【あとがき副音声】双葉社で連載がはじまった話 #1
双葉社 文芸総合サイト・COLORFULで、新連載エッセイ『明日死んでもいい、そう思えるほどに今日を生きたくて。』がはじまりました。
第1話は、【名前を生きる】。
置き晒してきた「自分」という価値を、もう一度優しく抱きしめるまでのあれこれを綴りました。作中、デブとかブスとかケツ顎とかウンコとか若干パンチの効いている単語が登場しますが、断じて優しいお話です。ぜひ、読んで頂けたらうれしいです。
今回の連載開始は、創作大賞2025エッセイ部門で、双葉社文芸出版部賞を受賞したことを受けて始まったもの。これまで書いたものから幾つかと、これから書いていく連載、それから書き下ろしを含めた作品をまとめた書籍が双葉社より、来年の秋に刊行予定となっています。
連載のnoteへの転載予定はないので、読んでくださった方、もしよかったら、コメントやメッセージやSNS等で、感想をお寄せ頂けると嬉しいです。すんごく嬉しいです。
なお、連載の更新は、毎月第一・第三金曜日の月2回です。
そういうわけで、noteには連載公開の度にあとがきを残していこうと思います。よければ連載を読んで頂いた後、副音声的な気分でこちらも覗いていってみてくださいね。
「名前を生きる」執筆後記
書籍刊行への道がいよいよ始まった。それ自体が願ってもみない機会な上、その作業を連載という形でやらせてもらえるなんて。ありがとう創作大賞、そして双葉社の皆さま。
でも、そもそもnoteで年に1、2回くらいしか書いてこなかった私に、毎月何本、みたいなことができるんだろうか。漠然と不安を抱えながら、とりあえず、と日々に読む時間と書く時間を組み込んでみる。
まー書けない。
こんなに書けないかね?と驚くほど書けない。プレッシャーがあったのはともかく、「何を」書けばいいのかすらわからない。方向性すらわからん。どうしたものかと悩んだ挙句、そうか、まずは連載のタイトルを決めてはどうか?と思いつく。そうすると、なんとなく、内容のヒントが見えてくるんじゃないかと。
タイトルは「候補を5つ挙げましょう」と担当編集のTさんより。頂いた選評と睨めっこし、自分に求められている文章を想定しながらタイトルを練る。実はもう何十年も前から、本を出したいという中身の伴わない夢を抱いてきて、その暁にはぜひタイトルにしたいと思っていたものがあった。ちなみに私は高校生の頃、彼氏すらいないのに、いつかの自分の結婚披露宴の出席者一覧と座席図を一生書いていた。結婚はできたものの式はしていないので、大いに時間の無駄であった。
そんなわけで、無駄に準備していたシリーズのひとつ、架空の書籍タイトルをまずひとつ目に書く。もうこれで出して、「これしか出てきませんでした」とか言っちゃおうかなと思ったけど、そんな子どもみたいなことを、40歳がしてはいけません。
言葉のインスピレーションが欲しい時は昔から、だいたい国語辞典か詩集を読む。なんとか5個を捻出して、結局、その昔から準備していたものではない今回のタイトルを選んだのは私だった。連載タイトルが書籍タイトルになる可能性が高いことを鑑みた時に、1番何が書いてあるのか伝わりやすく、書店で目を引くと思った。Tさんに、個人的にはこれが推しですと伝えると、「これが社内でも1番人気でした、これにしましょう!」の返答。よっしゃー。
連載タイトルが決まったところで、いよいよ本文である。これで書くのが楽になったかと思ったら、なんと逆に苦しくなった。方向性が決まってしまったからには、当然それに沿う、もしくは外れないものを書かなければならない。夫のいびきがうるさい話とかは、ここでは求められていない。ケニアの自宅の水がもう半年も出ないこととか、トットリと名付けた庭の野良猫と夫の友情物語とか、書けない。しまった、なんだか余計に、書けない。
