#562[短編]双子の卒業式──琥珀色の間・番外編
今を生きることを忘れた大人へ──春、教育実習先の生徒から手紙が届いた。卒業式で恩師を訪ねた大翔。 “原点” の物語。連載第21回。
1話、2話、番外編・大翔、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、6話、7話、番外編・爽子、8話、9話、10話、11話、番外編・大翔II、本稿、前半まとめ
※ 連載ですが、どのお話からも読めます。
大人の階段
──大人の階段はいつまで登るんだろう。
卒業して1年。学生の自分はここに置いたつもりでいた。
数日前に出身大学から電話があり、手紙が届いていると言われて久しぶりに大学に来た。
差出人は、三上結愛──
大翔が教育実習で訪ねた母校の、生徒だった。
高校二年だった三上が卒業する。
三上は運動部の部長で、母校は強豪校だった。三上がいると士気が上がる。負けの色が強くなる場面で多くの仲間を勇気づけ、形勢を逆転させたこともあった。皆、彼女についていけば大丈夫と思っていた。
大翔はあの頃の方がイキイキとしていたと、ため息をついた。就職したらバリバリ活躍する、そんな自分を思い浮かべては、期待に胸を膨らませていた。
でも実際には散々だ。ウマの合わない同僚、嫌な上司。詰めが甘い、想像力がない……。心が擦り切れて、煙草に手を出しても、うまく吸えなかった。初めての飲み会で嫌々ついて行った、夜のお店なんか少しも楽しいと思えなくて、うんざりだった。
どんなに夜が遅くても、朝は必ずやって来る。
朝活の時間をズラした所で、頭が痛くて何にも覚えられない。みんな、どうやって生き抜いたんだろう?
自分だけが、こんなに運が悪いんじゃないか。
呪われてるんじゃないかとさえ思えた。
◇
冬の寒さが残る正門の、緑色の蕾が春を告げる──
キャンパスは一年前と何も変わらず、学生の姿はなかった。
大翔はまっすぐに学生課へ向かった。
学籍番号と氏名を告げ、身分証を見せると、一通の手紙を手渡された。
──シンプルな白の封筒に、少し小さめの丸い文字で、大翔の学部と名前、差出人欄には住所と名前が書かれている。
カフェテリアで慎重に封を開け、ゆっくりと読み進めた。
三上は “卒業式に来てほしい“ と言って来た。
また大学に手紙が来ても困る。
部活のみんな、という条件つきで母校の原田先生に連絡を取った。
先生は快く訪問を引き受けてくれた。
遠い存在
職員玄関にいるスーツ姿の自分は、まるで不審者だと、大翔は思った。
上履きではない、スリッパで校内に入ることにも、妙な違和感があった。
所用で来た取引先だと、無理やり言い聞かせて講堂へ向かう。
原田先生は入口に近い席にいてくれて、迷わず着席できた。講堂は多くの保護者や教職員でざわついていた。大翔はそっとネクタイを整えた。
「新羽くん、今日はありがとう」
紺のスーツに和紙の花飾りをつけた先生を見て、ここが学校だという懐かしさを一度に引き寄せる。
先生は少し白髪が増えたように見えたが、相変わらず温和なままだった。
大翔が連絡して訪ねることになったのに、大翔を真っ先に労った。大翔は恥ずかしそうに、右手で頭を掻いた。
原田先生は高校三年の時の担任で、挨拶と礼儀、言葉遣いは特に厳しく指導された。この時、お辞儀の角度を習っていなければ、自分はいま会社で生き残れていないと話すと、先生はただ柔らかく笑うだけだった。
式が始まり、三上が卒業証書を受け取る。先生のお言葉に甘え、途中で講堂を後にした。校内見学してもよいと言われて、自分の教室の前を通った。
三上と今の自分は、あの頃と何が違うんだろう……。
母校はどこか遠い存在になっていた。
◇
廊下が騒がしくなり始めた。じきに生徒で溢れると思うと、急に現実に引き戻される。居場所がないように思えた大翔は、焦った。
職員室で原田先生の席を探し、書き置きをして母校を後にした。
柳の下で
風の強い午後、大翔は高校の脇の神社に来ていた。
青い池のほとりには満開の大漁桜と、白木蓮が咲き、風が吹くたびに水面に揺れていた。
