四川メシ 中国料理オタク目線の四川料理
[日] 四川料理
[中] 四川菜/川菜
ここで紹介するのは中国の漢族の四川料理について。日本で改良された四川料理についてではない。
四川料理概要
四川料理は四川省と重慶市の料理。重慶市は元々四川省の一部で1997年に分離して直轄市となったが、伝統的に重慶の料理も四川料理と見做されている。
四川料理の特徴は辛さ。そのなかでも花椒の痺れ麻と唐辛子の辛さ辣が合わさった麻辣が特徴的。しかし、それだけではなく「百菜百味(百の料理に百の味)」「味在四川(味は四川にあり)」と言われる多彩な味つけがある。
実際は辛い料理だけでなく、辛く無い料理、甘い料理も多い。砂糖の消費量は全国平均を大きく上回る。国家統計局によると2023年の1人あたり砂糖消費量は、全国平均1.1kgに対し、四川は1.5kg、重慶に至っては2.2kgとなっている。
伝統的な稲作地帯で米が主食だが、麺や包子などの小麦粉食も多く食べられている。
カラシナの漬物「酸菜」(東北の白菜の漬物の酸菜とは別のもの)、及び、泡姜(ショウガ)や泡海椒(唐辛子)など各種の「泡菜」を料理に使う。また、飲食店では無料でセルフサービスの泡蘿蔔(大根)などの泡菜を置いているところが多い。泡菜の回転が悪いところは客が少なく、発酵が進み食べ頃を過ぎた泡菜が残るため、美味しい店かどうかは無料の泡菜で判別できると言われている。

臘肉(燻製肉)、香腸(ソーセージ)もよく使う。家庭で手作りする事も多い。

また四川では、兔がよく食べられることでも有名で、「四川を生きて出られる兔はいない(没有一只兔子能活着走出四川)」と言われている。
四川はパンダの生息地でもあり、パンダ型の点心や小吃等もよく目にする。

四川省、重慶市の概要
四川省、重慶市は中国西南に位置する。

四川省の省都は成都市、重慶市は直轄市となっている。四川省の面積は48.61万㎢、日本(37.8万㎢)の約1.3倍、重慶市の面積は8.24万㎢ で、北海道(8.34万㎢)とほぼ同じ。2024の統計によると、四川省の人口は約8,364万人、重慶市は約3,190万人、
人口は四川盆地に集中している。主な民族は漢族。四川省西部の山岳地帯にはチベット族、羌族、彝族などの、重慶市の山地には土家族、苗族などの少数民族が暮らすが人口は少ない。これらの少数民族の料理も四川料理と言えるが、ここでは割愛する。

省都の成都の気候は温暖湿潤。しかし、冬は比較的寒く0℃前後になる事もある。夏は30℃を超える事もある。一方、重慶は三大竈の一つで、夏は40℃を超える日もあり、蒸し暑い。こうした地理・気候条件の違いや産業の違いから四川料理の中でも辛さに違いが出た(下記『四川料理の下位分類』参照)。
四川省は豊かな穀倉地帯を抱える農業大省で、製造業、鉱業なども盛ん。一方、重慶市は山地が多く農業生産は少ないが、製造業が盛ん。
四川、重慶の歴史と食
四川と重慶は、古くは三星堆遺跡に代表される独自の古蜀文化を築いており、巴蜀と呼ばれた。巴は重慶一帯、蜀は成都一帯。古代中国の九州では梁州。戦国時代に秦が巴蜀を併呑し、中華世界に組み込まれた。紀元前3世紀に李冰親子が成都の西、治水・灌漑施設の都江堰を築いてから成都平野は肥沃な大地に生まれ変わった。
漢代には益州が置かれた。三国時代には蜀(蜀漢)が劉備(字玄徳)や諸葛亮(字孔明)が活躍した。この頃から豊かな四川は「天府」と言う別名で呼ばれ始めた。晋、五胡十六国時代を経て、唐の時代になると、サトウキビの重要な産地となった。四川料理といえば今では辛い料理の代表だが、当時は甘い料理が発展した。この頃「天府之国」と言う別名が固定した。安史の乱が起こると、玄宗は蜀に逃れ、多くの避難民も流入した。
唐が滅亡すると五代十国時代を経て、宋が中華を再統一し四川路を設置した。益州路、利州路,梓州路、夔州路を設置、これらは川峡四路や四川路と呼ばれるようになり、四川という名前が生まれた。一説には、省内の長江に注ぐ四つの川、岷江、沱江、涪江、大渡河に由来すると言われているが、中国ではこの説は支持されておらず、川峡四路が由来が定説になっている。
その後、モンゴルの元が勃興し中華世界に侵入すると四川は抗元の拠点として激しく抵抗したが、最終的には占領され、四川行省が設置された。
元末明初の動乱でも人口が著しく減少した。明が中国を再統一すると、江南から屯田兵を四川に送った。同様に貴州、雲南でも屯田が行われ、西南地域の開発が進み、江南の飲食文化も伝わった。
明末清初の動乱時にも四川の人口は減少、清朝は四川への移民を奨励し、湖広(湖北省、湖南省。広東省は含まない)から大量に四川に移住した。これを「湖広四川を填む)」と言う。広東の客家地域からも客家人が四川に移住して梅菜の製法を伝えた。四川を代表する調味料の豆瓣醤(豆板醤は日本特有の表記)の原型は、福建からの移民が一緒に持ってきた蚕豆が、長旅の途中発酵し、偶然生まれたと言われているが、この時点で中国では唐辛子はまだ食用ではなく(当時は観賞用だった。薬用とされた例も僅かにあった)、唐辛子は入っていなかった。胡椒は古くから中国に伝わっていたが当初は貴重で、明末に大量生産されるようになった。唐辛子は18世紀に隣りの貴州で使われるようになり、四川にも伝わった。
それまで辛味は花椒や茱萸などを使用していたが、花椒とともに胡椒や辣椒(唐辛子)の「三椒」が多用されるようになって、茱萸の使用量は減少した。19世紀中頃、唐辛子入りの豆瓣醤が開発された。
清から民国にかけて多くの代表料理が生まれた。成都では麻婆豆腐、夫妻肺片などが生まれ、重慶では火鍋、毛血旺などが生まれた。
一方、自貢では井塩が清の時代に大きく発展し、塩を扱う豪商が生まれ、料理が発展した。井塩を汲み上げるために牛が使われ、廃牛を食べるようになった。水煮牛肉はここで誕生した。担担麺も生まれ、後に成都で発展した。
また、1840年のアヘン戦争後に開港して以来、大発展を遂げた上海には、少なくない四川人の料理人が渡り、辛くない海派川菜が生まれた。
1937年に日中戦争が勃発し、南京が陥落すると、重慶は臨時首都として、中国各地から政治家、官僚、商人などが、お抱え料理人も連れて集まり、四川料理に影響を与えた。
1949年に中華人民共和国が誕生、大躍進、文化大革命などの混乱を経て、1980年に改革開放が始まると、重慶で江湖菜が発展するなど、四川料理も再び発展し始めた。
日本では戦後、陳建民氏が当時日本で手に入る食材で、日本人の嗜好に会った改造した四川料理を広めたので、日本で広く知られている四川料理と、本場の四川料理は異なる部分が大きい。
近年では、広東料理など他の菜系の調理法を取り入れたり、以前は使われなかった食材、例えば海鮮を取り入れたりする新しい四川料理「新派川菜」が登場し、発展を続けている。
四川料理の下位分類
一般的に言われているのは次の3分類。

