はじめによんでください

ネクロポリティクス

Necropolitics


An illustration of the Negro of Banyoles

池田光穂

★「生があやういものであるために、わたしたちは負債/義務を負うことになる」——ジュディス・バトラー(2012:10)

★沈黙したままであったすべての言葉を与える(英訳:one gives voice to what until then had remained silent. p.103)——(ブランショ 1986:68)

★ 「生の諸力を死の力によって判断することはできないし、また生、つまり死に抵抗する諸力の総和を、あたかも非存在の抑圧であることが〈存在〉の必要かつ十 分な定義であるかのように定義するほど恣意的なことはない」——(メルロ=ポンティ 1989:120-121)※つまり生は死の否定ではないし、ましては死は生の否定ではない、ということか(?)

☆「時代が乏しい状態をつづけているのは、神が死んだからというばかりではなく、死すべき人間たちが自ら死すべき定めをほとんど知らず、ほとんど実践できずにいるからである」——マルチン・ハイデガー「乏しき時代の詩人」手塚・高橋訳(1958:18).


The meaning of “Against Necropolitics I” & “Against Necropolitics II

Necropolitics refers to a political system that forces the dead to remain silent.

Medical anthropology in the context of necropolitics is an academic endeavor that breaks the silence of the dead and listens to their voices through fieldwork.

Our world can be devided  to the world of the living and the world of the dead.

☆ ネクロポリティクスとは、バイオポリティクスにヒントを得て、アシル・ムベンベが 提唱した権力政治概念。具体的には(カール・シュミットやジョルジュ・アガンベンの言う)例外状況[例外状態]において生と死を統治する主権者の権力のことである。「ネクロポリティクスとは、ある人々がどのように生き、ある人々がどのよ うに死ななければならないかを規定するために、社会的・政治的権力を行使するという社会政治理論である」。ムベンベは、カ メルーン出身の歴史家、政治理論家、知識人で、ウィットウォーターズランド大学のウィッツ社会経済研究所で歴史学と政治学の研究教授を務めている。植民地 主義とその帰結に関する著作で知られ、フランスのニューウェーブ批評理論の第一人者である(→「アシル・ムベンベ」「バイオ ポリティクス」)。 

☆つまり、ネクロポリティクスを理解するためには、1)ある人々がどのように生き、また、2)ある人々がどのよ うに死ななければならないか、についての具体的な考察が不可欠になる。言い方をかえると、ネクロポリティクスは、死者の生産と管理をめぐって権力関係が行使される「場(=空間)」の政治であるとも言える。

Ethics of the passerby is a philosophy of presence, distance, and solidarity, emphasizing a non-indifferent connection to places.

ミッシェル・フーコーは「死なせて、生きるにまかせる(faire mourir et laisser vivre /Kill and let live)」という権力形態[=生殺与奪の権力論]から、「生かして、死へと廃棄する(faire vivre ou rejeter dans la mort / o keep alive or to condemn to death)権力[=生政治学/バイオポリティクス]」へ(p.181)[pdf][知 への意志]と、変化することを生権力論のなかで主張した。アシル・ムベンベネク ロポリティクスはさらに「生かし て、死へと廃棄する」 から「完全に死の領域に放逐する(Condamner à mort sans appel / To condemn to death completely)」との様相を示すだろう。したがって、バイオポリティクスとネクロポリティクスは相反するものではなくて、相互に補完的な関係をも ち、バイオポリティクスがそれほど問題にしなかった死後の死者たちが生者に関わるありさまを描写することに注意を向けている点で、バイオポリティクスの拡 張版とみてよいだろう(→憑在論)。

アシル・ムベンベによるネ クロポリティクス(死をめぐる政治):Necropolitics (Wiki)

★ 彼[アシル・ムベンベ] のネクロポリティクスという著作は、黙示録のようにも読める。あるいは、あるいは《世界をまとめていた箍が外れてしまった状態》しっかりとつなぎとめて いたものが外れて元に戻らなくなった状態がネクロポリティカルな状況といえる。他方で、民主主義の未来を、地球の住民の未来との関係における惑星的な共有 責任と行為主体性(175)のなかに求める点で、戦争、難民、テクノロジー、身体性、記憶と表象の個々の検証を通して、それに託するという、楽観的な見通 しももっている。

***

ネクロポリティクス : 死の政治学  / アシル・ンベンベ [著] ; 岩崎稔, 小田原琳訳
序章 世界の試練
第1章 民主主義からの退出
第2章 憎しみの社会
第3章 ネクロポリティクス
第4章 内奥で起こっていること
第5章 ファノンの薬屋
第6章 この息苦しい正午
跋章 通り過ぎて行く者の倫理
Acknowledgments vii
Introduction The Ordeal of the World 1
One Exit from Democracy 9
two The Society of Enmity 42
three Necropolitics 66
Four Viscerality 93
Five Fanon’s Pharmacy 117
Six This Stifling Noonday 156
Conclusion Ethics of the Passerby 184
Notes 191
Index 211
序章 世界の試練 https://www.dukeupress.edu/necropolitics
・著作全体としては世界におけるネクロポリティクスの横溢のことについて警鐘を鳴らそうとしているのだろうか?
・エレメント[基底部分/基層部分]の概念(9)(→イポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構 造』1946年)(→精神は骨である)(9)
・誕生しつつある新しい人間の哲学、それに対して絶滅されようとしていた人々の哲学そ れがネクロポリティクス?(10)
争異(10)——ものを書く行為はこれに関わるようなものだ
・ファルマコン[パルマコン](10)
・本書での「ファノンの薬屋」の比喩やファノンのアルジェリアにおける(すること/されることの)「暴力」についての議論は、ファノンの両義性としてファ ルマコンを主張することにつながっているのか?(10)
・3つの世界事象:1)世界が狭隘になること、2)地球での再定住化のプロセス、3)人口移動の循環化
・人民を解き放った暴力がめぐりめぐって抑圧の道具に化けるのは当然/偶然の帰結か?(11)
・ますます壁を建てる必要性(12)
・他者のこと(12)
・市民権、土着性(13)
・戦争は私たちにとってのファルマコン[=毒?]になる(13)→憎しみの社会化(14)
・テロとの戦いは例外状況を必要とする(14)——例外状態がネクロポリティクスを常態化する(むき出しの生)
・シュミットの大地のノモス(=公法秩序における陸の支配の法規範)は、その裏側でおこった植民地主義を不可視化する(=隠蔽する)とする——訳注 (15)
・ファノンは植民地戦争の主体は生命あるものだとした(16)
・植民地戦争においては他者との出会いを本物なものにする(16)
・人種という重荷から自らの解放するためには「長い治癒」の過程を耐え忍ぶことが必要だとファノンはいう(16-17)
・それには暴力の実践がともなう(17)——植民地主義がもたらす苦渋の経験を強要することと鏡像の関係か?
・ファノンのアフリカへのこだわり(19-20)
・ファノンの姿をかえつつある思想家としての姿を、断片的なまま取り出す(20)
・「死の権力のもとに打ち捨てられていたものに生命を取り戻す」(21)
例 外状態[state of exception] (ドイツ語: Ausnahmezustand)とは、1920年代にドイツの哲学者・法学者であり後にナチ党員となったカール・シュミットが提唱した概念である。非常 事態(戒厳令)と類似するが、主権者が公共の秩序と国家存続の名のもとに法の支配を超越する能力に基づく点が異なる。非常事態と異なる点は、両概念の法に 対する関係の相違にある。非常事態は主に宣言的とみなされるのに対し、例外状態はより政治的に重要とされ、主権者の決定によって特定の法的秩序の法的効力 を無効化する。
・「政治理論家でありナチ党員でもあったカール・シュミットのような一部の人々は、非常事態[State of emergency]を宣言するかどうかを決定する権限こそが主権そのものを定義すると 主張してきた。ジョルジョ・アガンベンは『例外状態』(2005年)において、 非常事態のメカニズムが特定の人々から市民的・政治的権利を剥奪し、「ホ モ・サケル[Homo sacer]」 という概念を生み出すと論じ、この考えを批判した。」
第1章 民主主義からの退出
・ミリタリズムと資本の盾により人間が移動してグローバル化する→他方 で民主主義が崩れていく(23)
・コメント:ミリタリズムと資本の盾により人間が移動してグローバル化する.他方で民主主義が崩れていくとアシル・ムベンベは指摘するがそれは自然な帰結 ではなく高賃金や西洋的な人間らしさの希求のための自由な移動が西洋先住民のかつての姿だったのに共感せず排除している結果なのだ。
・1)開示、2)交差、3)循環——問題を領域横断的に考えよう(23)
・この世界を脱構築するためには、私たち(第三世界?)の言説は辺境からのものだということ(23)——脱植民地化の視点を取れという「司令説」か?
・そして、それゆれ、私たちの概念は地域的な特性がある(23)→Think locally Act globally [vs.]Think Globally, Act Locally
・"Think Globally, Act Locally" (地球規模で考え、足元から行動せよ) は、環境問題や持続可能な開発において、地域社会での小さな行動が世界的な変化につながるという概念。身近な環境保全、ごみ削減、地域コミュニティでの活 動が地球全体の環境負荷軽減へ寄与する考え方で、個人や企業が日常の現場で取り組むべき行動指針。
+++++++++++++++++++++
・「反転、逆転、加速」(24)
+++++++++++++++++++++
・人口再配置過程(24)→黒人奴隷の「国」際移動(→奴隷制
+++++++++++++++++++++
・「民主主義の夜の身体」(33)
+++++++++++++++++++++
・民主主義がなりたたなく時空間が拡大する(34)
・民主主義の残虐性が隠されている(34)
・トクヴィル「アメリカのデモクラシー」→奴隷制が廃止されて黒人は選挙権を与えられるが、投票場にでかけることは危険がともなう。黒人は死ぬとその骨は 打ち捨てられ、ふたたび奴隷制時代同様不平等な状態に戻ってしまう(36-37)
・中心地での経済的繁栄は、遠隔地における暴力に支えられている(39)

+++++++++++++++++++++
・「さまざまな神話」(41)
+++++++++++++++++++++
・民主主義の予定調和的「神話」を植民地状況は破壊する潜在力をもつ(50-51)
+++++++++++++++++++++
・「神聖なものを消費する」(51)
+++++++++++++++++++++
・ハイデガーの技術批判論
・断念の倫理(53)
+++++++++++++++++++++
・「欲望なき身体」(59)
+++++++++++++++++++++
・レイシズムの駆動力としてのネクロポリティクス(67)
・民主主義について考え抜くこと(70)
・わたしたちはみな病理的な時代に生きている(71)
脱植民地化[の方法論]
・選好功利主義
普遍的指令主義
奴隷制
開発人類学
・リンチ、KKK
レイシズム(人種主義
トクヴィルと先住民
アレクシ・ド・トクヴィル

第2章 憎しみの社会
・普遍的民主主義など存在しない(73)
・民主主義は分断を抱え込んだ社会である(73)
・民主主義は奴隷を擁してきた(73)
・地球は国家単位で分断されているので、民主主義は国家内における/で可能な制度にすぎない(73)
・民主主義には自分たちと他者を区分するために、民主主義は国家内でのみ可能で、自分たちと他者の間の区分をするために人種主義を招いてしまう(73) ——これをアシル・ムベンベ[あるいはネクロポリティクス]のテーゼと言ってもよい。
・リベラル民主主義は、資本とテクノロジーとミリタリズムによって押しつぶされている(73-74)
+++++++++++++++++++++
・「おぞましい客体」(74)
+++++++++++++++++++++
・願望は運動である(74)
・いたるところで壁が建設されている(75)——フォレンジック・アーキテ クチャー
・アパルトヘイトモデル(76)→1)形而上学的な実存論的基礎がある、2)ハイテクにより高度に洗練されている。
・近接性の論理(78)
・アパルトヘイトと民族浄化の歴史は長い(78-79)
・植民地化は永続する分離の作業(79)
・純血妄想(80)
・内部にある他者——主人と奴隷の弁証法(80-81)
・自己のなかに邪悪な客体(=レイシズムが想起するもの?)があり、それらは分離されえない。それゆえに、私たちは完全にひとつになりえない(82)
+++++++++++++++++++++
・「敵、つまりわたしである他者」(83)
+++++++++++++++++++++
・オカルト、陰謀が跋扈する世界(83)
・敵を作り出すシステム
・敵と味方をつくるので、政治的なるものの時代である(84)
・自殺(86)
・アルゴリズム的推論が、宗教のように金融を神話化する(88)
・殉教(89)


+++++++++++++++++++++
・「信仰に憑りつかれたひとびと」(90)
+++++++++++++++++++++
・敵をつくりだすリベラルデモクラシー(90-91)
+++++++++++++++++++++
・「不安定な状態」(92)
+++++++++++++++++++++
・ヘイトグループが、敵意と憎しみのエコノミーに投資すると、闘争がさらに加速する(92)
・セキュリティ国家(92-93)
・【池田コメント】詩的な冗語法あるいはムベンベの妄想が続く(ca.94)
+++++++++++++++++++++
・「ナノレイシズム」(97)
+++++++++++++++++++++
・この世に隠すべきものはない(すでに見られている?!という意味か?)(97-)
・レイシズム(98)
・ナノレイシズム(98-99)——マイクロアグレッション、マイクロレイシズムなど日常生活の局所場にあらわれる差別や暴力
・「ナノレイシズムとは、まったくありふれたものとなり社会の気孔や血管に浸透する ことができるように文化に転化したレイシズムである」(101)
・難民収容所や待機エリアあるいはゲットーなどの拡大(101-102)——かつては例外だったものが常態化する(102)
・男性権力支配(phallocracy)
・西洋の諸国民は、かつて自分たちが域外で悲惨と死の種を撒いてきたために、その剣の掟が帰ってくることを恐れている(104)
・スペクタクル社会(105)
・レイシズムの顕在化(106)
・アブレーション(ablation)思考(108)——アブレーション(ablation)とは剥離や除去で、ある人種の除去=消去をここでは想定して いるようだ。
・世界を他者と共有することができない社会(109)
・ケアの関係が、他者とは関わらない欲望におきかわる(109)
フォレンジック・アーキテクチャー
第3章 ネクロポリティクス
0. はじめに(タイトルなし)-111
+++++++++++++++++++++++++
・フーコーの生権力は端的に生殺与奪の行使であるので、その権力概念は命を奪うつまり死の管理権も当然その中にふくまれる(111)
・殺そうとする人に対するその人の憎しみについて、生権力はなにかを教えてくれるか?
・生権力は戦争——死をもたらす——のことに何か答えてくれるか?
+++++++++++++++++++++++++
1. 死の労働-112
+++++++++++++++++++++++++
・サナトポリティーク(死の政治:アガンベンの用語)(112)
・主体の政治学(113)——近代後期の批判理論
・主権は、自己限定と自己措定の二重の過程として定義される(113)
・死と主体になること(114-115)——ヘーゲルの否定性の概念
・バタイユ(115)
1)人間は自然を否定する
2)否定されたエレメントは労働と闘争を通じて変化する(→ヘーゲルと死
+++++++++++++++++++++++++
2.  憎しみの関係-117
+++++++++++++++++++++++++
・フーコーの生権力を、1)例外状態と、2)戒厳状態、として理解する(118)
・レイシズムをその圏内に取り込む(118-)
・近代のテロルと奴隷制は抜きに論じられない(123)
・バック=モースの議論(124)
・例外状態(126)
・植民地=辺境論(127)
・植民者と殺害の権利(128)
+++++++++++++++++++++++++
3. 後期近代における死の権力と占領 - 129
+++++++++++++++++++++++++
・植民地的占有(129)
・アパルトヘイト(130)
・後期近代における植民地の占有は、1)規律訓練、2)生の政治、3)死の政治、がそれぞれ結びつくことでなりたつ(131)
・領土の断片化(132-)
・エヤル・ヴァイツマン(132-)
+++++++++++++++++++++++++
4. 戦争機械と他律性 -136
+++++++++++++++++++++++++
・あたらしい死の権力行使は、古い概念で理解できない(136)
・グローバリゼーション時代の戦争(バウマン)(136)
・セルビアの軍事力を劣化させるためにコソボではインフラの破壊という戦争[手段]が使われた
・戦争機械(138)
+++++++++++++++++++++++++
5. 行為と金属について - 143
+++++++++++++++++++++++++
・パレスチナ(143)
・自爆テロと殉教(143)
・古典的意味でのヒロイズム=自分の死を遠ざけておきながら、他者を処刑する(145)
・テロルと自由と犠牲の関係(146)
・奴隷制の時代にテロルは標題化されていた。(147)
・他方自爆テロには自己犠牲の観点が含まれる(147)
・ 苦痛のなかに存在するということ(148)
・生の規律と苦痛=死による試練の必然性が過剰にきわだつ(148)
・生をネクロポリティクスに隷属されるこの形態が、抵抗と犠牲とテロルの関係を書き換える(149)
・生が死の権力によって隷属されている現況を理解するには、バイオポリティクスだけでは不十分、つまりネクロポリティクスの分析が必要(149)
・締めのことば:「今日の死の権力という形態は、抵抗と自殺、犠牲と贖い、殉教と自由のあいだの境界線を曖昧にしているのだ」(149)
0. はじめに(タイトルなし)-111
1. 死の労働-112
2.  憎しみの関係-117
3. 後期近代における死の権力と占領 - 129
4. 戦争機械と他律性 -136
5. 行為と金属について - 143
第4章 内奥で起こっていること
・ファスト資本主義とソフトパワー戦争(151)
+++++++++++++++++++++
・「テクノロジーと終末論」(151)
+++++++++++++++++++++
・ハイデガーの技術論(152)——テクノロジーに従属した我々[とそれに無自覚/自然化していること]。技術を中立化したものだという幻想が、人間が技 術に従属した証拠である——ハイデガーの技術論のテーゼ
・技術からの呪縛から「自由」になること——これが「開かれ」(153)
・人間を特権化しているから、人間は技術を使うことができるという錯認がおこる(153)
・人間は技術を使うことができるという信念は不安に基づく:1)自分自身は物ではないという信念(→他方で他者をモノ化する)(153-154)
・2)人間が道具を使っていたという神話時代に対するノスタルジアをもつ(154)
・我々はテクノストラクチャー(=テクノクラートによって構築されたネットワーク)に人間は呪縛されている(154)——例:遺伝のアルゴリズム
・マルガリータ・メンデス:人間と機械的なものの権力布置が変化しつつある。(155)
アルゴリズム(が現在では権力の用語になりつつある)
+++++++++++++++++++++
・「惑星規模の関係解体と難民狩り」(156)
+++++++++++++++++++++
・支配のマトリクスがある(156-157)
・我々の近くに、物理的あるいは生物的脅威だとみなされる人たちがいる——ガザ、保留地、囚人島、流刑植民地、など(157)
・そういう地域では、変則的封鎖が実行される。
・このことがヨーロッパの中心でもおこりつつある(158)
・財政のための財源は[現実的には]南から北に移動しているのに、いまだに北の國は南の國に支援しているという神話が信じつづけられている。(159)
+++++++++++++++++++++
・「解決策」(159)
+++++++++++++++++++++
・「国境を封鎖せよ」というインペラティブ(159-160)
・いまや国境は主権的実体を分ける境界線ではない。それは現代資本主義[僕は選民思想によって選別された国民国家だと思うが]と世界秩序という一般性思想 により組織化された暴力である(アシル・ムベンベ)(160)
・非戦闘員に投下されるさまざまな残虐な爆弾(161)
・人々を精神的にも物質的にも消耗させる戦争概念の登場(162)
・戦争も国境管理のひとつのタイプのあり方(162)
・人間を狩る(163)——人間狩りは「惑星が分断される瞬間」である(164)
・狩られる人間はもはや人間ではなく「臓器を詰めた歩く霊安室」(164)
・世界は、これまでの人間の関係性や様式をとることをやめてしまった(164)
・2015年当時、ヨーロッパには収容所が400箇所あった(シリアやマグレブでの政治的混乱による)(166-167)
・ホストの国のひとたちは、テクノロジーがそのような難民を制御できると信じて導入をすすめている(168)——だがこれは神話である。
+++++++++++++++++++++
・「否定的メシアニズム」(168)
+++++++++++++++++++++
・コンピュータ技術者や黙示録リバータリアンは世界が終末にちかづいていると思っている(169)
・普通選挙、平等主義、多元主義に反対するひとたち(169)——暗黒啓蒙.
・アメリカ式繁栄の神学(170)
・テクノロジー偏愛とメシアニズムの整合性(170)
・テクノロジーメシアニズム
・否定のメシアニズム(172)
+++++++++++++++++++++
・「アニミズムの回帰」(173)
+++++++++++++++++++++
・電脳理性やAiのなかに、アニミズムをみるアニミストたちの登場
・アフリカ的知性への示唆(174)
・民主主義の未来=地球の住民の未来との関係における惑星的な共有責任と行為主体性(175)
・惑星的な共有責任と行為主体性をもつこと(174)
・科学がフィクションに、フィクションがリアルに(174)
・生産中心の資本主義に抗する(176)
・アルゴリズム理性批判(176)——マテオ・パスクイネッリの所論「敵は統計とモデル化と数学によって現実なものとして構築される」→しかし、これは対 抗する側の「フォレンジックスキーム」と同じシステムの土俵にいる
・ポストファクトのなかで傷を負うのはデモクラシー(ここではムベンベはデモクラシー擁護にまわる)(177)
+++++++++++++++++++++
・「金融化以後の民主主義」(178)
+++++++++++++++++++++
・民主主義の未来(178-)——自由民主主義〈対〉グローバル資本主義、ヒューマニズム〈対〉テクノ千年王国(→テクノ千年王国主義
・1980-2000年:市場原理の一般化【市場原理】とは?「市場の原理とは、自由市場における自発的な交換を規律する基礎的なルールであり、自己利 益、競争、需要と供給によって駆動され、価格によって資源の配分が決定されるものである。その中核となる概念には、自発的な交換、私有財産権、競争、消費 者の主権などが含まれ、これらはしばしばアダム・スミスの「見えざる手」という言葉に集約される。」
・市場原理の一般化は、自由民主主義との共存に対してノー言い、決別する方向に展開(179)
・自由主義にとっての脅威は、自由民主主義〈対〉グローバル資本主義における両者の隔たりである(180)
・ハイパーグローバリゼーションにおける3原理:1)知的財産管理、2)キャピタルフローの確保、3)投資保護のための規則とその維持(181)
+++++++++++++++++++++
・「試練に晒される理性」(181)
+++++++++++++++++++++
・ICTによって解放された「現代の妄想的権力」への解剖(181)
・グローバル資本主義は、社会的富を創造しない(→富者や投資家の個人的富を創造し続ける?)(182)
・SNSメディアは、私たち自身がスペクタクルになるようにしむけてきた(183)
・無意識のタブララサになんでも書き込むことができる(184)
・新自由主義資本主義態勢下では[火花ぬきの]新たな戦争がおこる:1)貧者に対する戦争、2)マイノリティに対する人種戦争、3)女性に対するジェン ダー戦争、4)ムスリムに対する宗教戦争、5)障がい者に対する戦争
・政治がストリートファイトになるときに、理性などどうでもよくなる(アシル・ムベンベ)(186)
・はたして、我々には政治文化を取り戻すことが可能になるのであろうか?(186)
ハイデガー技術論
・「ファスト・キャピタリズム」とは、社会学者のベン・アガーが1989年に提唱した用語であり、デジタル技術、インターネット、そして24時間365日 稼働するグローバル市場によって加速された、生活、労働、消費のペースを指す。これには、仕事と家庭の境界の曖昧化、スピード重視の生産、そして21世紀 における日常生活の徹底的な商品化が含まれる。
フォレンジックアーキテクチャー
テクノ千年王国主義

