【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #16│チャイナタウン
「今夜、みんなで外食しよう」
ある朝、レオンが突然言い出した。
「えー、お金もったいないしー」
私は貯金を減らさないように、節約生活をしている。
「このケチめ。たまにはいいだろ。ジャパニーズがいい、ジャパニーズ!」
ミキヤも笑って、
「5ポンドくらいなら出せない? 安くてうまい定食屋があるんだ」
と言った。
「まあ、じゃあいいよ」
「よし! 店はどこにある?」
「チャイナタウンだよ、〈みさと〉」
「おお、あそこか! 見たことはあるぞ。よし、じゃあ店の前に七時集合!」
夜七時半のチャイナタウン。
言い出しっぺがこない。
電話にも出ない。
「あのアホ、なにやってんねんやろ」
ため息をつき、道行く人たちをぼんやりと眺めた。ミキヤは携帯をいじりながら「まあ、レオンのことだし」と苦笑している。
ロンドンの中にある小さな中国。
極彩色の巨大な門をくぐると、ロンドンから突然中国に変わる、不思議なエリア。看板は英語から漢字になり、街の空気には甘いスパイスの香りが漂う。
日本人によく似た、けれどもどこか違う中国人たちが、忙しそうに動き回っている。目の前で角刈りの男が、携帯に向かって喚きちらしている。彼らの声はとても大きいので、会話を聞いていると、喧嘩をしているようにしか聞こえない。
「カイと、三人でよく来たよね」
ふいに、ミキヤがポツリとつぶやいた。
〈みさと〉のある通りには、〈ワンケイ〉がある。
『世界一接客の悪い店』として、ギネスにも載ったことがあるという店。
いうほど接客も悪くないし(香港人の店員さんに比べたら)、何より安くておいしい大盛りメニューがあるので、日本人学生はよく利用している。
そして、私たちがカイとよく通った店。
「うん、そうやね」
思い出すと、胸の奥はまだ痛む。それでも、前のような苦しさではなくなっていた。
カイのことを考える時間も、いつの間にかずいぶんと減っている。レオンのおかげかもしれない。
ミキヤのほうを向くと、ワンケイをみつめ、眉をぎゅっと寄せていた。
今さらになって、カイを失ったことに苦しんでいたのは、自分だけじゃないことに気づいた。
ミキヤの肩にコツンと頭をのせて、背中をさする。ミキヤが鼻をすする音が聞こえた。
私たちの静寂をぶち破るように、レオンがやって来た。
「遅い」
レオンは私の文句を意に介する様子もなく、「気にするな」と、私とミキヤの肩に腕を回してきた。機嫌が良さそうだったので、それ以上言うのは諦めた。
〈みさと〉は人気らしく、入店まで少し並んだ。
店内に満ちる出汁の香りに、さっきまでのイライラがどこかへ消えていく。私たちの隣の席では、中国人らしきグループが、山盛りの丼を囲んで大声で笑い合っていた。
みんなカルピコ(カルピス)を飲んでいる。
「俺は絶対テンプラ! テンプラだぞ!」
「わかったから!」
「鯖のみりん焼きがおすすめだよ」
ミキヤが言うので、私もそれにした。
注文を終えて一息つくと、レオンはまた子供のように店内をきょろきょろと見回し始めた。その瞳には、ロンドンの街角で見せるものとは違う、純粋な好奇心が宿っている。
「日本の店員さんの『イラシャマセ』がいい。あれ好きだ」
それから「イラッシャイマセ」の練習になった。
運ばれてきた料理に、レオンの目は輝き、よだれを垂らさんばかりだ。
私も、久しぶりの「和食」の香りに、さっきまでのせつなさが嘘のように消えていくのを感じた。こんがりと焼けた鯖から、香ばしいみりんの匂いが立ち昇る。
「いただきます」 私たちが手を合わせたその瞬間、レオンの箸が、まるで獲物を狙う鷹のように私の鯖へと一直線に伸びてきた。
「こら!」
「いいだろ、ちょっとくらい! それめちゃくちゃうまそうだ」
レオンは私の抗議もどこ吹く風で、鯖の身を自分の口へと放り込む。その横で、ミキヤが味噌汁をすすりながら「仲いいな、おまえら」と呆れ半分に笑った。
店を出ると、ロンドンの夜はすっかり更けていた。
途中の角でミキヤが、「俺はちょっと用があるから」と手を上げて去っていった。
レオンとふたりでバスで帰るか、地下鉄で帰るか話し合っていると、レザージャケットを着た男たちが歩いてきた。彼らはチャイナタウンの喧騒の一部のように、大声で笑いながら何かを話している。
「レオン!」
その中のひとりが気づいて声を上げた。
彼らはレオンと固い握手やハグを交わし、中国語の早口な挨拶を交わす。
少し離れた場所で、所在なく彼らの会話を眺めていると、レオンが私に「ジャクソン。友達だ」と紹介してくれた。
私はジャクソンと手を交わして挨拶した。
すると、ジャクソンがレオンに中国語で何か問いかけた。
「佢係邊個?」
「佢係我屋企人」
レオンも中国語で答えた。
ジャクソンが驚いた顔をしたので、私は不安になり、彼に聞いてみた。
「レオン、あなたになんて言ったの?」
ジャクソンはやさしい笑みを浮かべて、こう言った。
「She is my family.」
私はびっくりしてレオンを見た。
レオンは照れる様子もなく、肩をすくめて、こう言った。
「なんだよ?」
レオンが、まさかそんなふうに思ってくれていたなんて。
胸の奥に、大切な宝物をそっとしまったような気持ちになった。
「まあ、レオンを頼むよ。じゃあ、また」
ジャクソンたちが手を上げて夜の闇に消えていくのを、私はただぼんやりと見送った。
チャイナタウンの冷たい空気が、さっきまでよりもずっと優しく肌に触れるのを感じた。
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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。
【MAGAZINE】
【もくじ】
#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫
