぞれの得意分野(開発とセキュリティ)を活かして起業してるのがかっこいい」
「AIで投資するって最近よく聞くけど、絶対に損しない仕組みなんて本当に作れるのかな?」
「『実務はAIがやって、自分たちは興が乗った時だけ仕事する』ってこと?そんなに甘い世界なの?」
「なんか『絶対に儲かるノウハウ』を売ってる怪しいネットビジネスや投資詐欺っぽく聞こえて、ちょっと警戒しちゃう」
「元々すごい技術やコネ、資金があったからできた特例であって、普通の人が目標にするのは難しそう」
「社会に出て働く楽しさとか、人と関わるやりがいみたいなものは無いのかな?」
「AI開発とセキュリティ対策を二人だけで完結させているプログラミングスキルが純粋にすごい」
「金融×AI(FinTech)の分野って、小さな法人でもここまでスケールの大きなビジネスができるんだ」
といったものだった。
そして、職場体験の当日が来た。
そのプログラムはこんな感じであった。
【職場体験プログラム】
最先端FinTechとマクロ経済:AIで創る新しい働き方
■ 概要
高校で学ぶ「情報(プログラミング)」や「政治経済」が、現実の最先端ビジネス(金融×AI)でどのように結びつき、大きな価値を生み出しているかを体感する1日体験プログラムです。
■ タイムスケジュール&実施プログラム
オリエンテーション:ラボでの「自由な働き方」と価値創出
プログラミングや数学を突き詰めた先にある、時間と場所にとらわれない新しい働き方のリアルを知る。
金融×AI(FinTech)ビジネスの仕組みと「AIの利用権(ライセンス)を売る」モデルの解説。
【体験1】政治経済×AI:マクロ経済ニュースをアルゴリズムに落とし込む
日銀の金融政策(金利操作)や為替(円安・円高)の動向が、金融市場に与える影響を分析。
「経済ニュースが流れた瞬間、AIはどう判断・売買すべきか」という論理ルール(アルゴリズム)の考案。
【体験2】情報×数学:超入門・投資アルゴリズムのプログラミング体験
簡易コード(Python等)を使用し、自分で考えた売買ルールをプログラムとして記述。
過去データを使ってバックテスト(模擬運用)を行い、ルールの精度やリスクの計算方法を試行錯誤。
【体験3】品質管理:バグ検出(デバッグ)とセキュリティ体験
システムの安全を守る「バグ探し」の重要性を学び、プログラム内の記述ミス(バグ)を特定・修正するワーク。
振り返り&フィードバック
自分の書いたプログラムの分析結果の発表と解説。
「高校での学び(情報・政経・数学)が将来どう活きるか」についての質疑応答とアドバイス。
■ 得られる学び・成果(学習効果)
学校の教科(情報・政治経済・数学)が社会の最前線でどう繋がっているかが実感できる。
単なるプログラミング技法だけでなく、経済の仕組みを「論理的思考(アルゴリズム)」に落とし込む力が身につく。
慎一郎にとっては、ただただ圧倒されるような体験だった。
「すごくやりがいのある仕事みたいだけど、一瞬のミスで破産しそうで怖い。……開発者の水原さんも滅茶苦茶すごいけど、『バグ狩り』をしている奥さんも相当すごいぞ……政治経済や数学を究めると、ここまで来れるのかよ……なんか、俺、AIでお絵かきしていることが、急に恥ずかしくなってきたよ。ヒロシにも止めるように言おう」
と、一緒に訪れた由芽に漏らした。
由芽はこう返した。
「水原社長って、説明がめっちゃ上手だね。授業よりも段違いに難しい話のはずなのに、とても分かりやすい。これぞプロフェッショナルって感じ。……旦那さんも奥さんも、どれだけ化け物じみた才能なの?」
参加したクラスメートの誰もが、眼を輝かせていた。
それは由芽が言ったとおり、峻の言葉の力によるものだった。
彼の話は高度な内容を含んでいるにも関わらず、比喩を多用した、簡潔で要を得たものだった。選び抜かれた言葉で編まれていた。
(水原さんは自分の思考や感覚を、すべて言語化できるのか?……とても敵わない。でも、少しでも追いかけたい)
皆が分かったような気になったところで、職場体験は終わった。とても刺激的だった。
最後に峻はこう言った。
「皆さんのような若い人に、熱心に聴いてもらえて、とても嬉しく楽しかったです。本当にありがとうございました。自分の仕事を言葉にすることで、新たな発見や学びがありました。妻も同感だと申しておりました」
「……さて、妻は別室から参加していました。妻が皆さんに是非、お礼を言いたいとのことです」
「夫の贔屓目なんですが、妻を最初から登場させると、特に男子の皆さんがまったく集中できないと思いまして、最後に登場させたという次第です」
夫が目で合図を送ると、妻__栞が姿を現した。
そこに居たクラスメート全員、性別問わず、息を飲んだ。
彼女は丁寧な言葉で感謝の言葉を述べ、優雅にお辞儀をした。

女子たちは峻を「スマートなイケメンの渋い旦那様」と言っていたが、栞を見た途端「スーパーダーリンとリアル女神のカップルだわ…!」と溜息を漏らしていた。
男子は全員、「旦那さんの言うとおりだよ。あんなモデルみたいな美女が出てきたんじゃ、全然、授業にならない」と、一瞬で共通理解に達した。