第5章 ファノンの薬屋
・民主主義の核心は憎しみ(→右派ポピュリズム?)
・これまでの4つの章は自由民主主義の核心は憎しみだということだ(187)
・奴隷を可能にする共和主義も帝国主義も自由民主主義と共存可能である(187)
・脱植民地化を鎮圧する軍事作戦
・自由民主主義のなかに、奴隷制と帝国主義が含まれている(同時間/異所的に?)(188)
・破壊の原理と生の原理(=たぶんファノンの2つの思想?)(188)
・破壊と暴力/治療と生の望みの共存(188)
・なぜ暴力がなにかを生み出すのか?(188)
+++++++++++++++++++++
・「破壊の原理」(189)
+++++++++++++++++++++
・ファノンがかかわった3つの論争
1)人間のレイスに対する論争(レイシズムに関する論争)
2)世界分割と世界支配に関する論争(帝国主義とネーションの自決権)
3)機械と戦争の運命に関する論争(破壊や死とわたしたちの関係)(189)
グロティウスの公戦の原理(191)
・永久平和論の後退(192)
・心理学的な退行(regression)193
・無意識の動機と合理的プロセス(194)
・西洋文化が頂点に上り詰めた理由の探求(195)
・西洋文化の評価軸を通してでしかそれ以外の文化が[政治的に]表象されない(195)
・人類座標の基準点になる(195)
・西洋文化の強力な同化のちから→ボール・ヴァレリー精神の危機」(196-197)
Jean Amery, 1912-1978(197)→「ジャン・アメリー
・メキシコ(1811)
・キューバ革命戦争の収容所における餓死(→キューバの歴史(II):植民地期から 1959年まで)における「戦争の激化」を参照(198)
・フィリピンにおける(アメリカ政府がつくる)収容所
・1862年のリーバ規定(198)
・強制収容や拷問が常態化(200-)→これらが第三帝国に引き継がれる
・ヘレロ戦争(→ヘレロ戦争ヘレロおよびナマ虐殺)(200-201)
・フランスの強制収用(201)
・ナチの絶滅収容所と他の収容所での大量殺戮とは意味がことなる(202)
・植民地における強制収用や殺戮などの犠牲者が出ることは、不可視化されてきた(202-203)
・ファノンはこのような強制収用の目撃者である(203)
・ファノンが報告するアルジェリアの精神疾患例(204-205)
・植民地における主権の確立[闘争]と暴力は不可分だった(206)
+++++++++++++++++++++
・「モノの社会」(207)
+++++++++++++++++++++
・植民地におけるレイシズムは偶然のものではなく、政治経済的にも構成されたものだ(207)
・2つのタイプのレイシズム:1)むき出しの暴力、2)文化的レイシズム
・症状転嫁(transitivism):相手に対しておこなったことが、幼児や精神病者により、自分がその被害者として錯認されて理解すること (209)
・あらゆるレイシズムは心のなかにやましさを抱えている。またレイシストの社会は自分たちから性的な能力が失われることを恐れている(210)
・レシズムに苛まれた主体(201)
・人種的主体に引き下げられること=他者の立場におかれること(211)
+++++++++++++++++++++
・「レイシストは恐れる」(214)
+++++++++++++++++++++
・白人レイシストは、黒人が劣っていると理解しているにもかかわらz、その黒人を恐る(214)
・レイシストの妄想(216)→「黒い皮膚、白い仮面
・大文字の他者=ファロス(218)
・黒人はなによりも性器だ(219)
・ヨーロッパ文化がニグロのイマーゴをもつ(221)
+++++++++++++++++++++
・「想像力の祭典」(222)
+++++++++++++++++++++
・ラディカルな脱植民地化のはじまり(222)
・ムベンベの思弁的な白人と黒人のセクシュアリティの精神分析的形而上学が延々と語られる(224-225)
・「ファノンの患者はふたたび未来の起源になろうと試みている」(225)
+++++++++++++++++++++
・「ケアの関係」(226)
+++++++++++++++++++++
・苦しみをもった人たち(226)
・患者とは(227)「何よりも苦しみのなかにあり、救いを求めているひと」(ファノン)だという
・だから病院は兵舎にかえることができない
・病人(228)
・系譜学をつくりなおす(231)
+++++++++++++++++++++
・「無感動な分身」(231)——この説はファノンの論文著作からの引き写しあるいは解説の様相を呈す
+++++++++++++++++++++
・加害暴力強迫の警官の事例(231-)
・植民地状況における官憲の加害経験が、最終的に精神障害や性的不能をひきおこす(-237)

+++++++++++++++++++++
・「消え去っていく生命」(241)
+++++++++++++++++++++
・19歳の解放戦線兵士(241)
・殺害経験を繰り返し想起する(246)
・それはあたかも自分が殺した亡霊がなんども繰り返しやってくるかのようなリアルな経験をなす(247)
※ファノンの薬屋とあるが実際には処方されているのは治療薬ではなく暴力的な加害/被害のトラウマの再燃という毒にほかならない(ムベンベ「ネクロポリ ティクス」第3章)

・プラトンのファルマコン(デリダ「散種」所収)に由来)

☆ネクロポリティクス読解のトリアンギュレーション

++++++++++++++++
★フランツ・ファノン『黒い肌・白い仮面』
序——フランシス・ジャクソン(英語版:Ziauddin Sardar, 2008; Homi K. Bhabha, 1986)
はじめに
1.黒人と言語
2.黒い皮膚の女と白人の男
3.黒い皮膚の男と白人の女
4.植民地原住民のいわゆる依存コンプレックスについて
5.黒人の生体験
6.ニグロと精神病理学
7.ニグロと認知
結論に代えて
ファノンの認知——フランシス・ジャクソン
フーゴ・ グローティウス
ボール・ヴァレリー
精神の危機(1919)
Jean Amery, 1912-1978
ジャン・アメリー
・《他者

第6章 この息苦しい正午
・ファノンが亡くなったとき……(249)
+++++++++++++++++++++
・「人文主義の隘路」(251)
+++++++++++++++++++++
・黒人の歴史は、世界史の一部分(→ブラックゴールド:Black Gold)[チャーリー・パーカー](251)
・ボールドウィン(251)
・惑星=プラネタリー的存在(252)=この地球に普遍的に生存している存在としての黒人
・黒人の存在は惑星的であるなんて翻訳したら学生どころか専門家でも??じゃないか!!→プラネタリーとはこの地球に普遍的に生存している存在であり.奴 隷貿易に始まるという狭量な世界史にとどめず[聖書ではない生物学の]人類の起源からの普遍人[=多様性を担保して異所的でありかつ異所的でもある]とし ての黒人をさしているんだ(→世界史を転倒させる)(252-253)
シルビア・ウィンター(257)
★西洋的人文主義に対する外在的な批判
1)アフリカ中心主義:西洋人文主義が普遍主義を偽装していることを脱神話化し、アフリカの歴史から引き出されるカテゴリや概念から知の基盤を据える (258)
+++++++++++++++++++++
・「人間的なものの他者」(259)
+++++++++++++++++++++
★★西洋的人文主義に対する外在的な批判
2)アフロペシミスト:トクヴィルはアメリカ大陸における黒人を包摂したデモクラシーの成立はなりたたないと主張する(259)
・リベラルデモクラシーとレイシズムは共存可能という主張(260)
・In fact, liberal democracy and racism are fully compatible. At the sametime, historically, liberal democracy has always needed a constitutiveOther for its legitimation, an Other who is and is not at the same time partof the polis.- Mbembe (2019:162)
・人種ペシミズムは、白人種が非白人の犠牲からなりたつという信念にもとづく(260)
★★★西洋的人文主義に対する外在的な批判
3)アフリカ未来主義:SFやテクノロジーに対する省察を、ブラックカルチャー、マジックリアリズム、非ヨーロッパ的コスモロジーと組み合わせる (262)→人文主義というカテゴリーがもはや時代遅れと主張(262)→(283)
・黒人の身体は未来型というファンタジー(263)
・奴隷に関する[奴隷主たちの]屈折した価値観の投影=エネルギーの源泉?(266)
・労働力としての奴隷、変革の主体としてのプロレタリアート(264)
+++++++++++++++++++++
・「ゼロの世界」(267)
+++++++++++++++++++++
・動物園とアフリカ(267-)
・ゼロの世界=究極の外部(269)
・アフリカ的身体のアレゴリーなどが列挙される(271)
+++++++++++++++++++++
・「反-博物館」(272)
+++++++++++++++++++++
・博物館から排除される奴隷の姿(273)
・ムベンベは奴隷(の存在)がスキャンダルになることを力として認識せよと言っている?(274)
+++++++++++++++++++++
・「オートファシー」(275)
+++++++++++++++++++++
・ひびわれたアーカイブ(275)
・ポエティックな表現の乱舞(276-277)
・黒人の女性の身体のイメージ(277-280)
・ファノン(281)
・ファノンの治療の話(282)
+++++++++++++++++++++
・「資本主義とアニミズム」(283)
+++++++++++++++++++++
【再掲】3)アフリカ未来主義:SFやテクノロジーに対する省察を、ブラックカルチャー、マジックリアリズム、非ヨーロッパ的コスモロジーと組み合わせる (262)→人文主義というカテゴリーがもはや時代遅れと主張(262)→(283)
・人種という主体(284)
・深層黒人(285)
・もはや奴隷を必要としない主人(286)
+++++++++++++++++++++
・「生命あるものの解放」(287)
+++++++++++++++++++++
・このような布置のなかで「レイシズムの未来」がどのようになるのかの解明が必要(287)
・現代資本主義のパラドックス(289)
・新しい状況(289)
・民主主義の状況あるいは危機?(290)→ここではムベンベは先と異なり民主主義の未来にまだ「希望?」を賭けている??
・資本主義とアニミズムの融合(291)
・ニューロエコノミックな人間という虚構(291)
・292ページの最後の1文は現在のところ理解不能(292)

シルビ ア・ウィンター(Sylvia Wynter, b.1928)
植民地主義に対する先住民の反応.
跋章 通り過ぎて行く者の倫理
The "ethics of the passerby" is a philosophy of presence, distance, and solidarity, emphasizing a non-indifferent connection to places and people while moving through them. It advocates for a "World Relation" where individuals, particularly refugees or migrants, inhabit spaces temporarily yet ethically, cultivating a shared humanity out of movement and mutual vulnerability.

Key aspects of the ethics of the passerby include:
Solidarity and Detachment: It is a way of being present in a place while knowing how to leave it, creating a relationship that is not indifferent, but also not trapped by fixed identities.
The "Passant" (Passerby): Championed by philosophers like Achille Mbembe (notably in his work Necropolitics), the passerby is someone who does not take for granted their home and can navigate different, sometimes hostile, environments.
Alternative Belonging: This perspective challenges exclusionary, static, or nationalistic views of belonging, asserting that the world is shared by all its inhabitants, regardless of their origin.
Learning to Live Everywhere: As explored in studies of authors like Abbas Khider, the ethics of the passerby emphasizes moving beyond traditional ideas of home, embracing the "fugitive character of life," and creating new forms of community that go beyond static identities.
"World Relation": Drawing on Edouard Glissant, this ethical framework emphasizes that true global understanding comes from embracing a "World Relation"—a collective, shifting understanding of the world, rather than a fixed, territorial one.

This ethical stance is seen as a way to confront contemporary global crises, including migration and the marginalization of vulnerable groups, by fostering a sense of shared responsibility and humanity.

