60代のリアル|第2幕、第1話:【第1幕、総集編】全80話の軌跡。──「もうおうちには帰れない」残酷な現実と向き合い続けた、母娘の闘いの日々
60代のリアルの連載を書くきっかけは、「創作大賞2026に応募してみたい」という、私の中の小さな、けれど熱い衝動でした。
しかし、いざ応募しようとすると、たくさんの募集部門を前にしてピタリと手が止まり、悩んだ末に私が選んだのが、「#オールカテゴリ部門」でした。
後から振り返ってクスッと笑えるような、等身大の日常日記にするつもりでしたが、私の現実は、そんな呑気な予想をはるかに超えて暴走していきました。
同居する母の突然の救急搬送。
仕事のピークと重なる中、お金、病院との温度差、医療的ケアという高い壁が次々と立ちはだかり、気がつけば私は、夜な夜なPCの前で「介護の崖っぷちドキュメンタリー」を必死にタイピングしていました。
全80話で第1幕は応募完了したものの、現実の介護は1ミリも止まってくれません。
物語が終わっても、地続きで続く崖っぷちな日々。
その【第2幕】へ漕ぎ出す前に、まずは私と母が駆け抜けた、綺麗事なしの壮絶な軌跡を振り返ります。
◆ 第1章:【嵐の前の日常】手を噛まれ、箸を噛み切る――笑えて怒濤の在宅介護
今振り返れば、あの頃はまだ「自宅」という名のリングの上で、母とドタバタ劇を演じるエネルギーがありました。
当時はまだ病名が分からず、起きたときにせん妄のようになる母を、今思えばレビー小体型認知症の兆候だったのかもしれません。
その頃の命がけのミッションがお薬の服用でした。
ある日、口元へ手を差し伸べた瞬間――ガブッ。
母の顎の力は想像以上で、水道水に手をさらしながら涙目になりました。
ようやく血が止まった数日後の夕方。トイレへ行く途中で母の体が大きく傾きました。
「倒れないでね」と言い終わる前に母が倒れ込み、私も支えきれず一緒に床へ。この転倒の拍子に、数日前の傷口が再び開いてしまったのです。
後日、手を診てもらうため外科へ向かったものの、極度の方向音痴が発動。地下鉄の駅から迷子になり、結局、交番へ。真っ赤に腫れた手を抱え、おまわりさんに病院名を伝え、スマホの地図を見せている自分の姿には今でもクスッと笑ってしまいます。
母の「噛む力」の伝説はこれだけではありません。
ある日デイサービスから
「お箸の先端を1センチほど噛み切って飲み込んでしまった」
と緊迫の電話が入りました。
翌日病院へかけるも
「土曜日で内視鏡の技師がいないため検査できない」
と断られ、ハラハラしながら自宅で様子を見ることに。
当時は必死でしたが、あの怒濤の日々には確かに笑いがありました。けれどそんな在宅介護は、ある夜を境に突然の終わりを告げるのです。
◆ 第2章:【運命の夜】「延命はしません」――トイレの前で迫られた苦渋の決断
ドタバタと笑い飛ばせていた日常は、ある夜、あまりにも突然に破られました。
いつもなら21時頃にトイレへ行く母が、その日は行かずに眠っていました。
「トイレに行くよ」
と声をかけて起こした瞬間、母の上半身が震え、顔が赤く熱があるように見えました。
嫌な予感がしながらもなんとかトイレまでは行けたものの、出たところで母は急に動けなくなり、その場に寝そべってしまったのです。
車椅子の母に救急車は大げさだろうかと戸惑いながらも、♯7119から救急車を呼んでもらい、つい先日断られた“かかりつけの病院”へ救急搬送されました。
病院に着いたのは23時過ぎ。診察室から聞こえる母の
「いたぁーーーい!」と
いう声に胸がざわつき、その後に聞こえた笑い声にほんの少し肩の力が抜けました。
