『選ばれない自分』(2)
【春】
桧山さんと出会ったのは、桜前線のニュースが流れる頃だ。大量に花粉が飛んでいそうな薄曇りの日だった。彼女は背が低く童顔だったこともあり、第一印象は実年齢よりも若く学生のように見えた。丁寧な文字が書き込まれた履歴書を鞄から取り出し、明るく、それでいて落ち着きのある喋り方で自己紹介をしてくれた。
私は書店チェーンの店長をしていた。店長と言っても正社員は私以外は一人だけ、近くに有名大学がある山手線の小さな駅の、駅前にある店だった。その店には1月から配属されたのだが、その年は3月で卒業する学生アルバイトが多かったため、私は着任して最初の仕事として新しいアルバイトを探していた。年によっては卒業生が後輩を紹介してくれる事もあるのだが、その年は卒業生の伝手が少なかったため、かなり苦戦したまま3月も終わろうとしていた。入学したばかりの新入生を採用するために、大学内に求人広告を出さなければならないな、と考えていた時に、桧山さんが面接に来てくれた。
桧山さんは下の名前を環奈さんと言った。髪型はショートボブで、年相応の控えめなファッションが多かった。桧山さん以外の女性のアルバイトが全員学生で華やかなファッションだった事もあり、桧山さんはアルバイトの中では地味な存在になっていた。
その前の年の年末で、桧山さんは正社員だった前職を退職している。前職は生命保険の外交員だ。結婚の準備のために退職したそうだが、結婚後もアルバイトを継続希望との事だった。早速4月から週4日で勤務してもらう事にした。
桧山さんの勤務開始後は、シフトの関係で私は彼女と同じ時間にランチを取る事が多くなった。勤務初日、緊張しているだろうと思った私は、書店の周囲の店を紹介する事も兼ねて、彼女をランチに誘ってみた。彼女は快諾してくれた。
我々が勤務する書店の近辺は飲食店は多いが、ほとんどが学生向けの安くてボリュームの多い店で、若い女性が好みそうな店となると選択肢はあまりなかった。その中の数少ない選択肢から、イタリアンのランチを選んだ。さわやかな風が吹き抜け日差しは暖かく、満開の桜が美しい日だった。
40代も半ばになると、20代の女性とどういう会話をすればいいのか、やや迷ってしまう。婚約者がいるとは言え、その事を根掘り葉掘り聞けばセクハラになる可能性があるし、家庭環境、出身学校などの話題もハラスメントになる可能性がある。その上私は元々女性との会話を得意としている訳ではなかった。そのため、店に入って着席後、どう会話をスタートすればいいのか少し困った。緊張しているのは桧山さんではなく、私の方だった。
「冴縞さんは、どちらにお住まいなんですか」
私がやや困っているのを察したのか、桧山さんから話出してくれた。
「江戸川区です。葛西ってわかりますか?」
「知ってます。私、葛西の自動車教習所に通って運転免許を取ったんです」
最初の会話から、彼女はとても近い距離感で話をしてくれた。私は緊張が解けて、彼女との距離感が縮まった錯覚に陥った。
私は自分を「選ばれない自分」と呼んでいる。これまでの人生で、私が選ばれた事はほとんどなかった。今の店舗に来る前は、神保町の本社で本部の部長だった。しかし、私より下の世代が出世し始めたため、私は押し出されるように店舗へと追いやられた。理由は中途採用の社員だからである。私は選ばれることなく、後輩のために席を譲らされたのだ。
大学の文学部に所属していた私は、在学中から文章で身を立てたいと考えていた。時間があればワープロ専用機に向かい、ひたすら文章を書き続けていた。やがて親友と二人で同人誌を発行し、一部の出版社の編集者の目に留まる事となった。その時も、どちらか一人を育てると言う事になったらしく、私より1才年下の親友が選ばれた。その後彼はプロの作家としてデビューする事になった。私はその後も、バイトで細々と生計を立てながら、文章を書き続けた。しかし、私の文章が世に出る事はなかった。