お宮参りの家族連れや、合格祈願をした学生のお礼参りの姿を眺めるうちに、石段を上がってくる人影が見えた。三上だった。
三上は少しも息を切らさずに池までやってきた。先生久しぶり!と言って手を振る。証書ケースを持ち、髪は肩の下まで伸ばしていた。表情は明るく、前髪を横に流していたせいか、どこか少し大人びて見えた。小柄で元気のいい三上は後輩にも人気があった。
大翔は軽く会釈をして、少し歩こうと言って小さな庭園を指さした。三上は神社には立ち寄ったことが無いといった。実習を離れてからの学校生活、受験のことなどを話し終えた頃、大翔の方から切り出した。
「今日は呼んでくれてありがとう。久々にみんなの顔が見れて良かったよ」三上の笑顔がパッと華やいだ。
「先生のおかげです。あのスパルタがなければ私たち、勝てませんでした」大翔は小さく首を横に振って照れ笑いをし、三上たちが頑張ったからだと話した。
「ははは、先生か。今はただの会社員だけどね」大翔は照れ笑いをする。
そこで突然、三上が言った。
「先生。わたし、先生のことがずっと好きでした」
大翔は一瞬、何が起きたかわからず、完全にフリーズした。
◇
人の流れが切れた瞬間。三上は唐突に、でもはっきりと告げた。
「え…?どうして……?」
なんで今? 言葉を絞り出すのでいっぱいだった。実習期間は短かったが、確かに生徒たちとの時間は濃いものだった。
大翔は自分に隙があったのか、思わせぶりを言ったのかと内心は気が気ではなかった。すぐに切り戻して、三上に告げた。
「三上さん、ありがとう。でも僕は……」そこまで言った所で、勘のいい三上は気持ちを高ぶらせる。
「…ちゃんと、聞いてください!」三上は両手を下ろし、まっすぐ前を向いた。三上は本気だった。
◇
「私、ちゃんと待ちました。卒業したら言おうって。決めてたんです」
「みんな大翔先生が好きだったし、みんなに知られるのは怖かったです」三上は言った。
実際、実習の最終日は大翔を囲んで、手紙を渡したり、写真を撮ったりと大騒ぎだった。三上はその場に、確かにいなかった。
「三上さん、ありがとう。でも僕は一度でも教え子になった人と、恋愛の関係になろうとは思えない」
「悪いけれど、きみの気持ちには応えられない」
三上の顔から、笑顔が引いた。
「…じゃあ、どうして来てくれたんですか…」
「……期待、私、期待しちゃうじゃないですか」
三上は小声で、少し震えていた。
それぞれの道で
「きみはこの1年待ったかもしれない。でも、それはきみの都合じゃないかな?」
言った瞬間、胸がちくりとした。
言い過ぎたかもしれない。
「……」三上は黙ってしまった。
「学校で噂になるのもマズイ。
それに、きみの親御さんがどう思うのかも。それに……。
また大学に手紙が来ても困る。
僕自身も今の会社で ”教え子に手を出した人” となるのはもっと困る」
「きみは僕とつきあいたいの?
どこかに遊びに行きたい、それとも、話したいだけ?」
三上は口を開きかけて、閉じた。
大翔は言葉を止められなかった。
自分でも、少し言いすぎていると分かっていた。
◇
「先生は忘れたんですか」三上は大翔を見上げた。
「私たちがずっと明日はないかもしれないと思ってきたこと」大翔は三上の言葉を待つ。
「小さい頃、地震で、真っ暗な家で…ずっと怖かったです。
中学の時も、コロナでどこにもいけなかった。
知っている人がどんどん死んじゃうから、テレビを見るのも怖くなりました。」
「先生も、そうですよね?」三上のまつ毛が揺れた。
「明日なんてない。
夢なんか見てもしょうがないって思ってました」
「でも、そうじゃないって教えてくれましたよね」
大翔は、決心したように口を開いた。
「……それで、僕を好いてくれたことと、どう関係があるの?」
三上は予想外の反応に小さく息をのんだ。
「僕にそれを言って、きみは満足?」
「じゃあ、僕の気持ちは?
きみに気持ちを打ち明けられた僕の気持ちはどうなるの?」
三上は思わぬ反撃を受けて、次の言葉を待っている。
──きみが僕に気持ちを打ち明けたら、
僕は……責任を取らないといけないの?