先生から告げられた病名は「尿路感染症」。
そこまでは理解できたのですが、次に渡された同意書には
「延命治療をするか、しないか」
を選ぶ欄がありました。
「この場で書いてください」
と言われ、頭が真っ白になります。
さっきまで母の笑い声が聞こえていたのに。
でも、動けない母を家に連れて帰っても、私ひとりではもう介護ができない。
「お母さん……ごめんなさい」
私は震える手で、
「延命治療はしない」
にサインをしました。
この夜を境に、母が家に戻ってくることはなくなったのです。
◆ 第3章:【見えない出口】医療的ケアという高い壁と、突きつけられた「4つの選択肢」
一命は取り留めたものの、待っていたのは過酷な現実でした。
母が抱える病気や症状は10を超え、そこに今回の尿路感染症とバルンカテーテル(膀胱留置カテーテル)が加わったのです。
・内科 :高血圧
・消化器内科 :逆流性食道炎、大腸憩室症
・代謝内科 :甲状腺異常
・整形外科、麻酔科:変形性膝関節症、腰部脊柱管狭窄症、
肩の痛み、骨粗鬆症
・泌尿器科 :尿の菌を検査
・精神科 :せん妄のような症状
・婦人科 :子宮脱
・眼科 :白内障、緑内障
・歯科 :歯の汚れ除去
・皮膚科 :変形した爪を切ってもらう為
・耳鼻咽喉科 :耳の痛み
尿路感染症とバルンカテーテル(膀胱留置カテーテル)
私の仕事のピークの裏で、退院調整看護師さんから届いたのは、母の未来を決める「4つの選択肢」でした。
①デイサービスを増やす
②看多機(看護小規模多機能型居宅介護)の利用
③老健(介護老人保健施設)への入所
④特養(特別養護老人ホーム)への申し込み
しかし、バルンカテーテルがある母を受け入れられる地元の特養は全滅。どこも「3ヶ月待ち」という厳しい壁が立ちはだかり、病院の期限だけが迫ってきます。
激しい雷雨の日でした。「今日のうちに書類を」と必死にケアマネジャーさんの元へ介護保険証を届けた瞬間、静かに告げられたのです。
「もう、これで終了になるのですね」
それは、ケアマネジャーさんとの契約終了の言葉でした。
その瞬間、
「母はもう、我が家に帰ってくることはないんだ。私は独りぼっちになってしまったんだ」
という冷たい事実が胸に突き刺さり、目の前が真っ暗になりました。
感傷に浸る暇もなく押し寄せる手続きの連戦。母のために病院併設型の施設へと辿り着くものの、胸の奥には果てしない迷いと、夜遅くの割り切れない想いだけが重く降り積もっていきました。
◆ 第4章:【限界と葛藤】「もう仕事を辞めたい」ボロボロの私に、母が放った衝撃の一言
5つ目の選択をやっとの思いで探し、介護医療院を回る日々が始まりました。
私は、この日のために事前に用意していた「母の既往歴をまとめたメモ」と「かかりつけ医の情報」の資料を手に面談に向かいました。
▼介護医療院への提出書類
・介護保険証のコピー
・介護保険負担割合証のコピー
・後期高齢者医療資格確認書のコピー
・障害者手帳のコピー
・母の既往歴をまとめたメモ
・かかりつけ医の情報
・使用してはいけないお薬のリスト
・ケアマネジャーさんの連絡先
・食物アレルギーの有無
・おくすり手帳のコピー
▼受診している科
・内科 :高血圧
・消化器内科 :逆流性食道炎、大腸憩室症
・代謝内科 :甲状腺異常
・整形外科、麻酔科:変形性膝関節症、腰部脊柱管狭窄症、
肩の痛み、骨粗鬆症
・泌尿器科 :尿の菌を検査
・精神科 :せん妄のような症状
・婦人科 :子宮脱
・眼科 :白内障、緑内障
・歯科 :歯の汚れ除去
・皮膚科 :変形した爪を切ってもらう為
・耳鼻咽喉科 :耳の痛み