「通 りすがりの倫理」とは、在り方、距離、連帯に関する哲学であり、場所や人々の中を通り過ぎる際に、それらに対して無関心ではないつながりを重視するもので ある。これは、個人、特に難民や移民が一時的に、しかし倫理的に空間に身を置き、移動と相互の脆弱性から共有される人間性を育む「世界関係」を提唱するも のである。

「通りすがりの倫理」の主な側面には以下が含まれる:
連帯と距離感: それは、その場所を去る方法を知りつつそこに在る在り方であり、無関心ではないが、固定されたアイデンティティに囚われることのない関係を築くものであ る。
「パサン(通行人)」:アキレ・ムベンベ(特に著書『ネクロポリティクス』において)のような哲学者によって提唱された通行人とは、自分の故郷を当然のこ ととせず、異なる、時には敵対的な環境をも渡り歩くことができる人物である。
「代替的な帰属」:この視点は、排他的、静的、あるいはナショナリスト的な帰属観に異議を唱え、出自にかかわらず世界はすべての住人によって共有されてい ると主張する。
「どこでも生きることを学ぶ」:アッバス・キダーなどの研究で探求されているように、通行人の倫理は、伝統的な「家」の概念を超え、「人生の逃亡的な性 質」を受け入れ、静的なアイデンティティを超越した新たな共同体の形態を創造することを重視する。
「世界関係(World Relation)」:エドゥアール・グリッサンの思想に立脚するこの倫理的枠組みは、真のグローバルな理解とは、固定的で領土的な世界観ではなく、「世 界関係」——すなわち、集合的かつ流動的な世界理解——を受け入れることから生まれると強調する。

この倫理的立場は、共有された責任感と人間性を育むことで、移民問題や脆弱な集団の疎外といった現代のグローバルな危機に立ち向かう方法として捉えられて いる。
ファノン「おお、わたしの身体よ、いつまでもわたしを、問いを投げかけ続ける人間にしておくれ」——『黒い皮膚・白い仮面

翻訳にあたって(303-)

★フーコーの生政治学(バイオポリ ティクス)が衆目に触れた最初の文献は『知への意志』(1976)

『知 への意志』(1976)の第5章「死の権利とと生命への権力」(金森 2010:31)および『社 会は防衛しなければならない』の最終講義日(1976.03.17)の内容

死なせて、生きるにまかせる(faire mourir et laisser vivre)という権力形態から、生かし て、死へと廃棄する(faire vivre ou rejeter dans la mort)権力へ(p.181)[pdf]

J'aurais pu prendre, à un autre niveau , l 'exemple de la peine de mort. Elle a été longtemps avec la guerre l'autre forme du droit de glaive ; elle constituait la réponse du souverain à qui attaquait sa volonté, sa loi, sa personne. Ceux qui meurent sur l'échafaud sont devenus de plus en plus rares, à l'inverse de ceux qui meurent dans les guerres. Mais c'est pour les mêmes raisons que ceux-ci sont devenus plus nombreux et ceux-là plus rares. Dès lors que le pouvoir s'est donné pour fonction de gérer la vie , ce n'est pas la naissance de sentiments humanitaires, c'est la raison d'être du pouvoir et la logique de son exercice qui ont rendu de plus en plus difficile l'application de la peine de mort. Comment un pouvoir peut-il exercer dans la mise à mort ses plus hautes prérogatives, si son rôle majeur est d'assurer, de soutenir, de renforcer, de multiplier la vie et de la mettre en ordre? Pour un tel pouvoir l'exécution capitale est à la fois la limite, le scandale et la contradiction. De là le fait qu'on n'a pu la maintenir qu'en invoquant moins l'énormité du crime lui-même que la monstruosité du criminel, son incorrigibilité , et la sauvegarde de la société. On tue légitimement ceux qui sont pour les autres une sorte de danger biologique.
別 の観点から言えば、死刑を例に挙げてもよかっただろう。死刑は長い間、戦争と並んで「剣の権利」のもう一つの形態であった。それは、自らの意志や法、ある いは自身を攻撃する者に対する君主の応答であった。断頭台で死ぬ者はますます稀になってきたが、戦争で死ぬ者は逆に増えている。しかし、戦争で死ぬ者が増 え、死刑台で死ぬ者が減ったのは、まさに同じ理由によるものだ。権力が「生命を管理する」という機能を自らに課した時点で、人道的な感情が生まれたからで はなく、権力の存在意義と行使の論理そのものが、死刑の適用をますます困難なものにしたのである。権力の主要な役割が、生命を保障し、支え、強化し、増殖 させ、秩序立てることにあるならば、どうしてその権力が、殺害という行為において自らの最高権限を行使しうるだろうか。そのような権力にとって、死刑の執 行は、限界であり、スキャンダルであり、矛盾でもあるのだ。それゆえ、死刑を維持できたのは、犯罪そのものの甚大さよりも、むしろ犯罪者の非人道性、その 更生不能性、そして社会の保全を理由としてきたからである。他者にとって一種の生物学的危険となる者たちを、正当に殺すのである。
On pourrait dire qu'au vieux droit de faire mourir ou de laisser vivre s'est substitué un pouvoir de faire vivre ou de rejeter dans la mort. C' est peut- être ainsi que s'explique cette disqualification de la mort que marque la désuétude récente des rituels qui l'accompagnaient. Le soin qu'on met à esquiver la mort est moins lié à une angoisse nouvelle qui la rendrait insupportable pour nos sociétés qu'au fait que les procédures de pouvoir n'ont pas cessé de s'en détourner. Avec le passage d'un monde à l'autre, la mort était la relève d'une souveraineté terrestre par une autre, singulièrement plus puissante ; le faste qui l'entourait relevait de la cérémonie politique. C'est sur la vie maintenant et tout au long de son déroulement que le pouvoir établit ses prises; la mort en est la limite, le moment qui lui échappe; elle devient le point le plus secret de l'existence, le plus privé )J. Il ne faut p as s'étonner que le suicide crime autrefois puisqu'il était une manière d'usurper sur le droit de mort que le souverain, celui d'icibas ou celui de l'au-delà, avait seul le droit d'exercer soit devenu au cours du XIXe siècle une des premières conduites à entrer dans le champ de l'analyse sociologique ; il faisait apparaître aux frontières et dans les interstices du pouvoir qui s'exerce sur la vie, le droit individuel et privé de mourir. Cette obstination à mourir, si étrange et pourtant si régulière, si constante dans ses manifestations, si peu explicable par conséquent par des particularités ou accidents individuels, fut un des premiers étonnements d'une société où le pouvoir politique venait de se donner pour tâche de gérer la vie.
か つての「死なせるか生かすか」という権利は、「生かすか、あるいは死へと追いやるか」という権力に取って代わられたと言えるだろう。死を伴う儀式の最近の 廃れが示す、死の軽視という現象は、こうした変化によって説明できるのかもしれない。死を回避しようと人々が注ぐ配慮は、死を社会にとって耐え難いものに する新たな不安によるというよりは、権力の仕組みが絶えず死から背を向けてきたという事実によるものだ。ある世界から別の世界への移行において、死は地上 の主権が、はるかに強力な別の主権へと引き継がれる瞬間であり、 それを取り巻く華やかさは、政治的儀礼に属していた。今や権力は、生というものの全過程においてその支配を確立している。死はその限界であり、権力の及ば ない瞬間である。死は存在の最も秘められた点、最も私的なものとなる)J. かつて自殺が犯罪とされたのは、現世の支配者であれ来世の支配者であれ、主権者だけが行使する権利を有していた「死の権利」を簒奪する行為であったからで あり、それが19世紀の間に社会学的分析の対象として真っ先に取り上げられるようになったとしても、驚くべきことではない。それは、生命に対して行使され る権力の境界や隙間において、死という個人的かつ私的な権利を浮き彫りにしたのだ。この死への執着は、実に奇妙でありながら極めて規則的であり、その現れ は絶えず繰り返され、したがって個人の特異性や偶発的な出来事ではほとんど説明がつかないものであった。それは、政治権力が生命の管理を自らの任務とした ばかりの社会にとって、最初の驚きの一つであった。
La volonté de savoir / Michel Foucault, Paris : Gallimard , c1976. - (Bibliothèque des histoires ; . Histoire de la sexualité / Michel Foucault ; 1) [pdf] pp.181-182.


★ ネ クロポリティクス(死をめぐる政治):Necropolitics

Necropolitics is a sociopolitical theory of the use of social and political power to dictate how some people may live and how some must die. The deployment of necropolitics creates what Achille Mbembe calls deathworlds, or "new and unique forms of social existence in which vast populations are subjected to living conditions that confer upon them the status of the living dead."[1] Mbembe, author of On the Postcolony, was the first scholar to explore the term in depth in his 2003 article,[2] and later, his 2019 book of the same name.[1] Mbembe identifies racism as a prime driver of necropolitics, stating that racialized people's lives are systemically cheapened and habituated to loss.[1]


ネクロポリ ティクスとは、社会的・政治的権力を用いて、ある人々がどのように生きるべきか、またある人々がどのように死ななければならないかを決定づける社会政治理 論である。ネクロポリティクスの展開は、アキレ・ムベンベが「死の世界」、すなわち「膨大な人口が、生ける屍という地位を課される生活条件に置かれる、新 しく独特な社会的存在の形態」と呼ぶものを生み出す。[1] 『ポストコロニーについて』の著者であるムベンベは、2003年の論文[2]、そして後に2019年に出版された同名の著書[1]において、この用語を深 く掘り下げた最初の学者である。ムベンベは、人種主義をネクロポリティクスの主要な原動力として特定し、人種化された人々の命は体系的に軽視され、喪失に 慣れさせられていると述べている。[1]


Concept

Necropolitics is often discussed as an extension of biopower, the Foucauldian term for the use of social and political power to control people's lives. Foucault first discusses the concepts of biopower and biopolitics in his 1976 work, The Will to Knowledge: The History of Sexuality Volume I.[3] Foucault presents biopower as a mechanism for "protecting", but acknowledges that this protection often manifests itself as subjugation of non-normative populations.[3] The creation and maintenance of institutions that prioritize certain populations as more valuable is, according to Foucault, how population control has been normalized.[3]

Mbembe's concept of necropolitics acknowledges that contemporary state-sponsored death cannot be explained by the theories of biopower and biopolitics, stating that "under the conditions of necropower, the lines between resistance and suicide, sacrifice and redemption, martyrdom and freedom are blurred."[2] Jasbir Puar assumes that discussions of biopolitics and necropolitics must be intertwined, because "the latter makes its presence known at the limits and through the excess of the former; [while] the former masks the multiplicity of its relationships to death and killing in order to enable the proliferation of the latter."[4]

Mbembe was clear that necropolitics is more than simply a right to kill (Foucault's droit de glaive). While his view of necropolitics does include various forms of political violence such as the right to impose social or civil death, and the right to enslave others, it is also about the right to expose other people (including a country's own citizens) to mortal danger and death.[2] Cultural theorist Lauren Berlant calls this gradual and persistent process of elimination slow death.[5][6] According to Berlant, only specific populations are "marked out for wearing out"[7] and the conditions of being worn out and dying are intimately linked with "the ordinary reproduction of [daily] life."[8]

Necropolitics is a theory of the walking dead, in which specific bodies are forced to remain in suspended states of being located somewhere between life and death. Mbembe provided a way of analyzing these "contemporary forms of subjugation of life to the power of death."[2] He utilized examples of slavery, apartheid, the colonization of Palestine and the figure of the suicide bomber to illustrate differing forms of necropower over the body (statist, racialized, a state of exception, urgency, martyrdom) and how this reduces people to precarious life conditions.[2]

According to Marina Gržinić, necropolitics precisely defines the forms taken by neo-liberal global capitalist cuts in financial support for public health, social and education structures. To her, these extreme cuts present intensive neo-liberal procedures of ‘rationalization’ and ‘civilization’.[9]
概念

ネクロポリティクスは、しばしばバイオパワーの延長として議論される。バイオパワーとは、人々の生活をコントロールするための社会的・政治的権力の行使を 意味するフーコー用語である。フーコーは1976年の著作『性の歴史: 第1巻:知への意志(The History of Sexuality, Volume I)』の中で、バイオパワーとバイオポリティクスの概念について初めて論じている: フーコーはバイオパワーを「保護」のためのメカニズムとして提示しているが、この保護がしばしば非規範的な集団の服従として現れることを認めている [3]。フーコーによれば、特定の集団をより価値あるものとして優先させる制度の創設と維持は、人口抑制がいかにして常態化されてきたかということである [3]。

ムベンベのネクロポリティクスの概念は、現代の国家による死がバイオパワーやバイオポリティクスの理論では説明できないことを認め、「ネクロパワーの条件 下では、抵抗と自殺、犠牲と贖罪、殉教と自由の境界線は曖昧である」と述べている。 ジャスビール・プアーは、「後者(=ネクロパワー)は前者(=
バイオパワー)の限界において、また過剰な存在を通して、その存在を知らしめるものであり、一方、前者は後者の増殖を可能にする ために、死と殺戮との関係の多様性を覆い隠すものである」[4]から、生政治とネクロポリティックスの議論は絡み合わなければならないと仮定している。

ムベンベは、ネクロポリティクスが単なる殺人の権利(フーコーのdroit de glaive [剣の権利])以上のものであることを明確にしていた。彼の考えるネクロポリティクスには、社会的あるいは市民的な死を課す権利や他者を奴隷化する権 利な ど、さまざまな政治的暴力の形態が含まれる一方で、他者(自国民を含む)を致命的な危険や死にさらす権利のことでもある。 [2] 文化理論家のローレン・バーラントは、この緩やかで持続的な排除のプロセスを緩慢な死と呼んでいる[5][6]。 バーラントによれば、特定の集団だけが「消耗するようにマークされている」[7]のであり、消耗して死ぬという条件は「(日常)生活の通常の再生産」と密 接に結びついている[8]。

