ソノキスタンプ ~小さな魔女となりゆきの弟子~ 第1話
あらすじ
かなえは陸上のエースだったが身長が伸びフォームが不安定になり部活をやめた。
ある日見知らぬ子供がお腹をすかせているのを見て声を掛けるが子供は背が小さいだけのオトナで、アプリと名乗った。
アプリは悩みのある人を応援する占い師で、悩みがあるかなえにおまじないをかける。弟子にならないかと誘われたかなえはクラスメイトの美菜にアプリの弟子と学芸会の主役の座をかけて一方的にライバル宣言される。さらに陸上部男子エースの伊勢が女子のエースだったかなえにコーチを依頼してきた。学芸会直前、美菜が病気になりかなえは主役を譲られる。かなえはクラスメイトから応援されつつも不安を抱えたまま舞台に立つ。
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ある日の占い館
「あなたはとっても頑張っていると思うけどなぁ」
茶色のローブをすっぽりとかぶったアプリは程よく冷えたエクレアをもぐもぐと食べながら呟いた。
「いいえ、まだやれることはあるんです!」
切れ長の目で整った顔立ちで長髪の少女、美菜の声が薄暗い店内に響いた。
壁にはレトロな振り子時計が並び、室内には淡い花の香が漂っている。
アプリと美菜はメガネやクリスタルの小物が並ぶガラスのショーケースを挟んで話していた。
「うーーーん」
アプリは指についたチョコを舐め、腕組みして天井を見上げる。
「あ、アプリさん、ちゃんと指拭いて」
美菜がアプリに紙ナプキンを差し出す。
アプリがそれを受け取ろうとすると美菜はアプリの手をとり、チョコの付いた指を丁寧に拭き取った。
「アプリさんの爪ちっちゃいなぁ。赤ちゃんみたい」
「赤ちゃんじゃないよぉ」
文句を言いつつ黙って指を拭かれているアプリの指を見ながら美菜がぼそりと呟く。
「シラウオのようなとは言わないけどスラッとしてない? それなりに器用な方だと思うし」
「シラウオかどうかはともかく、なんでこの指であんな細かい……」
「んー?」
「いいえ」
美菜は考えても仕方ない、と頭を切り替える。
天井にはアルコールランプの炎が灯っていた。
揮発するアルコールが燃える炎はふんわりとしていて、不思議とずっと眺めていたくなる。
揺れる炎に照らされたアプリの顔は長い前髪で半分以上隠れているが、美菜とは対象的に目をつむっていてもかなりのタレ目だと分かる。
「んー」
アプリの眉はまだ悩んでいた。
美菜はそろそろかな、と次の矢を放つ。
「そういえば今日発売のチョコシューがありましたよね」
「えっ?! それって、あの『季節限定 さっくり生地のベルギーチョコ入りシュークリーム』の事?」
「実はあるんです」
「うっ……」
美菜がオレンジ色の手提げをチラチラと揺らすとアプリは揺れに合わせて頭を振り、そして数秒後に「降参」と足元から大きなシルバーのコスメボックスを取り出した。
美菜の瞳がキラリと輝く。
「そこまでお願いされちゃあ仕方ない。お代はもらっちゃったし。やるなら本気。よし、じゃあアイラインとあと周りをちょっといじろうか」
「やった! あ、ナチュラルにですよナチュラル。あくまでも自然にです」
美菜がショーケースに肘をつけ、慣れた仕草で目をつむる。
「わかったよ。じゃ、じっとしててね」
アプリは先ほどまでのふわふわした口調から一転し、確かなオトナの口調で告げる。
美菜は背筋を伸ばして整った顔立ちをアプリに預ける。
閉じたまぶたに細い筆が近づく。