事前に用意した母の既往歴の資料を手に、初めて訪れた介護医療院。
そこで「食事ができなくなったとき、鼻からか、胃ろうか、点滴か」という重すぎる宿題を突きつけられました。
見学で案内された4人部屋はプライバシーを守るのが難しく、壁に飾られたシールの貼られた入所者の写真に、私は介護のリアルな日常を突きつけられます。
度重なる休みで仕事は溜まり、焦りからミスを連発するものの誰にも気づかれぬよう自分で修正する自転車操業。
重度の腱鞘炎で両手首は悲鳴を上げ、
「もう仕事を辞めたい」
と限界を迎えていた私は、病床の母の耳元で、すがるように声を漏らしてしまいました。
「私、仕事を辞めてもいい?」
すると、それまでうつらうつらとしていた母が、私の目をまっすぐに見据えてこう言ったのです。
「……殺すの?」
低く重い一言に、心臓が跳ね上がりました。
経済的に路頭に迷う危機を瞬時に察した母の言葉は、逃げ出したいだけの私に冷酷な現実を突きつけ、情けなさと罪悪感で胸が押し潰されそうになりました。
「殺されないよ!仕事を辞めて家族を殺していたら、世の中大変なことになっちゃう。それに、私はまだ警察に捕まりたくないし……えへへ」
冗談交じりに笑ってみせましたが、私の声は引きつっていたと思います。
分かっていました。あのとき私は、ただ母に
「いいよ、もう頑張らなくていいよ」
と、仕事から逃げ出すことを許してほしかっただけなのだと。
また別の日、大好きなスイカを自分で美味しそうに平らげた母が、ふと私を見て言いました。
「おんぶして……帰る」
「そんなことできないか? 重たいよね! ハハハ」
と大笑いする母。
でも、ここを出てももう家には帰れない。申し訳なさで胸が締め付けられる私に、母は子供のようにはにかんで言いました。
「さくらんぼ、3つ食べたい!」
私はその愛おしい約束を胸に、再び母の未来を決める現実の選択へと戻っていくのでした。

◆ 第5章:【崖っぷちの攻防】お役所ルール、病院の効率優先、そして年間36万円の死活問題
バルンカテーテルが入った窮屈な入院生活のなか、私の心を救ってくれたのは、新装開店を迎えた近所のスーパーで買った山形産の佐藤錦でした。
内緒で病室に届けたさくらんぼを元気のなかった母が一粒口に入れた瞬間、顔をパッと輝かせて
「さくらんぼだぁ〜!」
と叫んだのです。
種を上手に出しながら10個も平らげ、
「さくらんぼ、3つ食べた!」
と満足そうに笑う母。ほんのひとときの秘密の時間に、私は確かに救われていました。

しかし、現実の波は容赦なく押し寄せます。
動き出した要介護認定の面談では、私が用意した母の闘病の歴史が詰まったメモを手に、
「個人情報なので持ち帰れない」
というお役所の壁に直面。
「現地で処分して」
と資料を託し、厳しい現実をなんとか書類に刻んでもらいました。
母の既往歴
そこには、母がこれまで何度も病魔と闘い、乗り越えてきた壮絶な歴史が刻まれていました。
69歳頃: 腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)の手術のため入院
70歳頃: 変形性膝関節症(へんけいせいひざかんせつしょう)のため、左右2回に分けた人工関節の手術で入院
81歳頃: 肺炎で動くことができなくなり入院(3ヶ月後、リハビリのため別の病院へ転院)
83歳頃: 中心性脊髄損傷(ちゅうしんせいせきずいそんしょう)で救急搬送
85歳頃: 胃炎のため入院(入院の前日には吐血、このときも3ヶ月後、リハビリのため別の病院へ転院)
そして今回の、尿路感染症による緊急入院。