ネクロポリティクスとは、特定の身体が生と死の狭間に位置する宙吊りの 状態に留まることを余儀なくされる、歩く死者の理論である。ムベンベは、このような 「生を死の力に服従させる現代の形態」を分析する方法を提供した [2]。彼は、奴隷制、アパルトヘイト、パレスチナの植民地化、自爆テロ犯の 姿を例に挙 げ、身体をめぐるネクロパワーのさまざまな形態(国家主義、人種差別、例外状態、緊急性、殉教)と、それがいかに人々を不安定な生活状況に追いやるかを説 明した[2]。

マリナ・グルジニッチによれば、ネクロポリティクスは、ネオリベラルなグローバル資 本主義による公衆衛生、社会、教育構造への財政支援削減の形態を正確に 定義している。彼女にとって、こうした極端な削減は、「合理化」と「文明化」の集中的な新自由主義的手続きを示している[9]。
Living death

Mbembe's understanding of sovereignty, according to which the living are characterized as "free and equal men and women," informs how he expands the definition of necropolitics to include not only individuals experiencing death, but also experiencing social or political death.[2] An individual unable to set their own limitations due to social or political interference is then considered, by Mbembe, to not be truly alive, as they are no longer sovereign over their own body.[2] The ability for a state to subjugate populations so much so that they do not have the liberty of autonomy over their lives is an example of necropolitics. This creates zones of existence for the living dead, those who no longer have sovereignty over their own body.[1] R. Guy Emerson writes that necropolitics exists beyond the limits of administrative or state power being imposed on bodies, but also becomes internalized, coming to control behaviors over fear of death or fear of exposure to death worlds.[10]

Frédéric Le Marcis discusses how the contemporary African prison system acts as an example of necropolitics.[11] Referring to the concept of living death as "stuckness", Le Marcis details life in prison as a state-sponsored creation of death; some examples he provides include malnourishment through a refusal to feed inmates, a lack of adequate healthcare, and the excusing of certain violent actions between inmates.[11] Racism, discussed by Foucault as an integral component of wielding biopower, is also present in Le Marcis' discussion of the necropolitical prison system, specifically regarding the ways in which murder and suicide are often overlooked among inmates.[11] Mbembe also contends that matters of homicide and suicide within state-governed institutions housing "less valuable" members of the necroeconomy are simply another example of social or political death.[2]

Ilana Feldman brings as an example the experience of Palestinian refugees in the situation of prolonged displacement. In her ethnographic work, a number of interviewees share how the combination of bad leadership, poor services in refugee camps and lack of international support resulted in a collective climate of hopelessness.[12]
生きている死

生者を「自由で平等な男女」として特徴づけるムベンベの主権理解は、彼がネクロポリティクスの定義を、死を経験する個人だけでなく、社会的あるいは政治的 な死を経験する個人をも含むように拡張する方法に影響を与えている。 [ムベンベは、社会的あるいは政治的な干渉のために自らの限界を設定できない個人は、もはや自らの身体に対する主権を持たないため、真に生きているとは言 えないと考える。これによって、もはや自らの身体に対する主権を持たない生ける屍のための生存圏が形成される。R・ガイ・エマーソンは、ネクロポリティク スは行政や国家権力が身体に押し付けられるという限界を超えて存在し、また内面化され、死への恐怖や死の世界にさらされることへの恐怖から行動をコント ロールするようになると書いている[10]。

フレデリック・ル・マーシスは、現代のアフリカの刑務所制度がネクロポリティクスの一例としてどのように機能しているかについて論じている[11]。ル・ マーシスは、生ける死の概念を「行き詰まり」として言及し、刑務所の生活が国家によって生み出された死の創造物であると詳述している。 [11]フーコーがバイオパワーを行使する不可欠な要素として論じている人種差別は、ル・マーシスのネクロポリティカルな刑務所システムに関する議論にも 存在し、特に受刑者の間で殺人や自殺がしばしば見過ごされている方法について論じている[11]。 ムベンベはまた、ネクロエコノミーの「価値の低い」メンバーを収容する国家が管理する施設内での殺人や自殺の問題は、単に社会的あるいは政治的な死のもう 一つの例であると論じている[2]。

イラーナ・フェルドマンは、長期的な避難生活におけるパレスチナ難民の経験を例として挙げている。彼女のエスノグラフィックな仕事の中で、多くのインタ ヴュイーが、悪いリーダーシップ、難民キャンプでの貧弱なサービス、国際的な支援の欠如が組み合わさり、集団的な絶望的な風土をもたらしたことを語ってい る[12]。
Living death

Mbembe's understanding of sovereignty, according to which the living are characterized as "free and equal men and women," informs how he expands the definition of necropolitics to include not only individuals experiencing death, but also experiencing social or political death.[2] An individual unable to set their own limitations due to social or political interference is then considered, by Mbembe, to not be truly alive, as they are no longer sovereign over their own body.[2] The ability for a state to subjugate populations so much so that they do not have the liberty of autonomy over their lives is an example of necropolitics. This creates zones of existence for the living dead, those who no longer have sovereignty over their own body.[1] R. Guy Emerson writes that necropolitics exists beyond the limits of administrative or state power being imposed on bodies, but also becomes internalized, coming to control behaviors over fear of death or fear of exposure to death worlds.[10]

Frédéric Le Marcis discusses how the contemporary African prison system acts as an example of necropolitics.[11] Referring to the concept of living death as "stuckness", Le Marcis details life in prison as a state-sponsored creation of death; some examples he provides include malnourishment through a refusal to feed inmates, a lack of adequate healthcare, and the excusing of certain violent actions between inmates.[11] Racism, discussed by Foucault as an integral component of wielding biopower, is also present in Le Marcis' discussion of the necropolitical prison system, specifically regarding the ways in which murder and suicide are often overlooked among inmates.[11] Mbembe also contends that matters of homicide and suicide within state-governed institutions housing "less valuable" members of the necroeconomy are simply another example of social or political death.[2]

Ilana Feldman brings as an example the experience of Palestinian refugees in the situation of prolonged displacement. In her ethnographic work, a number of interviewees share how the combination of bad leadership, poor services in refugee camps and lack of international support resulted in a collective climate of hopelessness.[12]




生ける死
ムベンベの主権論によれば、生者は「自由かつ平等な男女」と特徴づけられる。この考えに基づき、彼はネクロポリティクスの定義を拡大し、死を経験する個人 だけでなく、社会的あるいは政治的な死を経験する個人もその対象に含めている。[2] 社会的あるいは政治的な干渉により自らの限界を設定できない個人は、もはや自身の身体に対する主権を持たないため、ムベンベによれば真に生きているとは見 なされない。[2] 国家が国民を支配し、彼らが自らの生活に対する自律の自由を持たない状態に追い込む能力は、ネクロポリティクスの一例である。これにより、もはや自身の身 体に対する主権を持たない「生ける死者」のための存在領域が生み出される。[1] R・ガイ・エマーソンは、ネクロポリティクスが身体に課される行政的・国家的権力の限界を超えて存在し、さらに内面化され、死への恐怖や死の世界への曝露 への恐怖を通じて行動を支配するようになると述べている。[10]

フレデリック・ル・マルシスは、現代のアフリカの刑務所制度がいかにネクロポリティクスの一例として機能するかを論じている。[11] ル・マルシスは「生ける死」という概念を「停滞」と表現し、刑務所での生活を国家が後押しする死の創造として詳述している。彼が挙げる例には、受刑者への 食事提供の拒否による栄養失調、適切な医療の欠如、受刑者間の特定の暴力行為の黙認などが含まれる。[11] フーコーがバイオパワーの行使に不可欠な要素として論じた人種主義は、ル・マルシスのネクロポリティカルな刑務所制度に関する議論、特に受刑者間の殺人や 自殺がしばしば見過ごされるという点においても現れている。[11] ムベンベもまた、ネクロエコノミーの「価値の低い」構成員を収容する国家統治下の施設内における殺人や自殺の問題は、単に社会的あるいは政治的な死のもう 一つの例に過ぎないと主張する。[2]

イラナ・フェルドマンは、長期にわたる避難生活を余儀なくされているパレスチナ難民の体験を例として挙げている。彼女の民族誌的研究において、多くのイン タビュー対象者が、指導力の欠如、難民キャンプにおけるサービスの不備、そして国際的な支援の欠如が相まって、集団的な絶望感を生み出したと語っている。 [12]


Queer and trans necropolitics

See also: Pinkwashing (LGBTQ)
Jasbir Puar coined the term queer necropolitics to analyze the post-9/11 queer outrage regarding gay bashing and simultaneous queer complicity with Islamophobia.[4] Through Mbembe's discussions, Puar addresses the dismissal of racism within the LGBTQ+ community as a form of assimilation and of distancing away from non-normative populations who are generally affected by necropolitics.[4] Puar's research specifically focuses on the notion that "the homosexual other is white, the racial other is straight," which discounts queer people of color and their worth as a population, and reinforces tolerance of harm towards them.[4] As a prime example of this, Puar brings up the Israeli colonization of Palestine, in which Israel uses its non-Palestinian LGBTQ+ population to project an image of itself as a "tolerant, diverse, and democractic society," in order to deflect people from examining its "dismal human rights record" (Pinkwashing (LGBTQ)).[4]

Many scholars use Puar's queer necropolitics in conjunction with Judith Butler's concept of a grievable life.[13] Butler's discussion of the HIV/AIDS epidemic specifically addresses the shortcomings of Foucault's concept of biopower for non-normative populations that experience multiple intersections of Other-ness.[13] Butler connects the lives of queer individuals to those of "war casualties that the United States inflicts," noting that these deaths cannot be publicly grieved unless the perpetrators regard their victims as noteworthy.[13] Butler claims that obituaries normalize the necropolitics of the lives of queer people and the lives of people of color.[13]

In "Trans Necropolitics: A Transnational Reflection on Violence, Death, and the Trans of Color Afterlife" Snorton and Haritaworn investigate the necropolitical nature of trans people of color's lives and examine the 'making dead' of trans people of color, and especially trans women of color, as an intentionally violent political strategy.[14]

Against trans and gender-diverse people
In the academic article Necropolitics and Trans Identities: Language Use as Structural Violence, authors Kinsey Stewart and Thomas Delgado argue that language can also harm the dead and that the use of language within medicolegal death investigation reflects and reinforces structural violence against transgender and gender diverse people.[15]
クィアとトランス・ネクロポリティクス

関連項目:ピンクウォッシング(LGBTQ)
ジャスビール・プアールは、「クィア・ネクロポリティクス」という用語を造語し、9.11同時多発テロ後のゲイバッシングに対するクィア層の怒りと、それ と同時に見られたイスラム嫌悪へのクィア層の加担を分析した。[4] プアールはムベンベの議論を通じて、LGBTQ+コミュニティ内における人種主義の軽視を、同化の一形態であり、一般的にネクロポリティクスの影響を受け る非規範的な集団からの距離を置く行為として論じている。[4] プアールの研究は特に、「同性愛者の他者は白人であり、人種的な他者は異性愛者である」という概念に焦点を当てている。これは、有色人種のクィアの人々と その集団としての価値を軽視し、彼らに対する危害への容認を強めるものである。[4] その代表的な例として、プアールはイスラエルによるパレスチナ植民地化を取り上げている。そこではイスラエルが、非パレスチナ系のLGBTQ+人口を利用 して、「寛容で多様性があり民主的な社会」というイメージを投影し、自国の「悲惨な人権記録」への検証をそらそうとしている(ピンクウォッシング (LGBTQ))。[4]

多くの研究者は、プアールの「クィア・ネクロポリティクス」を、ジュディス・バトラーの「悲しむに値する生命」という概念と組み合わせて用いている。 [13] バトラーによるHIV/エイズ流行に関する議論は、特に、複数の「他者性」の交差を経験する非規範的な集団に対して、フーコーの「バイオパワー」概念が抱 える欠点を指摘している。[13] バトラーは、クィアな個人の命を「米国が引き起こす戦争の犠牲者」の命と結びつけ、加害者が被害者を注目に値する存在と見なさない限り、これらの死は公に 悼まれることはないと指摘している。[13] バトラーは、死亡記事がクィアな人々や有色人種の命に対するネクロポリティクスを正常化していると主張する。[13]

