「恐怖の大王再来談義」
<天正戦国小姓の令和見聞録>
桟敷席:ノストラダムス殿、小林秀雄先生
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春日山城、鳴海幕府(開府1587年・天正15年)
お屋形様:上杉道満丸景虎
ご正室様:英愛御前
(フィンランド生まれ・エイミー・フェリックス(Amy Green felix)
毒舌ご意見番:今 冬香(こん とうこう)
食客・毒見役:二本末 転倒(にほんまつ てんとう)
見聞録検め:小姓・仁科源太
見聞録検め気付:著者・加地鳴海殿
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◇天正四百五十三年 六月十八日
天正戦国小姓の令和見聞録 SHORT STORY-10 - YouTube
「恐怖の大王再来談義」
春日山城の本丸の大広間で、ノストラダムス殿、五島勤殿、ゲラ・ユリー殿、カンキツ殿が参られておる。桟敷席には怖い小林先生がおる。お屋形様や英愛御前様も予言が気になって眠れぬ日が続いておるゆえ、話を聞きたいと申しておいでじゃ。小姓の我らも聞きとうござるでな。地文はいつものようにござらぬ故、どなたの話か想像でおねがい申す。
「ノスラ殿久しぶりじゃのう。すでに四半世紀は過ぎておるぞ。息災でござったか」
「はい、おかげさまで、お久しぶりにございまする。ノスラ、いやノストラダムスでござりますれば・・・」
「おう、知っておるぞ。モスラもゴジラもキングキドラもノスラもじゃ」
「いま、お屋形様は気を患っておいでじゃ。察しておくれ。察しテオクレ、察し手遅れなどと言ってはならぬぞ、ダジャレ故・・・」
「御前、そなたもよう言うわい。よき漫才師になったものよ。はるばる芬蘭土から嫁に来た甲斐がござったな」
「ノスラ殿よ、はよう、予言とやらを話してくださらぬか。小姓の源太や毒見役の二本末転倒がわずらそうてたまらぬと申しておる」
「かの五島殿が翻訳したとおりでござります」
「思い出したぞ、”1999の7の月に恐怖の大王が降ってくる”、というフレコミでござったな」
「わらわは何も起こらなかったと思うが・・・」
「御前様、外れてナンボが預言者でござりますれば」
「はてはそなたは、領民をタブラカシて、印税で暴利を貪ったということじゃな。許せぬぞ」
「御前、まぁよいではないか。五島殿は都合の良き具合にノスラ殿の戯言を翻訳したまでじゃ。暴利のほうはワシがあずかるでな。領民に古古古古米の買い出しの足しにせねばの。未荷魔夢アクセス米で日の本の米蔵は底をつくが、仕方あるまい。ボン吉のせいじゃ・・・」
「米よりも、”君たちはどう生きるか”だろ、じゃねぇか、”自分が見た未来”だったな。日の本が津波でオジャンになるってぇのは、うそじゃあるめぇな」
「カンキツでござる。ご意見番どの、2011の大震災は偶然でござる。マスゴミン業界が勝手に意味づけしたに過ぎませぬ。2025の7月5日でございますが、たまたま夢で見たのでござるが、拙者の寝言をわが妻が勝手に言いふらしよってに・・・」
「であるか・・・」
「お屋形様、いつ信長様に?」
「であるか、そうではないか、わからぬともうすのじゃな。御前、ワシは謙信様の養子の落とし子ぞ。尾張のウツケとは違うのだぞ」
「そうでござりましたなぁ。少し間違えれば日光の一歩手前の器量になったはずでござりました」
「はて、その意味とは。わからぬぞ」
「イマイチでござりましょう・・・」
「よう言うた御前、座布団ではないが、褒美をとらすぞ」
「なんでござりましょうや」
「古古古古古古米で出来た予言せんべいじゃ」
「美味しゅうござりますのか?」
「日の本中のウミを出し尽くした新鮮なものぞ」
「では、領民にも安心して食してもらえまするな。予言など戯言でござるな。予言に右往左往する暇があったら、ご一同、心して召し上がるのじゃ」
「はて、そこに居る御仁はだれじゃ?」
「ゲラ・ユリーでございますれば、以後お見知りおきを」
「お見尻置きじゃと。もう見ておるわ。そなたは、箸曲げやと投資の芸が得意とな?」
「最近念力が衰えてうまく曲げられませぬ、歳ですかなぁ。透視で儲けた印税で投資に頓挫したしだい。路頭に迷うてござります。古古古古米でもよろしゅうござる。何か芸でもご披露いたしますれば・・」
「お屋形さま、まだ米蔵には古古古古古米が少し残ってござりますれば」
「御前、よろしゅう頼む。この御仁の腹にいれておくれ。ただし、汁も川魚も切らしておる故」
「生かさず殺さずじゃな。このご意見番もその芸とやら、見てやるわい」
「予言というのはいい加減なものでござりまするなぁ」
「箸が曲がり申した・・・」
「ゲラ・ユリー殿見事じゃな。それは始めから曲がっておる・・・」
「これぞ騙し芸でござれば・・・」
「ははは、もうどうでも良いわ。予言が心配になっても始まらぬ。義の精神がしっかりしておれば日の本には神風と毘沙門天様という強いお味方がついておる」
「お屋形様、何事も起こらぬと。心配だけしておれば良いのですな・・・」
(以上原文)
😂 吉本新喜劇座長の評価:不安を笑い飛ばす力
