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【つの版】度量衡比較:貨幣編・インデックス04

 ドーモ、三宅つのです。あまりにも増えてきたのでさらにインデックスを作りました。もはや貨幣史からはみ出していますが気にしないでください。

 つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。


◆欧州大戦編

147.英仏和平

 1715年にフランス王ルイ14世が崩御すると幼い曾孫のルイ15世が即位し、摂政政府は疲弊した国内を立て直すため英国と和平します。

148.波蘭継争

 国力を回復したフランスは、ポーランドの王位を巡ってロシア・オーストリア・プロイセンと対立し、欧州を二分する戦争を開始します。

149.墺地継争

 1740年、皇帝カール6世が崩御してハプスブルク家の男系男子が断絶すると、プロイセンは周辺諸国と同盟してシレジアに侵攻します。

150.普墺角逐

 プロイセン国王フリードリヒ2世は、シレジアを巡ってオーストリアの女君主マリア・テレジアと渡り合います。

151.外交革命

 マリア・テレジアはプロイセンからシレジアを奪還すべく、宿敵フランスと手を結びます。

152.七年戦争

 英国はプロイセンを支援して欧州大陸での戦争を任せ、海軍力を増強してフランスと北米やインドで戦います。

153.大戦終結

 プロイセンはオーストリアとロシア、スウェーデンを相手に回して大いに苦戦しますが、ロシアの寝返りで勢いを盛り返します。英国はポルトガルを支援してスペイン・フランスと戦い、多数の海外植民地を獲得しました。

◆産業革命編

154.飛杼発明

 18世紀の英国では、毛織物業に代わって綿織物業が盛んとなります。1733年には飛び杼が発明され、生産速度を飛躍的に向上させました。

155.石炭蒸気

 綿織物の需要の高まりは紡績機械の改良を促し、大量生産の時代が到来します。また製鉄のために石炭採掘が行われ、炭坑の排水のために蒸気機関が導入され、石炭などの大量輸送のために運河が建設されていきます。

◆北米独立編

156.北米課税

 七年戦争/フレンチ・インディアン戦争の後、莫大な負債を抱えた英国は北米植民地に様々な課税を行いますが、植民地人は「代表なくして課税なし」として強く反発します。

157.政略結婚

 英国議会と北米植民地の対立が深まる中、フランス国王ルイ15世はオーストリアから王太孫ルイの妃を迎えます。

158.波蘭分割

 1772年、ポーランドの国土と人口の1/3がロシア・プロイセン・オーストリアの三国により分割されます。

159.茶会事件

 1773年に制定された「茶法」に対し、英国の北米植民地では抗議運動が激化します。

160.大陸会議

 1775年4月、英国軍と北米植民地の民兵はついに武力衝突を開始し、ボストンが反乱軍に包囲されます。13植民地の議会は代表者を集めて大陸会議を開催し、英国からの独立戦争に突入しました。

161.独立宣言

 1776年7月4日、大陸会議は英国からの独立宣言を採択し、国号を「アメリカ合衆国(United States of America)」としました。

162.来義勇軍

 ジョージ・ワシントン率いるアメリカ合衆国大陸軍は、海軍力と数と練度に勝る英国軍に苦戦し、1776年にはニューヨークを失います。

163.仏米同盟

 1778年2月、フランスはアメリカ合衆国と正式に同盟を締結し、英国からの独立戦争を全面的に支援することを約束しました。

164.武装中立

 フランスに続いてスペインも英国に宣戦布告し、ロシアは北欧諸国に武装中立同盟を呼びかけてアメリカを支援します。オランダもこれに加わり、インドではフランスの支援を受けた諸国が英国と戦います。

165.英軍降伏

 1781年10月、バージニア州ヨークタウンで包囲された英国軍7000余がアメリカ・フランス連合軍に降伏し、英国の世論は終戦に傾きます。

166.巴里条約

 1783年9月、英国はアメリカ合衆国の独立を承認し、アメリカ独立戦争は終結しました。

◆寛政改革編

167.松平定信

 天明9年改め寛政元年(1789年)、松平定信は寛政の改革を開始します。

168.尊号一件

 定信の幕政改革は混乱した国内を立て直しましたが、倹約令や思想統制、言論弾圧などにより上下から不評を買い、わずか6年で失脚します。しかし定信の改革路線は彼の跡を継いだ松平信明らに受け継がれました。

169.蝦夷経営

 松平信明は定信の政策を受け継ぎ、幕府の財政基盤を健全化しますが、蝦夷地の調査・開発による財政負担が大きく、在任10年で一時辞職します。

170.文化露寇

 幕府はロシアの開国要求に対応できず、使節を無礼に扱ったため、怒ったロシア兵の蝦夷地襲撃を招きます。幕府は慌てて防衛費を増大させますが、かえって財政危機を招くばかりでした。

