教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|下巻・第十一章 続・異端審問:第二回公判〜第六回公判
【創作大賞2026参加中】期間限定で全体公開にします。
アナトール・フランス著『ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)』完訳プロジェクト。原著は1908年発行。
1920年:ジャンヌ・ダルク列聖
1921年:A・フランス、ノーベル文学賞受賞
1922年:ローマ教皇庁の禁書目録に登録
現在、禁書制度は廃止されてますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。
▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか
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⚠️字数が多い(28,000字)ため、訳者の裁量で小見出しをつけています。
11.1 第二回公判(1)右からくる声と光
最初の審理の後、議事録を書き起こそうとしていた時、教会の公証人と、被告の答弁を記録していた2〜3人の王室書記官との間に言い争いが生じた。
予想通り、二つの記録はいくつかの点で異なっていた。争点となっている部分について、ジャンヌをさらに尋問することが決まった。[623]
教会の公証人たちはまた、「傍聴人たちの絶え間ない妨害のせいで、ジャンヌの発言を正確に聞き取るのが非常に困難だ」と不満を述べた。
*
異端審問による裁判では、他の裁判手続きと同じく、尋問場所を定めていなかった。裁判長は、礼拝堂、聖堂参事会の会議室、あるいは牢獄や拷問室でさえ、被告人を尋問することができた。
ギヨーム・マンションによれば、初公判の時のような騒ぎを避けるために[624]、また、開廷時のような厳粛な儀式を行う必要がなくなったため、裁判官と評議員たちは城の広間の端にある小部屋、衣裳室に集まった。[625] 入口にはイングランド人の衛兵が2人配置された。
異端審問の手続き規則によれば、陪審員はすべての審議に出席する義務はなかった。[626]
今回(第二回公判)は当初のメンバーのうち26人と、新たに任命された6人の合計42人が出席した。(人数は原文ママ)
これらの高位聖職者の中には、信仰の副審問官であるジャン・ル・メートル修道士がいた。彼は謙虚な説教修道士だった。
聖ドミニコの時代のように、副審問官が「神の猟犬」だった時代は過ぎ去り、今や彼は「司教の飼い犬」に過ぎなかった。何か行動することも、行動を控えることもできない哀れな修道士だった。
これが、教皇至上主義に対抗するガリア主義を主張した結果である。
無口で臆病なジャン・ル・メートル修道士は、その集会における修道士全員の中で最後尾にいる最も取るに足らない小者だったが、彼はいつの日か自分が最高裁判長(大審問官)となり、上訴を受け付けなくなる日を待ち望んでいた。[627]
**
ジャンヌは、執行吏ジャン・マシューによって連れてこられた。
今回もまた、すべてを話すという誓いを立てるのを避けようとしたが、聖書に誓わざるを得なかった。[628]
ジャンヌは、神学博士のジャン・ボーペールの尋問を受けた。
パリ大学では聡明で指導力のある学者とみなされ、学長に二度も任命されていた。
彼は、ジャン・ジェルソン不在の間に学長職を任され、1419年にはピエール・コーション氏とともにトロワの町に派遣されて、国王シャルル六世への補佐と助言を与えた。3年後には、イングランド王妃とグロスター公のもとへ派遣されて、大学の特権について確認を得るための支援を求めた。
国王ヘンリー六世は、彼をルーアンの聖堂参事会員(canon)に任命したばかりだった。[629]
ジャン・ボーペールの最初の尋問は、「ジャンヌが父親の家を出た時の年齢」だった。
前日に現在の年齢を19歳くらいと述べていたにもかかわらず、ジャンヌは答えることができなかった。[630]
子ども時代の仕事について尋ねられると、ジャンヌは「家事で忙しく、牛を連れて畑に行くことはめったになかった」と答えた。さらにこう言った。
「糸紡ぎと裁縫に関しては、ルーアンのどの女性にも負けません」[631]
家庭的な分野でも、ジャンヌは熱意と騎士道精神を発揮した。
糸紡ぎや針仕事で、誰一人として知らない町中の女性全員に対抗心を燃やしたのだ。
告解(懺悔)と聖体拝領について尋ねられると、「教区司祭か、あるいは教区司祭がジャンヌの話を聞けない場合は他の司祭に告解する」と答えた。しかし、復活祭以外の祝日に聖体拝領を受けたかどうかについては答えることを拒否した。[632]
ジャン・ボーペールは、ジャンヌを油断させるために、ある話題から別の話題へと唐突に移行しながら、無作法に話を進めた。
彼は突然、ジャンヌの「声」について語り始めた。彼女はこう答えた。
「私が13歳の時、神から正しい生活を送るようにと告げる声が聞こえました。初めて聞いた時はひどく恐怖を感じました。この声は、夏の真昼に近い時間に、父の庭で聞こえました……」
彼女は、教会がある方、右側から声を聞いた。
光なしに声を聞くことはめったになかった。
光は、声が聞こえてくる方向から生じていた。[633]
ジャンヌが、自分の「声」が右側から聞こえると言った時、ジャン・ボーペールよりも博学で親切な博士なら、この証言を好意的に解釈しただろう。
なぜなら、旧約聖書『エゼキエル書』には天使が住居の右側にいたと記されており、また、新約聖書『マルコによる福音書』の最終章には、女性たちが右側に座っている天使を見たと記されている。同じく『ルカによる福音書』にも、天使が香を焚いている祭壇の右側で司祭ザカリアに現れたと明確に記されているのだ。
さらに、尊者ベーダは「彼は神の慈悲をもたらす者であることの『しるし』として、右側に現れた」と述べている。[634]
しかし、そのようなことは尋問官の脳裏に浮かばなかった。彼はジャンヌを困らせようとして、「もしその光が横に現れたのなら、あなたはどうやってその光を見ることができるのか?」と尋ねた。[635]
ジャンヌは何も答えられず、取り乱したように言った。
「もし私が森の中にいたら、こちらに向かってくる声を簡単に聞き取れるでしょう……。私には、それは本当に価値のある声に思えます。私は、その声が神から送られたものだと信じています。三回聞いた後、それが天使の声だと分かりました」
「その声は、あなたの魂の救済のためにどんな指示を与えたのか?」
「それは私に、善良に生き、教会に行くように教え、そしてフランスへ旅立つように言いました」[636]
それから声の命令でヴォークルールに向かい、ロベール・ド・ボードリクール卿に会いに行ったこと、初対面だったにもかかわらず彼だと分かったこと、ロレーヌ公に呼び出されて病気を治してほしいと言われたこと、そしてジャンヌがどうやってフランスに来たかを語った。[637]
その後、ジャンヌは、神がオルレアン公を愛していることをよく知っており、国王を除いて、生きている誰よりもオルレアン公について多くの啓示を受けてきたこと、女性の服を男性の服に着替えざるを得なかったこと、そしてジャンヌの《《評議会》》が適切な助言を与えてくれたことなどを語るに至った。[638]
⚠️ジャンヌが証言した「右側に見える光」について:下巻の巻末付録に臨床医が神経科・精神科の観点から見た『ジャンヌの診断書』が載ってる。20世紀初頭(100年前)の診断なので、現在の医療とは多少違うかもしれないが、こちらもかなり興味深い。
11.2 第二回公判(2)イングランド宛の手紙/忘れられた思想「王国は神のもの」
ジャンヌの前で、(オルレアンへ発つ前にブロワから送った)イングランド宛の手紙が読み上げられた。
ジャンヌはその通りの内容を口述したことを認めたが、3カ所について異議を唱えた。「体と体」と「戦争の指導者」は言っておらず、「乙女へ降伏せよ」ではなく「国王へ降伏せよ」と言ったのだと指摘した。
⚠️手紙全文は、上巻・第十一章『11.2 イングランド宛の手紙(1)ジャンヌの声明文』参照。
裁判官たちが手紙の文面を改ざんしていないことは、彼らの手に渡っていない他の文書と比較することで確認できる。これらの文書には、ジャンヌが異議を唱えた表現が含まれているのだから。[639]
ジャンヌは活動を始めた当初、「真のフランス王である我が主(神)が、神自身の代理人としてシャルル・ド・ヴァロワに王国の統治を委ねるよう自分に命じた」と信じていた。
この思想を内心にとどめずに口に出して言葉にしたことを、互いに面識のない多くの人々によって(ジャンヌがそう言っていたと)報告されており、彼女が実際にそう語ったことを疑う余地はない。
「王は王国を封土(アンコンマン、en commande)として保持する。フランス王は天の王(神)の代理人である」
これはジャンヌ自身の言葉であり、実際に王太子にもこう言った。
「あなたの王国を天の王に捧げなさい」[640]
しかし、ルーアンの審理では、これらの神秘的な思想はひとつも残っておらず、むしろジャンヌにはまったく理解できない思想だったと認めざるを得ない。