座長は、「予言」という重くて怖いテーマを、登場人物たちが次々とダジャレや自己弁護で「どうでもいい話」に転換していくプロセスを、最高のコメディだと評価します。
🌟 テーマ処理の巧みさ
「外れてナンボが預言者」という本質
読者(領民)が抱える予言や災害への漠然とした恐怖に対し、御前様が「わらわは何も起こらなかったと思うが…」と言い、そしてすぐに**「御前様、外れてナンボが預言者でござりますれば」**という核心をつくセリフが飛び出す点に、座長は唸るでしょう。
「そうそう、不安や恐怖も、笑い飛ばしたらタダのネタになるんや。このセリフは、預言者の存在を**『愛すべき嘘つき』**として扱うことで、観客を安心させる効果がある」と、その構造を高く評価します。
ダジャレによる緊張緩和
**「察しテオクレ、察し手遅れなどと言ってはならぬぞ、ダジャレ故…」や、お屋形様の「イマイチでござりましょう…」に対する「古古古古古古米で出来た予言せんべいじゃ」というやり取りは、新喜劇で非常に重要な「スベリ芸」と「ダジャレの畳みかけ」**の連続です。
これにより、シリアスな「予言」の話題が、どんどん「おふざけ」の領域に引きずり込まれ、最終的に「どうでもいい」という結論に達する流れは、完璧な喜劇の構成だと感じます。
🎤 登場人物の「アホらしさ」
預言者たちの「言い訳合戦」
ノストラダムス殿、五島勤殿、カンキツ殿といった、予言に関わった人物たちが、印税の暴利や**「拙者の寝言をわが妻が勝手に言いふらしよってに…」**など、人間的でセコい言い訳に終始する姿は、舞台で非常にウケるキャラクター設定です。
特に、五島殿を擁護するお屋形様の言葉「暴利のほうはワシがあずかるでな。領民に古古古古米の買い出しの足しにせねばの」というセコい行動が、「米騒動」という過去のネタに繋がっている点も、構成の巧みさとして評価します。
ゲラ・ユリー殿の「見事な騙し芸」
念力と投資で路頭に迷ったゲラ・ユリー殿が、最後に披露する「箸曲げ芸」が、実は**「始めから曲がっておる」というオチは、「見せかけの超能力」**に対する痛快なツッコミであり、非常に新喜劇的です。
**「これぞ騙し芸でござれば…」**という開き直りも清々しく、「どうせみんな、騙されることを楽しみにしているんだ」という、観客と演者の関係性をも示唆しており、座長はニヤリとするでしょう。
⛩️ 結末への評価
「義の精神」への回帰
結局、「予言が心配になっても始まらぬ。義の精神がしっかりしておれば日の本には神風と毘沙門天様という強いお味方がついておる」という、お屋形様の最終的な達観は、**「最後は信じるものに戻る」**という、人情喜劇の温かさを感じさせます。
重大なテーマで始まり、徹底的に笑いとダジャレで分解した上で、「結局は日々の行いや精神が大事」というシンプルな教訓に帰着する構成は、座長にとって理想的な喜劇の流れです。
🌟 座長の総評
「今回の話も、重いテーマを扱う時に、いかに登場人物を小さく、人間臭く見せるかという舞台の技術が光っとる。予言者たちを全員舞台に上げて、**『お前らのせいだ!』**ってギャーギャー揉めさせて、最後に『箸曲がった!』でドカンと笑いを取る。これは、不安の時代に必要な、**最高級の『お笑いのお祓い』**や!」
・「真夏の顛末記:十三話総集編」(其の零~其の十三)<原文のみ>
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↓ 各話別桟敷席批評篇(見聞録版)↓
其の零「柘榴(ザクロ)と茉莉花(ジャスミン)の香りの世界」
https://note.com/cool_arnica9767/n/nf9d9003a2f24
其の一「令和版御伽草子・浦島半五郎と丁姫の赤い糸」(真夏の奇談)
https://note.com/cool_arnica9767/n/nb0dc0a538063?from=notice
其の二「怨念と輪廻の紅い糸」(真夏の綺談)
https://note.com/cool_arnica9767/n/nec7ee894b9d3?from=notice
其の三「オールジェンダー厠の光景」(真夏の漫談)
https://note.com/cool_arnica9767/n/n1cbeef41d24b?from=notice
其の四「オールジェンダー風呂の光景」(真夏の怪談)
https://note.com/cool_arnica9767/n/n97ca46104107?from=notice
其の五「風雲急、米蔵騒動顛末記」(真夏の米蔵談義)
https://note.com/cool_arnica9767/n/n016c4bb4ec62
其の六「人類和平招聘薬」(真夏の巷談)
https://note.com/cool_arnica9767/n/n66724920b560
其の七「遠回し恋路談義」(真夏の馴れ初め談義)
https://note.com/cool_arnica9767/n/nd23068316bd6
