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パイオニアは孤独──北条民雄、夏目漱石、そして僕ら

今回のテーマから、この作品を選びました。よろしければ、どうぞ。


はじめに

猫は自由に屋根を駆けるが、病床は世界を凝視する窓となる

夏目漱石の猫のどこにでも現れることのできる視点と、北条民雄の病という肉体の制約は、近代化が生んだ「二つの孤独」(身体的・精神的)を理解するための手がかりになります。

時代的には、北条民雄(1914-1937)と夏目漱石(1867-1916)の活動時期は重なっていません。次の時代の孤独と対峙したのが北条民雄ですね。
個人的に、持病や障害があるから、他人事にはどうしても思えなくて考えてきました。

そして、サルトル『嘔吐』(1938)と北条民雄の死(1937)がほぼ同時期である点は、歴史の皮肉です。

それでは、振り返ってみましょう。

1 川端康成でさえ、気づけない

北条民雄の悲劇は、芥川賞を受賞しなかったことだけではないと思います。師匠で庇護者の川端康成さえ、1937年に腸結核で23歳で夭折した北条民雄が、おそらく思想家であることを見抜けていないことです。

それは花瓶にさされた花が、根を切られてゐるのも知らないで、懸命に花を拡げてゐるのに似てゐた。

北條民雄『発病した頃』

癩者はボロ靴のやうに療養所といふごみ箱に捨てるのが人類の正しい発展となるのでせう。自分がボロ靴であることを意識しました――

北條民雄『外に出た友』

この2つのアナロジーから、彼の身に起きたこと、隔離されている彼らの置かれた状況への理解を確認できます。

重要なことは、それなら如何に生きるかといふ、態度だ。

北條民雄『重病室日誌』

ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』(1938年4月)は、1905年6月21日生まれのサルトルが33歳で刊行しています。北条民雄は隔離された環境で、自分で考えて実存主義的な境地に至っています。でも、インターネットも電子書籍もない時代に、川端康成にこのことを気づいてやれと言うのは無理でしょう。彼は小説家か批評家なら見抜けるだろうけど、まして早熟な若者の哲学は気が付きにくい。

2 言文一致運動のおおよその流れ

時代を遡り、明治の文豪たちが何に取り組んだのか確認しましょう。

2-1 二葉亭四迷『浮雲』(1887-1890)

 千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰も顋を気にし給う方々。しかし熟々見て篤とくと点※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)すると、これにも種々種類のあるもので、まず髭から書立てれば、口髭、頬髯、顋の鬚ひげ、暴に興起した拿破崙髭に、狆の口めいた比斯馬克髭、そのほか矮鶏髭、貉髭、ありやなしやの幻の髭と、濃くも淡うすくもいろいろに生分はえわかる。

二葉亭四迷『浮雲』(1887年 / 明治20年)

古文と現代を繋いでくれるような、音読して心地よいリズム感が達成されています。彼は言文一致運動のパイオニアで、坪内逍遥が師匠ですね。

2-2 尾崎紅葉『金色夜叉』(1897-1902)

 可悩なやましげなる姿の月に照され、風に吹れて、あはれ消えもしぬべく立ち迷へるに、※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)々たる海の端の白く頽くづれて波と打寄せたる、艶に哀れを尽せる風情に、貫一は憤をも恨をも忘れて、少時しばしは画を看みる如き心地もしつ。更に、この美き人も今は我物ならずと思へば、なかなか夢かとも疑へり。
「夢だ夢だ、長い夢を見たのだ!」
 彼は頭を低たれて足の向ふままに汀の方へ進行きしが、泣く泣く歩来たれる宮と互に知らで行合ひたり。
「宮さん、何を泣くのだ。お前は些ちつとも泣くことは無いぢやないか。空涙!」
「どうせさうよ」
 殆ど聞得べからざるまでにその声は涙に乱れたり。
「宮さん、お前に限つてはさう云ふ了簡は無からうと、僕は自分を信じるほどに信じてゐたが、それぢややつぱりお前の心は慾だね、財なのだね。如何に何でも余り情無い、宮さん、お前はそれで自分に愛相は尽きないかい。

尾崎紅葉『金色夜叉』(1897-1902)

二葉亭四迷と比較すると、雅俗折衷体(美文調) で劇的な情念を描いています。

2-3 国木田独歩『武蔵野』(1898)

 鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車荷車の林を廻めぐり、坂を下り、野路を横ぎる響。蹄で落葉を蹶散す音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪い、切株に腰をかけて書を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹もずいぶん多いから。

国木田独歩『武蔵野』(1898年 / 明治31)

写生文的自然描写が行えています。古風だけど、現代の感覚から見て読みにくいほど古く感じられないのだから、革新的な文体だったでしょう。

2-4 泉鏡花『高野聖』(1900)

 岐阜ではまだ蒼空が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原、長浜は薄曇り、幽に日が射さして、寒さが身に染みると思ったが、柳ヶ瀬では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交って来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰いで空を見ようともしない、この時に限らず、賤ヶ岳が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。

泉鏡花『高野聖』(1900 / 明治33年)

泉鏡花は文語体の美文に幽玄な幻想性を持たせています。これも、後世に影響を与えましたね。

2-5 森鷗外『青年』(1910-1911)