穂先は痙攣しているかのように細かく動く。それは塗るというよりも何かを描いているかのような動きだった。
物音一つしない時間が過ぎ、秒針の音がうるさいくらいに響く。
「……よし」
アプリがうん、と頷いて筆を置く。
美菜のまぶたには、まつげに沿ってうっすらとアイラインが描かれていた。ぱっと見は化粧したとはほとんどわからないのに、顔の印象は明らかに変わっている。
鏡を見た美菜はほう、と顔をゆるませる。
元がいい子は薄化粧が映えるなぁ、とアプリは自分でやったことながら感心していた。
「じゃ、最後の仕上げ、と」
その言葉に美菜が大きな瞳を更に丸くし、早く早く、と顔を近づけ目を閉じた。
アプリは落ち着いて、と困ったような顔で微笑む。
指先にファンデーションを付け、パフにうっすらとうっすらとなにかの模様を描く。パフを見ても何も見えないくらいに薄く。
「いくよ」
美菜は返事をするかわりに小さく頷く。
アプリは美菜の頬にパフを寄せ、遠くで鳥がさえずっているような小さな声で何かを唱えながら頬に触れさせる。
ぽん、ぽん、と頬に触れるたびにファンデーションの触れた頬が雪の結晶のようにきらめいた。
美菜は小鳥が吐息を吹きかけたようなくすぐったい暖かさにピクリと身を震わせる。
「ん、ソノキスタンプ一丁上がり」
アプリの言葉に美菜が目を開ける。
「わぁ……」
改めて鏡を見る。
大きな瞳が輝いている。
美菜は自信に満ちた笑みを溢れさせていた。
「うん、……うん!」
何かを言いたいのに言葉が出ず、美菜が椅子の上で体を跳ねさせる。
こういうところは年相応だな、とアプリも顔をほころばせた。
「ところでさぁ」
「何ですか」
上機嫌の美菜が上の空で返す。
「学校は?」
「えっ?」
壁の振り子時計を見る。時計の針は八時五分を過ぎていた。
「あっ! ヤバ! 遅刻する! ありがとうございます! また今度!」
美菜は素早く頭を下げ、置いていたランドセルを掴んで飛ぶように出ていった。
「気をつけー……って、あああっ! ちょ! しゅ、シュークリムぅ!」
美菜は手提げも持っていってしまった。当然中身もそのままに。
「ああ……」
アプリは恐る恐る扉から顔を出すがもう美菜の姿は見えない。
「チョコシュークリームぅぅ……」
アプリは捨てられた犬のようにしょんぼりとした顔で空を見上げ、太陽の眩しさに目を細める。そして体がしぼんでしまいそうなほどのため息をついてからそっと扉を閉めかけ……。
「おっと」
もう一度顔を出し、扉にかけてある『閉店』の看板をくるりと回し、アプリは店の中へ戻っていく。
『占い中♪』の看板が風で静かに揺れていた。
放課後。
昇降口を出て見上げた空は雲ひとつなく、あきれるくらいに青く、眩しい。
「かなえ、元気だしなよ」
茉莉が私の顔を覗き込みながら明るい顔で言う。
私は空を見上げたまま黙っていた。
今日、ホームルームで学芸会の劇の役を決める話し合いがあり、私は一つ役をもらった。
不本意なヤツを。
「でもある意味重要な役だよ? 私なんて落選。小道具づくりだし」
「私も落選が良かった……。きっと本番で失敗するに決まってるし……うう」
「そんなことない! せっかく舞台に立てるんだから頑張ろう! 草葉の陰から応援しているぞ!」
「蘇ってこーい」
茉莉はすぐ悪い方に考えがちな私をいつも引っ張り上げてくれる頼もしい親友。
だけど流石に今回、劇の主役に一緒に立候補なんてしてくれなくても良かったなぁ。そのうえ言い出しっぺが落ちるってどうなの?