◆文政改革編

171.文政改鋳

 将軍・徳川家斉は寛政の遺老を退け、側用人の水野忠成を老中に抜擢して幕政を委ねます。彼は財政補填のため大規模な貨幣改鋳を実行しました。

172.文政改革

 水野忠成は田沼政治を復活させた金権政治家として批判を受けましたが、行財政改革に取り組んで国内を安定させています。

173.物価相場

 文政年間の貨幣相場、庶民の収入や支出、物価などを見てみましょう。

◆藩政改革編:奥羽

174.仙台通宝

 江戸時代の伊達氏/仙台藩は江戸へ米を輸出して財政を支えていましたが、領内に飢饉が起きると財政危機に陥りました。

175.南部盛岡

 奥州北部には南部氏の盛岡藩と八戸藩、津軽氏の弘前藩がありましたが、寒冷地ゆえ飢饉と一揆が頻発し、藩財政は逼迫していました。

176.久保田藩

 出羽国北部には佐竹氏の久保田藩が置かれ、新田・鉱山の開発や秋田杉の輸出で栄えました。しかし江戸時代中期以後は財政が逼迫します。

177.本間光丘

 出羽国南部の庄内藩は酒田港と庄内平野によって栄え、酒田の豪商本間家は藩財政を建て直す功績をあげました。

178.上杉鷹山

 出羽国南端の米沢藩は内陸の貧乏藩でしたが、18世紀後半からの藩政改革により財政を再建しました。

179.会津若松

 陸奥国南部の会津藩は元禄年間より財政危機に苦しめられますが、天明年間に田中玄宰が始めた藩政改革により立ち直ります。

◆藩政改革編:関東

180.宇都宮藩

 徳川家康は関八州を基盤として天下を統一し、下野国日光山に東照大権現として祀られ、死後も関東・奥羽に睨みをきかせました。

181.常陸水戸

 常陸国の水戸藩は関東最大の親藩として幕政にも関わりますが、家格を維持するため財政は常に厳しく、たびたび藩政改革が試みられました。

182.房総半島

 下総・上総・安房は江戸に近いこともあって幕府直轄領や旗本領が多く置かれ、置かれた諸藩も親藩か譜代で、みな中小規模でした。

183.二宮尊徳

 相模西部の小田原藩は箱根・足柄の関所を抑え、東海道一の宿場町として栄えましたが、藩主が幕閣として出世したため年貢が重く、自然災害が頻発して領民を苦しめました。

184.武蔵諸藩

 武蔵には六浦・岩槻・川越・忍・岡部などの諸藩があり、親藩・譜代の大名が封じられました。

185.上野諸藩

 上野には館林・伊勢崎・前橋・高崎・安中・沼田などの諸藩があり、中山道や三国街道沿いには宿場町が連なっていました。

◆藩政改革編:越後

186.上越高田

 越後国の中心地は古来南部(上越地方)の頸城郡にあり、江戸時代には高田藩が置かれましたが、相次ぐ改易・転封により縮小されました。

187.中越長岡

 中越地方の長岡に封じられた牧野氏は250年にわたってこの地を治め、信濃川の治水と新田開発、新潟港の整備などを行いました。しかし度重なる洪水や火災・飢饉に悩まされ、財政は逼迫していました。

188.下越村上

 下越地方には新発田藩、村上藩などがあり、新田開発も行われましたが、寒冷地ゆえ農業に適さず、川を遡上する鮭が重要な収入源の一つでした。

◆藩政改革編:信濃

189.信濃略史

 信濃国は、地理的には北信(長野盆地とその周辺)、東信(上田・佐久盆地)、中信(松本盆地)、南信(諏訪・伊那・木曽)に区分されます。

190.松代藩政

 武田氏の遺臣・真田家は、江戸時代初期に上田城から松城(松代)に移され、以後250年にわたり北信の大部分を統治しました。

191.小県上田

 真田家が上田から松城に転封された後、上田城には仙石家、ついで藤井松平家が入り、廃藩置県まで存続しました。

192.佐久小諸

 小県郡の南の佐久郡には、小諸藩など小藩や飛び地、幕府領や旗本領が置かれ、中山道の宿場町を管理していました。

193.松本藩政

 信濃西部の安曇郡・筑摩郡(木曽を除く)は、南北朝時代から信濃守護の小笠原氏が治めていましたが、戦国時代には武田氏に征服されます。武田氏滅亡後に小笠原氏が奪還しますが秀吉に改易され、江戸時代には松本藩となって親藩や譜代が封じられています。

194.諏訪戦国

 信濃中南部の諏訪郡は、古来諏訪明神の後裔を称する諏訪氏が治めて来た地ですが、武田信玄によって征服されます。武田氏が滅ぶと諏訪頼忠が自立して諏訪氏を再興し、関ヶ原の戦いの後に頼忠の子・頼水が本領安堵され、以後廃藩置県まで10代270年にわたって存続しました。

195.諏訪藩政

 江戸時代の諏訪を治めた高島藩では、藩政の主導権を巡って2つの家老家が相争いました。

196.伊那藩政

 信濃南西部の伊那郡には高遠藩と飯田藩が置かれましたが、天竜川の氾濫に悩まされました。

197.木曽地域

 木曽は江戸時代まで美濃国の一部で、95%が山林ですが、木曽川によって木材が下流に運ばれ、それを売って米穀を輸入していました。

【続く】

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