「トランス・ネクロポリティクス:暴力、死、そして有色人種のトランス・アフターライフに関するトランスナショナルな考察」において、スノートンとハリタ ウォーンは、有色人種のトランスジェンダーの人々の生命が持つネクロポリティカルな性質を調査し、有色人種のトランスジェンダーの人々、特に有色人種のト ランス女性に対する「死への仕立て上げ」を、意図的な暴力的な政治戦略として検証している。[14]

トランスおよびジェンダー・ダイバーシティを持つ人々に対する
学術論文『ネクロポリティクスとトランス・アイデンティティ:構造的暴力としての言語使用』において、著者キンジー・スチュワートとトーマス・デルガド は、言語が死者をも傷つける可能性があり、法医学的死因調査における言語の使用が、トランスジェンダーおよびジェンダー・ダイバーシティを持つ人々に対す る構造的暴力を反映し、強化していると論じている。[15]
Further developments

Khaled Al-Kassimi, the author of International Law, Necropolitics, and Arab Lives,[16] recently expanded the theoretical framework of necropolitics by engaging in an epistemic inquiry to deconstruct the philosophical and theological reasons as to why Western modernity necessitates deploying "necropower" for onto-epistemic coherence.[17] In doing so, Al-Kassimi mentions that while racism is a material explanation to the exercise of necropolitics, it is the epistemic schism between both "spiritual Arabia" and "secular Europe" that demands the latter to "ban" the former from the juridical order and render them the "living-dead".[17]

By navigating Latin-European scholastics in the 15th century, including the positivist juridical turn during and after the Enlightenment period, Al-Kassimi concludes that "Arab epistemology emphasiz[ing] the spiritual rather than simply the material"[17] requires "secular" Western modernity to demand the elevation of Arab subjects to the exception and rendering them through technologies of racism and essentialist narratives as "bare-life", "Muselmann", or the "living-dead"; that is, objects of sovereign necropower.[17]
さらなる展開

『国際法、ネクロポリティクス、そしてアラブ人の命』[16]の著者であるハレド・アル=カシミは、最近、西洋の近代性が存在論的・認識論的な整合性を保 つために「ネクロパワー」の行使を必然とする理由について、その哲学的・神学的根拠を解体する認識論的探究を行うことで、ネクロポリティクスの理論的枠組 みを拡張した。[17] その過程でアル=カシミは、人種主義がネクロポリティクスの行使に対する物質的な説明である一方で、後者が前者を法秩序から「排除」し、「生ける死者」と することを要求するのは、「精神的なアラビア」と「世俗的なヨーロッパ」との間の認識論的断絶によるものであると述べている。[17]

15世紀のラテン・ヨーロッパのスコラ学、および啓蒙時代とその後の実証主義的法的転換を考察した結果、アル=カシミは、「単に物質的なものよりも精神的 なものを重視する」[17]アラブの認識論が、「世俗的」な西洋近代に対し、アラブの主体を例外へと昇格させ、人種主義の技術や本質主義的ナラティブを通 じて彼らを「裸の生命」、 「ムスルマン」、あるいは「生ける死者」、すなわち主権的ネクロパワーの対象として描くことを必要としていると結論づけている。[17]
Moral hazard
Brinkmanship
Desecration of graves
Israeli razing of cemeteries in the Gaza Strip
List of ways people dishonor the dead
++++++++++++++
01. Mbembe, Achille (October 2019) [2016]. Necropolitics [Politiques de l'inimitié]. Translated by Corcoran, Steve. Durham: Duke University Press. ISBN 978-1-4780-0651-0.
 Mbembe, Achille (2003). "Necropolitics" (PDF). Public Culture. 15 (1): 11–40. doi:10.1215/08992363-15-1-11. Archived from the original (PDF) on 2015-10-10.
 Foucault, Michel (1978). The Will to Knowledge: The History of Sexuality Volume I. London: Penguin. ISBN 0-14-012474-8.
 Puar, Jasbir K. (2007). Terrorist assemblages: homonationalism in queer times. Durham: Duke University Press. pp. 32–79. ISBN 9780822340942.
05. Bratich, Jack Z. (2022). On microfascism : gender, war, and death. Brooklyn, NY. p. 10. ISBN 978-1-94217-349-6.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 754. doi:10.1086/521568. S2CID 161102783. The phrase slow death refers to the physical wearing out of a population and the deterioration of people in that population that is very nearly a defining condition of their experience and historical existence.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 761.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 762.
 "Necropolitics - ECPS".
10. Guy Emerson, R. (2019). Necropolitics: Living Death in Mexico. Springer. pp. 2–3. ISBN 9783030123024.
 Le Marcis, Frédéric (2019). "Life in a Space of Necropolitics: Toward an Economy of Value in Prisons". Ethnos. 84 (1): 74–95. doi:10.1080/00141844.2018.1428207. S2CID 217508904.
 Feldman, Ilana (October 2018). Life Lived in Relief. The University of California Press. ISBN 9780520299634.
 Butler, Judith (2004). Precarious life: the powers of mourning and violence. London: Verso. pp. 20–35. ISBN 978-1844670055.
 C. Riley Snorton; Jin Haritaworn (2013). "Trans Necropolitics: A Transnational Reflection on Violence, Death, and the Trans of Color Afterlife". In Susan Stryker; Aren Aizura (eds.). Transgender Studies Reader (2nd ed.). New York: Routledge.
15. Stewart, Kinsey B.; Delgado, Thomas A. (2023). "Necropolitics and Trans Identities: Language Use as Structural Violence". Humans. 3 (2): 106–125. doi:10.3390/humans3020010.
 "Khaled Al-Kassimi - Routledge & CRC Press Author Profile". www.routledge.com. Retrieved 2024-03-07.
17. Al-Kassimi, Khaled (2022-10-27). International Law, Necropolitics, and Arab Lives: The Legalization of Creative Chaos in Arabia. London: Routledge. doi:10.4324/9781003306375. ISBN 978-1-003-30637-5.
モラルハザード
瀬戸際外交
墓の冒涜
イスラエルによるガザ地区の墓地破壊
死者の名誉を傷つける方法
++++++++++++++
01. ムベンベ、アシル(2019年10月)[2016]。『ネクロポリティクス』[Politiques de l'inimitié]。スティーブ・コーコラン訳。ダーラム:デューク大学出版局。ISBN 978-1-4780-0651-0。
ムベンベ、アシル(2003年)。「ネクロポリティクス」(PDF)。『パブリック・カルチャー』。15 (1): 11–40. doi:10.1215/08992363-15-1-11. 2015年10月10日にオリジナル(PDF)からアーカイブされた。
フーコー、ミシェル(1978)。『知識への意志:性の歴史 第1巻』。ロンドン:ペンギン。ISBN 0-14-012474-8。
 プアール、ジャスビル・K.(2007)。『テロリスト・アセンブラージュ:クィアな時代におけるホモナショナリズム』。ダーラム:デューク 大学出版局。pp. 32–79。ISBN 9780822340942.
05. ブラティッチ、ジャック・Z. (2022). 『マイクロファシズムについて:ジェンダー、戦争、そして死』. ニューヨーク州ブルックリン. p. 10. ISBN 978-1-94217-349-6.
 バーラント、ローレン (2007年夏). 「スロー・デス」. 『クリティカル・インクワイアリー』. 33 (4): 754. doi:10.1086/521568. S2CID 161102783. 「スロー・デス」という語句は、ある集団の身体的な消耗と、その集団に属する人々の衰弱を指し、それは彼らの経験と歴史的存続を定義づける条件に極めて近 いものである。
バーラント、ローレン(2007年夏)。「スロー・デス」。『クリティカル・インクワイアリー』。33 (4): 761.
 バーラント、ローレン(2007年夏)。「スロー・デス」。『クリティカル・インクワイアリー』。33 (4): 762.
 「ネクロポリティクス - ECPS」。
10. ガイ・エマーソン, R. (2019). 『ネクロポリティクス:メキシコにおける生ける死』. スプリンガー. pp. 2–3. ISBN 9783030123024.
 ル・マルシス, フレデリック (2019). 「ネクロポリティクスの空間における生活:刑務所における価値の経済学に向けて」. 『エトノス』. 84 (1): 74–95. doi:10.1080/00141844.2018.1428207. S2CID 217508904.
 フェルドマン、イラナ(2018年10月)。『救済の中で生きる人生』。カリフォルニア大学出版局。ISBN 9780520299634。
バトラー、ジュディス(2004年)。『プレカリアス・ライフ:喪と暴力の力』。ロンドン:ヴェルソ。pp. 20–35。ISBN 978-1844670055。
 C. ライリー・スノートン;ジン・ハリタウォーン(2013年)。「トランス・ネクロポリティクス:暴力、死、そして有色人種のトランス・アフターライフに関 するトランスナショナルな考察」。スーザン・ストライカー、アレン・アイズラ(編)。『トランスジェンダー・スタディーズ・リーダー』(第2版)。ニュー ヨーク:ラウトリッジ。
15. スチュワート、キンジー・B.;デルガド、トーマス・A.(2023)。「ネクロポリティクスとトランス・アイデンティティ:構造的暴力としての言語使 用」。『ヒューマンズ』。3 (2): 106–125. doi:10.3390/humans3020010.
「Khaled Al-Kassimi - Routledge & CRC Press 著者プロフィール」。www.routledge.com。2024年3月7日閲覧。
17. アル=カシミ、カレド(2022年10月27日)。『国際法、ネクロポリティクス、そしてアラブの命:アラビアにおける創造的カオスの合法化』。ロンド ン:ラウトリッジ。doi:10.4324/9781003306375。ISBN 978-1-003-30637-5。
https://en.wikipedia.org/wiki/Necropolitics
Further reading
Geller, P.L. (2021). "What Is Necropolitics?". In: Theorizing Bioarchaeology. Bioarchaeology and Social Theory. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-030-70704-0_5
Rouse, C.M. (2021). "Necropolitics versus Biopolitics: Spatialization, White Privilege, and Visibility during a Pandemic". In: Journal of Cultural Anthropology. Vol. 36, No. 3. https://doi.org/10.14506/ca36.3.03
追加文献(さらに読む)
Geller, P.L. (2021). 「ネクロポリティクスとは何か?」。『Theorizing Bioarchaeology. Bioarchaeology and Social Theory』所収。Springer, Cham。https://doi.org/10.1007/978-3-030-70704-0_5
Rouse, C.M. (2021). 「ネクロポリティクス対バイオポリティクス:パンデミック下における空間化、白人特権、そして可視性」. 『Journal of Cultural Anthropology』第36巻第3号. https://doi.org/10.14506/ca36.3.03
Repatriations of dead African bodies, ritualistic reburials, and commemorative practices of remembering bodies elaborate African practices of cultural memory and collective identification. The repatriations of the bodily remains of Sarah Baartman, the so-called ‘Hottentot Venus’, from France to South Africa, and ‘El Negro’ from Spain to Botswana, are emblematic and define instances of such African dramas. This article interrogates these embodied rituals and examines their relevance to the diaspora experience. It seeks to theorise an African-centered conceptualisation of the notion of diaspora, by using the term ‘diasporic returns’ to explore the non-slave exchange of black bodies. It also examines contemporary theatrical moments of trafficking African cultural practices using the critical tools of performance theory, anthropology and ethnography.

Rapoo, Connie (June 2011). "'Just give us the bones!': theatres of African diasporic returns". Critical Arts. 25 (2): 132–149. doi:10.1080/02560046.2011.569057
アフリカの死体の返還、儀式的な再埋葬、そして死体を記憶する記念の実 践は、文化的記憶と集団的同一性のアフリカ的実践を精巧に表現している。いわゆる「ホッテントットのヴィーナス」であるサラ・バートマンの遺体のフランス から南アフリカへの送還や、「エル・ネグロ」のスペインからボツワナへの送還は、そのようなアフリカのドラマを象徴し、定義づける事例である。本稿では、 これらの具体化された儀式を問い直し、ディアスポラ体験との関連性を検証する。ディアスポラという概念のアフリカ中心の概念化を理論化しようとするもの で、「ディアスポリック・リターン」という用語を用いて、黒人の身体の非奴隷的交換を探求する。また、パフォーマンス理論、人類学、民族誌学の批評ツール を用いて、アフリカ文化の実践を売買する現代の演劇的瞬間を検証する。
References

Wikiquote has quotations related to Necropolitics.
01. Mbembe, Achille (October 2019) [2016]. Necropolitics [Politiques de l'inimitié]. Translated by Corcoran, Steve. Durham: Duke University Press. ISBN 978-1-4780-0651-0.
 Mbembe, Achille (2003). "Necropolitics" (PDF). Public Culture. 15 (1): 11–40. doi:10.1215/08992363-15-1-11. Archived from the original (PDF) on 2015-10-10.
 Foucault, Michel (1978). The Will to Knowledge: The History of Sexuality Volume I. London: Penguin. ISBN 0-14-012474-8.
 Puar, Jasbir K. (2007). Terrorist assemblages: homonationalism in queer times. Durham: Duke University Press. pp. 32–79. ISBN 9780822340942.
05. Bratich, Jack Z. (2022). On microfascism : gender, war, and death. Brooklyn, NY. p. 10. ISBN 978-1-94217-349-6.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 754. doi:10.1086/521568. S2CID 161102783. The phrase slow death refers to the physical wearing out of a population and the deterioration of people in that population that is very nearly a defining condition of their experience and historical existence.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 761.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 762.
 "Necropolitics - ECPS".
10. Guy Emerson, R. (2019). Necropolitics: Living Death in Mexico. Springer. pp. 2–3. ISBN 9783030123024.
 Le Marcis, Frédéric (2019). "Life in a Space of Necropolitics: Toward an Economy of Value in Prisons". Ethnos. 84 (1): 74–95. doi:10.1080/00141844.2018.1428207. S2CID 217508904.
 Feldman, Ilana (October 2018). Life Lived in Relief. The University of California Press. ISBN 9780520299634.
 Butler, Judith (2004). Precarious life: the powers of mourning and violence. London: Verso. pp. 20–35. ISBN 978-1844670055.
 C. Riley Snorton; Jin Haritaworn (2013). "Trans Necropolitics: A Transnational Reflection on Violence, Death, and the Trans of Color Afterlife". In Susan Stryker; Aren Aizura (eds.). Transgender Studies Reader (2nd ed.). New York: Routledge.
15. Stewart, Kinsey B.; Delgado, Thomas A. (2023). "Necropolitics and Trans Identities: Language Use as Structural Violence". Humans. 3 (2): 106–125. doi:10.3390/humans3020010.
 "Khaled Al-Kassimi - Routledge & CRC Press Author Profile". www.routledge.com. Retrieved 2024-03-07.
17. Al-Kassimi, Khaled (2022-10-27). International Law, Necropolitics, and Arab Lives: The Legalization of Creative Chaos in Arabia. London: Routledge. doi:10.4324/9781003306375. ISBN 978-1-003-30637-5.
参考文献

ウィキクォートにはネクロポリティクス(Necropolitics)に関 する引用がある。
01. ムベンベ、アキレ (2019年10月) [2016年]. 『ネクロポリティクス』 [Politiques de l'inimitié]. スティーブ・コークラン訳. デュラム: デューク大学出版局. ISBN 978-1-4780-0651-0.
ムベンベ、アキレ(2003年)。「ネクロポリティクス」(PDF)。『パブリック・カルチャー』15巻1号:11–40頁。doi: 10.1215/08992363-15-1-11。2015年10月10日にオリジナル(PDF)からアーカイブ。
フーコー、ミシェル(1978)。『知識への意志:性の歴史 第一巻』。ロンドン:ペンギン。ISBN 0-14-012474-8。
プアール、ジャスビル・K.(2007)。『テロリスト・アサンブラージュ:クィアな時代におけるホモナショナリズム』。ダーラム:デューク大学出版局。 pp. 32–79。ISBN 9780822340942。
05. ブラティッチ、ジャック・Z. (2022). 『マイクロファシズムについて:ジェンダー、戦争、そして死』. ニューヨーク州ブルックリン. p. 10. ISBN 978-1-94217-349-6.
バーラント、ローレン (2007年夏). 「緩慢な死」. 『クリティカル・インクワイアリー』. 33 (4): 754. doi:10.1086/521568. S2CID 161102783. 「緩慢な死」という表現は、集団の身体的消耗と、その集団に属する人々の衰退を指す。これは彼らの経験と歴史的存在をほぼ定義づける状態である。
バーラント、ローレン(2007年夏)。「スロー・デス」。『クリティカル・インクワイアリー』。33巻4号:761頁。
バーラント、ローレン(2007年夏)。「スロー・デス」。『クリティカル・インクワイアリー』。33巻4号:762頁。
「ネクロポリティクス - ECPS」
10. ガイ・エマーソン, R. (2019). 『ネクロポリティクス:メキシコにおける生ける死』. スプリンガー. pp. 2–3. ISBN 9783030123024.
ル・マルシ, フレデリック (2019). 「ネクロポリティクスの空間における生命:刑務所における価値の経済学に向けて」. Ethnos. 84 (1): 74–95. doi:10.1080/00141844.2018.1428207. S2CID 217508904.
フェルドマン、イラナ (2018年10月). 『救済の中で生きる』. カリフォルニア大学出版局. ISBN 9780520299634。
バトラー、ジュディス(2004)。『不安定な生命:哀悼と暴力の力』。ロンドン:ヴェルソ。pp. 20–35。ISBN 978-1844670055。
C. ライリー・スノートン;ジン・ハリタウォーン(2013)。「トランス・ネクロポリティクス:暴力、死、そしてトランス・オブ・カラーの死後の世界に関す るトランスナショナルな考察」. スーザン・ストライカー; アレン・アイズラ (編). 『トランスジェンダー研究読本』 (第2版). ニューヨーク: ラウトリッジ.
15. スチュワート, キンジー・B.; デルガド, トーマス・A. (2023). 「ネクロポリティクスとトランス・アイデンティティ:構造的暴力としての言語使用」『Humans』3巻2号:106–125頁。doi: 10.3390/humans3020010。
「Khaled Al-Kassimi - Routledge & CRC Press 著者プロフィール」www.routledge.com。2024年3月7日閲覧。
17. アル=カシミ、カレド(2022年10月27日)。『国際法、ネクロポリティクス、そしてアラブの生活:アラビアにおける創造的混沌の合法化』。ロンド ン:ラウトレッジ。doi:10.4324/9781003306375。ISBN 978-1-003-30637-5。
Further reading
Geller, P.L. (2021). "What Is Necropolitics?". In: Theorizing Bioarchaeology. Bioarchaeology and Social Theory. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-030-70704-0_5
Rouse, C.M. (2021). "Necropolitics versus Biopolitics: Spatialization, White Privilege, and Visibility during a Pandemic". In: Journal of Cultural Anthropology. Vol. 36, No. 3. https://doi.org/10.14506/ca36.3.03
追加文献(さらに読む)
Geller, P.L. (2021). 「ネクロポリティクスとは何か?」. 『生物考古学の理論化:生物考古学と社会理論』. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-030-70704-0_5
ラウス、C.M.(2021)。「ネクロポリティクス対バイオポリティクス:パンデミック下における空間化、白人特権、可視性」。『文化人類学ジャーナ ル』第36巻第3号。https://doi.org/10.14506/ca36.3.03
References

01. Mbembe, Achille (October 2019) [2016]. Necropolitics [Politiques de l'inimitié]. Translated by Corcoran, Steve. Durham: Duke University Press. ISBN 978-1-4780-0651-0.
 Mbembe, Achille (2003). "Necropolitics" (PDF). Public Culture. 15 (1): 11–40. doi:10.1215/08992363-15-1-11. Archived from the original (PDF) on 2015-10-10.
 Foucault, Michel (1978). The Will to Knowledge: The History of Sexuality Volume I. London: Penguin. ISBN 0-14-012474-8.
 Puar, Jasbir K. (2007). Terrorist assemblages: homonationalism in queer times. Durham: Duke University Press. pp. 32–79. ISBN 9780822340942.
 Bratich, Jack Z. (2022). On microfascism : gender, war, and death. Brooklyn, NY. p. 10. ISBN 978-1-94217-349-6.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 754. doi:10.1086/521568. S2CID 161102783. The phrase slow death refers to the physical wearing out of a population and the deterioration of people in that population that is very nearly a defining condition of their experience and historical existence.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 761.
 Berlant, Lauren (Summer 2007). "Slow Death". Critical Inquiry. 33 (4): 762.
 "Necropolitics - ECPS".
10. Guy Emerson, R. (2019). Necropolitics: Living Death in Mexico. Springer. pp. 2–3. ISBN 9783030123024.
 Le Marcis, Frédéric (2019). "Life in a Space of Necropolitics: Toward an Economy of Value in Prisons". Ethnos. 84 (1): 74–95. doi:10.1080/00141844.2018.1428207. S2CID 217508904.
 Feldman, Ilana (October 2018). Life Lived in Relief. The University of California Press. ISBN 9780520299634.
 Butler, Judith (2004). Precarious life: the powers of mourning and violence. London: Verso. pp. 20–35. ISBN 978-1844670055.
 C. Riley Snorton; Jin Haritaworn (2013). "Trans Necropolitics: A Transnational Reflection on Violence, Death, and the Trans of Color Afterlife". In Susan Stryker; Aren Aizura (eds.). Transgender Studies Reader (2nd ed.). New York: Routledge.
 Stewart, Kinsey B.; Delgado, Thomas A. (2023). "Necropolitics and Trans Identities: Language Use as Structural Violence". Humans. 3 (2): 106–125. doi:10.3390/humans3020010.
 "Khaled Al-Kassimi - Routledge & CRC Press Author Profile". www.routledge.com. Retrieved 2024-03-07.
17. Al-Kassimi, Khaled (2022-10-27). International Law, Necropolitics, and Arab Lives: The Legalization of Creative Chaos in Arabia. London: Routledge. doi:10.4324/9781003306375. ISBN 978-1-003-30637-5.
参考文献

01. ムベンベ、アキレ(2019年10月)[2016年]。『ネクロポリティクス』[原題:Politiques de l'inimitié]。スティーブ・コークラン訳。ダーラム:デューク大学出版局。ISBN 978-1-4780-0651-0。
ムベンベ、アキレ(2003年)。「ネクロポリティクス」(PDF)。『パブリック・カルチャー』15巻1号:11–40頁。doi: 10.1215/08992363-15-1-11。2015年10月10日にオリジナル(PDF)からアーカイブ。
フーコー、ミシェル(1978)。『知識への意志:性の歴史 第一巻』。ロンドン:ペンギン。ISBN 0-14-012474-8。
プアール、ジャスビル・K.(2007)。『テロリストの集合体:クィアな時代におけるホモナショナリズム』。ダーラム:デューク大学出版局。pp. 32–79。ISBN 9780822340942。
ブラティッチ、ジャック・Z.(2022)。『マイクロファシズムについて:ジェンダー、戦争、そして死』。ニューヨーク州ブルックリン。p. 10。ISBN 978-1-94217-349-6。
バーラント、ローレン(2007年夏)。「緩慢な死」. 『クリティカル・インクワイアリー』. 33 (4): 754. doi:10.1086/521568. S2CID 161102783. 「緩慢な死」という表現は、集団の身体的消耗と、その集団に属する人々の衰退を指す。これは彼らの経験と歴史的存在をほぼ定義づける状態である。
バーラント、ローレン(2007年夏)。「スロー・デス」。『クリティカル・インクワイアリー』。33巻4号:761頁。
バーラント、ローレン(2007年夏)。「スロー・デス」。『クリティカル・インクワイアリー』。33巻4号:762頁。
「ネクロポリティクス - ECPS」
10. ガイ・エマーソン, R. (2019). 『ネクロポリティクス:メキシコにおける生ける死』. スプリンガー. pp. 2–3. ISBN 9783030123024.
ル・マルシス, フレデリック (2019). 「ネクロポリティクスの空間における生命:刑務所における価値の経済学に向けて」. Ethnos. 84 (1): 74–95. doi:10.1080/00141844.2018.1428207. S2CID 217508904.
フェルドマン、イラナ (2018年10月). 『救済の中で生きる人生』. カリフォルニア大学出版局. ISBN 9780520299634。
バトラー、ジュディス(2004)。『不安定な生命:哀悼と暴力の力』。ロンドン:ヴェルソ。pp. 20–35。ISBN 978-1844670055。
C. ライリー・スノートン;ジン・ハリタウォーン(2013)。「トランス・ネクロポリティクス:暴力、死、そしてトランス・オブ・カラーの死後の世界に関す るトランスナショナルな考察」. スーザン・ストライカー; アレン・アイズラ (編). トランスジェンダー研究読本 (第2版). ニューヨーク: ラウトリッジ.
スチュワート, キンジー・B.; デルガド, トーマス・A. (2023). 「ネクロポリティクスとトランス・アイデンティティ:構造的暴力としての言語使用」『Humans』3巻2号:106–125頁。doi: 10.3390/humans3020010。
「Khaled Al-Kassimi - Routledge & CRC Press Author Profile」www.routledge.com。2024年3月7日閲覧。
17. アル=カシミ, カレド (2022年10月27日). 『国際法、ネクロポリティクス、そしてアラブの生活:アラビアにおける創造的混沌の合法化』. ロンドン: ラウトレッジ. doi:10.4324/9781003306375. ISBN 978-1-003-30637-5.
https://en.wikipedia.org/wiki/Necropolitics