其の八「冥界へ渡る向川岸の風景」(真夏の三途の川談義)https://note.com/cool_arnica9767/n/nf2c333f87dc8
其の九「一心不乱と一心腐乱と一心太助」(腐っても鯛談義)
https://note.com/cool_arnica9767/n/n48bf8dbf8da3
其の十「恐怖の大王再来談義」(世紀の予言談話)https://note.com/cool_arnica9767/n/n4900e0f3ebdc
其の十一「侮れぬ一人旅の醍醐味」(桟敷席談話篇)https://note.com/cool_arnica9767/n/n599abcc0107f
其の十二「晩夏の春日山城スリーアイ・アトラス・コミカル談義」https://note.com/cool_arnica9767/n/n2cf4763f3778
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<ノストラダムス殿のおことば>
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なるほど、この混沌とした予言の世界か…。
ほう、桟敷席にわしが呼ばれておるようじゃな。久しいのう、ノストラダムスと申す。 この戯言、まことに愉快な茶番じゃ。わしの預言とやらで、まこと人々は騒ぎ立てる。1999年の7の月、そして今度は2025年の7の月と来たか。
「恐怖の大王」じゃと? 馬鹿馬鹿しい。わしはただ、時が巡る様を記したまで。それを都合よく解釈し、騒ぎ立てるのは人の世の常じゃ。
しかし、「外れてナンボが預言者」とは、まことにその通りよな。わしもそれで飯を食っておる身じゃ、大いに笑わせてもらったわい。印税で暴利を貪ったじゃと? ふむ、それはわしではなく、わしの言葉を広めた者たちの所業よな。わしはただ書き記しただけじゃ。
「君たちはどう生きるか」…ほう、宮崎とやらがまた何か企んでおるようじゃな。津波でオジャン、か。天災は人の世の営みとは無関係に訪れるもの。それをわしの預言と結びつけるのは、いささか強引すぎはしないか?
ゲラ・ユリー殿の箸曲げ、見事な「騙し芸」じゃな。わしの預言も、ある意味ではこの「騙し芸」と似たようなものかもしれぬ。人は見たいものを見て、信じたいものを信じる。それが人の性というものじゃ。
結局のところ、予言などというものは、心の弱さにつけ込むものよ。義の精神がしっかりしておれば、神風と毘沙門天様がお味方についておると申すか。まことにその通りじゃ。心配する暇があれば、己の足元を見つめ、今日を生きることに精を出すべきじゃろう。
わしの預言に右往左往するな。それより、目の前の古古古古米とやらを美味しく頂くがよかろう。それが、まことの「見聞録」というものよ。
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<小林秀雄先生のお言葉>
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これは愉快な話じゃな。ノストラダムスと来たか。ふむ、わしも桟敷席で拝聴させてもらっておる。
これはまた、随分と賑やかな「見聞録」じゃな。ノストラダムスが、あの混沌とした預言の世界から、この「鳴海幕府」の春日山城に引っ張り出されたと。しかも、わしがその桟敷席で薄っすらと笑っておるという趣向。面白いではないか。
「1999七の月、2025七の月の心配談義」か。人はいつも、来るべき災厄に怯え、そしてそれを誰かの言葉に求めようとする。ノストラダムスの預言とやらも、結局は人の心の弱さの裏返しじゃろう。
しかし、「外れてナンボが預言者」とは、まことに見事な毒舌じゃな。わしはその言葉に、思わず膝を打ったわい。預言とは、当たるも八卦、当たらぬも八卦。いや、むしろ当たらぬからこそ、人はまた次の預言に耳を傾けるのかもしれぬ。印税で暴利を貪ったという話も、これまた愉快。言葉というものは、受け取る側が勝手に意味を見出し、都合よく解釈するものじゃからな。
それにしても、「君たちはどう生きるか」だの、「自分が見た未来」だの、現代の世も相変わらずのようじゃな。津波でオジャン、と来たか。自然の猛威とやらを、わざわざ預言と結びつける人の性(さが)よ。
そして、ゲラ・ユリーという御仁の「箸曲げ」とやら。あれが「騙し芸」だと。なるほど、これには一本取られた。預言とて、所詮は人の目を欺く一種の「騙し芸」のようなものかもしれぬな。見たいものを見て、信じたいものを信じる。それが人間の真理というものじゃろう。
結局のところ、この騒ぎも、不安に駆られた人間が作り出す、単なる滑稽な茶番に過ぎぬ。心配する暇があれば、目の前の「古古古古米」とやらを食らうがよかろう。それが一番の現実というものじゃ。義の精神だの、神風だの、毘沙門天様だのと言っておるが、結局は己の足元をしっかり見つめることじゃろう。
それにしても、この「天正戦国小姓の令和見聞録」とやら、なかなか骨がある。作者の加地鳴海殿とやらは、なかなかの曲者と見た。
ふふ……。
