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光秀を討つ 第一話

あらすじ
 1582年、本能寺の変──天下統一を目前にした織田信長は、家臣・明智光秀の謀反により、非業の死を遂げた。だが、炎に包まれた寺の奥にあったのは、語られざる“真実”の影だった。

信長の遺志を継ぎ、光秀討伐に立ち上がる豊臣秀吉。その戦いは、すでに「正義」として語られ、整えられた物語だった。
黒田官兵衛はその“物語”に違和感を抱き、密かに密偵を放つ。調査の果てに浮かび上がるのは、歴史を“語る者”の意図と、記録されぬ“もう一つの真実”。

──これは、戦国最大の謎に挑んだ一人の軍師が、語られなかった歴史にそっと筆を置く、静謐なる歴史ミステリーである。

目次(リンク)

第一章 炎上の報せ


 その報せが届いたのは、備中高松の陣にてであった。六月二日、未明。
 小雨が降る中、私は書状を差し出す伝令の手元に目をやった。指が震えている。だがそれは寒さからではない。紙には水染みと、そして血が混ざっていた。

 「黒田殿……織田信長公、本能寺にて……ご最期を……」
 その言葉が絞り出されるや否や、周囲の空気が一変した。誰かが「あっ……」と呟いたように思う。あとの音は耳に入らなかった。

 私はその場に正座したまま、しばし言葉を発することができなかった。信じがたい話である。いや、信じてはならぬ話である。
 だが――

 「それは、真か?」

 声が響いた。秀吉公である。普段ならば冗談の一つでも挟むであろうこの男が、真顔で、しかも声を低くしていた。

 「……火の手は夜半より上がり、信長公の居所は……すでに灰に。ご遺体は……確認されておりませぬ……」

 その場にいた全将が絶句した。だが秀吉公だけは、目を閉じ、短く息を吐くと、静かに立ち上がった。

 「黒田。策を練れ。光秀を討つ。直ちに」

 それは激情ではなかった。むしろ、計画通りの進行に対するような冷静な命令であった。
 私はその一言の中に、何か“裏”があると感じた。光秀を討つ――その大義は、確かに成り立つ。だが、信長公の死が「光秀によるもの」と、誰が決めたのだ? そして、あの秀吉公が“怒り”ではなく“整然と”それを宣した理由とは?

 「……心得ました」

 私は深く頭を下げ、陣を出た。
 雨はなお降り続いていたが、私の脳裏には、信長公の顔ではなく、燃え盛る本能寺の幻が焼き付いていた。

 その後、軍は怒涛のように動き出した。いわゆる“中国大返し”である。わずか数日で毛利との和睦をまとめ、兵を畿内へ転じるその勢いは、まさに電光石火であった。
 だがその合間、秀吉公は私を呼び寄せ、密かにこう言った。

 「黒田、本能寺の“焼け跡”を調べろ。急がず、だが念入りにな」

 私は驚いた。光秀を討つのではないのか。すでに軍は進発している。だが、秀吉公はなお、あの火に何かを見ていたのか。

 「……承知いたしました」

 私は小田原から派遣していた密偵に急報を送り、京へ潜入させるよう命じた。目的はただ一つ。本能寺に残る「異物」、あるいは「異常」を拾い集めることである。

 そして、私自身も考えていた。
 本当に光秀なのか? いや、それよりも、そもそもあの火は――偶然だったのか? それとも。

 信長公の遺体が見つからぬということは、何よりも重大である。死を“証明できぬ”ということは、すなわち、真実が宙に浮いているということだ。

 私は、生前の信長公の言葉を思い出していた。
 「人の命は、焚き火の如し。火を付けた者が誰かで、価値は変わる」
 ある夜、茶を点てながらそう言われた。

 まさか、その言葉通りになろうとは――。

 数日後、密偵より最初の報告が届く。
 内容は、私の直感を大きく揺さぶるものであった。

 「火元は、信長公の寝所にて」
 「焼け方が局所的。火の回りに不自然な偏りあり」
 「材木に乾燥処理が施され、火が回りやすくされていた可能性」
 「油の痕跡、及び……火薬に類する成分が確認された」

 私は、報告の巻物を閉じ、深く息を吐いた。
 そして、筆を取った。

 ――本能寺の変は、「戦」にあらず。
 ――これは、立派な「殺人」である。

 そして、火を点けた者が“誰か”が問題ではない。
 “なぜ”その火が必要だったのか。
 私は、答えを探す旅に出ることを、心に決めた。

 燃えたのは、本当に信長公だったのか――。
 その炎に、誰の思惑が潜んでいたのか――。

 黒田官兵衛の目には、もはや光秀ではなく、
 ――豊臣秀吉という男が、謎として映り始めていた。

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