カヌーや徒歩で40年、西アフリカを旅したアメリカ人宣教師
ムポンングウェの民話
第1話「友だちを信じてはいけない」 第2話「ヒョウの狩り、ネズミの狩り」 第3話「死のテスト」(ver.1)(ver.2) 第4話「妻を得るために成したこと」 第5話「綱引き」 …….
ベンガの民話
第1話「カメとボジャビの木」 第2話「イグアナの割れた舌」 第3話「塩を求めて」 第4話「カメのうそ」 第5話「魔法の太鼓」….
ファンの民話
第1話「正直」 第2話「片足で立つオウム」 第3話「裏切り」 第4話「誓いの言葉」….
"Where Animals Talk" by Robert Hamill Nassau
実話に基づく西アフリカの魔女物語
魔女の出産
ヤキモチを焼く妻
魔法使いの家宅侵入
魔法使いの殺人者
"Fetichism in West Africa" by Robert Hamill Nassau
ロバート・ハミル・ナッソー(Robert Hamill Nassau, 1835 - 1921)は、ギニア、ガボンなど西アフリカの国々で40年間暮らし、訪れた村で、村の語り部が話すエカノ(伝説)を収集した。ムポングウェ語(バントゥ語系)など土地の言葉で語られた話を、ナッソーが英語で語り直し、『Where Animals Talk』と題した民話集にまとめた(1912年)。
採集した民話の多くは、動物と人間が同じ共同体の中で社会的な関係を保ちながら共存していたとされる先史時代を舞台としている。ナッソーは民話集の冒頭でそのように説明している。何百年、何千年と口伝えによって受け継がれてきた物語は、語り手(とその場にいた聞き手によって)様々にアレンジされて伝えられた。
エカノは1日の仕事の終わりや来客のあった夜などにしつらえられる。舞台は村の開けた道、あるいは森の野営地など。キャンプファイヤーを囲んで人々が集い、森の影や月や星を背景に、そしてときに太鼓や歌の伴奏とともに語られた。

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ロバート・ハミル・ナッソーは1835年、ペンシルベニアに生まれた。ローレンスビル・スクール、カレッジ・オブ・ニュージャージーで教育を受けたのち、プリンストン神学校(長老派教会の神学校)で学び、その後、ペンシルベニア・メディカルスクールで医療資格を取得している。聖職者であると同時に医師でもあった。
1861年、ナッソーは26歳のとき、コリスコ島(赤道ギニア、ガボンの沖合にある島)に宣教師として派遣される。以降、40年に渡って西アフリカ各地で宣教活動を行ない、その間に土地の言葉や習慣、宗教を学び、この地域の生活様式や地元民の精神に精通するようになった。

ナッソーの仕事はキリスト教の伝道である。当初は人々に近づき、信頼してもらうために土地の言葉や習慣、宗教観を知ろうとしたに違いない。その過程で、仕事のためだけでなく、個人的にも現地の言葉や文化に興味をもち、村の語り部と親しくなって、伝説や民話を聞き取ることを始めたのではないか。
現地の人々の習慣を探るうちに、土地の宗教が生活習慣と深く関わっていることに気づいた、と著書『西アフリカのフェティシズム』でナッソーは書いている。アフリカ内で居住地(伝道箇所)を点々と変えるうちに、ナッソーは行った先々で土地の言葉を習得している。アフリカの人々の宗教観や迷信、習慣には共通性があることに気づき、その普遍性について深く考えるようになった。彼らがもつ共通の感情を、(多くの西洋人が受けとめたように)馬鹿げたものとするのは合理的ではないとして、その背後にある論理や哲学を探ろうとした。
ナッソーは人々に唐突に質問を浴びせたりせず、自らの故郷ペンシルベニアで起きた不思議な出来事を語り聞かせ、彼らの興味を惹きつけた。すると彼らは閉じていた口を開きはじめ、競うようにして自分たちの知ることを話してくれたという。
昼はカヌーの上で、夜はキャンプや小屋の中で、彼らとの間でたくさんの会話が生まれた。ナッソーの住んでいた家も、昼夜を問わず、村の訪問者に開放されていたようだ。仲間内では言えないことを、よそ者宣教師に相談しにやって来る者もいたかもしれない。
19世紀のアフリカで、遠方からやって来た西洋人が、土地の人々と心から打ち解け、親しい関係を築くことはそれほど簡単なことではなかっただろう。ナッソーにそれができたのは、人々の話す言葉に興味をもちマスターしたこと、土地の宗教に理解を示したことが大きかったのではないか。
それがあって初めて、村に伝わる民話を聞かせてもらうことができたし、それを記録することも可能になったのだろう。民話集『Where Animals Talk』(動物たちが話す国)が生まれたのは正にその結果である。宣教師という役職・立場を超えて、一人の人間として現地の民とかけがえのない関係を築いた、ナッソーという類まれな人物による大きな成果だと思う。
ナッソーは民話集だけでなく、長年にわたり現地の人々の迷信について見聞きしてきたことを膨大なメモにしており、それを元に『西アフリカのフェティシズム』という本も書いている。ナッソー本人の希望もあり、宣教師としての仕事と本の執筆は並行して行なわれていたようだ。アメリカ長老派教会の理事会も、膨大なメモがこの地の人々の精神を知る重要な情報であると認め、書籍としてまとめるようナッソーに依頼していたという。
訳者・だいこくかずえ
*ナッソーが西アフリカに向けて出港した1861年は、アメリカで南北戦争が始まった年だった(〜1865年)。南北で奴隷制などを巡る対立が深まり、南部11州が合衆国を離脱。ナッソーの所属する長老派教会内でも、奴隷解放問題を巡って南北支部の対立があったようだ。19世紀初頭、奴隷貿易は禁止されたものの奴隷制度は存続しており、法的に廃止されたのは南北戦争後の1865年である。ナッソーは北部出身であるが、宗主国アメリカの宣教師としてアフリカに出向くことにはどのような意味があったのか、またナッソー自身、どのような心境でアフリカに向かったのかは興味深いところがある。