書けなくて数日落ち込んだ結果、心許なさすぎてエッセイ部門受賞同期のOLのミカ。ちゃんと望月さんに書けなくて焦ってます、という謎の報告をした。締め切りまでに書けなかったらどうしよう、せめてもう1ヶ月あればいいのに、と嘆いていたら、望月さんから、ケニアから原稿を船便で出すため1ヶ月時差があるということにしませんか?という提案を頂く。名案すぎんか。そうして望月さんには一生敵わないやと爆笑して、ちょっと気持ちが楽になった。励ましてくれたお2人に、この場を借りてありがとう。
私はこれまであまり書けてこなかったのだが、書けないなりに、途中まで書いたものならたくさんあった。それらをぼんやりと眺めながら、ヒントになる言葉がないかなぁと腕を組んだり、誰かの小説やエッセイを読んでは「ねぇこんなにいい文章書けないんですけど」と宙を相手に文句を垂れていた。
「名前を生きる」はそういうわけで、かなり粘ってようやく書けた第1話となった。冒頭の、母に名前の由来を書いてもらう一節は、数年前に書きかけて置き去りにした文章からそのまま使った。真っ白なページにでん、とコピーし、「いでよ、言葉」と念じながらあの日の自分に会いに行って、つらつらと書き始めた。この、「あの日の私に会いにゆく」手法を、私はよく使う。目を瞑って、あの日の私の身体に入り込んで、世界を見渡す感じ。音とか温度とかも手繰り寄せる。
私はどうやら人より記憶力がよく、だいたいそれらは写真のように鮮やかなコマとして浮かび上がる。3歳の記憶なんかもまだあって、5歳の兄の頭を鉛筆で刺した日の下敷きのキャラクターとか色味とか、母が兄の頭にぶちまけたマキロンの色やフォントとかを、今でもはっきりと思い出せる。
自分の名前が嫌いだったこと、を書き終わったあたりで、とゆうか私は自分のことすら好きじゃなかったよなあの頃、と思い出す。だいたい最初の3節くらいがすらすら筆の軽いまま進んでいくと、「あ、これは最後まで書けるやつかも」という直感がある。
この辺で、この話は一体どこに着地するのか、を考え始める。その点と点を結ぶために間を埋めていきながら、余韻の残る締め方を探る。ここまで来るとあとは早くて、なるべく冷静に淡々と言葉を選ぶ。連載の1話目は自己紹介も兼ねていた方がいいに決まっているが、とにかく書けることを書いた割には自分の名前を連呼しまくる回となり、結果的にうまくいった。やったー。
私は、メッセージを残したがる女だ。文章を書く度に、必ず何かを伝えたいという欲が沸く。笑える文章もほっこりする文章も大好物だが、書くことにおいては、自分が真理だと思っていることをストーリーの中に落とし込んで、世の中を撃ち抜きたいという野望がある。現代の引き算型の余白や曖昧さとは一線を画しまくるが、言い切る強さの先にも余白を生み出せるのか、という挑戦を、これからもやってみたい。
そんなこんなで、次回の連載、それからあとがきもぜひ、読んで頂けると嬉しいです。しつこいのですけれども、感想や批評など、こっそりでもオープンでもいいので、ぜひお寄せくださると、もれなく日本から一万キロ先のアフリカ大陸で、小躍りします。
第2話の公開は、1月2日(金)。元旦の翌日!
▼連載もくじ
【第1話】名前を生きる | 〈本編〉・〈あとがき〉
【第2話】続きのない物語 | 〈本編〉・〈あとがき〉
【第5話】マヨネーズ入りのスクランブルエッグ | 〈本編〉・〈あとがき〉
【第6話】キテンゲと金曜日の午後 | 〈本編〉・〈あとがき〉
【第7話】同じ物語の違う登場人物 | 〈本編〉・〈あとがき〉
【第9話】壊れたミシンと想像的人生の持ち時間 | 〈本編〉・〈あとがき〉
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