異端審問官との答弁すべてにおいて、ジャンヌは抽象的な推論どころか、どんなに単純な推測もまったくできないように見える。「百合の国(フランス)におけるイエス・キリストの世俗的支配」という難解な思想を、一体どのようにして思いついたのか理解に苦しむ。
ジャンヌの言葉や思考には、そのような深遠な思想を示唆するものは何もない。
したがって、この政治神学(初期のジャンヌが語っていた思想)は、教会と王国の苦難を取り除きたいと願う聖職者たちによって、ジャンヌが幼くて染まりやすい時期に教えられたと考えざるを得ない。だが、ジャンヌが覚えたのはうわべの言葉だけで、その精神を捉えられず、本当の意味を理解できなかった。
その後、兵士たちと共に過酷な生活を送る中で、彼らの単純な魂は、初期のジャンヌを教え導いた聖職者たちの洗練された思想よりも、ジャンヌ自身の本来の魂とよく調和した。そのため、ジャンヌは教え込まれた思想を表現する言葉遣い(言い回し)をすっかり忘れてしまった。
11.3 第二回公判(3)2種類の真実、現実か幻視か
シノンに来た理由について尋問されると、彼女はこう答えた。
「私は何の妨害もなく王のもとへ向かいました。サンカトリーヌ・ド・フィエルボワの町に着くと、まず、私の王がいるシャトー・シノンの町へ使者を送りました。正午頃に到着し、宿屋に泊まり、夕食後に城にいる王のもとへ行きました」
書記官の言葉を信じるならば、彼らはジャンヌの記憶力に驚嘆しきりだった。一週間前に言ったことを正確に覚えていることに彼らは驚いたという。[641]
しかしながら、ジャンヌの記憶力は時々、奇妙なほどあいまいで、私たちはオルレアンの私生児と同様に、彼女が王に謁見する前に宿屋で二日間待ったと考えるのが妥当だろう。[642]
シノン城での謁見に関して、ジャンヌは裁判官たちに「ボードリクール卿を認識したのと同じように、啓示によって国王を認識した」と語った。[643]
尋問者は彼女に尋ねた。
「声があなたの王を明らかにしたとき、何か光は見えたか?」[644]
この質問は、裁判官たちにとって極めて重大な事柄に関わっていた。なぜなら彼らは、ジャンヌがフランス王と共謀して、冒涜的な詐欺、あるいは魔術行為を犯したのではないかと疑っていたからだ。
実際、彼らは情報提供者から、「ジャンヌが王に『貴重な王冠』という印を与えたと自慢していた」ことを聞いていた。[645]
この件の真相は次の通りである。
伝説によれば、ある日、聖カタリナは天使の手から光り輝く王冠を受け取り、それをローマ皇帝の妃の頭に載せた。この王冠は永遠の祝福の象徴だった。[646]
聖カタリナの伝説を聞いて育ったジャンヌは、同じことが自分にも起こったと述べている。
フランスでジャンヌは、王冠に関するさまざまな驚くべき話を語った。そのうちの一つによれば、シノン城の大広間で貴族たちに囲まれながら、ジャンヌは天使の手から王冠を受け取り、それを王に与える場面をイメージしていた。[647]
これは霊的な意味では真実だ。ジャンヌはシャルル王を聖油塗りと戴冠式に連れて行ったのだから。
ジャンヌは2種類の真実の違いをすぐには理解できなかった。
⚠️2種類の真実の違いについて補足:言葉の通りに「現実で起きた」という意味の真実と、言っていることは比喩表現・例え話だが「ある意味、真実」。ジャンヌが語る言葉はこれらが入り混じっている。
それでも、この幻視の物質的な現実性を疑っていたのか、あるいは、それを霊的な意味でのみ真実だと考えていたのか。
いずれにせよ、ジャンヌは自発的に、聖カタリナと聖マルガリータに「このことを裁判官に話さない」と約束していた。[648]
「王の上に天使を見ましたか?」
ジャンヌは返答を拒否した。[649]
今回は、王冠についてはそれ以上何も言われなかった。
ジャン・ボーペールはジャンヌに、「頻繁にその声を聞くのか?」と尋ねた。
「声を聞かない日はありません。そして、それは私にとって大きく必要な支えです」[650]
ジャンヌは自分の声について語る際、常にそれを自分の避難所であり、安心であり、慰めであり、喜びであると形容した。
さて、すべての神学者たちは、「善良な霊(スピリット)が去るとき、魂は喜びと平安と慰めで満たされる」という点で一致しており、その証拠として、天使がザカリアとマリアに言った言葉「恐れることはない」を引用した。[651]
しかし、この理由は、イングランド派の聖職者たちに「イングランドに敵対する声が神のところから来ている」と納得させるには十分ではなかった。
そして、ジャンヌは付け加えた。
「私は彼らに、私の魂の救済以外の最終的な報酬を求めたことは一度もありません」[652]
この日の最後の尋問は、「祝祭日にパリを攻撃した」という死刑に値する罪状だった。
おそらくこのことに関連して、ときどき質問を投げかけていたフランシスコ会の修道士ジャック・ド・トゥレーヌが、「イングランド人が殺されている場所にいたことがあるか?」と尋ねたのだろう。
「神の名において、私がそんな場所にいたことがあったでしょうか?」
ジャンヌは激しく言い返した。
「なんて軽々しく言うの! なぜ彼らはフランスから立ち去り、自分の国に帰らなかったの?」
議場にいたイングランドの貴族は、この言葉を聞いて隣人に言った。
「誓って言うが、彼女は善良な女性だ。なぜイングランド人ではないのか?」[653]
11.4 第三回公判(1)声からの指示、自画自賛と失言
3回目の公開審問は、2日後の2月24日土曜日に予定された。[654]
ちょうど四旬節(レント)だ。ジャンヌは断食を非常に厳格に守った。[655]
⚠️四旬節(Lent):復活祭前の40日間のこと。四旬とは40日間のことだが、日曜日は数えないため合計46日間におよぶ。期間中、食事は1日1回のみ。魚を除く肉・卵・乳製品を食べてはいけない。
23日金曜日の朝、ジャンヌは「声」によって起こされた。
ベッドから起き上がると、両手を組んで座り、感謝を捧げた。
それからジャンヌは、裁判官たちに何と答えたらいいかを尋ね、主(神)の御心を聞いてくれるよう、「声」に懇願した。
最初、「声」はジャンヌに理解できない言葉を発した。特に困難な状況では、そのようなことが時々起こった。それから「声」はこんなことをと言った。
「大胆に答えなさい。神はあなたを助けてくださるでしょう」[656]
その日は晩祷(夕べの祈り)の時間に二度目、そしてアヴェ・マリアの鐘(夕方の鐘)が鳴る時に三度目の「声」を聞いた。
金曜から土曜にかけての夜、また「声」がやって来て、フランス国王の幸福のために多くの秘密を明かした。そのおかげでジャンヌは大きな慰めを得た。[657]
おそらく「声」は、ジャンヌが敵の手から救われること、その一方で裁判官たちが大きな危険にさらされていることを繰り返し保証したのだろう。
ジャンヌは指示をもらうために、自分の「声」に完全に依存していた。
裁判官たちに何を言えばいいか困ったときは神に祈った。敬虔に神に語りかけた。
「善良なる神よ、あなたの聖なる受難のために、もしあなたが私を愛しているなら、教会の人たちに何と答えるべきかを明らかにしてください。私の服装については、これを着るように命じられたことはよく知っています。ですが、脱ぐことについては何も知りません。どうか、このことを私に教えてください」
すると、すぐに「声」が聞こえてきた。[658]
*
衣装室で開かれた第三回公判には、陪席者62人が出席し、そのうち20人は新しい顔ぶれだった。[659]
ジャンヌは、尋ねられたことすべてに答えると聖書に誓うことを、前よりもさらに強く拒否した。
ボーヴェ司教は慈悲深く、「頑固な拒否は疑いを招く原因になる」と警告し、すべての罪状で有罪判決を受ける事態を避けるために宣誓するよう命じた。[660]
これ(聖書に宣誓)はまさしく異端審問における規則だった。
1310年、ベギン会修道女のひとりポレットは、パリの聖なる異端審問官ギヨーム修道士が要求する宣誓を拒否した。ポレットはただちに破門され、それ以上の尋問を受けることなく、長い手続きの後、パリの代官(Provost)に引き渡されて、生きたまま火刑に処された。火刑台での彼女の信心深さは、傍観者全員の涙を誘った。[661]
それでも司教は、ジャンヌに無条件の誓いを強要することができなかった。
ジャンヌは「裁判に関して知っていることはすべて真実を語る」と誓ったが、裁判に関係ないことについては沈黙を守る権利を留保した。
ジャンヌは、前日に聞いた「声」については自由に語ったが、国王に関わる啓示については語らなかった。
しかし、ジャン・ボーペールがそれらの情報を知りたがっている様子を見せると、ジャンヌは返答するまで二週間の猶予を求めた。それまでに自分は解放されると確信していたからだ。
その後すぐに、ジャンヌの「声」が国王の幸福について打ち明けた秘密を自慢し始めた。
「私は今すぐに彼に知ってほしいのです。たとえその結果、今からイースターまでワインを飲めなくなるとしても」[662]
彼女はそう言った。
「今からイースターまでワインを飲めなくなる!」
ジャンヌは、バラ色のワイン(ヴァン・グリ、Vin gris)の産地でよく使われる口癖を、なにげなく口にしたのだろうか? ドンレミの女性たちは、パン一切れにほんの一滴か二滴のワインを垂らして食事代わりにしていた。[663]
それともジャンヌは、仲間の兵士たちから手荒な一撃や痛烈な打撃を浴びせる手癖とともに、こういう口癖を身につけたのだろうか?