上河幫: 四川省西部の平野部、成都、楽山など。別名は蓉派(蓉は成都の略称)。四川料理の中ではマイルドで辛くない。但し、楽山は下記の小河幫菜の特徴も併せ持つ。成都は四川の政治の中心として洗練された官府料理が発展した。また、一方では豊かな平野は庶民の暮らしを豊かにし下町料理も発展した。1970年代後半、下町の食堂は「蒼蠅館子」と呼ばれるようになり、当初はハエが飛んでいるような衛生状態がよく無い食堂という良く無い意味だったが、2000年代に下町の安くて美味しい食堂と言う良い意味に変化し、この言葉は全国で使われるようになった。
下河幫: 重慶市、四川省東部の山間部の川沿い。重慶、達州など。別名は渝派(渝は成都の略称)。
麻辣が際立つ。重慶の料理には江湖菜と呼ばれるカテゴリもある。重慶は長江と嘉陵江の合流点に位置し、夏は蒸し暑い事と、港湾労働者や船引きなど肉体労働者が多かった事から辛く味の濃い庶民の料理が発展した。
小河幫: 四川省南部、丘陵部。自貢、宜賓、蘆洲など。別名は塩幇菜。塩っぱく、四川料理で1番辛いと言われている。自貢は井塩の産地で、塩商が力を持ち、商人料理が発展した。また製塩労働者に塩分補給が必要だった事と、塩がふんだんに使えた事から塩っぱくなり、食欲増進のため唐辛子を多く使う庶民料理が発展した。この商人料理と庶民料理が融合し現在の塩幇菜を形成した。また清の時代には、塩井から塩水を汲み上げるのに、大量の牛が使われるようになり、労働できなくなった牛は食用に回されたため、牛肉料理が発展した。

四川料理の下位分類について、4分類や5分類を唱える人もいる。
4分類は成都を中心とする成都派。重慶、達州を中心とする重慶波。綿陽を中心とする綿陽派。自貢を中心とする自貢派。
5分類は成都を中心とする上河幫。重慶、達州を中心とする下河幫。南充、綿陽を中心とする小河幫(3分類の小河幫と異なる地域)。自貢、内江を中心とする自内幫。宜賓を中心とする大河幫。
主な四川料理(ごく一部)
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筆者と四川料理
30数年前、筆者が大連に語学留学した時に、当時、大連にも一部の四川料理が伝わっていて、家庭料理レストランで水煮牛肉を食べて麻辣味に衝撃を受けた。その後、北京に移り、四川人と仲良くなり、連れて行ってもらった四川省政府の北京駐在事務所内の食堂(駐京弁食堂)で食べた酸菜魚にも衝撃を受けた。こうして四川料理を意識するようになり、独身時代には四川や重慶に行って色々四川料理を食べたりしていた。
その後、北京出身の妻と結婚した。義母は生粋の北京人で、義父は成都出身、若い時に北京の大学に進学して以来、ずっと北京で暮らしていたが、筆者が妻と付き合い始めた時には故人となっていて、残念ながら会った事はない。筆者の中国で拠点は本来、北京にあり、昆明では所謂「旅居」をしている。北京にいる時は、複数ある四川の駐京弁食堂等にもよく行く。
さて、妻は成都に暮らす父方の従姉、従兄と仲が良い。従姉は、成都に行った時に、家で実践的に四川料理の作り方を教えてくれる。従兄は飲食店を経営しており、研究と趣味で、いつも食べ歩きをしているので成都はもちろん、楽山などの周辺地域や四川省南部にも詳しく、美味しい所に連れて行ってくれる。しかも彼らの母親は重慶出身で重慶料理も詳しい。2人とも四川料理を知る上で非常に有難い存在だ。
こういった背景のもと、筆者が食べてきた四川料理を紹介できればと思う。
