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【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #03|リージェンツ・パーク

 私とカイは、それからほとんど毎日を一緒に過ごした。
 帰り際にカイがくれた、プリペイドの携帯電話で連絡を取り合って。

 十二時から三時までの語学学校が終わると、私は足早にカイとの待ち合わせ場所へ向かった。

 ロンドンの夏は、とても長い。
 サマータイムの間は夜の十時くらいまで日が沈まず、空はまだ藍色を溶かしたような余韻の中にあった。
 時間さえも味方につけて、私たちはロンドンの街を歩き尽くした。

 ロンドン・ブリッジ、ビッグベン、トラファルガー広場、チャイナタウン。  
 カイはガイドブックのようにこの街を案内してくれた。 

 レンガ造りと石畳のこの国は、ほんとうにおとぎの世界だった。
 私は観光客みたいにはしゃいで、これからこの国で暮らすのだと思うと、興奮して石畳を力いっぱい踏みしめた。

 そういえば、石畳はとてもステキだけど、ヒールをガツガツ削ってくれることが判明し、おのずとスニーカーで過ごすことが多くなった。


 ある日、カイにクラブに行きたいと言ってみた。
「俺は好きじゃないから、アキにでも連れて行ってもらいな」
 カイは少し困った顔をして笑った。
 私はそのとき、見てはいけない何かを心の中で捉えた気がしたけど、気づかないふりをした。


         *


 その頃には、カイに手伝ってもらって、新しいフラットへの引っ越しも完了していた。引っ越しといっても、オレンジ色のスーツケースひとつだったけど。
 
 カイが帰国するまでは部屋がないので、リビングのソファで寝ることにした。
 アキは新しくできたボーイフレンドの家に泊まりがちで、フラットにいないことが多くなっていた。
 そのためか、少しだけ以前より落ち着いた空気が流れていた。


 ミキヤは休日になると、よく朝食を作ってくれた。
 今日はフライパンでカリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ、それにトースト。パンの焼ける匂いが、リビングに満ちていた。
 窓からはあたたかい陽射しが差し込み、おだやかな光を作り出している。


「カイ、髪伸びたんじゃない?」
 朝食後のテーブルで、ミキヤがふと思い出したように言った。
 ミキヤはロンドンのサロンで働く美容師だった。
 私のとなりでくつろいでいたカイが、怪訝そうに顔を上げる。
「え、まだいけるっしょ」
「いや、サイドの重さが気になる。ほら、こっち来て」
 ミキヤが慣れた手つきでハサミを取り出すと、カイは渋々といった様子で椅子の背もたれに体を預けた。

「あんまり短くしないでよ。特に前髪、絶対に死守して」
「わかってるって。短髪はイケメンにしか似合わないよ」
「は?」
 ふたりの軽口を聞きながら、私は窓際のテーブルで紅茶をすする。 
 ミキヤがふざけて耳元をくすぐると、カイが肩をすくめて身をよじる。
「くすぐったい!」
「動くなよ、危ないだろ」
 鏡越しに目が合ったミキヤが、いたずらっぽくウインクする。

 やさしい、日曜日の朝だった。



         *
 

 それからの日々は、まるで夢のように過ぎていった。

 学校もさぼってカイの帰国準備に付き添ったり、ふたりで過ごす時間がさらに多くなった。私たちは飽きることなくロンドンを歩き回った。

 私は新しい国に、あいさつするように。
 カイはこの国を、忘れないように。


          *

 
 リージェンツ・パークの空はどこまでも青く、緑の芝生がどこまでも続いていた。

 池には白鳥が優雅に羽を休めている。
 私たちは芝生に寝ころび、たわむれる。
 好きな歌、好きな場所、好きな食べ物。
 他愛もない言葉を、飽きることなく語り続けた。
 カイはいつも優しく笑い、私を守ってくれた。
 まるで、物語の中のナイトみたいに。
 夜になればふたりでパブに行き、近くの公園を肩を並べて散歩する。

 たくさんの言葉を交わすたび、私たちはお互いの心の奥深くまで触れ合ってしまう。

 いつものように公園で日向ぼっこをしながら、日本で流行った懐かしい曲をふたりで口ずさんでいた。
 ロンドンの気まぐれな陽射しが、緑の芝生に長い影を落としている。
 ふいに、歌詞の一節に体がこわばった。

『悲しい結末でも あなたに会えてよかった』 

 私は急に心臓を鷲掴みにされるような恐怖を感じ、立ち上がった。
 じっとしていられなかったのだ。
 カイは驚いたように私を見上げた。

「……陽射し、強すぎ。どっかいこ」

 自分の声が震えていないか不安で、私は背中を向けたまま歩き出した。
 カイが立ち上がる気配がしたけれど、振り返ることはできなかった。
 私は不安と、なぜだかこぼれそうになる涙を、必死に抑えていた。

 そのとき、後ろから不意に、カイが私を抱き寄せた。
 びっくりして立ち止まり、私は硬直した。
 カイの腕は強く、けれど私の体を壊さないよう、少しだけためらいを含んでいた。
 首筋に顔を埋められた瞬間、吐息とぬくもりと、甘く艶やかな香水の香りにめまいがしそうだった。 
 そっと、カイの腕に手を添えると、カイはさらに強く抱きしめてきた。
 
 私たちは何も言わなかった。
 ただ、お互いの心臓の音に、呼吸が混ざり合うのをじっと聞いていた。



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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。



【MAGAZINE】


【もくじ】

#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫

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