ああ! 復活祭までの5週間、イポクラス(香辛料入りのワイン)を飲んでいるとは、なんという偽善者だろう!
いや、ジャンヌはいつものように軽い気持ちで流行りのフレーズを使っただけで、明確な意味など見出していなかった。
ただ漠然とワインに親愛の情を示しただけなのか、もしかしたら、救出後にフランスの貴族たちがジャンヌを称えて乾杯するだろうという希望を思い浮かべたのかもしれない。
⚠️復活祭(Easter):イエス・キリストの復活を記念する祝祭日。春分後の最初の満月のあとの日曜日。
⚠️補足:11.4冒頭のとおり、復活祭前の四旬節が始まった。期間中、食事は1日1回のみ。魚を除く肉・卵・乳製品を食べてはいけない。もちろん飲酒もだめ。ジャンヌの証言は、一般のキリスト教徒でさえ禁欲・断食する期間中にワインを飲む習慣があることを示唆している。日常会話ならウィットに富む言い回しだろうが、不謹慎なことに変わりない。しかも、ジャンヌ自身の異端審問中に…うかつにも程がある。
11.5 第三回公判(2)神の恩寵を受けているか/マーリンの予言/女性の服
ジャン・ボーペールは、ジャンヌが「声」を聞いたときに何か見えるかどうかを尋ねた。
「すべてを話すことはできません。許可されていないのです。『声』は善良で価値あるものです……。この質問に答える義務はありません」
すぐに回答しなかった事柄について、ジャンヌは文書を寄越すよう求めた。[664]
この文書を何に使うつもりだったのだろうか?
ジャンヌは読み書きができず、弁護士の助言も得られなかった。
ロワズルールのような、彼女を欺いている偽りの友人にこの文書を見せたかったのか? それとも、聖人たちに捧げるつもりだったのか?
*
ボーペールは、ジャンヌの「声」に顔と目があるかどうかを尋ねた。
ジャンヌは答えることを拒否し、代わりに子供たちがよく口にする言葉を引用した。
「真実を語ったせいで絞首刑に処されることもある」[665]
ボーペールはさらに尋ねた。
「あなたは、自分が神の恩寵を受けているかどうか知っているか?」
これは極めて油断のならない質問だった。ジャンヌは自分が罪深いことを認めるか、あるいは許しがたいほど傲慢な印象を与えるか、というジレンマに陥った。
陪席者のひとり、隠者修道会のジャン・ルフェーヴルは「彼女に答える義務はない」と述べた。部屋中にざわめきが広がった。
しかし、ジャンヌは言った。
「もし私がそうでないなら、神が私をそこに導き入れてくださいますように。もしそうであるなら、神が私をそこに留めてくださいますように」[666]
陪席者たちはこの即答に仰天した(astonished)が、ジャンヌに対する態度は改善しなかった。彼らは、ジャンヌが王について話すときは「良い」と認めたが、それ以外のことについては「女性特有の異常さが際立っている」と見なした。[667]
⚠️仰天した(astonished):これも「驚く」の強調バリエーションの一つだが、ネイティブ英会話の辞書によれば「嬉しいことではなく、ネガティブなことを知った時によく使われる」
日本語訳版の文献でたびたび見られる「異端審問でジャンヌの答弁に驚かされるシーン」はこの人変、頭おかしい寄りの驚き表現であり、好意的なニュアンスではないことに注意。少なくとも親しい友達や家族に使うフレーズではない。
その後、ジャン・ボーペールはジャンヌに、村での子供時代について尋問した。彼は、彼女が残酷で、幼い頃から殺人的な傾向を示し、ドンレミの人々に悪い評判を与えた偶像崇拝的な慣習に耽っていたことを示そうと試みた。[668]
それから彼は、ジャンヌの使命のあいまいな起源を解明する上で、最も重要な点に踏み込んだ。
「あなたはボワ・シュヌ(樫の森、Bois Chêne)から遣わされた者とみなされてなかったか?」
この方面からの切り口なら、彼は重要な啓示(証拠)を得ることに成功したかもしれない。偽りの予言は、確かにフランスにおけるジャンヌの名声獲得に貢献していた。だが、異端審問の聖職者たちは、ベーダやマーリンの偽作を見分ける能力がなかった。[669]
⚠️ボワ・シュヌ(Bois Chêne):ジャンヌの家から見える樫の森。上巻・第一章『1.4 Fateの伝説:妖精の泉と女神の木』と上巻・第六章『6.12 魔術師マーリンの予言(2)ボワ・シュニュから来る乙女』参照。
ジャンヌは答えた。
「私が王のところへ行った時、ある人たちが私の故郷にボワ・シュヌと呼ばれる森があるかどうか尋ねました。この森の近くから奇跡を起こす乙女が現れるという予言があったからです。でも、私はそんなことは気に留めませんでした」
私たちはこの証言を信じるしかない。
だが、たとえジャンヌが『ボワ・シュヌの乙女』に関するマーリンの予言を信じていなかったとしても、「ロレーヌ辺境から乙女の姿で救世主が現れる」という予言の内容にかなり注目していたのは確かだ。
なぜなら、ジャンヌは一時期、この予言についてラッソワ叔父さんとその友達のルロワイエ夫妻に、彼らを驚かせるほどの熱意で繰り返し語っていたのだから。
なお、二つの予言が瓜二つであることはすでに述べた通りだ。[670]
⚠️ルロワイエ夫妻:上巻・第三章『3.7 ヴォークルール再訪:下宿先での暮らしぶり』から何度か登場。
⚠️二つの予言が瓜二つ:「ベーダの偽予言」と「マーリンの改竄された予言」の検証は上巻・第六章『6.14 偽の予言:献身的な謀略』参照。
ジャン・ボーペールは『魔術師マーリンの予言』の話題を突然変えて、こう尋ねた。
「ジャンヌ、あなたは女性用の服を持っているか?」
「ひとつください。そうしてくれたら、受け取ってここを立ち去ります。そうでなければ要りません。神は私がこれを身に着けることを喜んでいるので、これで満足します」
この返答には、異端につながる二つの誤りが含まれていたため、ボーヴェ司教は法廷をいったん休廷した。[671]
11.6 第三回公判(3)ボーヴェ司教の差し入れ
翌日、2月25日は四旬節の最初の日曜日だった。
この日かあるいは別の日か、おそらくこの日だろうが、司教はジャンヌにシャッド(shad、ニシン科の魚)を送った。
⚠️補足:四旬節の期間中は、牛乳やバターを含め動物性の食物を食べてはいけないが魚は例外。オルレアン包囲戦のニシンの戦いも、このキリスト教の慣習(戦地への差し入れ)が背景にある。
ジャンヌはこの魚を食べた後、熱を出して嘔吐した。[672]
パリ大学の二人の文学修士・医学博士であるジャン・ティフェーヌとギヨーム・ド・ラ・シャンブルは、裁判の陪席者として、ウォリック伯に呼び出され、こう告げられた。
「聞いた話によると、ジャンヌが病気になった。回復のために対策を講じるべく、あなたたちを呼んだ。国王(ヘンリー六世)は彼女が自然死するなど決して望んでおられない。彼女は国王にとって大切な存在であり、高価な代償を払って買い取ったのだ。国王の意向は、彼女が正義の手によって裁かれて死ぬこと、つまり火刑に処されることだけだ。火あぶり以外の原因で死ぬことがないように、必要な処置はすべて行い、彼女を注意深く観察して回復に努めてほしい」[673]
医師たちは、ジャン・デスティヴェ検事に案内されてジャンヌの元へ向かい、彼女に苦しみの原因を尋ねた。
ジャンヌは「ボーヴェの司教から送られた鯉(carp)を食べた」ことを告げ、「それが病気の原因だと思う」と答えた。
⚠️鯉(carp):コイ科の魚だが、不平不満・粗探しという意味もある。
ジャンヌはボーヴェ司教が毒殺を企んでいると疑ったのだろうか?
ジャン・デスティヴェはそう受け取り、激怒した。
「ふしだらな女め!」彼は叫んだ。
「こうなったのは自業自得だ! おまえはニシン(herring)や他のものを食べて病気になったのだ」
「そんなことはありません」と彼女は答えた。
二人は互いに侮辱し合い、ジャンヌの病状は悪化していった。[674]
医師たちはジャンヌを診察し、熱があることを確認した。そこで瀉血を行うことを決めた。ウォリック伯爵にそのことを報告すると、伯爵は心配になった。
「瀉血だと!」彼は叫んだ。
「用心しろ! 彼女は狡猾だから自殺するかもしれない」
それでもジャンヌは瀉血を受け、回復した。[675]
⚠️瀉血(bleed):中世〜近代ヨーロッパで盛んにおこなわれた治療法。体内にたまった不要な血液を体外に排出することで症状の改善・回復が見込めるとされたが根拠に乏しく、現代医学では廃れた。
⚠️訳者のこぼれ話:シャルル七世がジャンヌを見殺しにしたと誤解される理由判明
下記、ウォリック伯の言葉を訳しながら気づいたこと。
「国王(ヘンリー六世)は彼女が自然死するなど決して望んでおられない。彼女は国王にとって大切な存在であり、高価な代償を払って買い取ったのだ。国王の意向は、彼女が正義の手によって裁かれて死ぬこと、つまり火刑に処されることだけだ」
原文では「国王」としか書かれてない。
一部の人がどういうわけか「シャルル七世がジャンヌを見殺しにした、死んでもいいと思っていた」と思い込んでいるのは、もしかしたらフランス王シャルル七世とイングランド王ヘンリー六世を区別してないせいではないだろうか?
🔸フランス人が言う「国王」→シャルル七世
🔸イングランド人が言う「国王」→ヘンリー六世
読み手にこの前提がないと混同すると思いませんか…?
セリフの「国王」をすべてシャルル七世と勘違いしているのでは…?
気の利いた翻訳者なら、ウォリック伯のセリフを「ヘンリー六世」と訳すだろうが、そもそも西洋史に通じている人が少ないので、翻訳者自身が文脈(国王の違い)を認識してないかもしれない…。
当時のヘンリー六世は子供で、めったに表に出てこない。
映像・ビジュアル作品だと特に「国王=シャルル七世の外見」でインプットされてしまうので、シャルル七世とは別に敵方の国王がいること、ウォリック伯の言う「国王」がシャルル七世ではないということが読者・視聴者に伝わりにくい。
【追記・余談】西洋史に通じている人が少ない:失礼に聞こえたら申し訳ない。以前、拙作『7番目のシャルル』が某社レジェンド賞最終選考に残ったときに「西洋史ものは商業で需要がない」と短評が返ってきた件と、小説家養成講座に参加したときに主催の某社編集長が「題材はおもしろいが西洋史系やれる編集がいない」と言っていた件が根拠です。
当方は推し活(シャルル七世推し)で執筆・翻訳やってますが、これらの経験から、商業デビューをめざすなら西洋史ものは相当厳しいと言わざるを得ない。
なお、小説家養成講座は1日のみでしたが、全員参加のプロット発表会で1位に選ばれたので、これまで無冠の『7番目のシャルル』、そこそこおもしろいはずだと思っている(自画自賛ですかそうですね)
11.7 第四回公判(1)聖ミカエルと聖女たちの見分け方/あなたに光は届かない
26日の月曜日は異端審問がなかった。4回目の審理がひらかれた27日の火曜日、ジャン・ボーペールはジャンヌに「体調はどうか」と尋ねたが、この問いかけは彼女の心にはほとんど響かなかった。ジャンヌはそっけなく答えた。
「あなたがご覧の通りですよ。私は可能な限り元気です」[677]
今回の審理は54人の陪審員が出席し、衣装室で行われた。[678]
そのうち5人は新しい顔ぶれで、その中にルーアンの聖堂参事会員ニコラ・ロワズルールがいた。ロレーヌ出身の靴職人や聖カタリナに扮してジャンヌから情報を引き出す役目で、この異端審問に参加していた。[679]
前回の土曜日(第三回公判)と同様に、ジャン・ボーペールはジャンヌが「声」を聞いたかどうかを知りたがっていた。彼女は毎日「声」を聞いていた。[680]
彼はジャンヌに尋ねた。
「あなたに語りかけているのは天使の声か、それとも聖女または(男性)聖人の声か? 通訳なしで神が語りかけているのか?」
「この『声』は聖カタリナと聖マルガリータの声です。彼女たちの頭には、美しく、実に豪華で、非常に貴重な冠があります。神からあなたにそう伝えても良いと許可をいただきました。もし疑うなら、私を尋問したポワティエに問い合わせてください」[681]
ジャンヌが「フランスの聖職者たちに聞け」と訴えたのは正しかった。
アルマニャック派の神学者は、信仰の事柄に関してはイングランドやブルゴーニュ派の神学者と変わらない権威を持っていた。彼らは全員、バーゼル公会議で顔を合わせるはずではなかったか?
異端審問官は尋ねた。
「なぜあなたはその二人が聖人だとわかるのか? それぞれを区別できるのか?」
「彼女たちが誰なのかよく知っています。そして、私は二人を区別できます」
「どうやって?」
「彼女たちが私にしてくれる挨拶によって」[682]
誤りや嘘を理由に、ジャンヌを軽率に責めてはならない。旧約聖書『士師記』第六章で天使はギデオンに挨拶し、同じく『トビト記』第十二章でも大天使ラファエルはトビアに挨拶したではないか。[683]
その後、ジャンヌは別の理由を述べた。
「彼女たちは自分の名前を呼ぶので、誰だかわかります」[684]
聖女たちは同じ服を着ているのか?
同じ年齢なのか?
同時に話すのか?
どちらかが先に現れるのか?
ジャンヌはこれらの尋問に答えることを拒否し、「話すことを許可されてません」と理由を述べた。[685]
ジャン・ボーペールは、「13歳くらいのときに最初に現れた幻影はどちらか?」と尋ねた。ジャンヌはこう答えた。
「それは聖ミカエルでした。私はこの目で彼を見ました。彼は一人ではなく、天使たちも一緒にいました。私がフランスに来たのは、神の命令によるものです」
「実際に、聖ミカエルと天使たちの肉体を見たのか?」
「あなたを見るのと同じくらいはっきりと、この目で彼らを見ました。彼らが去ったとき、私は泣きました。私も彼らと一緒に連れて行ってほしかった」
「聖ミカエルはどのような姿をしていたか?」[686]
ジャンヌは言うことを許可されていなかった。
次にこう尋ねられた。
「フランスに行く許可を神から得たのか? 男装するように神から命じられたのか?」
この尋問に答えなければ、ジャンヌは異端の疑いをかけられる可能性が高まる。
どのように返答しても、重大な告発を受ける危険にさらされるだろう。
ようするに、(1)殺人と忌まわしい行為の告発をジャンヌ自身で引き受けるか、あるいは(2)神のせいにするかのどちらかで、後者は明らかに神への冒涜だった。
フランスに行った件についてはこう答えた。
「神の許可なしでフランスに行くくらいなら、髪の毛をつかまれて引きずり回された方がましです」
服装についてはこのように付け加えた。
「服装は取るに足らないことで、無に等しいです。私が男装したのは、この世における誰の助言にも従っていません。私がこの服を着たり何かをしたりしたのは、神とその天使たちの命令による以外にありません」[687]
ジャン・ボーペールは尋ねた。
「その声があなたに向かってくるのを見るとき、何か光はあるのか?」
すると彼女は、ポワティエの時と同じように冗談めかして答えた。
「私の優しい領主さま、あなたにはあらゆる光が届かないのです」[688]
11.8 第四回公判(2)剣と殺人、矛盾だらけの返答
結局のところ、ルーアンの博士たちが策略と狡猾さに基づいて進めていたのは、事実上フランス国王(シャルル七世)に対する訴訟のためだった。ジャン・ボーペールは、次のような質問を投げかけた。
「あなたの王は、どのようにしてあなたの言葉を信じるようになったのか?」
「それは『しるし』によって、そして国王の聖職者たちによって、その言葉が良いと証明されたからです」
「あなたの王には、どのような啓示が下されたのか?」
「それについては、今年は私から聞くことは何もないでしょう」
ヘンリー六世の顧問だったボーヴェ司教ピエール・コーションは、ジャンヌの言葉を聞きながら、旧約聖書『トビト記』第十二章7節に出てくる「王の秘密を隠しておくのは良いことである」という一節を思い出さなかったのだろうか?
