小説「LOVERS」サクライロ編 #8 お金では買えないものが価値を生み、芸術が心を癒す場『ワライバ』
名も無き芸術家が人々の魂を再調律する場所『ワライバ』。生真面目な会社員・錬次郎は、そこで芸術家たちの音や優しさに触れて魂を揺さぶられ、号泣した。しかし、長年染み付いた価値観を手放せない彼は、家族との絆を取り戻すため「ある行動」に打って出る。それは、ワライバで金を使わずに生きるという『リアルサバイバルゲーム』だった――。
第8話:慈愛と信頼があれば生きていける
<リオン>
錬次郎さんが再び湖畔のワライバに戻ってきたのは、三週間後のことだった。
彼いわく、ここワライバで妻子やアーティストが生き生きしている姿を目の当たりにし、応援歌まで聞かされたのが原因で、自宅に戻ってからしばらくの間寝込んでいたらしい。けれど、あることを思いついたので、こうしてやってきたのだと言う。ギターを一本だけ背負って。
心配性のさくらが問う。
「あの……お仕事はどうされたんですか? もしかして……?」
「今日から二週間、有給休暇をとった。いつか使おうと思ってとっておいたやつを、この際ここで使ってやろうと思ってね」
そういった錬次郎さんは吹っ切れたようにも、空元氣を出しているようにも見えた。
「まぁ、せっかく長い休みをとったんだから、のんびり過ごしていきなよ」
おれの言葉に、錬次郎さんは首を横に振る。
「のんびり? 冗談じゃない。僕は決めたんだ。この二週間、本当に金を使わずに生きていけるか実験するって。リアルサバイバルゲームを、ここでやる」
それを聞いたおれたちは顔を見合わせ、そばにいた奥さんと娘さんは大笑いをした。
「お父さんらしいなぁ。素直じゃないっていうか、現実をゲームにしてしまうところが」
奥さんの華さんがそう言うと、錬次郎さんは鼻で笑った。
「こっちも意地だ。もし、本当に金を使わず、慈愛だけで二週間を過ごすことが出来たら負けを認める」
「え? この前の出来事で芸術の力の凄さを思い知ったんじゃないの? だから寝込んでいたんじゃ……?」
「たしかにその力を目の当たりにはしたよ。だけど、冷静になってみればやっぱり、芸術だろうが何だろうが、それは一時の癒やし、現実逃避に過ぎない。二人には、現実、金が必要だってことを思い出してもらう。それが、僕のミッションだ」
「そのためにわざわざ有給をとったっていうの?」
「そのくらい本氣ってことだよ」
「本氣っていう割には、なんだか不安そうだけど?」
「……んなわけあるか。さぁ、仕事だ仕事! 二人は今、何をやっていた? 僕も同じことをしようじゃないか」
錬次郎さんは、短いシャツの袖をさらに捲るような仕草をみせた。
(わかってくれたもんだと思ったんだけどなぁ……。)
どうやら、ショック療法でも、長年染み付いた考えを変えることは出来なかったらしい。でも、おれたちに出来るのは芸術を差し出すこと、そして見守ることだけだ。
「……ねぇ、リオンくん。一週間交代で、錬次郎さんを見守るというのはどう?」
さくらも同じことを思っていたようだ。おれにそっと耳打ちをしてきた。
「うん。あっちが本氣ならこっちも本氣で向き合うしかないよな。出来ることは限られてるけど」
「そうよね」
「じゃあ明日から、おれが最初の一週間を、残りをさくらが見守るってことで」
「わかった」
こうしておれたちと錬次郎さんとの “ワライバ合宿” がスタートした。
***
仕事だ仕事、と意気込んだ状態から始まった錬次郎さんのワライバ生活。のんびりしなよと言ったおれの言葉を否定しただけあって、彼は一時もじっとせず、とにかくやることを探していた。華さんや娘の亜美さんがワライバでアーティストの誰かとお茶やおしゃべりを楽しんでいても、彼だけは忙しなく何度も畑を見に行ったり、お茶やコーヒーの在庫をチェックしたり、帳簿を見たりしていた。
しかし、夕方にもなるとやることがなくなったのか、ワライバの隅でギターを弾き、それにも飽きると、とうとう荷物をまとめ始めた。
「僕は帰るけど、二人もそろそろ帰らないか? 途中まで一緒に行こう」
錬次郎さんは二週間、福岡市の自宅からここに通うが、妻子はワライバ近くにアパートを借りている。錬次郎さんは駅に向かう道中を家族と過ごしたいのだろう。
しかし、声をかけても二人は帰る素振りを見せない。それどころか、ここで夕食をとっていくつもりらしく、台所に立って料理をしている。
「お、味噌汁のいい匂い。煮物もうまそう」
おれが匂いに誘われて台所に立ち入ると「一口、味見してみます?」と亜美さんが言い、小皿にとってくれた。行儀悪く手でつまんで口に運ぶ姿をみたさくらや常連のアーティストたちは微笑んでいたが、錬次郎さんはきっちり指摘してくる。
「リオンさん、そういう姿を堂々と見せつけるのはどうかと……。よりによって僕の娘と。……いつからそういう関係に?」
「やだぁ、お父さん。リオンさんには、さくらさんっていう素敵な女性がいるよ。あたしなんて足元にも及ばないんだから。ねえ、さくらさん?」
「わ、私とリオンくんは、家族のようなきょうだいのような、そういう間柄であって……」
「あはは。あたしはわかってます。だけどほら、お父さんにはお二人の関係性を言葉で説明するのって難しいでしょう? だからここはとりあえず、二人は恋仲ってことにしてくれません? じゃないと、誤解されちゃうから」
そう言うなり、亜美さんがおれとさくらをくっつけようとした。
「ほら、お似合いのカップルですよ!」
なんとも居心地の悪さを感じるが、周囲は面白がって笑っている。
(まぁ、みんなが笑顔になるならいいか……。)
しかし一人だけ、笑うどころか腹を立てている人物がいた。そう、錬次郎さんだ。
「亜美も母さんも、僕といるより、ここにいるリオンくんやアーティストと一緒にいるほうがずっと楽しそうだな。そんなに彼らのことが好きか? 愛想が尽きたなら尽きたとはっきり言ってくれ!」
「お父さん……」
「僕はもう帰る」
「待って」
背を向けた錬次郎さんを、華さんが引き止める。
「家に帰っても食べるもの、ないでしょう? 自分でお金を使わないって決めたなら、これだけでも持って帰って」
出来たての煮物は、手際のいい華さんの手によってパッキングされていた。
「そんなもの……」
拒みかけた錬次郎さんだったが、動き詰めで空腹だったのだろう。引っ込めた手を再び伸ばし、それをひっつかんで帰っていった。
「全く、素直じゃないんだから……」
華さんの呟きが、ワライバ内に静かに響いた。
<さくら>
リオンくんに湖畔のワライバでの見守りを任せた私は、一週間後、彼と交代してそこに入った。
彼から引き継いだ話によると、この一週間は周囲に馴染めず、ひたすらに不機嫌を貫いていたと言う。けれど、なんだかんだ周囲の人達が良くしてくれるので、宣言通りお金を使わずに食いつなぐことが出来ている。ただ、それがかえって不満の種になっているらしかった。
◇◇◇
その日、私は彼が湖畔の傍で一人、弾き語りをしているところに出くわした。なんとも絵になる姿だったので迷わずスケッチを始める。するとそこへ、華さんがやってきた。
「……何しに来たんだよ」
錬次郎さんは弾くのをやめてしまった。
「何って……。いいじゃない、理由なんてどうでも」
華さんはそう言って錬次郎さんの傍らに腰掛けた。
「どう? ワライバでの暮らしは」
「どうもこうもない。たしかに今日までは金を使わずにやってこれた。でも、やることもない。僕にとってここでの暮らしは退屈この上ないよ」
「やることがないなんて、最高の贅沢じゃない。これまでやることに追われて、毎日生きた心地がしなかったんじゃないの?」
「それはそうなんだけど、全くの自由になったら、それはそれで困るんだよなぁ」
「まぁ、贅沢な悩みね」
華さんは笑った。
「今みたいに、無心でギターでも弾いたらいいじゃない。それがお父さんにとって氣晴らしになるなら」
「弾いたって誰も聴いてないし、ましてや金にもならない」
「そりゃあ、こんなところで弾いてたって誰も聞かないわよ。弾くならワライバでやらなきゃ。若い頃、ミュージシャンになりたかったあなたが路上で弾いていなければワタシたち、出会うこともなかったじゃない? あのときのようにまた弾けばいいのよ。……っていうか、弾いてよ」
「…………」
華さんの言葉を聞いた錬次郎さんは遠くの湖面を見遣った。しばらく沈黙の時が流れる。が、そのうちに錬次郎さんがギターを弾き始めた。
それは、古い時代のフォークソングだった。華さんは「懐かしい!」と言って歌詞を口ずさみ始める。二人の後ろ姿を見ているうち、なんだか若いカップルのように見えたので、新しいページにスケッチをする。
錬次郎さんは何曲か弾き、そのたびに華さんが歌った。スケッチが終わり、一枚目と二枚目を見比べてみると、明らかに錬次郎さんから漂うオーラが違っていた。
二人が同時に立ち上がり移動をはじめたので、私は二人に歩み寄り、二枚のスケッチを渡すことにした。