「主役はどうせ無理だから心配してなかったけど、せめて茉莉と一緒に何か役をやれるなら良かった……」
「かなえは私がいないとダメだなぁ」
茉莉がよしよし、と手を伸ばして私の頭を撫でる。
きっと茉莉は家族よりも私の頭を撫でている。
「お世話をかけます」
「私がやりたいからやっているの。親友でしょ」
茉莉が親友でいてくれて本当に嬉しい。
私はさっきまでのユウウツが胸の中でサラサラと溶けていくのがわかった。
「あ、見て。陸上部がみんなで走ってる。おー、早い早い」
茉莉が天気がいいから、とグランド側を通ると陸上部の練習時間にあたった。
「そんな早いわけないよ。この時間はまだウォーミングアップなんだから」
正直あんまり見たくない。私はグランドを見ずに答える。
「さすがは元陸上部だね。でもほら、一人すごい早いのがいるよ」
「うそっ?」
思わずグランドを見ると、確かに一人全力疾走している男子がいた。
「……伊勢くんかぁ」
あれは陸上部で一番足が速い男子。隣のクラスの子だ。
「相変わらずペースめちゃくちゃだなぁ。ウォーミングアップは筋肉を温めるものだって散々言ったのに、クセが全然治ってない」
おりゃー! と声が聞こえてきそうな勢いで走る伊勢くん。
──相変わらず楽しそうに走るなぁ。
「でも、かなえの言うことは結構聞いていたんだよね。女子のトップだったからかな。それともかなえが世話焼きさんだからかな?」
「お世話焼きはそれこそ茉莉でしょ」
そう言うと茉莉は照れつつもちょっと得意げに笑う。
茉莉のお世話焼きは変に奥ゆかしくない。だからこそいい意味で遠慮がいらないからとても気安い。
視線の端で伊勢くんががむしゃらに走っている。
彼はある意味問題児。
悪い子じゃないけどスイッチが入ると周りが見えなくなる。
でも一生懸命なところはまぁ嫌いじゃない。
「応援してきたら? そういえば顧問の先生、かなえがマネージャーしてくれたら伊勢くんも言う事聞くから助かるって言ってたじゃん」
「もう関係ないし」
そういいつつも視界の端から伊勢くんの走る姿を外せなかった。
相変わらずだけど、なにかおかしい……?
「どう?」
「どうって……ペース配分を相変わらず考えてないね。でも、それくらいスタミナがあるからすごい。ただ、今のフォームを見ているとなんかおかしいような……。疲れてる?」
「ほうほう」
「小学生で800メートルやっているのは珍しいからライバルがこの辺にいないのも問題だよね。だから確かにアドバイスする人が欲しいところで」
「ふむふむ」
「……って! いやいや! もう関係ないから!」
思わず声が大きくなり、私ははっとグランドを見る。
誰かの視線を感じた気がした私は顔を背けて早足でグランドから離れた。
「やっぱりかなえは私なんかよりちゃんと人を見ているし、見られているよ」
茉莉は私を追いかけながらつぶやいた。
「茉莉?」
「じゃあまた明日。遅れないでねー」
茉莉はぱっと明るく笑い、私を追い越すとそのまま校門を通り抜け、手を振りながら行ってしまった。
静かになると少し寂しくなる。
ああ、黙っていると劇のことを思い出しちゃう!
帰ったら明日まで寝ちゃいたい。
そんな気分でつま先を観察しながら歩いていたその時。
「うわぁ……」
ふと、小さい歓声が聞こえて顔を上げると、コンビニのガラス窓に茶色いヒトデが張り付いているのを見つけ、思わず足が止まった。
「ああ、あれも季節限定で今日までかぁ。見落としてたなぁ」
ヒトデが喋った。
と言うかそれはローブを被った女の子だった。なぁんだ、と私はその子を見ながら歩きだす。
すぐ後ろまで近づくと随分小さい。低学年かな。
──まぁ、私と比べれば同年代の子はだいたい小さいけどねっ!
平均より高い身長を何度呪ったかわからない。
あ、なんか落ち込みそう。
胸が苦しくなり、視線を引き剥がして後ろを通り過ぎようとしたとき。
「わあぁ、あれが『ちょっとリッチなふわとろマスカルポーネスフレ』かぁ」
その言葉と同時に黄金色の丸いスフレが目の前にぽん、と現れた。