*
その後、ジャンヌは「聖カタリナの剣」について詳しく答えるよう求められた。
聖職者たちは、ジャンヌが占いの術や悪魔の助けを借りてその剣を見つけたか、あるいは剣に呪文をかけたのではないかと疑っていた。ジャンヌが知っている言葉すべてを駆使しても、彼らの疑念を晴らすことはできなかった。[689]
それから話題は、ジャンヌが「ブルゴーニュ人から奪った剣」へと移った。
「コンピエーニュではそれを身に着けていました。なぜなら、その剣は手応えのある一撃(clout)や良い打撃(buffet)を与えるのに最適だったからです」[690]
打撃(buffet)は平らな面で叩くことで、一撃(clout)は横から殴ることだ。
しばらくして、ジャンヌはバナー旗について「誰も殺さないように、敵に突撃するときは自分で旗を掲げていました」と語り、こう付け加えた。
「私はひとりも殺したことはありません」[691]
博士たちは、ジャンヌの返答がさまざまに変化していることに気づいた。[692] 実際、その通りだった。
しかし、もし博士たちもジャンヌのように昼夜を問わず毎時間、天が降りてくるのを見ていたとしたら。すべての思考、すべての本能、善も悪も、言語化されていないすべての願望が瞬時に「神の命令」に変わって「声」が語りかけてくるとしたら、彼らの返答もジャンヌ同様にさまざまに変化していただろう。
現実と幻想の区別がつかずに錯覚状態に陥り、言葉や行動が矛盾だらけになり、ジャンヌよりも分別を欠き、優しさも勇気も発揮できなかったに違いない。
この日の尋問は長時間にわたり、3時間から4時間も続いた。[693]
尋問を終える前に、ジャン・ボーペールはジャンヌに「オルレアンで負傷したかどうか」を尋ねた。これは興味深い指摘だった。魔女は血を流すと力を失うと一般的に信じられていたからだ。
終盤、博士たちはジャルジョーの降伏について言い争い、法廷は休廷となった。[694]
11.9 異議あり(1)ジャン・ロワエ「4つの問題、処刑ありきの裁判」
著名なノルマン人の聖職者、ジャン・ロワエ師がルーアンに来た際、ボーヴェ司教は彼に裁判について報告するよう命じた。四旬節の最初の土曜日である2月24日、司教は彼をサンニコラ・ル・パンテュール近くの自宅に呼び出し、審理の手続きについて意見を求めた。
ジャン・ロワエの意見は、司教を大いに動揺させた。
司教は急いで、ジャン・ボーペール、ジャック・ド・トゥレーヌ、ニコラ・ミディ、ピエール・モーリス、トマ・ド・クールセル、ニコラ・ロワズルールといった博士や教授たちのところへ駆けつけ、彼らにこう告げた。
「ロワエがここに来て、私たちの裁判について素晴らしい見解を持っている! 彼はあらゆることに異議を唱え、我々の手続きは無効だと主張している。もし彼の助言に従うなら、すべてを最初からやり直さなければならず、私たちがこれまでにしてきたことがすべて無駄になってしまう! 彼が何を企んでいるかは明らかだ。 聖ヨハネの名にかけて、そんなことは絶対にしない。裁判はすでに始まっているのだから、このまま進めていく」
翌日、ノートルダム教会でギヨーム・マンション(第一書記)はジャン・ロワエと会い、「裁判記録を何かご覧になりましたか?」と尋ねた。
「見ました」とジャン・ロワエは答えた。
「この裁判は無効です。多くの理由から、これを支持することは不可能です。まず第一に、正規の形式ではない」[695]
ジャン・ロワエが言いたいのは、「ジャンヌに対する訴訟手続きは、彼女の有罪の可能性に関する予備調査なしに行われるべきではなかった」という意味だ。ボーヴェ司教がおこなった調査を知らなかったか、あるいは調査が不十分だと考えたのだろう。[696]
「第二に」とジャン・ロワエは続けた。
「この事件を審理する裁判官と陪席者は、城に閉じ込められており、率直に意見を述べる自由がない」
「第三に、この裁判には召喚されていない人物が多数関与しており、特にジャンヌが所属していたフランス国王の名誉に関わるものだが、国王自身も代理人も召喚されていない」
「第四に、文書も明確な書面による告発状も提出されていないため、この単純な少女は、多数の教授と偉大な医師たちを相手に、彼女の啓示に関するとりわけ重大な問題について、何の助言も受けずに答弁をせざるを得ない」
これらの理由から、ジャン・ロワエは「この裁判は無効である」と判断した。
「彼らがどのように審議を進めているかをご覧なさい。ジャンヌの言葉尻を捕らえようとばかりしている。例えば、彼女は幻影について『確かに知っている』と発言している。もし『確かに知っている』ではなく『私にはそう思える』と発言すれば、誰も彼女を有罪にすることはできない」
ジャン・ロワエはさらに付け加えた。
「彼らを突き動かしている支配的な感情は、憎しみだと感じます。目的は彼女を死に追いやることです。だから、私はもうここに留まりたくない。私はこの裁判を見届けることはできません。私の意見は不快感を与えるでしょうから」[697]
その日のうちに、ジャン・ロワエはルーアンから立ち去った。[698]
11.10 異議あり(2)ニコラ・ド・ウップヴィル「ボーヴェ司教の越権行為について」
ジャン・ロワエの他、著名な聖職者ニコラ・ド・ウップヴィルも似たような経験をした。ある聖職者との協議の中で、彼は「ジャンヌに敵対的な人物を裁判官に任命するのは正しい手続きではない」という意見を表明した。
さらに、「ジャンヌはすでにポワティエの聖職者とランス大司教から尋問されて認められている。その上、ランス大司教はボーヴェ司教の管区大司教(Metropolitan bishop)ではないか」と付け加えた。
⚠️管区大司教・首都大司教(Metropolitan bishop):教会管区の裁治権を持ち、管区内の司教・大司教を召集する権利と義務を有する。参考までに、現代日本では東京・大阪・長崎の3カ所のみで、かなり広い範囲を統括していることがわかる。
⚠️補足:ボーヴェ司教(Bishop)ピエール・コーションよりも、ランス大司教(Archbishop)ルニョー・ド・シャルトルのほうが階級が高い上に、管区内の直接の上役なので、ジャンヌを裁くのは越権行為だと非難している。
この話を聞いたボーヴェ司教は激怒し、ニコラ・ド・ウップヴィルに出頭するよう命じた。するとニコラは「ルーアンの役人は私の上司だが、ボーヴェ司教は私の裁判官ではない」と答えた。
言い伝えによると、その後ニコラ・ド・ウップヴィルは『国王の牢』に投獄された。事実なら、それはボーヴェ司教を怒らせたという理由ではなく、より厳密な司法上の理由によるものだったに違いない。
しかし(投獄された話は伝聞のみで証拠がないため)、この名高い聖職者は、裁判で陪席者を務めることを望まず、参加を強いられるのを避けるために、ルーアンから出て行った可能性のほうが高いだろう。[699]
*
一部の聖職者たち、とりわけジャン・ピガッシュ、ピエール・ミニエ、リシャール・ド・グルシェたちは、脅迫され、恐怖に駆られて意見を述べてしまったと後になって気づいた。
「私たちは裁判に出席しましたが、審理の間ずっと、逃亡を考えていました」[700]
実際には、誰かの意見に対して暴力が行使された事例はなく、裁判への出席を拒否した者が妨害される事例もなかった。
脅迫! しかし、なぜ脅迫が必要だったのか?
当時、魔女を有罪にするのはそれほど難しかったのか?
ジャンヌは魔女ではなかった。
だが、他の魔女容疑者たちもそうではなかった。
それでも、ジャンヌと他の魔女容疑者たちの間には、大きな違いがある。
ジャンヌはアルマニャック派を有利にする呪文をかけたと疑われた。彼女を有罪にすることは、支配者のイングランド人に奉仕する(媚を売る)ことを意味する。
これ(イングランドの反応)は考慮すべき点だが、思慮深い人が心に留めておくべき点がもうひとつある。
それは、「イングランドに奉仕する」ために有罪判決を下せば、イングランドに代わって再び支配者となりつつあった「フランスを激怒させる」ということだ。
二者の問題は、博士たちを非常に悩ませた。
だが、後者の考慮事項は、前者の考慮事項ほど重要ではなかった。
彼らは、フランスがノルマンディーを再征服するほど近づいていることにまだ気づいていなかったのだ。
11.11 第五回公判(1)アルマニャック伯との往復書簡/教皇問題への口出し
5回目の審理は3月1日にいつもの法廷で開かれ、58人の陪席者が出席し、そのうち9人は新しい顔ぶれだった。[701] この日、異端審問官が最初に尋ねた質問は次の通りだ。
「あなたは教皇についてどう思う? そして、真の教皇は誰だと考えている?」
ジャンヌは別の質問をすることで巧みに答えた。
「二人いるのですか?」[702]
いや、二人ではない。クレメンス八世の退位で教会大分裂は終結し、教会の大きな亀裂は13年間解消され、すべてのキリスト教国がローマ教皇を承認した。フランスでさえ、アヴィニョンの教皇が消滅したことを受け入れていた。
しかし、被告人(ジャンヌ)も裁判官も知らなかったことがある。
1431年3月1日当時、教皇は二人いるどころか一人もいなかった。
2月20日のマルティヌス五世の死去によって聖座(教皇の座)は空位となり、3月3日にエウゲニウス四世が選出されるまで空白だったのだ。[703]
異端審問官が『真の教皇』について尋問したのは、動機があった。
続けて彼が「アルマニャック伯からの手紙を受け取ったか?」とジャンヌに尋ねた際に、その動機は明らかになった。
⚠️手紙全文は、下巻・第二章『下2.2 三人の教皇(1)アルマニャック伯の手紙』参照。
ジャンヌは手紙を受け取り、返信したことを認めた。
これら二通の手紙の写しが証拠として提出され、裁判で読み上げられた。
アルマニャック伯は手紙で「三人の教皇のうち真の教皇は誰か?」をジャンヌに尋ね、ジャンヌは同じく手紙で「今は答える時間がないので、パリに来たときに時間ができたら答える」と返事をしたようだ。
この二通の手紙が読み上げられるのを聞いたジャンヌは、「私の手紙は部分的にしか私のものではない」と断言した。
ジャンヌはいつも口述筆記をしているが、書き取った文章を読むことができなかった。そのため、馬に騎乗しながらせわしなく口にした言葉が正確に書き写されなかった可能性がある。
しかし、複雑で矛盾した一連の返答の中で、ジャンヌ自身が口述した内容と書かれた文章がどのように異なっているかを、彼女は証明できなかった。[704]
この手紙自体、教会の事柄について多少の知識を持っている聖職者よりも、無知な空想家から出たものである可能性の方がはるかに高いと思われる。
そこには、ジャンヌの他の手紙に見られる独特の言葉づかいや表現が含まれている。この手紙が、ジャンヌによるものであることはほぼ間違いない。
ジャンヌはアルマニャック伯宛の返信のことをすっかり忘れていたようだが、驚くべきことではない。これまで見てきたように、ジャンヌの記憶はときどき奇妙なほどあいまいだった。[705]
11.12 第五回公判(2)教皇の死/処刑を急ぐ理由
裁判官たちは、この手紙をもっとも重大な告発の根拠とし、非難されるべき無謀さの証拠とみなした。
教会だけが教える権利を持つ事柄を、「神自身から告げられた」と主張するこの女のなんたる傲慢さ! そして、内なる啓示によって真の教皇を指し示そうとする行為は、キリストの花嫁に対して重大な罪を犯すも同然であり、冒涜的な手で聖なる神の継ぎ目のない衣を引き裂くことではないか?
今回ばかりは、ジャンヌは裁判官たちが自分をどのように罠にかけようとしているかをはっきりと理解し、そのため、ローマ教皇に対する信仰心を二度宣言した。[706]
パリ大学の権威たち、つまり「間違った教皇を信じることは死に至る大罪である」と考えるこれらの高名な博士たちが、教皇への信仰心(忠誠心)と同じくらい不信心(不敬)であることを、ジャンヌが知っていたらどれほど苦々しく微笑んだだろうか。
この時、彼らの中にいる、偉大な博士トマ・ド・クールセル、審問官ジャン・ボーペール、聖カタリナに扮したニコラ・ロワズルールといった連中は、ジャンヌを早急に処刑したくてたまらなかった。
なぜなら、彼らはラバにまたがってバーゼルへ急行し、そこでサタンのシナゴーグで聖使徒座に雷を落とし、教皇を公会議に服従させ、教皇にとって瞳孔よりも大切な初収入税(annates)を没収し、そして最終的には教皇自身の罷免を企んでいたのだから。[707]
⚠️補足:教会大分裂が終わった後、今度は「教皇」と「公会議」が争っている。教皇は公会議に解散命令を出し、公会議は教皇罷免を命じている。
⚠️さらに補足:異端審問官たちはバーゼル公会議に出席して、教皇が代替わりする重大事に「いっちょかみ」したい。これは教皇への信仰と不敬が同時に存在していることを意味する。また、教皇の死とバーゼル公会議の状況は、ジャンヌ処刑を急ぐ理由になっている。
今こそ、ジャンヌは単純な魂の声で、教会の名誉のために彼女に復讐しようと熱心な司祭たちにこう叫ぶべきだった。
「私はあなたたちよりももっとカトリック(普遍)です!」
その言葉は、かつてリムーザン出身の聖職者に向かって言ったときよりも、さらにふさわしいものだっただろう。
しかし、本書ではこれらの聖職者たちについて、バーゼルの公会議で善良なガリア主義者だったことを非難するのではなく、ルーアンの異端審問で残酷で偽善的だったことを非難するべきだ。
⚠️カトリック(Catholic):キリスト教の宗派の印象があるが、本来の意味は「普遍的」。カトリック=普遍から外れたのが「異端(Heretic)」
⚠️リムーザン出身の聖職者:ポワティエにいた南部訛りの修道士セガンに「あなたは神を信じますか?」と聞かれて、ジャンヌは信仰を疑われていると感じて腹を立て「はい、あなたよりももっと信じています」と答えた。上巻・第七章『7.6 ラ・ローズ邸にて(4)修道士セガンとの論争』参照。
11.13 第五回公判(3)獄中の予言/ミカエルとガブリエル/天使の言語
獄中でジャンヌは、看守ジョン・グレイの前で予言について話した。このことを知った裁判官たちは、ジャンヌ自身の口からそれを聞きたいと考えた。
「7年経たないうちに」とジャンヌは裁判官の前で言った。
「イングランドはオルレアンで失ったものよりも大きな賭けに負けるでしょう。彼らはフランスですべてを失う。フランスでこれまで味わったことのない大きな損失を被る。そしてそれは、神がフランスに偉大な勝利を与えてくださるから起こるのです」
「どうしてそれを知っているのか?」
「私に与えられた啓示によって、これが7年以内に起こることを知っています。もしそれより遅れるようなら、私は大いに悲しむでしょう。あなたが今この瞬間に私の目の前にいるのと同じくらい確信を持って、私は啓示によってそれを知っています」
「それはいつ起こるのか?」
「その日も時間もわかりません」
「しかし、年は?」
「今はわかりません。ですが、聖ヨハネの祝日までにわかるよう願っています」
「冬の聖マルティヌスの日までにそれが起こるはずだと言ってなかったか?」
「私が言ったのは『冬の聖マルティヌスの日までに多くのことが起こり、イングランドが敗北するかもしれない』です」
そこで異端審問官は「聖ミカエルが来たとき、聖ガブリエルが一緒にいたかどうか?」を尋ねた。ジャンヌは「覚えていません」と答えた。[708]
自分を訪ねてきた大勢の天使の中に、聖母マリアに挨拶し(受胎告知)、人類の救済を告げた(キリスト誕生)天使ガブリエルがいたかどうか、ジャンヌは思い出せなかった。これまで多くの天使や大天使を見てきたが、この天使は特に印象に残らなかったようだ。
⚠️聖ガブリエル(Saint Gabriel):キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使のひとり(ユダヤ教ではウリエルを入れて四大天使)。古来より、人の前にあらわれて神の言葉を伝えるメッセンジャー役を務める。
これほどまでに完璧で単純な答えの後で、これらの司祭たちはどうしてジャンヌの幻視について質問を続けることができたのだろうか? 彼らは十分に啓蒙されていなかったのか?
そうではない! ジャンヌの無邪気な答えは、尋問官の熱意をかき立てた。彼らは強烈な熱意と豊富な理屈をもって、天使から聖人へと話題を変え、こまかく陰険な質問を重ねた。
彼らの頭髪を見たか?
耳にリングをつけていたか?
冠と髪の間に何かあったか?
髪は長く垂らしていたか?
腕を持っていたか?
どのように話したか?
