【小説】ア・リトル・ビット・クレイジー・デイズ #12│隣人
「おい、家、汚くないか」
突然レオンが言いだした。
キッチンをぐるりと見渡すと、いつもどおり食器が山積み、床は油でギトギトだった。
「そう?」
私は散らかっていても気にならない性質なのだ。レオンは使った食器をまったく洗わないし。
「掃除するぞ」
掃除機は壊れていた。ちっとも吸い込まない。レオンはまた癇癪を起こし、掃除機を蹴飛ばして悪態をついた。
「おい、となりに行って借りてこい」
雑巾をしぼりながら、こちらを見もせずに言う。
「となり? 知り合いなの? じゃあレオンが行けば?」
「俺は今忙しいんだ」
めんどうくさくなって、おとなしくとなりに行くことにした。
となりは、我が家と全く同じ造りの家だった。同じ家が通り一面並んでいるのだから、当たり前だけど。
チャイムを押して、しばらく待つと、階段をおりてくる音が聞こえてきた。
「ハイ?」
不審そうに出てきたのは男前だけれども、若くはない欧米人だった。
「えっと、となりに住んでるものです。レオンと同じフラットの」
男は一気に警戒の色をとき、ほほえんだ。
「へー! 君、レオンのフラットメイトなんだ。よろしく、僕はジュリアン」
ジュリアンは手を差し出し、私はその手を握り返した。
「マリです。それで、今日は、掃除機を借りにきたの。貸してもらえる?」
「もちろん! あがって」
ジュリアンは首を傾けて、家の中へと促した。
うちと似たような造りのフラットには、欧米人の男がたくさん住んでいた。
「みんな、となりの、名前なんだっけ?」
「マリです」
「そう。マリ! マリ、こっちはマッシモにジャン・ポールにダンだよ」
「中国人?」
落ち着いた感じのジャン・ポールが手を差し出しながら訊いてきた。
「日本人なの」
「へー。僕の彼女も日本人だよ」
そう言ったダンは、ものすごく可愛らしい金髪の男の子だった。可愛いダンとも握手して、黒髪のマッシモとも握手した。
ジュリアンとジャン・ポールはフランス人、マッシモはイタリア人、ダンはイギリス人だそうだ。ダンの彼女もここに住んでいるらしいが、今はいないみたいだった。
もちろんお茶など出てこず、ジョイントが回ってきた。
だらだらと、どうでもいい話が繰り広げられていた。
汚れた靴をはいたままの、たくさんの足が並んでいる。ここに掃除をする人間はいるのだろうか。
話題は「ミネラルウォーターと水道水、どちらが体に良いか」になった。
「日本人はミネラルウォーターを買ってる人が多いよ」
「水を買うの? わざわざ? 水道から出るのに?」
「私は、水道水飲んでるけどね」
「この前テレビで、水道水が体に良いってやってたよ」
「水道水で充分さ」
「そういえばクラウンのフライヤーにさ、〈水無料!〉って書いてたよ」
一同大爆笑。
にゃーと鳴き声がして猫が入ってきた。
前にうちに遊びに来た、白い猫だった。
「また会ったね。こんにちは」
私は猫に話しかけた。
「彼女を知ってるの? 僕の猫なんだ。ミミだよ」
白い猫はダンの猫だった。
「うちに遊びに来たことがあるの」
ミミをなでていたら、突然、怒りながら待っているであろうレオンのことを思い出した。
「帰らなくちゃ」
私は立ち上がった。
「掃除機だよね、ちょっと待ってて」
ジュリアンが掃除機を取りに行った。
「はい、どーぞ!」
あまりやる気の感じられない、まぬけな顔の、赤い掃除機が手渡された。
「ありがとう。また返しにくるね」
「ねえ、僕も今度、おとなりに遊びに行ってもいいかな?」
「もちろん。いつでも」
家に戻ると、レオンがあいかわらずイライラしながら皿を洗っていた。
「掃除機借りてきたよ」
「おそい。誰がいた?」
「ジュリアンとジャン・ポールとダンとマッシモ」
「ふーん」
「レオン、友だち多いね」
「ただの隣人だ」
私はとなりに誰が住んでるのかなんて、知らなかったけれど。
「おまえの部屋から、かけとけ」
そう言われたので、使用禁止の開かずの間になっている、リビングから掃除をすることにした。レオンが来る前に。
というか、今、夜の九時なんだけど。
絶対明日、大家に文句を言われるに違いない。
広いリビングはなかなか掃除が大変だった。
早く終わらせなければと焦っていると、
「……なんだ、この部屋」
レオンがいつのまにか背後に立っていた。
しまった、見られた。
「なんていい部屋なんだ。広い」
脇に嫌な汗が伝うのを感じる。
「荷物置き場って言ったよな? おい、ここいくらだ?」
レオンが来た初日に、ミキヤが荷物置き場にしてる部屋だと伝えてあったのだ。
「いや、その……」
私は嘘をつくのが死ぬほど苦手な善人なのだ。
「いくらなんだよ?」
苛立ちをあらわにレオンが詰め寄る。
「えと、無料?」
「は?」
私はレオンの顔を見ることができなかった。
「どういうことだ? 俺のくそ狭い部屋が50ポンドだぞ」
レオンは声に怒りをにじませている。
「リビングなんだよ。ただ、新しい人が来るから、用心のために、リビングとして開放するのをしばらくやめていたというか、休館日みたいな?」
「新しい人間って俺のことか?」
レオンは皮肉げに嗤った。
「そうか、俺が怪しいやつってわけだ」
レオンの心が、急速に閉ざされていくのがわかった。
「今はそんなこと思ってない! 誰だって、見たことも会ったこともない人間が、しかもドラッグディーラーが来るってなったら恐いでしょう? でもレオンと一緒に暮らして、安心した。私はレオンが好きだよ。これからは、ここまたリビングとして使おう」
必死に弁解したけれど、どんな言葉もレオンを疑っていたという事実を消すことができず、虚しく空回りしていくばかりだった。
レオンは傷を負った獣みたいな鋭い目で私を見ていた。
「お願いだから、傷つかないで」
レオンは、黙ってリビングを出ていった。
私はその晩、眠れなかった。
レオンは、大丈夫なんだろうか。あんなに自分の内面をさらして生きていて。喜びも怒りも悲しみも、すべて外へ出してしまう。まるで子どもみたいだ。
そうだ、レオンは、子どもなんだ。
私はレオンが、儚く消えてしまいそうで恐かった。
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※この物語はフィクションであり、登場する人物および作中の出来事はすべて架空であり、実在の人物・出来事とは一切関係ありません。
【MAGAZINE】
【もくじ】
#00│プロローグ
#01|ジャパンセンター
#02│フラットシェア
#03|リージェンツ・パーク
#04│カイ
#05│語学学校
#06│ミキヤ
#07│レオン
#08│ザ・クラウン
#09│ピル
#10│猫
#11│キッチン
#12│隣人
#13│サイケデリック
#14│Daddy, I love you
#15│オシルコ
#16│チャイナタウン
#17│カールスバーグ
#18│ミルク
#19│雷鳴
#20│エッグ&トマト
#21│I am enough.
#22│セブンスター
#23│ジャクソン
#24│ワンケイ
#25│最終話│黒猫