「消極的新人と積極的新人と、どっちが本当の新人かと云うことになりますね」
「ええ。まあ、そうです。その積極的新人というものがあるでしょうか」
 微笑が又閃く。
「そうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈(はず)には相違ないでしょう。破壊してしまえば、又建設する。石を崩しては、又積むのでしょうよ。君は哲学を読みましたか」
「哲学に就いては、少し読んで見ました。哲学その物はなんにも読みません」正直に、躊躇せずに答えたのである。

森鴎外『青年』(1910-1911)

森鴎外は、理知的な翻訳的な表現を選んでいます。この作品は、漱石の作品が世に出た後に執筆されています。森鴎外はリズムやグルーヴよりも、知的な教養を扱えることを重視しているでしょう。

2-6 さらなる先達たち

樋口一葉『たけくらべ』(初出:『文学界』 1895年 / 明治28年〜)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/389_15297.html
樋口一葉は文語的だけど、音の扱いはこの時代だと感じます。

島崎藤村『破戒』(1906年 / 明治39年)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1502_24633.html
重いテーマを扱っています。漱石のように猫の視点で著者をモデルにした教師も含めて風刺するというメタ構造は無いでしょう。

田山花袋『蒲団』初出:『新小説』1907年(明治40年)〜
https://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1669_8259.html
「この小説を書く私は気持ち悪いだろう?」と、田山花袋が考えていたならメタ的ではありますが、私は詳しくない。私小説の源流です。

3 漱石の革新の成功の位置付け

夏目漱石(1867年 - 1916年)
活動期間(1905年 - 1916年)

言文一致運動を振り返ります。

坪内逍遥 ──(理論)→ 二葉亭四迷 ──(革新の橋渡し)
│               ↓
└─(対照)← 尾崎紅葉(文語美文主義)
           ↓      
        森鴎外(翻訳・内面重視)
           ↓      
        夏目漱石(口語文完成・近代的自我)

これらの作品を並べると、言文一致運動が単なる「口語化」ではなく、多様な文体実験のうねりだったことが見えてきます。

  • 尾崎紅葉・泉鏡花 → 文語美文の極致

  • 国木田独歩・島崎藤村 → 写実主義的散文

  • 森鴎外 → 翻訳調の理知性

  • 夏目漱石 → 口語体・ユーモア・哲学の融合 (口語的知的ユーモア)

漱石の革新性は、これらすべての潮流を「猫の目」というレンズで取り込みつつ、読者を笑わせながら近代日本を批評するという唯一無二のスタイルを確立した点にあります。

漱石の言葉遊び、構文の躍動感、文語と口語の絶妙な融合、ユーモアと風刺のバランスなどなど、どれを取っても、あの時代にあそこまで自由で完成度の高い文体を打ち立てたのは、天才としか言いようのない突然変異的、才能による偉業でしょう。

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4 漱石の孤独

正岡子規(1867-1902)は漱石のデビュー前に亡くなっています。

寺田寅彦(1878年 - 1935年)のような素晴らしい弟子はいますが、11歳下です。芥川龍之介(1892年 - 1927年)は、さらに若い弟子です。彼らは、上下関係だから、日本の文化も考えると、文学を対等に話し合える友とは言えないでしょう。

カフカの国際的な名声は実存主義と関係するから、1940年代以降で、漱石はカフカを読んでもいないはずです。(日本語初訳は、高橋義孝訳 『変身』新潮文庫、1952年)

けれど、近代の自我を見抜いてますよね。例えば、猫の目を通して自分も含めて笑えることは近代的な個人です。リズムとグルーヴを扱える語りの達人だけでなく、文学者として正確に社会を批評もしていた。この文学的な誠実さを、同時代の人は理解しにくいはずです。

「先生の小説、新しいね」
「なんか良いよね」

と、人気や名声はあっても、仕事を理解してくれる人は少なかったでしょう。

5 パイオニアを目指そう

僕らは漱石ではない。けれども、宇宙の始まりから、地球が太陽の膨張に巻き込まれるなど、何らかの理由でホモサピエンスが滅びる未来までを含めた大きな時の流れの中で、一卵性双生児であっても別人なのだから、我々は全員、唯一無二の存在です。

だから、探せば自分の視点が見つかり、パイオニアになれるでしょう。北条民雄や夏目漱石の例を見ましたが、理解されない孤独は苦しいです。

けれど、作品を残せば歴史が判断してくれます。それに、完璧に理解し合えないからといって、無価値でしょうか?

『北條民雄全集、手掛けた川端の「配慮」』
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP4175GWP38PTLC02Q.html

国が隔離政策していたほどの時代に、師匠になって死後も出来ることを探してくれた川端康成の行動は、ノーベル文学賞(1968年)を受賞したことよりも、その人柄を後世に伝えると私は感じます。

夏目漱石は、完璧に理解できなくても明らかに重要な作家だと分かるから、尊敬され研究されお手本になったのでは無いでしょうか。

分かり合えることは少ししか無いかもしれないけれど、パイオニアにならなければ、判断材料も残しにくい。私には、こう見えるのです。

あなたが、仮に誰にも理解されないとしても、作品を何らかの形で世に残し、アウトプットし、知的に誠実であるのなら、あとは歴史が正確に判断するはずです。

だから、何も恐れることはない。ストレス減らして、創作に取り組みませんか。


Photo by Burak The Weekender:

https://www.pexels.com/photo/gray-metal-candle-lantern-on-boat-dock-704623/


中島みゆきは、漱石たちの遺産を継承して歌にしましたね。


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