どんな声か?[709]
この最後の質問は、重要な神学的論点に触れている。悪魔の声は、荷車の車輪やワイン圧搾機のスクリューのように耳障りで、聖人の甘美な声を真似ることはできないからだ。[710]
ジャンヌは「その声は美しく、甘く、柔らかく、フランス語で話しました」と答えた。
そこですかさず「なぜ聖マルガリータは英語を話さないのか?」と巧妙に尋ねられた。ジャンヌはこう答えた。
「彼女はイングランド側ではないのだから、どうして英語を話す必要があるのでしょうか?」[711]
200年前、(ジャンヌの故郷)シャンパーニュ地方の詩人は、「神が美しく優雅に創造したフランス語は、楽園の言語である」と述べていた。
訳者の覚書:キリスト教の三大天使、ユダヤ教の四大天使
キリスト教の三大天使はミカエル、ラファエル、ガブリエル。
ユダヤ教ではウリエルを入れて四大天使とされる。
それぞれに担当する役目がある。
ミカエル:戦いと裁き
ラファエル:守護と治癒
ガブリエル:神の声を伝える使者
ウリエルを含める場合:裁きと預言・哲学
中世ヨーロッパの王侯君主に仕える宮廷人の役職そのままである。
11.14 第五回公判(4)魔女容疑/大天使ミカエルの姿/シャルル七世の王冠
その後、ジャンヌは指輪について尋ねられた。これは難しい問題だった。当時は魔法の指輪や護符のついた指輪がたくさんあったからだ。
それらは惑星の影響を受けた魔術師(占星術師)によって作られ、不思議な力を持つハーブや石を用いて、これらの指輪には呪文がかけられ、奇跡的な力が与えられた。星座の指輪は奇跡を起こした。
ジャンヌは残念ながら、粗末な指輪をたった2つしか持っていなかった。ひとつは真鍮製でイエスとマリアの名が刻まれており、両親から受け継いだものだ。もうひとつは兄弟からもらったものだった。後者は司教が保管し、前者はブルゴーニュ人がジャンヌから奪った。[712]
次に、妖精の木の近くで悪魔と契約を交わした件で、ジャンヌを罪に陥れようとする試みがなされた。ジャンヌはそう簡単には引っ掛からず、自分の救出と敵の破滅を予言することで反論した。
「私をこの世から追放したいと願う人たちは、私より先にこの世を去るでしょう……。私の王がフランス王国を勝ち取ることを私は知っています」
また、「マンドレイク(マンドラゴラ)をどうしたのか?」と尋ねられたが、「一度も持ったことがない」と答えた。[713]
さて、異端審問官は、大天使・聖ミカエルについてまだ好奇心にとりつかれていたようだった。
「彼は服を着ていたか?」
「彼(神または聖ミカエル)は身を包むものをものを持ってないと疑っているのですか?」
「彼には髪があったのか?」
「なぜ彼は髪を切らなければならないのですか?」
「彼は天秤を持っていたか?」
「わかりません」[714]
彼らの目的は、ジャンヌが見た聖ミカエルが、教会で描かれているように魂を量る天秤を持った姿だったかどうかを確認することだった。[715]
ジャンヌが「大天使の姿を見たとき、自分は死に至る罪の状態ではないと感じた」と言うと、異端審問官は彼女の良心について議論し始めた。彼女は真のキリスト教徒らしく答えた。[716]
*
それから異端審問官は、最初の尋問(『第二回公判』参照)以来言及されていなかった『シノンの神秘』、ジャンヌが聖カタリナを模倣して天使の手から受け取ったと信じていたあの不思議な王冠、いわゆる『しるしの奇跡』の話題に戻った。
⚠️王冠に関する話については、下巻・第十一章『下11.3 第二回公判(3)2種類の真実、現実か幻視か』参照。このページです。
しかし、ジャンヌは聖カタリナと聖マルガリータに「この件について何も言わない」と約束していた。
「あなたが王にしるしを見せたとき、誰か一緒にいたか?」
「他には誰もいなかったと思いますが、遠くない場所に大勢の人がいました」
「あなたが王にしるしを与えたとき、王の頭に王冠があるのを見たのか?」
「偽証しないで言うことはできません」
「あなたの王はランスで王冠をかぶっていたか?」
「私の王は、ランスで見つけた王冠を喜んで受け取ったと思います。ですがその後、非常に豪華な王冠が届けられました。王がそれを待たなかったのは、ランスの住民が町に兵士が駐留する負担をなくしたいと望んでいたため、式典を急いだからです。もし待っていたら、千倍も豪華な王冠を手に入れたでしょう」
「その『さらに豪華な王冠』を見たことがあるか?」
「偽証しないで伝えることはできません。たとえ私がそれを見ていなかったとしても、どれほど豪華で壮大であるかは聞いています」[717]
11.15 不良司祭の慈悲、司教と検事の脅迫と妨害
ジャンヌは、長いこと秘跡を受けられないことでひどく苦しんでいた。
ある日、ジャン・マシュー(法廷執行吏・案内役)がジャンヌを裁判官たちの前に連れていくとき、彼女から「途中にイエス・キリストの聖体がある教会か礼拝堂はありませんか?」と尋ねられた。[718]
ルーアンの首席司祭を務めるジャン・マシューは、躾のなっていない自堕落な聖職者だった。根深い好色さのせいで、聖堂参事会や役人との間でよくトラブルに巻き込まれていた。[719]
彼は、自分がそうありたいと願っていたほど勇敢でも率直でもなかったかもしれないが、冷酷でも無慈悲でもなかった。
ジャン・マシューは囚人(ジャンヌ)に「途中に礼拝堂がある」と告げて、城の礼拝堂を指し示した。
すると、ジャンヌは「神を崇拝して祈りを捧げるために、急いで礼拝堂に連れて行って欲しい」と必死に懇願した。ジャン・マシューは快く承諾し、ジャンヌが聖域の前にひざまずくことを許可した。ジャンヌは敬虔に身をかがめて祈りを捧げた。
*
この出来事を知らされたボーヴェ司教は、非常に不愉快に思った。この執行吏に「今後はこのような敬虔な行為を容認してはならない」と指示した。
そして、この異端審問を推進する検事ジャン・デスティヴェもまた、ジャン・マシューに対して何度も叱責した。
「ろくでなしめ」と彼は言った。
「破門された『ふしだらな女(whore)』が許可なく教会に近づくのを許すとは、一体どういうことか? もしまた同じことをしたら、おまえをあの塔に投獄するぞ。そこで一カ月間、太陽も月も見えないようにしてやる」
ジャン・マシューはこの脅しに耳を貸さなかった。
そして、検事はこのことに気づくと、ジャンヌがその道を通るときに、みずから礼拝堂の扉の前に立って見張るようになった。こうして彼は、この不幸な乙女が信心深く祈りを捧げるのを阻止した。[720]
⚠️第十章で紹介したがあらためて《《おさらい》》:
異端審問官が多数登場するが、この裁判を運営しているのは下記7人。
裁判長(司教と異端審問官の2人):
(1)ボーヴェ司教ピエール・コーション
(2)ジャン・ル・メートル(異端検察官代理)
--
(3)検事:ジャン・デスティヴェ。通称ベネディシテ
(4)判事:ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(代理)
(5)第一書記:ギヨーム・マンション
(6)第二書記:ギヨーム・コレス。通称ボワギヨーム
(7)法廷執行吏:ジャン・マシュー
今回登場したジャン・マシューはもっとも下っ端の案内役。ボーヴェ司教と検事ジャン・デスティヴェはもともと友人で、ともにジャンヌに恨みを持っている。(3)以下のメンバーはボーヴェ司教が指名。
11.16 第六回公判(1)天使との接触、性的不品行の疑い
6回目の審理はこれまでと同じ法廷でひらかれ、41人の陪席者が出席した。そのうち6〜7人は新しい顔ぶれで、その中には神学博士のギヨーム・エラールもいた。[721]
最初に、異端審問官はジャンヌに、聖ミカエルと聖人たちを見たか、そして彼らの顔以外に何を見たかを尋ねた。そして、「知っていることを言わなければならない」と強く迫った。
「私が知っていることすべてを話すくらいなら、首を切られたほうがましです」[722]
彼らは、天使の体の性質について質問攻めにして、ジャンヌを困惑させた。ジャンヌは単純な人間だったので「自分の目で聖ミカエルを見た」のだから、そう答えるしかなく、それ以外のことは言えなかった。
いつものように、尋問官はジャンヌが獄中で口にした言葉を知っており、「声」が聞こえたかどうかを尋ねた。
「はい、本当です。声は、私が救われるだろうと告げました。ですが、その日と時間はわかりません。そして彼らは私に、勇気と元気を出すようにと言いました」[723]
裁判官たちはこれらすべてを信じなかった。なぜなら、悪魔学者たちは「魔女は聖なる教会の役員が手を置くと力を失う」と教えているからだ。
異端審問官は、再びジャンヌの男装に注目した。
それから、戦友たちのバナー旗に呪文をかけたかどうかを探ろうとした。ジャンヌがどのような秘密の力で兵士たちを率いたのかを突き止めようとしたのだ。
ジャンヌはその力について喜んで明かした。
「私は彼らに『大胆にイングランド軍に向かって進め』と言いました。そして同時に、私自身も進みました」[724]
この日の尋問は、これまでで最も冗長で、最も厳しいものだったが、その中で、被告人(ジャンヌ)に対して次のような奇妙な質問が投げかけられた。
「ジャルジョーの前にいたとき、ヘルメットの後ろに何をつけていたのか? 何か丸いものをかぶっていなかったか?」[725]
ジャルジョーを包囲したとき、大砲から発射された巨大な石がジャンヌの頭に当たったが負傷しなかった。仲間たちはこれを奇跡とみなした。[726]
ルーアンの裁判官たちは、彼女が聖人のような金色の光輪をつけており、その光輪が彼女を守ったとでも想像したのだろうか?