私は基本的にランチは一人で取るようにしていたのだが、その後も休憩時間が重なった時には必ず桧山さんを誘うようにした。そういう、人を引き付ける魅力が彼女にはあった。
「私は函館の生まれなんですけど、函館の桜って満開になるのがだいたいGWなんですよ」
「そう言えば、聞いた事があるな。でも今年はGWはシフトが入ってますよね?」
「そうですね。でもその分、その次の週にまとめてお休みいただきますから。桜も少しは残っているかもしれませんし」
桧山さんは、学生時代に小さな書店で長くアルバイトをしていたとのことで、書店の実務についてはだいたい把握していた。また社会人経験、特にセールスの経験があったためか、接客業にも向いていた。GWはサークルの合宿などで勤務できる学生アルバイトが少なくなるため、入店したばかりの桧山さんに、いつもより多くシフトに入ってもらう事になってしまった。その代休をGWの翌週に取るのだ。
「お土産、買ってきますね」
彼女の声は、いつでもとても心地よく響いた。大学入学と同時に状況したとの事だったので、東京での生活は丸七年ちょっとのはずだが、イントネーションは滑らかな標準語だった。おそらく声の高低、あるいは強弱のメリハリが微妙に作用して、常に心地よく響く喋り方になっているのだろう。
私は4年前から、中学を卒業した流星と言う名の一人息子と二人で暮らしていた。彼は自閉症で引きこもりだったため、中学にはほとんど登校せず高校にも進学していなかった。妻は4年前、私と子どもを置いて部屋を出た。その時は実家に戻ると言っていたが、今はその実家にもいないようである。もうすでに、他の男と暮らしているのかもしれない。おそらくクリスマスや子どもの誕生日にも、SNSなどで連絡をする、という事もしていないのだろう。
私は朝5時に起きて、毎日二人分の朝食と子どもの昼食を用意する。昼食と言ってもサンドイッチ、おにぎり、せいぜいが焼きそばといったところだ。同時に夕食の下ごしらえもした。平日の夕飯は肉や魚を焼いたり、市販の調味料を使って中華料理を作った。休日は少し時間を掛けて、ローストビーフやアクアパッツァを作ったりもした。もちろん買い物、掃除、洗濯、アイロン掛けなどもすべて自分で行った。
妻と出会ったのは、30歳になる少し手前だった。彼女は当時の私のアルバイト先の正社員で、年齢は私と同じだった。本が好きだった彼女は、私が文章を書いている事に興味を持ってくれた。私の文章を唯一褒めてくれた人でもある。その後、私達は結婚した。そしてそれを機会に私は文章の道を志す事を諦め、今の書店チェーンに就職した。
考えてみると、私の人生で私を選んでくれたのは、彼女だけだったのかもしれない。しかし今となっては、彼女が私の何を気に入って私を選んでくれたのかもわからない。ひょっとすると、彼女の中では私を選んだつもりなどなかったのかもしれない。思い返せば結婚直後から、彼女はもう私に興味を失っていたようにも感じる。彼女にとって重要だったのは私ではなく、「結婚」という事実だけだったのだろう。
だがそうであっても、妻が家を出た直接の理由は、いまだによくわからない。その直前に、大きなケンカをした訳でもなかった。と言うより、一緒に暮らしていた間、妻とケンカをした事は一度もなかった。それでも彼女の中では、私への不満が溜まっていたのかもしれない。ある日突然、家を出ると言いだした。私は当然、ショックを受けて狼狽した。家を出る理由を聞いても、その答えはなかった。しかも、子どもは置いていくと言い出したのだ。妻の言い分は、流星に付いてきなさいと言ってもおそらく部屋を出る事はないだろう、と言うものだった。まったく理解できない話ではない。しかしだからと言って、私にすべてを任せると言うのも、話が飛躍しすぎである。だが妻は、一度言い出した後は、人の話に耳を貸す性格ではなかった。ヘルパーを頼むなりなんなりすればいい、と言う言葉だけを残して、彼女は流星を置き去りにして家を出たのだった。最後に流星に声を掛けたかどうかもわからない。
