【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #18│ミルク
レオンの初出勤前夜。
「マリチャン!スミセーン!」
荒々しくドアを叩かれて起こされた。
何事かとドアを開けると、レオンが立ち尽くしている。
「眠れない」
知らんがな、と喉まで出かかったが、薬箱の中に睡眠薬があったはずだと思い直した。引き出しを探し、一錠分けてやる。
ようやくベッドに戻って再び眠りについた頃、また雷みたいな音が響いた。
「なんやねん!?」
思わず日本語が飛び出す。
ドアの向こうには、悲壮な顔をしたレオンがいた。
「……胃が痛い」
こんなにナーバスなレオンを見るのは初めてで、さすがにちょっとかわいそうになった。
キッチンに連れて行き、レオンを椅子に座らせた。
冷蔵庫からミルクを取り出し、鍋に入れてくつくつと温めた。
マグカップ(レオンのお気に入りのスヌーピーのやつ)に入れて、はちみつとシナモンを少し。
「ミルクは胃を保護してくれるし、眠くなるから」
そう言うと、レオンはカップを手に取り、ひとくち飲んだ。
「うまい」
フーフーとミルクを冷ますレオンに、私は尋ねた。
「そんなに不安なの?」
「朝起きれないんじゃないかって、眠れない」
時計の針は午前一時を回っていた。
「しょうがないな、明日は起こしてあげるよ」
「ほんとか?」
「明日だけね。自分で起きられるようにならないと」
「わかった。明日だけ頼む」
「OK。七時に起こすから。だから安心して寝なさい」
お母さんかよ、と我ながら呆れたけど、初日くらい甘やかしても罰は当たるまい。
そのあと、レオンはようやくおとなしく眠りについてくれた。
*
私たちの予想を裏切り、レオンはうまく『普通の』仕事に馴染んだ。
店のオーナーは中国人で、多少の遅刻やレオンの破天荒さも、許される環境のようだった。
同僚たちとも、飲みに行ったりクラブに行ったり、楽しくやっている。
何より、朝起きて夜眠る規則正しい生活と、ドラッグの摂取量が減ったことが、功を奏しているようだった。
ショップで働き始めてから、レオンのファッションは少しだけ変わっていた。いつものくたくたのTシャツの上に、店の商品である派手な柄のヴィンテージ・シルクシャツを、ボタンを全開にして羽織っている。
まあ、家にいるときは変わらないんだけど。
学校の帰りに、ナギサと一緒にレオンの働くショップ『Vinyl』をのぞいてみた。
接客中だったレオンは、私たちに気づくと顎をシャクって合図してきた。
他の店員さんが声をかけてくれたけど、レオンに会いに来たと伝えた。
「へー、ちゃんと働けてるんじゃないの?」
「うん、愛想よくできてるね」
ナギサと私は、70年代のベルボトムや、モッズワンピースなんかを手に取りながら、そんなことを話して待った。店内にはレディースもメンズもあって、どれも独特の癖がある服ばかりだ。
「お手伝いしましょうか?」
振り向くと、レオンだった。
「お客様は色白なので、こちらのオレンジのワンピースなんかお似合いかと」
かしこまった口調で、私にレトロなかわいいワンピースを合わせる。
誰だこれ? と思いつつ、私も『お客さん』を演じる。
「かわいい!」
「ご試着なさいますか?」
値札を見ると80ポンド。
「やめておきます」
レオンは小声で悪態をつきながら、ワンピースを丁寧に戻した。
「レオン、ちゃんと働けてるじゃん!」
「あたりまえだ。俺は誰だと思ってる?」
ナギサが割って入る。
「いいお店だね。君もずいぶんオシャレになったんじゃないの?」
「俺はもともとファッショナブルだ」
レオンはそう言い放ち、襟元を正した。その表情には、どこか誇らしげな光が宿っていた。
私は、安心して、うれしくなった。
「なあ、ケーキでも食べて帰ろっか」
ナギサに提案すると、「いいね、いこ」と笑う。
私たちはレオンの店をあとにして、夕暮れに染まるソーホーの街へと歩き出した。
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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。
【MAGAZINE】
【もくじ】
#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫
