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帝がゾッコン|第一章 王なき嘉衡〈一〉


第零章


あらすじ

960年、長く続いた争乱の時代が終わりを告げ、宋(北宋)の建国とともに再び統一された中華は次の時代へと進んでいった。
 だがそこへ至るまでの十世紀。五代十国時代の最中、大陸に点在する小国のひとつ嘉衡かこう国では、王の崩御後も後継者が容易に決まらずにいた。
 風来坊の青年、洪敬脩ほんじんしゅうはある日突然朝廷に探し出されると、自身が王族の傍系であると告げられ、思いもよらぬまま王位に就くこととなる。
 当初、誰もが洪敬脩ほんじんしゅうを『その場凌ぎの王』だと思っていたが、持ち前の反骨精神と、並外れた計算高さが功を奏し、彼は図らずもそれなりに治政をやってのけてしまう。
 順調かと思われた、その矢先。送り込まれた刺客による暗殺未遂や毒の混入など、洪敬脩ほんじんしゅうは立て続けに命を狙われながら水面下の攻防に巻き込まれいく。
 そうした中、落霞るおしゃという型破りで痴れ者と噂される女を後宮に住まわせたことで周囲にさらなる不信感を招くが、落霞るおしゃの登場こそ、後に天下人となる趙匡胤ちょうきょういんを育てるための重要な足掛かりになろうとは、このとき誰も知る由もなかった。

登場人物

千仲連

千仲連せんちゅうれん
刑部尚書けいぶしょうしょ。老臣のひとり。
〔※刑部-司法、警察、刑罰を司る官庁。国の治安維持や事件の捜査指揮を担う〕
柔和で気立ての良さそうな物腰ながら、鋭い観察眼と判断力を併せ持つキレ者。


千朗堅

千朗堅せんろうけん
兵部所属の役人。規律を重んじる実直な青年。
刑部尚書・千仲連せんちゅうれんの甥。
行方知れずの洪敬脩ほんじんしゅうの捜索任務にあたる。


洪敬脩

洪敬脩ほんじんしゅう
各地を転々とながら放浪生活を送る青年。
だがその素性は王族の血を引く者であり、本人はその事実を知らぬまま、国をあげて行方を追われる羽目に。


千朗熙

千朗熙せんろうしぃ
洪敬脩ほんじんしゅうと行動を共にしている幼馴染の青年。
軽薄な言動が目立つが、世渡り上手で要領がいい。
兵部の役人、千朗堅せんろうけんとは兄弟だが、性格は正反対。

第一章〈一〉

嘉衡かこう国──
それは唐末とうまつの乱世に、節度使せつどしだった衡昆こうこんが旗を掲げ、建国してから三十余年。
江南こうなんの辺隅にてその火を絶やすことなく存続してきた小邦しょうほう〔※小規模な国家や地方政権〕である。

 慧眼の持ち主であった衡昆こうこんは、唐末の大混乱に乗じて資源豊かなこの地をいち早く手中に収めると、まず政の基盤に北方の名門・賀律がりつ氏を巧みに迎え入れ、政治体裁と頭脳を整えた。
そして「武」の柱には──なんと、華やかな経歴もない、ただ「しこたま強いらしい」という噂だけの無名の男を抜擢。
ところがこの人選が、驚くほどの大当たりだったのだ。
やがて「しこたま強いらしい」と言われたその男は「せん」の姓を賜り、代々、この国でその血脈を継ぐことになる。
こうした見えざる剣こそが嘉衡かこうの礎となり、武力のみに頼らずとも繁栄を築けるという、稀有な国家の形を生み出していったのである。

 さらにその流れを育てたのが、初代・衡昆こうこんの二男にあたる三代・嵯烈宗つぉれっそうだった。
名君として名高いこの人物が、「人には得手不得手がある」と語った裏には、ひとつの喪失がある。
それは、争いを好まず、不器用ながら王として立たされた兄王だ。
戦乱の時代に巻き込まれ、若くして命を落とした兄の無念を、弟の嵯烈宗つぉれっそうは決して忘れなかった。

それゆえあって、兄の死を継いだ嵯烈宗つぉれっそうの治世は、「人の可能性」を信じ、民そのものを“民材”として育てる方向へと舵を切った。
文字の読み書きや算術の心得など、基礎教育がそこそこ──
……いや、かなり行き届いた結果、気づけば嘉衡かこうの教養水準は、他国をしれっと上回っていたのである。

それも当然といえば当然だろう。
初代・衡昆こうこんによる絶妙な「土地選び」。
北方名門、賀律がりつ氏の「政治力」。
そして千一族に象徴される「圧倒的な武力」。
この三拍子に加え、「学びの力」という第四の柱までもが揃ってしまったのだから。

では、なぜこの嘉衡かこうが、天下取りに乗り出すことなく、今もなお辺境の地に留まり続けているのか?

こうは天に返し、せいおのれひかう。

すなわち、一度立ち止まり、“”へと返す。

「得た成果やすべは、果たして本当に意味あるものなのか?」
「ではそれをこの先どう扱うか?」と。

もっとも、嘉衡かこうにおける“”とは、神仏でも国王でもない。
自然の理であり、巡る縁であり、ときに人知を超えた“意識の流れ”そのものを指して言う。

そして“”を得たときこそ、自らに問うのだ。

「このまま突き進んでいいのか?」
「本当にそれが正しいのか?」と。

人の力には限りがあり、判断を誤れば、その力はやがて己を呑みこむ。
だからこそ、嘉衡かこうという国は、即断を避け、民を養い、時の巡りを待つことを選んだ。

──ようなことをしていたせいで、
天下取りをしなかった……のではなく、結果として、つい後回しになっていた、というのが正直なところだろう。

つまるところ、実力はそこそこにあるのに、乱世の国盗り合戦には今ひとつ乗り気じゃない。
そんな“興味が薄そう”に見える国風こそが、ここ、嘉衡かこうという国なのである。

♦︎

だが、あろうことか三日前。
当代王、四代・嵯令暉つぉれいきが、在位わずか八年にして戦場でたおれたとの報がもたらされたのだ。

そう、国の象徴である王が、急にいなくなったわけだ。そりゃもう、都じゅうがてんやわんやである。

おかげで朝も早うから、重臣じゅうしんらによる臨時の廷議ていぎが政堂で開かれることとなり、刑部尚書けいぶしょうしょを務める私こと、千仲連せんちゅうれんも、そのひとりとして呼ばれた。
それもそのはず、法と裁きを司る刑部けいぶの長として、国家の秩序と民の安寧を預かる立場上、こうした状況で声を求められるのは避けられない。

朝からじっとりした熱気に包まれ、蝉が城壁に甲高い鳴き声を響かせている。
正装の裾が肌に張りつき、鬱陶しく感じるほどだ。

正殿へと続く宮城内の長い回廊を抜けた先、目の前にそびえる石段を見上げ、一つ息をついてから歩を進めた。

(こうして石段を登る足取りが、少し重く感じられるようになったのは年頃のせいか、ただの気のせいか...)

そんなことをぼんやりと考えていた折、背後から声が飛んだ。

「叔父上!叔父上!!」

そう呼ばれて振り返ると、藍墨あいずみの官服に身を包んだ若造が、やや息を切らしながらこちらへ駆け寄ってきた。

「探しました、仲連ちゅうれん叔父さま!」

目の前に立った彼は、飾り気のない装いながらも着崩れひとつなく、几帳面な性格がそのまま表れたような出で立ちだ。
加えて、兵部の中堅官らしく、程よく締まった体つきと凛とした雰囲気をまとっている。
私は、その真剣な顔を見て、わざとからかうように言った。

「なんだ、朗堅ろうけんか。 ずいぶんな勢いだな。 朝っぱらから雷でも落ちたというのか? そんなに慌てて呼ばんでも私の耳はまだまだ達者だぞ」

「ええ、なら安心です。どなたかのご指示のおかげで、仕事の山も横に置いて駆けずり回っておりますが」

慌てているのは誰のせいか?とでも言いたげに、軽口を叩きながら現れたこの男は千朗堅せんろうけん
弟の長子で、私にとっては甥にあたる。年の頃は、そろそろ三十路も半ばといったところだろう。
朗堅ろうけんは袖口で汗を拭ったのち、息を整えてから話を続けた。

「雷じゃありませんけどね……やつの居場所を突き止めましたので、廷議の前にひとまずご報告だけでもと」   

「おお、そうか。思いのほか早かったじゃないか」

「急げと言ったのは叔父上でしょう」

私は肩をすくめ、笑ってみせた。

「真面目だな、朗堅ろうけん。 それで? どこに向かったと?」

「北の翠天すいてん山をご存じで?」

「……ほう中原とな。わざわざ国境を越えてまで、いったい何しに行ったんだか」

「それですがどうやら、誰かと約束があったよう......」

朗堅ろうけんが言葉を続けるより先に、私は手を上げて遮った。それ以上は、聞くまでもない。関係のないことだ。

「ははっまったく、そんな遠くまで人探しとは忙しいこった! そのうち看板でも出すか? “千の探し屋”ってな」

私の言葉に、朗堅ろうけんは半ば呆れたような目をして、小さくため息をつく。

「耳も口も絶好調……今日もご健勝で何よりです叔父上。 こちらも心強くて助かっておりますよ、おかげさまで」  

「なに? 心強いと言うなら、看板の横に“千の探し屋・榮任えいにん 千仲連せんちゅうれん”と入れといてくれ! そうだな、字が立派に見えるよう、金箔で頼むぞ!」

朗堅ろうけんは、一段と深い呆れ顔をして、扱いづらい年長者だとでも言いたげな、冷めた視線を向けて黙りこくった。
私はひとつ咳払いをしてから、真面目な調子で言葉を続ける。

「兎にも角にも、やつを都へ連れて戻しておけ。 まだ決まったわけではないが、おそらく名が挙がるだろうからな」

「ええ、承知しております。 すでに部下を向かわせてあります。 ただ......翠天すいてん山となれば、場所が場所だけに、戻るまでには七日は要するかと。 ですから、この後の廷議で本件が持ち上がった際には──」

焦って言葉を継ごうとする朗堅ろうけんに、私はまたも軽く片手を上げて制した。

「だからそう焦るな。 太子殿下は、まだ十ばかりの子どもだ、年を案じる声も多い。 すぐに話がまとまるとも思えんし、連れ戻すくらいの時間はどうにかするよ」

朗堅ろうけんが「助かります」と短く言って頭を下げた。

「では、報告も済みましたので、私も部下の後を追って嘉衡かこうを発ちます。 この国のことは、任せましたよ叔父上」

「うむ、任されよう......ん、なに、お前も行くのか?」

思わず眉を上げて朗堅ろうけんの顔を見やると、彼はどこか困ったように視線を落とし、腕を組んで言った。

「ええ、私が行かねば、やつの説得は難しいかと。 なにぶん、一筋縄ではいかない男でして」

「なんだ、知り合いか?」

「……まあ、多少なりと」

そう返す朗堅ろうけんの表情はどこか心許なげだった。その様子を見るに、よほど手を焼く相手なのだろう。

「ふん、事情はなんであれ、そちらは任せた。 気をつけて行きなさい」

そう言って、朗堅ろうけんの肩を軽く叩いてやった。

「さて、こちらはお偉方の“ありがたいご高説”でも拝聴しにいくとしようか。……ああ、もちろん寝落ちせんようにな」

くるりと踵を返しひとりごちつつ政堂のほうへ歩き出す。

「ったく、朝っぱらから集めおって……年寄りは朝が早いからって元気とは限らんのだぞ……」

「叔父上の“ご高説”も気になるところですが、今はその場にいられず残念です」

朗堅ろうけんの言葉に歩みを緩め、首をめぐらせてみると、彼がきちんと背筋を伸ばし拱手きょうしゅしている姿が目に映った。

あやつも立派になったものだ。
今や都の実務を預かる筆頭格として、若手の中でも名が知られるようになっているらしい。
幼い頃から頭の回る子で、書やら学問を私が叩き込んだものだが、あの様子を見るに、兵部に入った今も多少は役に立っているのだろう。

♦︎

朗堅ろうけんと言葉を交わしている間に、気づけば、政堂へ向かう他の人影はすっかり見えなくなっていた。
正面の石段せきだんを上りきった先、嘉衡かこうの頂にそびえる衡宸殿こうしんでんが、朝陽を受けて威容を放っている。
殿前には槍を手にした近衛このえがずらりと並び、衡宸殿こうしんでんへと通じる左右の回廊や前庭では、書簡を抱えた書吏たちが右往左往していた。
そのなかには、遠方からの使いと見紛うような者の姿もちらほらと混じっており、まさに「今この国が大変です!」と言わんばかりの慌ただしさが、あたり一面に満ちていた。

──第一章・〈一〉 了──

続話


各話リンク(随時更新)

【プロローグ】
0話:美希の綴り

【外伝】
読切:往痕編

【第一章】
2話:王なき嘉衡
3話:王なき嘉衡
4話:王なき嘉衡
5話:王なき嘉衡

【第二章】
1話:才色兼備、趣味難あり
2話:才色兼備、趣味難あり
3話:鳳は空を舞えど、地を顧みず
4話:鳳は空を舞えど、地を顧みず

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