一方で、病院側からはベッドの回転を優先する急な転院を迫るメールが届きます。
月30万円を超える医療費の提示。
さらに2026年8月の食費改定を見据えると、今後の費用は年間で36万円も違ってくる死活問題でした。
「有休は取れと言うのに休めない」
融通の利かない職場と、病院側からのプレッシャーの板挟みで、
「もう全部辞めてしまいたい」
と孤独な悲鳴を上げながらも、私は自分のスケジュールを明確に伝えるメールを返信しました。
それが、生活を守るための最後の境界線でした。
そして私は、母の長期的な生活のために、自力で見つけ出した「特養(特別養護老人ホーム)」への申し込みを決意するのです。
◆ 第6章:【第1幕の結末、そして地続きの第2幕へ】「明日一緒に帰る」と言う母
特養への申請を巡り、病院とケアマネジャーさんの間で
「たらい回しの板挟み」
に遭うなか、大雨と地震が重なった激動の6月26日。私は心身ともに限界を迎えながらも、なんとか母の未来を繋ぐための申込書にサインを終えました。
その翌々日の6月28日、どんよりとした曇り空の下、私は少し奮発したハウスみかんを抱えて病室を訪れました。
バルンカテーテルが入った痛々しい母の姿。手早くみかんの皮をむいて口元へ運ぶと、母は
「甘いみかんだね!」
と喜んでくれましたが、薬の影響か、以前のような覇気はありません。
食べ終えた母は、私の雨傘を見つめ、ぽつりと呟きました。
「連れてって」
「えっ、どこに……? 雨が降っているよ!」
と焦る私に、母は懇願するような声でこう続けたのです。
「じゃあ……明日。明日、連れてって、一緒に帰る」
胸が激しく締め付けられました。
(お母さん、退院しても、もうおうちには帰れないんだよ……)
残酷な現実をどうしても口にできず、
「明日は仕事だから帰れないよ」
と日常のトーンで言い聞かせるしかありませんでした。
寂しそうな顔をした母は、やがて小さくかすれた声で
「啼くな〜♪ 小鳩よ〜♪」
と、お気に入りの昭和歌謡を歌い始めました。
本当は声を上げて泣きたかった。けれど、夏だというのに驚くほど冷たくなってしまった母の手を、私はただそっと握り返すことしかできませんでした。
「また来週くるね」
家には帰れない。
次の施設もまだ決まっていない。
そんな暗闇のなか、母の歌声と冷たい手の感触を胸に抱きしめ、私は前を向くために歩き出すのでした。
第1幕・完 / 第2幕へつづく
🌿 後書き
……というのが、私たちの全80話におよぶ、激動の「第1幕」の軌跡でした。
大雨と地震、そしてお役所や病院との攻防戦のすえに迎えた、6月28日の面会。
冷たくなった母の手を握りながら聞いた、
「明日、一緒に帰る」
というあの切実な言葉と、病室に響いた
「啼くな小鳩よ」
の歌声が、今も私の耳の奥に残っています。
時計の針は今、6月29日を指そうとしています。
母の退院リミットが刻一刻と迫るなか、まだ次の場所は決まっていません。
ここから先は、いよいよ現在進行形で進むリアルタイムの記録へと入っていきますが、その前に少しだけ。
次回(第2話)は、今回の投稿を始めるに至った「舞台裏」を少し公開させてください。
そして、その次の第3話では、母があれほどまでに「おうちに帰りたい」と強く願ったのはなぜなのか?
――長年寄り添ってきた娘である私なりの、ある「考察」を綴ってみたいと思います。
母の心の奥底にあった本当の想い。それを紐解いたのち、第4話から、運命の6月29日の物語を始めていきます。
どうぞお楽しみ🎵
▼ 第2話はこちらです。
▼ 第1幕から読みたい方はこちらからどうぞ