⚠️上巻・第十五章『15.6 ジャルジョーの戦い(5)サフォーク伯の降伏』参照。
その後は、より日常的な話題について尋問された。オルレアンの宿泊先だったジャック・ブーシェ邸にある、『正義、平和、団結を示す3人の女性』を描いた絵についてである。
ジャンヌは何も知らなかった。[727] バル公(ルネ・ダンジュー)やオルレアン公のようにタペストリーや絵画について詳しくなかった。異端審問官たちも、少なくともこの分野に関してはそうだった。
もし彼らがブーシェ邸の絵画に関心を寄せていたとすれば、絵そのものというよりも、その教義のためだ。
裕福なブーシェ邸に飾られていたこの三人の女性は、間違いなく裸婦画だ。
当時の画家たちは、小さなパネルに寓意的な入浴シーンを描き、裸の女性を描いた。広い額、丸い頭、金色の髪、小柄だが豊満な体つきを精緻に描写し、その体に薄いベールをまとわせた。このような作品はフランドルやイタリアで数多く制作された。
そういう絵を堕落的で不謹慎であるとみなした高名な聖職者たちは、オルレアン公の会計士(ジャック・ブーシェ)の家でジャンヌがそれを見たことを非難したかったのだろう。
聖ミカエルは服を着ていたか、聖人たちにどんな挨拶をしたか、どのように指輪を触らせたかをジャンヌに尋ねていることから、博士たちがどんな疑念を抱いていたかは想像に難くない。[728]
⚠️「博士たちがどんな疑念を抱いていたか」補足。
ジャンヌが悪魔と通じている、あるいは性的不品行に及んでいるのではないかという疑い。
🔸悪魔と通じている疑い:
当時の人は、幻視や幻聴を悪魔の仕業と結びつけていた。ジャンヌが聖ミカエルや聖人たちの声を聞いたと証言することは、彼女が悪魔と通じている証拠と見なされる可能性がある。特に、ジャンヌが聖人たちの姿を詳細に語れないこと(服を着ているかなど)は、悪魔が彼女を欺いている証拠と解釈されかねない。
🔸性的不品行の疑い:
裸体の絵に関する質問は、ジャンヌが性的誘惑に屈しているかどうかを探る意図がある。当時は、女性が裸体画を見ることは不道徳と見なされ、ジャンヌがその絵を見たと認めれば、彼女の道徳性を疑う根拠になる。
🔸純潔に対する疑い:
聖ミカエルや聖人たちとの挨拶の仕方や、指輪を触らせたことなど、《《接触》》に関する質問は、ジャンヌの純潔さを探る意図があった。
ようするに、ジャンヌの信仰や行動が正統なものではなく、悪魔の影響を受けているか、あるいは彼女自身がいかがわしい行為に及んでいるのではないかと疑われている。
11.17 第六回公判(2)軍旗で蝶をつかまえる、ネクロマンサーの生贄
彼らはまた、ジャンヌが自分自身を聖人として崇拝されるよう仕向けたことを認めさせようとした。彼女は次のように答えて彼らを当惑させた。
「貧しい人たちは喜んで私のところに来ました。なぜなら、私は彼らを傷つけることをしませんし、できる限り彼らを助けたからです」[729]
その後、尋問は多岐にわたる様々な話題に及んだ。リシャール修道士のこと、ジャンヌが洗礼盤の上で抱いた子供たちのこと、彼女の指輪に触れたランスの町の善良な妻たちのこと、ティエリー城で軍旗(standard)に捕らえられた蝶のことなど。[730]
この町では、乙女(ラ・ピュセル)の信奉者たちによって、ジャンヌの旗印が蝶を捕まえたと伝えられていた。
当時、神学の博士たちは、死霊術師が悪魔に蝶を生贄として捧げていると確信していた。
100年前、パミエで、異端審問の法廷がそのような生贄を捧げたと告発されたカルメル会修道士ピエール・レコルディを断罪した。彼が蝶を殺すと、悪魔は突風で応えてその存在を明らかにしたという。[731]
ジャンヌの裁判官たちは、同じ理屈で彼女を陥れようとしたのか、あるいはまったく別の意図を持っていたかもしれない。
戦争中、帽子に蝶をつけることは、無条件降伏か、安全通行証を持っているか、どちらかのしるしだった。[732]
裁判官たちは、ジャンヌあるいはその信奉者たちが、敵を欺くために降伏を装ったと告発したかったのだろうか? そのような告発も十分にあり得る。
いずれにせよ、異端審問官はまたしても話題を変え、ランスでジャンヌが見つけた「紛失した手袋」について尋ねた。[733] それが魔術によって発見されたかどうかを知ることは重要だった。
それから、この裁判におけるいくつかの主要な罪状に戻った。
男装で聖体拝領を受けたこと。
サンリス司教が所有する乗用馬を盗むという一種の冒涜を犯したこと。
⚠️下巻・第二章『下2.6 サンドニ進軍(1)馬を盗まれた司教』参照。
ラニーで生き返らせた変色した赤子のこと。
パリでジャンヌに不利な証言をしたカトリーヌ・ド・ラ・ロシェルのこと。
仕方なく撤退したラ・シャリテ包囲戦のこと。
絶望してボールヴォワールの塔から飛び降りたこと。
そして最後に、
ジャンヌがソワソンでブルネル隊長の裏切りについて発した冒涜の言葉について。[734]
⚠️下巻・第七章『下7.4 ソワソンの守備隊長ギシャール・ブルネルの裏切り』参照。
その後、ボーヴェ司教は「尋問を終了する」と宣言したが、「ジャンヌをさらに詳しく尋問することが適切と判断された場合は、特定の博士や教授を任命する」と付け加えた。[735]
11.18 獄中で尋問、破滅へ導く「声」のジレンマ
3月10日土曜日、司教が任命した判事であるジャン・ド・ラ・フォンテーヌが獄中にいるジャンヌを訪ねてきた。ニコラ・ミディ、ジェラール・フイエ、ジャン・フェカール、ジャン・マシューが同行した。[736]
この尋問で最初に取り上げられた話題は、コンピエーニュからの出撃だった。
司祭たちは、「ジャンヌが『声』に従ったことが彼女の破滅を招いたのだから、その『声』は悪いものだったか、彼女がそれを理解できなかったかのどちらかに違いない」と、ジャンヌに証明しようと苦心した。
かつてジャック・ジェリュ[737]とジャン・ジェルソンは、このジレンマを予見し、入念な神学的議論を展開して対処していた。[738]
また、ジャンヌは軍旗(standard)に描かれた絵について尋問され、次のように答えた。
「聖カタリナと聖マルガリータは私に旗を手に取り、大胆に掲げ、そこに天の王を描くように命じました。そして私は気が進みませんでしたが、王にこのことを伝えました。その意味については、他に何も知りません」[739]
彼らは、ジャンヌが盾と武器、厩舎、軍馬、半軍馬、乗用馬、馬丁を所有し、従者を養う目的で約1万〜1万2000リーヴルもの大金を所持していたことから、彼女を欲深く、傲慢で、見栄っ張りな女に仕立て上げようとした。[740]
しかし、彼らが最も厳しく尋問したのは、公的な尋問のときに既に2回議論されていた「しるし」についてだった。
この件について、博士たちは飽くなき好奇心を示した。
なぜなら、そのしるしは、ランスでの戴冠式とは正反対のものだったからだ。それは神聖な塗油ではなく、魔法の魅力による塗油、つまり魔女によるフランス国王の戴冠式でなければいけない。
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは、ジャンヌよりも優位に立っていた。彼は、ジャンヌが何を言おうとしているのか、何を隠したいのかを知っていたのだ。
「あなたの国王に与えられたしるしとは何か?」
「それは美しく、名誉があり、非常に信頼できるもので、世界で最も優れ、最も豊かなものです……」
「それはまだ残っているのか?」
「それが残り、千年続くことを知っておくと良いでしょう。私のしるしは王の宝物庫にあります」
「それは金か、銀か、宝石か、それとも王冠か?」
「これ以上あなたたちには何も言いません。このしるしほど豊かなものを、誰も思いつくことはできません。ですが、あなたたちに必要なしるしは、神が私をあなたたちの手から救い出してくれることです。神が送るこれ以上の確かなしるしは他にありません……」
「そのしるしがあなたの王に届いたとき、あなたはそれにどれほどの敬意を示したのか?」
「私は、私と言い争っていた味方の聖職者たちが引き起こした苦しみから私を救ってくれた神に感謝しました。その後、何度もひざまずきました。他の誰でもない、神からの天使が、私の王にしるしを与えました。その後、何度も神に感謝しました。聖職者たちは、そのしるしを見て私を攻撃するのをやめました」[741]
「味方の聖職者たちはそのしるしを見たのか?」
「私の王とその従者たちが、しるしとそれを授けた天使を見た時、私は王に喜んでいるかどうか尋ねました。王は喜んでいると答えました。それから私は立ち去り、近くの小さな礼拝堂に行きました。後日、私が立ち去った後、300人以上の人がしるしを見たと聞きました。神は私への愛ゆえに、そして私がこれ以上問い詰められることがないように、このしるしを私の味方全員に見せることを許したのです」
「あなたの王とあなたは、天使がそのしるしを持ってきた時、その天使に何か敬意を示したのか?」
「はい、私自身はそうしました。ひざまずいてフードを脱ぎました」[742]
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