「それは……」三上は目線揺らす。その姿が痛々しかった。
「きみ自身のことを、何にも知らないのに?」
大翔は怯まずに続けた。自分でも胸の奥がざわつく。
自分でも少し、語気が強いと感じた。
「きみを傷つけてまで、僕は僕のエゴを話さなくちゃいけない。
……それに、
きみの申し出を断ったことを、この先も忘れられないかもしれない」
風が枝を揺らし、花びらが二人の足元に飛んできた。
「僕はいずれ、誰かと結婚したい。
でもまだ恋人はいない。
今の会社でやりたいこともある」
大翔は言いながら、自分の手が少し震えているのに気づいた。
三上は小さく息をのむ。返事が見つからないようだった。
──僕の気持ちはどこにあるんだろう?
言葉が止まらなかった。
本当はもうやめたかったのに、止め方が分からなかった。
「……」
三上は言葉を失った。 風の音だけが聞こえた。
まつ毛がわずかに震えていた。
「僕は教師ではない人生を生きてきた。
毎日意味の分からない仕事で、怒られて、毎日クタクタで」
──もうあの頃の僕はいない。
そう言いかけて、やめた。
「きみだって変わる。来月には卒業式のことなんて覚えてないかもしれない、新しい仲間ができて、勉強に追われて、バイトだって始めるかもしれない」
「その時に……」大翔が言いかけて、三上が叫んだ。
──先生、わたしの未来を決めないでください!
心の羅針盤
大翔はハッとした。
三上の気持ちから逃げて、できない理由ばかりを挙げて、彼女の気持ちに少しも応えていなかった。
心を剥き出しに曝け出す三上は、素直だった。
それなのに自分は……。
「…わかった。きみが本気で言うのなら、僕も本気で答えるよ」
大翔は息を整えて、少し低めの声でゆっくりと、でも穏やかに話し始めた。
「……三上さん。僕は、好きな人がいる」
「その人は年上で、僕のことなんて眼中にないと思う」
そこまで考えて、胸が痛くなる。
「でも今わかった」
「僕は、彼女が好きだ」
「結婚したいとか、つきあいたいとか、そう言うことは分からない。
ただ、もし……」
「もしもう一度会えるなら、彼女の話をもっと聞いてみたい」
大翔は、続けた。
「好きな食べ物、好きな場所、休みの日に何をしているか。
車を買ってドライブしたら楽しいかな、とか」
「彼女と暮らしたら僕はどんなに幸せだろう、とか」
大翔は言いながら、自分でも何を守りたいのか分からなくなっていた。
「でも、今のきみは違う」
「きみは、自分の気持ちを言えれば、それでよかった?
きみはスッキリするかもしれない。でも僕は?」
「僕のことをもっと知りたくない?」
「僕と何をしたら楽しいか、どこへ行こうか」
三上の顔色がどんどん曇り、俯いてしまった。
「……きみと一緒にいたら、僕はどんな気持ちになれるんだろう?」
大翔はおとなげないと思いつつも、畳みかけた。
後悔の波が喉を破って、今すぐにでも逃げ出したかった。
どう言えばいいのか、わからなかった。
でも、黙っているのも違う気がした。
◇
大人のなりかた
「……じゃあ、どうだったらいいんですか……」
「いつだったら、何歳だったら、どうやって会えばよかったんですか?」
──わたしは、いつになったら大人になれるんですか?
「教えてください……」三上は小さな声で、震える唇を結んだ。
「さっき、原田先生に連絡先を預けてくれれば、それでよかったよ」
三上はハッとした。俯いたまま固まって、証書ケースを握りしめた。
「それだと、先生が連絡をくれるかどうか、わかりません…」
三上は引かない。
「確かに…そうだね」
「生徒からの手紙じゃなければ、有休を取ってまで大学には行かなかっただろうな」直接行こうと思ったのは僕の都合だけど。大翔は独り言のように言った。
「卒業式だと言われなかったら、今日ここにもいないかもしれないね」
「きみが連絡をくれなければ、原田先生にも会えなかった。きみを思い出すこともなかったかもしれない」三上は寂しそうに目線を伏せた。
「…学校だと目立つからここで待っててくれたんですか?」
三上は察しがよかった。
「うん」「みんなで、と書いてあったけど行ってみたら誰も僕をみていなかったから。だから三上さん一人からの手紙かなって」
三上はハッとして、恥ずかしそうに俯いた。
「わたしだって、たくさん考えました。意味もなく何回も手紙なんてできないです…」大翔はわかった、と言うように頷いた。
「そうしないといけなかった、それはそうだね」大翔は穏やかな呼吸を取り戻した。
