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【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #21│I am enough.

 レオンとソフィアは、無事に恋人同士になったようだった。
 ソフィアは週末になるとこのフラットに遊びに来るようになり、自然と私たちとも仲良くなっていった。

「マリ、嘘でしょう?」
 金曜日の夜、疲れたから家でのんびりしようかなと言った私に、ソフィアが驚いた声をあげた。
 テレビではオジー・オズボーンの家族を追ったリアリティ番組「The Osbournes」が流れている。
 そこにレオンがやってきた。
「レオン、マリが家にいるっていうのよ」
「俺も家にいたい。明日仕事だからな」
 レオンが時計を見て、眠そうに言った。
「カモーン! 週末よ? あなたたち大丈夫!?」
 ソフィアが信じられないというように叫んだ。
 欧米人と話していると、週末はクラブやパーティーに行くのが当たりまえで、家にいるなんてありえないらしい。
 結局レオンは、ソフィアに引っ張られて出かけて行った。
 ミキヤも出かけて行ったので、フラットには久々に静寂が訪れた。
 あー、なんて静かなんだろ。
 ゆっくりお風呂にでも入るとしよう。

 バスタブにお湯を溜めている間に、キャンドルをセッティングした。ココナッツの香りのやつ。
 ロンドンの給湯は、ボイラーに貯めるタイプなので、貯蔵分がなくなれば容赦なしに水に変わる。誰よりも先にお風呂に入らなければお湯がなくなるし、お風呂に入っている途中でもレオンがトイレに入ってくるしで、気が休まらないのだ。
 私には大きすぎて溺れそうになる全長のバスタブに、滑らないようにそっと足からつかる。
 じんわりとした温もりが体中をめぐり、重力から解放される心地よさが染み渡る。
 パチパチと音を立てる炎のゆらめきが湯船に映り、甘ったるいエキゾチックな香りが浴室いっぱいに広がっていく。
 「あ〜」
 思わずおっさんみたいな声が出た。
 バスタブに腕をかけ、浮力で滑りそうになる体を支えた。
 静かなお風呂は、最高だった。
 

 お風呂を存分に楽しんだあと、冷蔵庫からビールを取り出した。缶から伝わる冷たさが心地いい。風呂上がりの家の中は少し暑いくらいだった。家中に設置されたボイラーが、家全体を暖かくしてくれている。 
 頭にバスタオルを巻いたまま、リビングに向かった。
 部屋の灯りも消して、テレビをつける。
 今日はテレビで、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』をやるので、楽しみにしていたのだ。
 あたたかい部屋で、冷たいビールを飲みながら映画なんて最高!
 
 ディカプリオが崖から飛び降りるシーンで、ドアが開く音がした。
「暗いぞ」
 一気に部屋が明るくなった。
 レオンが帰ってきた。
 時計を見ると午前0時を少し回った頃だった。
「あれ、ひとり?」
「俺は明日仕事だからな」
 そんなセリフがレオンから聞けるようになろうとは。
「『ザ・ビーチ』おもしろいよ、レオンも見なよ」
 私は映画を中断されたくなくて、そう言った。
 レオンは椅子に腰掛け、ジョイントを巻きながらテレビを眺めた。
 しばらくすると、「ディカプリオめっちゃかっこいいな!」と騒ぎ出した。
 主題歌であるオール・セインツの「ピュア・ショアーズ」が流れると、「この曲聴いたことあるぞ! 最高だな! おまえCD持ってないのか?」と、また騒ぐ。
 私の静かな週末は、このように終わりを遂げた。

 ようやくレオンも映画に集中し、黙って画面を見つめるようになった。
 
 映画が終わると「最後がなんかあれだったね」と映画の感想を語り合いながら、ジョイントを回した。
 私は飲んでいた缶ビールも、レオンに回してやった。
 
 レオンが、煙を細く吐き出しながら、ふっと遠くを見つめた。
 急な静寂に不安を感じたとき、レオンがつぶやいた。
「I am enough.」
 その横顔は、少し恥ずかしそうで、けれどもとびきり幸せそうだった。
 私はその言葉を、一生懸命日本語に置き換えようと試みたけれど、うまくいかなかった。
 でも、今のレオンの幸せを表現するのに、これ以上のものはないように思えた。
 「レオン、よかったね」
 私は心からの祝福を込めて、そう言った。
 ここに花束があるのなら、渡してあげたいくらいだった。
 「ああ」
 レオンはまだ遠くを見たまま、小さく、けれど確かに笑った。


         * 


 私は今でも、自分の幸福度を測るとき、レオンのあの言葉を思い出す。
 自分は、「enough」だろうか。
 それは人生において、とても大切なことのように思えた。



Music
All Saints - Pure Shores


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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。


【MAGAZINE】

【もくじ】

#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫








 


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