腐女子の血が騒いだのか、由芽が挙手してしまった。
栞が「どうぞ」と甘い声で発言を促した。
由芽は脳内の疑問を、そのまま言葉に出してしまった。
「奥さんは何歳なんですか?」
「31歳です。今年の誕生日で32歳になります」
クラスメートはどよめいた。
(あれで31歳!ウソだろ!24歳の従姉より若い!)
由芽は続けた。
「恋愛結婚なんですか?」
「はい。私が罠を仕掛けて、彼を嵌めました」
女子は目を見開き、男子は「エロゲー展開!」と色めき立った。
引率の教師が由芽を制止した。
止められなければ、由芽は「スリーサイズを教えてください」とか「週何回愛し合うんですか」等とヤバい質問をしたかも知れない。
仮にそんな質問が出たら、栞に代わり、苦笑しつつ、峻がこう言ったのではないだろうか。
「『妻の仕組んだ罠』だと分かっているのですが……。毎度毎度『罠』に嵌められています。……ある意味『命』を削る日々です」と。
栞に答えさせないのは、彼女を守るためではない。
彼女は愛されていることに絶対の自信を持っており、あっけらかんと何でも答えかねないからだ。
二人の愛の真相は、水原夫妻しか知らない。それが現実です。
……事務所での記念撮影の後、由芽は栞に近づき、二人で物陰に隠れて、ほんの数分間でナニカしていた。
答え合わせ
後日、「偶然」一緒に下校していた紗希と慎一郎は、水原夫妻について話していた。
「ユメちゃんが暴走してさ、慌てて先生が止めたよ」
「あの奥さんなら、どんなヤバい質問をぶつけても、なんでも答えたかも」
「余所のご夫婦の秘密を覗き見るもんじゃないね。正直、ユメちゃんには引いた」
「えーなんでなんで!美男美女のカップルだよ!知性派カップルだよ!奥さんの色気、凄かったじゃん……ねえ、二人であんなことやこんなことしてるのかな?」
「知らないって!……集合写真撮影のとき、奥さんの座席周囲は男子の真空地帯だった。男子全員、隣に行きたいけど行けない。奥さんのすぐ後ろにも行けないんだよ。だから、ご夫婦の周囲は全員女子なんだ」
そう言って、慎一郎は集合写真を示した。スマホには彼の言葉通りに男女が配置されていた。
「シンちゃん、どうして奥さんの後ろの女子3人は両手で奥さんを隠してるの?どうして男子は全員明後日を向いてるの?」
「……奥さんの胸の谷間が見えたんだよ。女子3人が奥さんを隠したのは、刺激的過ぎる谷間を男子に見せないためだよ。ユメちゃんによると、『きれいなお椀型で、すんごい盛り上がった丘』だったってさ」
(……シンちゃん、ユメは奥さんに胸を直に見せてもらって……フロントホックを外して直に触ったんだよ!……感想もバッチリ聞かせてもらったけど、言えない!……言えるわけない!)
「私は手の届く距離で直に見た。すごかった!グラドル顔負け。ヒロシくんの画像生成なんて、子供の遊びだよ。……それに奥さんの声がヤバくない?……猫みたいなセクシーヴォイスだよ。やっぱりリアルの女子の方がいいでしょ?ねえねえねえ!」
「……今日、ヒロシに奥さんの写真を見せたら、『AI画像生成ごっこ止める』って。高校生男子が耳元で囁かれたら、即死レベルだよ……あっ!」
「どうしたの?シンちゃん……あっ!」
またしても「逢魔が時」だった。
身長170cm超の引き締まった、女らしいラインのシルエットが夕陽を背に浮かび上がっていた。

その女神の声は、猫のように甘かった。
「……あら!あのときの生徒さん!……この港から見る夕陽って、すごいきれいって聞いて、来ちゃった!……付き合ってるの?……いいな~いいな~またソワソワしたい気持ちもあるけど、やっぱり、マイ・スーパーダーリンを瞬殺した方が気持ちいいわ。ねえ、あなた!」
「世界でただ一柱のリアル女神の仰せならば……」
「ママー!夕陽きれい!」
(俺のプロンプトなんて無力だ。まさに視覚破壊兵器。あの奥さんの立ち姿……神々しくて拝んでしまいそう。旦那さん、あんな奥さんの側でよく生きていられるよ。……近づけば視界を覆い尽くすほどの大きさで、熱を帯びた質量だよ?……俺ならあの人から逃げないと、脳がメルトダウンしてダメ男になる……)
「ちょっと!シンちゃん、何!?どうしたの?見蕩れちゃって!口がポカンと空いて、アホな顔だよ!ねえ!ちょっと、返事してよ!ねえってば!」
「……え?サキちゃん、あれはこの世のものじゃない。張り合わず、俺はあの人から全力で逃げる」
「……逃げるって?!」
「とりあえず、波風を立てないように、『本当にきれいですよ』とか言って、一緒に夕陽を眺めよう」
「……そして?」
「旦那さんとツーショットを撮ってあげよう。この場を切り抜けるために、サキちゃんと俺のツーショットも撮ろう」
「……それ、私も全力で乗る!」

そして、慎一郎の言葉通りに事態は展開した。
紗希と慎一郎は無事に帰宅できた。
彼は「リアル女神」の言葉を何一つ否定しなかった。
「付き合っちゃいなよ!」という言葉にも。
「実は既に付き合ってる?!」という問いにも。
「かわいい彼女じゃない!大切にしなさいよ!」という助言にも。
彼はすべて、「肯定の言葉」で返した。
水原夫妻と双子が去った後、慎一郎は紗希にさらりと告げた。
「少なくとも、嘘は吐いていないからね」と。
紗希はその夜、一睡もできなかった。
(続く)
この作品は、登場人物も組織も団体も、書かれていることはすべてフィクションです。現実世界とは一切関係ありません。