◇
「でも、僕が返事をしないと言うことは “そう言うこと” なんじゃないかな」
ご縁と言うのかな。いや、でも……。
もし卒業後に連絡をくれたら大翔は返事をしたか、自信がなかった。
「むずかしいね。確かに、きみの言うとおりだ」
◇
「三上さん。改めて、どうもありがとう」
「今日は、僕らの二人の卒業式だね」
「え……?」
「今を生きることを忘れた僕と、相手の気持ちを考える大切さを知った僕らの」
──双子の卒業式だ。
三上は瞬きをした。
意味を飲み込むまで、少し時間がかかった。
「今は痛いかもしれないけど、今日はお互いに大切なことを知ったと思う」
「きみは勇敢だよ。それに……」
「ずっと、かわいい生徒だよ」
大翔はまっすぐに目線を三上に向けると、三上は寂しそうに少し拗ねた。
「三上さん、ごめん……」
「元気でいよう」大翔は目線を三上に送る。握手をしようと、右手を差し出した。
三上が差し出した右手に応えると、大翔はもう片方の手を添えた。
◇
七福神
「もし僕が30歳になって、きみのいる会社に転職したら、僕はきみの後輩ということになる。なんだったら、部下になるかもしれない」
「僕がよく見えるのは今だけかもね?」
「……そんなことないです!」
「先生は、ずっとかっこいいです!」
大翔は、あまりのストレートさに思わず吹き出してしまった。
三上も言って、照れ笑いをした。
「じゃあこれは卒業祝い」
大翔は財布から金色の小さな毘沙門天のお守りを差し出した。
「先生、これなに……?」
「この神社のお守りだよ。スゴイご利益だ」
「僕はこれで就職を決めて、大学も卒業した」
「今日も三上さんに大事なことを教わった」
「それに…あの人にも会えたしね」三上は少し寂しげな顔をした。
「あ、ありがとうございます……」
三上は戸惑いながらお守りを手のひらで受け取った。
「でもこれ、大事なものですよね?」
「大事なものだからこそ、きみにあげるんだ」
大翔はキッパリと答えた。
「本当は、去年の大晦日に神様に返すはずだったけど…今日、きみに渡すことになっていたみたいだ」大翔が言うと、三上も笑った。
「先生、お調子者」三上はケラケラ笑っている。
これが若さ、速さだと大翔は思った。
「かわいいだろ?」
「いや、かわいくはないかな。ふつーにおじさんだよ」
「なッ…おじさんは勘弁…」大翔は涙目の絵文字の真似をした。
「だって、お父さんと同じこと言ってる」
お父さんと同じ…彼女には自分はそう見えていた。
大翔には何かが胸に引っかかる。
「じゃあ、わたしもこれあげます」
三上はカバンにつけていた、ひよこのマスコットを外して大翔に渡した。
「ちょっと汚くなっちゃったかな…」
「どうするの、これ……?」大翔は少し青ざめて聞き返した。
「え、家に飾っといてください」人気なんです。知らないんですか?と、三上は怪訝そうな顔をした。
「…わ、わかった。ありがとう。大事にするよ」
大翔はぎこちなく、そう答えるのでいっぱいだった。
「ふぅ…。あー、言えてよかった!」
三上は大袈裟に深呼吸をして、大きな声で言った。
──言うのイヤだったけど、自分を嫌いになるのはもっと嫌だった!
「先生、ありがとう!」
◇
女の子の気持ちはイマイチ掴みきれない……。
三上は近くに親を待たせていると言うので、すぐに返した。
笑顔で走り去る彼女の姿が見えなくなると、大翔は魂が抜けるほど大きくため息をついた。
冬の冷たさを纏う風が、頬に当たってヒリつく。
大翔は、春の風の中でそっと息を吐いた。
それだけで、少しだけ前を向ける気がした。
──春の風の中で、もう一度、生きてみようと思った。
執筆: 2026/3/16 書き下ろし <了, 約 6,400 字>


作品に絵を合わせるのは、かなり難しいです👀
📖 改稿のお知らせ
セリフに「」をつけ、地の文(行動や心理、描写の部分のこと)と区別しました(2026/3/17)
☕️あとがき
こちらの記事の題材となった場所で思いついた物語です。大翔の短所と、爽子に惹かれた理由を描こうと思いました。少し硬くて、圧が強いのを直したいのと、書いてみると意外に長くて…すみません。半分の字数が目標でしょうか。
また、よろしくお願いします🙂
⚜️

引き続き、よろしくお願いいたします😊
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