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【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #10│猫

 家の前で、白い猫に会った。

 「おいで」と言うと、私の足下にすりよってきて、そのまま家の中までついてきた。
 私はキッチンまで猫を連れて行き、マグカップに水を入れて、ひとくち飲んだ。猫はその間も、私の足にずっと頭をこすりつけている。カップをテーブルに置き、猫をなでてみた。猫は喉をゴロゴロ鳴らして、喜んでいる。
 人懐っこいにも程がある。
 猫を愛でつつ水を飲んでいると、レオンがあらわれた。
 手にはジョイントを持っている。

「おまえ、猫なんかいれて……。夜中に痒くなるぞ」
 飲み込もうとした水が、固形物のように一瞬のどにつまり、私は慌ててもう一度飲み込む動作をした。
 水のかたまりはずるりと食道を通りぬけ、やっと喋れるようになった。
「かわいいでしょ?」
「俺はいやだ。絶対痒くなる」
 あまりにもレオンがうるさいので、私は猫を外に出した。またね。

「ところで、楽しかったか?」
 レオンがジョイントに火をつけながら聞いてきた。
「うん。疲れちゃった」
「眠れないだろう。まだ瞳孔がかっぴらいてる。チルアウトが必要だ」
 ジョイントを渡しながらレオンは言う。
 瞳孔が開いている?
 私はバスルームまで確かめにいった。
 瞳孔は、瞳いっぱいに広がっていた。鏡のなかの私の顔は、驚いたようにすべての穴が広がっている。
 キッチンにもどり、レオンからジョイントを奪うと、小さな木製のダイニングテーブルに腰掛けた。

 キッチンには朝の光がさしこみはじめていた。
 体は疲れているのに頭は冴えきり、そわそわしていて、とてもじゃないけど眠れない。
 私の吐き出した煙は、蛇のようにゆらりと身をくねらせながらやがて分散していく。

「おい、大丈夫か」
 レオンに呼ばれて、我にかえった。
「……どっか行ってたみたい」
「知ってる」
 レオンは笑った。
「レオンて、しらふみたいに見えるね。レオンこそ楽しんだの?」
「おれはいつだって人生を楽しんでる」
 だるそうに、ぜんぜん楽しくなさそうに、レオンはそう言った。
 ふいにレオンが消えてしまいそうな気がして、あわてて話題を変えた。

「レオンてさ、ロンドンにはどのくらい住んでるの?」
 私は前から、それが不思議だった。
 レオンは指を折って数えた。
「五年くらいかな。その前はオーストラリアにいた」
「香港には帰ってないの?」
 レオンは少し険しい顔をして言った。
「嫌いなんだ」
「香港が?」
「ダサいし店員の態度は悪いし、人は多いしうるさいし、暑いし」
 レオンはまるで心底憎んでいるとでもいうように、早口でまくしたてた。
「メシは悪くないが、なんせ店員の態度が悪い」
 そう言うと突如、香港の店員のモノマネがはじまり、私は客の役に抜擢された。座っているだけなのだけれど。

 キッチンの入り口から、タバコを吸いながらダルそうに入ってきた店員が、テーブルまで近づいてくる。そして煙を客に向かって吐きかけて、顎をしゃくってこう言う。

「Quick(早くしろ)」

 その様子がおかしくて、お腹が痛くなるくらい笑った。
 レオンもウケたことにご満悦で、ニンマリしていた。
 (私はその後、ことあるごとに「香港人の店員さんやって」とレオンにせがみ、ウザがられることになる。)

 笑いすぎて溢れてきた涙を拭きながら、
「あーおもしろ。え、じゃあ家族は?」
と聞いた。特に何も考えずに。
「父さんは俺が十二のとき、母さんは俺が十四のとき死んだ」
 レオンはそれだけ言うと、何事もなかったように灰皿を引き寄せ、灰を落とした。

 私は突然、映画の世界にほうりこまれたような気持ちになった。
 両親を亡くし、香港のストリートでドラッグを売るレオン。

 そんな人生を歩んできた人に、私は出会ったことがなかった。
 恐いような、悲しいような、よくわからない気持ちになった。
 なんでもいいから、レオンにやさしくしたくなった。

「レオン、冷凍庫にアイスあるから、食べていいよ」
「え、いいのか? ケチなおまえが」
 甘い顔するとこれだ。
 やさしくして損した、と思いながら立ち上がろうとしたとき、ジーンズのポケットから紙切れが飛びだしていることに気づいた。

「そういえば、イリーパーティーってなに?」
「イリーガルパーティ」
 なるほど。
「誘われたんだけど」
 折れ曲がった紙切れを開いた。
 レオンがのぞきこむ。
「行ってこいよ」
「でも、電話の英語、苦手だし」
「俺がかけてやるよ」
「行っても英語が話せないし……」
 
 レオンはあきれたように肩をすくめた。
「そんなこと言ってるから、いつまでたってもしゃべれないんだ。もっと外に出ろ、人に会え」

 曖昧に返事をして部屋に戻ろうとすると、背後からレオンが声を投げた。
「アイス、食っていいんだな?」


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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。



【MAGAZINE】


【もくじ】

#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫 

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