「お二人の後ろ姿があまりにも絵になったので、描かせていただきました。もしよかったら、受け取ってください」
「あら、私の後ろ姿ってこんなにもきれいなの? まだまだイケるわね」
華さんは大喜びでスケッチを見つめた。
「お父さんも、なかなかイケメンな後ろ姿に描いてもらったんじゃない?」
「うーむ……」
錬次郎さんは一度紙に目を落としたが、恥ずかしそうにすぐに視線を外してしまった。その様子を見た華さんは嬉しそうに微笑んでいた。
◇◇◇
その日を境に、錬次郎さんは少しずつ変わっていく。華さんがいる前で弾き語りをしたり、青空の下で作詞作曲をしたりするようになったのだ。それを、その日の晩にワライバで披露する、そんな日々が続いた。
そして、錬次郎さんが有給休暇をとって二週間が経とうかという日、リオンくんがワライバに合流した。状況は都度報告していたが、錬次郎さんのあまりの変貌ぶりには驚きを隠せない様子だ。
「本当にあの錬次郎さん? オーラが段違いだぜ。さくら、何かしたの?」
「私は何も。錬次郎さんを変えたのは、なんだかんだ言ってご家族の……華さんの存在が大きかったと思う」
私自身は、両親の行動が示すように、家族は自由を束縛するものであり、離れていたほうがいいとの考えに変わりはない。けれど、華さんのように、そばで旦那様を支え、信じて寄り添うことが出来るのもまた家族なのだということを教わった氣がした。
***
とりあえずのところ、錬次郎さんは今日がワライバ最終日ということで、みんなで集まり、お別れ会をすることになった。
「そういえば錬次郎さん、ここへ来た時『リアルサバイバルゲームをやる』って意氣込んでたけど、“サバゲー” は攻略は出来た?」
リオンくんが冗談めかして言うと、錬次郎さんは頭を下げた。
「完敗だよ……。僕は、金を稼ぐことが自分の役目だと思い込むことでなんとか生きてきた人間。だけど、金を稼いでいなくても、僕の存在を認めてくれる人が、実は最も身近にいたことを、ここにいる間に教えてもらったよ。ここでの暮らしは何一つサバイバルじゃなかった。僕がそう思い込んでいただけだった。……色々と、ひどいことを言ったと思う。申し訳なかった。それと、妻と娘がここで生き生きと過ごす姿には、僕自身が励まされた。だから、さくらさんとリオンさんには引き続き、二人をここに置いてもらいたい。よろしくお願いします」
「こちらこそお願いします。……ええと。錬次郎さんご自身は、今後どうされるんですか?」
私が問うと、彼は小さく笑う。
「身の振り方は、もう少し考えてから決めようと思う。ただ、これまでのようにはもう働けないと思う。金がなくても、少なくともここでは生きていけることがわかっちゃったからね」
その表情はとても穏やかだった。
「今度こそ、大丈夫だな、小父さん。じゃあ、おれから一曲プレゼントするよ」
リオンくんはそう言うと、電子鍵盤に歩み寄って早速弾き始めた。それは、懐かしさを感じるような旋律。一瞬にして昭和の雰囲氣がワライバを包む。
「若いのに、よくこんな雰囲氣の曲が弾けるなぁ。よし、それじゃあ僕も」
錬次郎さんが立ち上がり、ギターを構えて弾き始める。それに合わせて他のみんなが手拍子をしたり笑い合ったり。その様子を見て錬次郎さんが一層笑う。
この時、笑顔の循環こそが何ものにも代えがたい宝物だと、この場にいる全員が氣づいた。私たちはこの時間が永遠に続くようにと願いながら、一瞬一瞬を噛みしめるように笑い、語り合った。
最終話:世界が終わっても芸術は終わらない
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<ここまでの物語はこちらから>
第1話:朝日差すアトリエとコーヒーの香り
第2話:アトリエを集い場にしたいアーティストの葛藤
第3話:苺が繋ぐ、芸術と人の輪
第4話:何者でもない自分になれる場所
第5話:ライブパフォーマンスが作り出す笑顔の循環
第6話:古きものを、新しき時代に再生するためのピアノ演奏『エリーゼのために』
第7話:頑張って生きてきたあなたに贈る詩歌「おさらばしよう、古い時代に」
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芸術家が集う癒やしの場「ワライバ」を提供するのが夢。共感者を大募集中💖記事を読んでピンときたらお声がけを💕一緒に愛と調和の世界を物語りましょう💖