そんな事もあり、妻が家を出た直後はいろいろと思い悩んだ。その時点で妻に対して男女としての愛情があった訳ではないが、家族が壊れて行く事は、やはり耐えられなかった。そして自分と子どもの将来を想像する事が、まったくできなかった。心療内科にも通った。そこで医師から「悩んでも答えが出ないなら、悩み続けないで忘れた方がいい」とアドバイスを受け、そこから少しだけ精神が安定するようになった。週末の料理も、少し気を紛らわせてくれた。それでも、彼女が家を出てから私の心が晴れた事は一度もなかった。医師からは、先の事を考えて思い悩むのは良くない、と言われ続けていたため、私は問題の根本的解決を考える事から逃げ出し、目の前の仕事と家事に没頭する事にした。それでなんとか心の均衡を保った。その結果、無駄に料理の腕前だけは上がった。しかしいくら料理の腕があがっても、子ども以外にそれを誰かに披露する機会はなかった。夢も希望も欲望もない、ただただ無味乾燥な毎日が、私の目の前を通り過ぎて行った。私は自分を護るため、心を凍らせた。
その日も桧山さんと一緒にランチになった。
「甘い物、大丈夫ですよね? これおうちで召し上がってください」
桧山さんが、函館のお土産を渡してくれた。フィナンシェだった。
「えっ、いいんですか。休憩室でクッキーも頂きましたよ。トラピストクッキーでしたっけ? 美味しいですよね」
「トラピストクッキーは、函館のお土産の定番ですね。このフィナンシェも美味しいんですよ。お子さん、高校生でしたっけ? おうちで皆さんで召し上がってくださいね」
私は家族の事は、同僚には一切告げていなかった。本来は、家族の異動なので会社へ届け出をしなければならない。しかし、妻とはまだ正式に籍を抜いてはいなかった。彼女は出産後も仕事を辞めなかったため、元々私の会社の健康保険には入っていない。扶養の変更申請なども必要なかった。子どもは中学を卒業していたが、18歳までは自動的に扶養家族として承認される。そのため会社に家族の異動の届け出をする必要がなかったのだ。元々自分の事はあまりしゃべらない性格だったので、誰からも疑われる事はなく、同僚からは3人家族で暮らしていると思われていた。
お土産を受け取る際、私は少し返答に詰まってしまった。桧山さんは私の不器用な対応で察してくれたらしく、話を変えてくれた。20歳も年下の女性に助け船を出され、私はやはり自分がダメな人間なのだと感じた。
「冴縞さんは、北海道にいらしたことありますか?」
「北海道ですか、札幌は行った事があります。スキーで」
「スキー、やるんですね。私はスキーは子どもの頃しかやった事ないです。学生時代はずっとスノボでした。冴縞さんはスノボはやらないんですか?」
「独身時代、友達と一度スノボにもチャレンジしました。でも、どうしてもスキーのクセが出ちゃうので、まったく滑れませんでした。桧山さんは今も滑るんですか、スノボ?」
「社会人になってからは数回ですね、学生時代はよく行ってたんですけど。友人と休日を合わせるのも難しくなってしまって…」
婚約者と遊びに行ったりしないのかなと、ふと思ったが、口にするのはやめた。桧山さんは、婚約者の話をほとんどしない。婚約者の話題に触れそうになると、なんとなく話題をすり替えてしまう。強引に婚約者の話を聞くのも不自然なので、私から婚約者について質問をする事はなかった。そもそも、私は婚約者の話をあまり聞きたいと思っていなかった。
『選ばれない自分』(1)
『選ばれない自分』(2)
『選ばれない自分』(3)
『選ばれない自分』(4)
『選ばれない自分』(5)
『選ばれない自分』(6)
『選ばれない自分』(7)
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