Quantum Observation Lab通信Vol.29 『存在とは何か ~観測できる世界、観測できない世界~』
Quantum(量子)Observation(観測)Lab(研究所)量子という目に見えない世界を観測により具現化する研究所として、発信していこうと思います。
略するとQOLとなり「Quality of LIFF(生命の質)」にも繋がります。
今回は『存在とは何か』です。
前回の記事では、「異葉同根」という言葉を手がかりに、エネルギー、生命、情報、AI、意識など、一見異なるように見える現象の奥に共通する構造や法則があるのではないか、という話を書きました。
現象を追うのではなく、その現象を生み出している根を探る。
それが観測の本質の一つかもしれません。
では、その根はどのように見つかるのでしょうか。
そして、そもそも「存在する」とはどういうことなのでしょうか。
私たちは普段、見えるものが存在し、見えないものは存在しないように感じています。
しかし科学は、その直感とは異なる世界を見せてくれます。
例えばニュートリノです。
ニュートリノは宇宙に大量に存在しています。
太陽から放出されたニュートリノは、今この瞬間も私たちの身体を何兆個も通り抜けています。
しかし私たちはそれを見ることも、感じることもできません。
では存在していないのでしょうか。
そうではありません。
ニュートリノはごく稀に物質と相互作用します。
その時に生じる光や粒子の痕跡を観測することで、科学者たちはニュートリノの存在を確認しています。
つまり私たちは、ニュートリノそのものを見ているのではありません。
周囲に現れた現象から、その存在を理解しているのです。
実は、この世界の多くのものが同じかもしれません。
重力そのものを見た人はいません。
情報そのものも見えません。
意識そのものも見えません。
しかし、その働きや影響は観測できます。
私たちは現象を通して、その背後にある存在を認識しているのです。
ここで「観測」という言葉についても考えてみたいと思います。
観測というと、人間が何かを見ることをイメージしがちです。
しかし物理学では、観測者は必ずしも人間である必要はありません。
電子と光子がぶつかる。
原子同士が相互作用する。
重力が物体に影響を与える。
こうした相互作用も広い意味では観測と捉えることができます。
観測とは、「何かが何かと相互作用すること」とも言えるのです。
つまり、この宇宙では人間がいなくても、無数の観測が起き続けています。
ここで思い出されるのが、日本科学未来館で上映されていた『9次元からきた男』です。
この作品では、素粒子の世界と宇宙の世界を一つの理論で説明しようとする「超弦理論」を題材に、見えている世界の背後にある構造を探究しています。
私たちは三次元空間と時間の中で世界を認識しています。
しかし理論物理学の一部では、それ以外の次元の存在も仮説として考えられています。
もちろん、その次元を直接見た人はいません。
しかし、その存在を仮定することで、これまで説明できなかった現象を理解できる可能性があります。
ここで重要なのは、
「観測できないから存在しない」ではなく、
「今の観測方法では捉えられていないだけかもしれない」という視点です。
科学の歴史を振り返ると、その繰り返しでした。
顕微鏡が発明される前、人類は細胞を知りませんでした。
望遠鏡が発明される前、人類は銀河を知りませんでした。
ニュートリノ検出器がなければ、ニュートリノの存在も分かりませんでした。
存在はしていた。
しかし観測できなかった。
ただそれだけです。
このシリーズの最初のテーマは、「観測する自己を上げること」でした。
当時は感覚的に捉えていた部分もありましたが、ここまで探究を続けてくると、その意味が少し違って見えてきます。
観測する自己を上げるとは、特別な能力を身につけることではないのかもしれません。
より多くの情報を受け取れるようになること。
より広い構造を理解できるようになること。
より深い相互作用を観測できるようになること。
その結果として、これまで見えていなかった世界が見えてくる。
伏せられていたものが明らかになる。
別々だと思っていたものが繋がり始める。
存在とは、見えるか見えないかではありません。
観測できるかどうかでもありません。
存在は、私たちが気付く前からそこにあります。
そして観測とは、存在しなかったものを作り出すことではなく、そこにあったものを発見することなのかもしれません。
しかし、ここで新たな問いも生まれます。
顕微鏡が発明される前も細胞は存在していました。
望遠鏡が発明される前も銀河は存在していました。
世界そのものは変わっていません。
それでも人類の世界は大きく変わりました。
では、観測によって変わったのは何だったのでしょうか。
世界なのか。
認識なのか。
それとも行動なのか。
次回は、「観測が人類にもたらしたもの」というテーマについて考えてみたいと思います。
今までのテーマのバックナンバー
vol.1『観測する自己を上げること』
vol.2『見ている先の情報が入ってくる』
vol.3『空間を意識する』
vol.4『結果に反応しない』
vol.5『無思考の潜在意識がもたらす影響』
vol.6『仕方ないからの脱却』
vol.7『振り返り、カタチにする』
vol.8『アフォーダンスと観測』
vol.9『情報の地と図を動かす』
vol.10『流れは行き先を知っている』
vol.11『地下の見えない世界が地上の見える世界を守っている』
vol.12『今までの延長線上にない”これから” 』
vol.13『 回転と光の照射』
vol.14『エネルギーの流れを見ようとする』
vol.15『強みを抽出する』
vol.16『偶察力』
vol.17『”ない”に潜むチャンス』
vol.18『エネルギーとは何か?』
vol.19『エネルギーの差が流れを生み出す』
vol.20『物理法則と共に生きる』
vol.21『私たちは何を見ているのだろう』
vol.22『情報は世界を書き換える』
vol.23『生命とは情報とエネルギーである』
vol.24『生命はなぜ秩序を維持できるのか?』
vol.25『生命とAI ~似ているからこそ違いが見えてくる〜』
vol.26『記憶とは?』
vol.27『ホログラムを生み出す脳』
Vol.28 『観測することで世界は生まれる』