★ネクロポリティクスに対する批判

ネクロポリティクスは主権者の遍在性についての議論には貢献する。しかしながら、この議論は、ネクロポリティクスに抵抗する対抗勢力や政治共同体に関する考察を見逃している可能性がある。これは、ムベンベが彼の著書『ネクロポリティクス』の中でフランツ・ファノンを多く引用し、影響を受けていると主張していると、すこし桔梗な感じがある。

☆ネクロポリティクスと例外状況


(再掲)ネクロポリティクスとは、バイオポリティクスにヒントを得て、アシル・ムベンベが 提唱した権力政治概念。具体的には(カール・シュミットジョルジョ・アガンベンの言う)例外状況において生と死を統治する主権者の権力のことである。

例外状況(State of Exeption
This concept is developed in Giorgio Agamben's book State of Exception (2005)[4] and Achille Mbembe's Necropolitics (2019).[5][6] Agamben investigates how the state of exception can become extended, for instance how the United States treated prisoners captured during the "war on terror", and Mbembe describes how the state of exception can be used to reduce people to precarity and justify violence and killing.
この概念[State of Exeption] は、ジョルジョ・アガンベンの著書『例外状態』(2005年)[4]およびアキレ・ムベンベの『ネクロポリティクス』(2019年)で展開されている。 [5][6] アガンベンは、例外状態がいかにして拡大し得るかを考察している。例えば、米国が「対テロ戦争」中に捕虜とした人々をいかに扱ったかといった点である。一 方、ムベンベは、例外状態がいかにして人々を不安定な状況に追い込み、暴力や殺害を正当化するのに利用され得るかを論じている。
04. State of Exception. uchicago.edu.[pdf]
 05. "Necropolitics 2003". Duke University Press.
 06. Mbembé, J. -A; Meintjes, Libby (2003). "Necropolitics 2019". Public Culture. 15 (1). Duke University Press: 11–40.
04. 『例外状態』。uchicago.edu。
 05. 『ネクロポリティクス 2003』。デューク大学出版局。
 06. Mbembé, J. -A; Meintjes, Libby (2003). 「ネクロポリティクス 2019」。『パブリック・カルチャー』。15 (1)。デューク大学出版局:11–40。
https://en.wikipedia.org/wiki/State_of_exception
State of Exeption

☆アーレント「全体主義の起源」より——人種主義は人類文明を崩壊に導き、人種は人類の始まりではなく人類の終わりだからだ

Racism may indeed carry out the doom of the Western world and, forthat matter, of the whole of human civilization. When Russians have become Slavs, when Frenchmen have assumed the role of commanders of a force noire, when Englishmen have turned into "white men," as already for adisastrous spell all Germans became Aryans, then this change will itself signify the end of Western man. For no matter what learned scientists maysay, race is, politically speaking, not the beginning of humanity but its end,not the origin of peoples but their decay, not the natural birth of man buthis unnatural death.
人種主義は、まさに西洋世界、ひいては人類文明全体の破滅を招くかもしれない。ロシア人がスラブ人となり、フランス人が「闇の力[force noire]」 の指揮官の役割を引き受け、イギリス人が「白人」へと変貌したとき――かつてドイツ人が悲惨な時期を経て皆アーリア人となったように――その変化そのもの が、西洋人の終焉を意味することになるだろう。なぜなら、どんなに博識な科学者が何と言おうと、人種とは、政治的に言えば、人類の始まりではなくその終わ りであり、諸民族の起源ではなくその衰退であり、人間の自然な誕生ではなくその不自然な死だからである。
帝国主義、第5章「ブルジョアジーの政治的解放」 アーレント「ブルジョアジーの政治的解放」(1958:157)[pdf]
L'expression « faire vivre ou rejeter dans la mort » fait référence à la transformation du pouvoir souverain classique, qui avait le droit de mort, en un pouvoir moderne de gestion de la vie (biopouvoir) qui décide qui est digne d'être maintenu en vie ou exclu, la mort n'étant plus seulement une peine, mais une conséquence de l'exclusion.
生かすか、死へと追いやるか」 という表現は、死の権限を有していた古典的な主権的権力が、誰を生かし続けるに値し、誰を排除すべきかを決定する現代的な生命管理の権力(バイオパワー [生権力])へと変容したことを指しており、死はもはや単なる刑罰[une peine]ではなく、排除[l'exclusion]の結果となった。
biopouvoir
生権力
Since the abolition of slavery, slave labor has become the subject of biopolitics
奴隷解放以降の奴隷的労働は生政治の対象になる
Labor is not the source of all wealth. Nature is just as much the source of use values (and it is surely of such that material wealth consists!) as labor, which itself is only the manifestation of a force of nature, human labor power. The above phrase is to be found in all children's primers and is correct insofar as it is implied that labor is performed with the appurtenant subjects and instruments. But a socialist program cannot allow such bourgeois phrases to pass over in silence the conditions that lone give them meaning. And insofar as man from the beginning behaves toward nature, the primary source of all instruments and subjects of labor, as an owner, treats her as belonging to him, his labor becomes the source of use values, therefore also of wealth. The bourgeois have very good grounds for falsely ascribing supernatural creative power to labor; since precisely from the fact that labor depends on nature it follows that the man who possesses no other property than his labor power must, in all conditions of society and culture, be the slave of other men who have made themselves the owners of the material conditions of labor. He can only work with their permission, hence live only with their permission.
労働はすべての富の源泉ではない。自然は、労働と同様に使用価値の源泉 であり(物質的富とはまさにそのようなもので構成されている!)、労働そのものは、 自然の力である人間の労働力の現れにすぎない。上記の言葉はあらゆる児童用初等読本に見られるものであり、労働がそれに付随する主体と道具を用いて行われ ることが暗に示されている限りにおいて、正しい。しかし、社会主義の綱領において、そのようなブルジョア的な決まり文句が、それらに意味を与える唯一の条 件を黙殺することを許してはならない。そして、人間が当初から、あらゆる労働の道具や対象の第一の源泉である自然に対して所有者として振る舞い、自然を自 分の所有物として扱う限りにおいて、その労働は使用価値の源泉となり、ひいては富の源泉となるのである。ブルジョワが労働に超自然的な創造力を誤って帰属 させるのには、極めて妥当な根拠がある。なぜなら、労働が自然に依存しているという事実そのものから、労働力以外の財産を持たない人間は、いかなる社会 的・文化的状況においても、労働の物的条件を自らの所有物とした他の人間の奴隷にならざるを得ないことが導かれるからである。彼は彼らの許可があって初め て働くことができ、したがって彼らの許可があって初めて生きることができるのである。
Karl Marx, Critique of the Gotha Programme I.
マルクス「ゴータ綱領批判」

Radical Philosophy



RP 2.20 is out!!! To commemorate the 100th birth anniversary last year of Frantz Fanon, the issue features a dossier on the Fanon-Tosquelles relationship containing a translated piece on Fanon by Tosquelles, an interview with Fanon's collaborator Alice Cherki, RP collective member Lucie Mercier on 'Saint-Alban's contested legacy', and Elena Vogman on Fanon's notion of the geo-somatic unconscious.

★暗黒人類学(dark anthropology)

Dark anthropology is a theoretical approach developed since the 1980s that focuses on the harsh, oppressive dimensions of social life, including power, inequality, and systemic domination. Coined by Sherry Ortner, it studies how these structures cause despair, depression, and suffering, often in the context of neoliberalism, highlighting the darker sides of human experience rather than focusing on resilience or "the good".
ダーク・アンソロポロジーとは、1980年代以降に発展した理論的アプ ローチであり、権力、不平等、制度的な支配など、社会生活の過酷で抑圧的な側面に焦点を当てている。シェリー・オルトナーによって提唱されたこの概念は、 こうした構造が、しばしば新自由主義の文脈において、いかに絶望、抑うつ、苦痛を引き起こすかを研究するものであり、レジリエンスや「善」に焦点を当てる のではなく、人間の経験の暗い側面を浮き彫りにするものである。
Key Aspects of Dark Anthropology
ダーク・アンソロポロジーの主要な側面
Focus on Power & Suffering: It examines how structural violence, neoliberalism, and historical forces create suffering and limit human agency.
「権力と苦しみ」に焦点を当てる:構造的暴力、新自由主義、そして歴史的要因が、いかにして苦しみを生み出し、人間の主体性を制限するかを考察する。
Oppression over Agency: Ortner noted a shift where anthropology stopped focusing on how people creatively make culture (agency) to how they are broken by systems (suffering subjects).
主体性から抑圧へ:オルトナーは、人類学が、人々がいかに創造的に文化を形成するか(主体性)に焦点を当てることから、人々がシステムによっていかに打ち砕かれるか(苦悩する主体)に焦点を移すという変化を指摘した。
Neoliberal Critique: Much of this work investigates the "darkness" of economic and governmental transformations that increase inequality and produce precarious lives.
新自由主義批判:こうした研究の多くは、不平等を拡大させ、不安定な生活を招く経済的・政治的変容の「暗部」を検証している。
Difference from "Good" Anthropology: While dark anthropology centers on domination, it is often contrasted with "anthropologies of the good," which focus on ethics, morality, and happiness.
「善(good)」の人類学との違い:ダーク・アンソロポロジーは支配を核心とする一方で、倫理、道徳、幸福に焦点を当てる「善の人類学」と対比されることが多い。
Origins and Context
起源と背景
The "Turn" since the 1980s: This approach arose as a response to the rise of neoliberalism and a shift away from earlier optimistic or structural-functionalist viewpoints.
1980年代以降の「転換」:このアプローチは、新自由主義の台頭や、それまでの楽観主義的あるいは構造機能主義的な視点からの転換への反応として生まれた。
Reaction to Social Reality: It reflects a scholarly reaction to escalating global inequality, colonial legacies, and the harsh realities of neoliberal capitalism.
社会的現実への反応:これは、世界的な格差の拡大、植民地時代の遺産、そして新自由主義的資本主義の過酷な現実に対する学術的な反応を反映している。
Critiques and Nuance
批評とニュアンス
Risk of Neglect: Some critics suggest it may ignore positive changes, such as reduced mortality or poverty rates.
見落とされるリスク:一部の批判者は、死亡率や貧困率の低下といった前向きな変化が見過ごされる可能性があると指摘している。
Beyond "Misery Porn": Proponents, as mentioned in ProQuest, argue it is not mere "misery porn," but crucial critical ethnography designed to reveal and challenge the inner workings of power.
「ミザリー・ポルノ」を超えて:ProQuestで言及されているように、支持者たちは、これは単なる「ミザリー・ポルノ」ではなく、権力の内実を明らかにし、それに異議を唱えることを目的とした、極めて重要な批判的エスノグラフィーであると主張している。
Balancing Perspectives: Modern interpretations aim to integrate the analysis of power with a look at resistance and alternative futures.
視点のバランス: 現代的な解釈は、権力の分析と、抵抗や代替的な未来への考察とを統合することを目指している。
Google AI

Sherry B. Ortner, 2016. Dark anthropology and its others: Theory since the eighties. Journal of Ethnographic Theory.  Vol 6, No 1 (2016)

         

リ ンク

リンク

リンク

文 献

リンク

そ の他の情報

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099