『祝福の葬列』 第一話
両親の離婚調停中の夏休みの間は、父方の祖母の家で過ごすことになった凪。その集落の隣に住む子供に誘われ、神様がいる丘へ行くことになるが、そこで恐ろしいものを目にする。
小学校最後の夏休みは、会ったこともない父方の祖母の家で過ごすことになった。
理由は両親の離婚が泥沼化し、毎日怒号が飛び交う家にいられなくなったからだ。
離婚の原因は、母親の不倫らしい。両親は最後の親心か子供の凪に知られないように日中は最低限取り繕っているが、夜中に聞こえてくる怒鳴り声は隠せていない。子供は夜ぐっすり寝ていてどんな音がなっても起きないと思い込んでいるのだろう。残念ながら凪は部屋の扉を開ける音ですら目覚めてしまうぐらい眠りが浅い。毎夜聞こえてくる声から大体の事情は把握している。
最初は母親の不倫が明るみに出て、その後に父親の不倫が判明した。しかも相手は母親の親友で、既婚者。一気に離婚騒動は泥沼化し、母親は手がつけられないぐらい感情的になり、父親に暴力をふるった。その後、駄目押しとばかりに父親の多額に借金が発覚し、地獄の様相を呈した。
がたん、と乗っていた電車が大きく揺れ、記憶に浸っていた思考が戻って来る。
両親が揉め続ける家に居続けるのは子供に悪影響があるとか何とか云い始めた父親の手によって凪は電車に揺られ、栃木の山奥にある村を目指している。
「幸せになれるからね」なんて言って送り出されたが、正直憂鬱だった。
東京からはそこまで遠くないが、電車の本数が一時間に一本しかなく、バスは一日一本しか通って居ないとかで村に着くまでにはかなりの時間がかかる。車ならばすぐなのに両親とも車を出すのを嫌がった。なので、凪は一人きりだ。
電車が目的地で止まったので降りる。下車したのは凪だけだった。
昼十二時の炎天下、外に出た瞬間汗が吹き出した。じめっとした空気のせいかまるでサウナのようで、このバス停までの短い距離を歩くのすら億劫だ。
寂れている駅からバス停へのろのろと向かう。バスの運行時間は事前に調べていたので、あと数分でバスがやって来る。
予定通り到着したバスに乗り込む。こちらには人が疎らに乗っている。見慣れない子供の姿に全員が一瞬視線を向けて来たが、話しかけられることはなかった。
バスの車内には冷房が効いていて、汗が引っ込んだ。涼しいと思わず溢すと斜め後ろからくすりと笑う声がした。
笑われたことが恥ずかしくなり、ちらりとだけ視線を向けると腰の曲がったお婆さんが座っていた。にこにこしていると思ったら目が細く口角が上がっているので、笑っているような顔の作りをしているだけのようだ。
お婆さんは笑顔を張り付けたような顔で、口を開いた。
「坊や、どこへ行くの?」
「えっと……」
まさか話しかけられるとは思っておらず、人見知りなのも相まって返答が遅れた。
どこへ。今から行くところは。
「そ、祖母の家に」
何とか答えるとお婆さんは、そうと短く答え続けて聞いてきた。
「どこへ?」
また同じ質問。恐らく目的地を聞いているのだろうと分かったが、何故見ず知らずの他人にそんな事を言わなければいけないのか分からない。出来れば答えたくない。
しかし、無視することもできず記憶の中にある祖母の家がある地区の名前を口にした。
村なのか、町なのかは知らない。父親に言われた言葉を反芻したに過ぎなかった。
凪がそれを口にした途端、車内はしんと静まり返った。
ぴりぴりとした異様な空気を感じ、辺りを見渡すと車内にいる殆どの人が凪からあからさまに目を逸らした。
その態度は教室で一人だけ怒られている時に似ている。腫れ物扱い。思わずむっと眉をひそめる凪を斜め後ろに座っているお婆さんだけは笑みを浮かべながら見ていた。
「どっちの? 手前? 奥?」
続けられた質問の意味は分からなかった。
「なんですか?」
「手前の集落? それとも奥の? 漢字は? お婆ちゃんの名字は?」
矢継ぎ早に質問され、気圧されながら一つだけ答える。
「祖母の名字は、吉野です」
そう答えた途端、空気が緩んだ。はっとして辺りを見回す。さっきまでの腫れ物扱いは消えて、乗客の関心は凪から無くなっていた。
平坦になった空気に安心よりも気味の悪さを覚えた。
「そうかぁ、そうかぁ、吉野さんとこの子か」
お婆さんはそれからも対応を変えずにこにこと微笑んでいた。
バスが停留所に停まる度乗客が降りていく。何故か皆降りていく時に凪に気を遣うような視線を向けてきた。憐れむような視線を投げてきた女性が、凪の手に握りしめた。その手も女性の唇も何故か震えていて、言い様の無い不安が加速していく。
斜め後ろに座っていたお婆さんがいつの間にか隣に移動していたのも何だか嫌だった。でも顔に出すのは駄目だと思い、笑顔で対応した。
目的の停留所についた頃には、乗客は凪と隣に座っているお婆さんだけになっていた。
「降りましょうか」
お婆さんに手を取られる。しわくちゃな手に引っ張られると抵抗していいのか悩んでしまう。老人には優しくすべきだろうとそのままバスを降りる。
停留所の周りには田んぼが広がっていた。都会と違い高い建物が一つもなく、一番高いのは電信柱だ。遮蔽物がないからか、日差しを防ぎようもない。片手で日光を遮断しようと片手を上げた。ぐいっと手を引っ張られ、つんのめる。
「こっちよ」
未だに手を掴んでいるお婆さんに半ば引きずられるように歩いて行く。
住所は知っているが、詳しい場所は分からないので案内してくれるのは有り難い。しかし、馬鹿みたいに力が強い。握られている手首には真っ赤な痕とがついてしまいそうだ。
「こっちよ」
お婆さんにただただついて行っていたが、不意に視界に表式が飛び込んできて足を止めた。自然とお婆さんも止まる。
「あの、ここを左って書いてありますよ」
表式には凪が目指している村の名前と丁寧に矢印が書かれていた。
「うん、でもこっちだから」
お婆さんは尚も手を引こうとする。
何だか異様な態度に足を踏み締めて耐える。
「そっちじゃないって。行かない、止めて!」
威嚇するように高い声できゃんきゃん吠える。傍から見ると散歩に行きたくない犬と飼い主みたいだ。いくら滑稽に見えても抵抗をやめない。このまま着いて行くのはいけない気がした。しかし、お婆さんの手の力は緩まない。鶏の足ぐらいしか肉が着いていないのにどこにそんな力があるのだろうか。
「離して!」と声を上げた時。
「何をしてんの!」
怒鳴り声が辺りに響いた。びくりと体が跳ねる。
声の主は背後から自転車に乗って来ていた。大きめのチェックのシャツと時代劇でしか見たことないモンペを履いている女性だ。その顔は鬼気迫り、お婆さんを睨んでいる。
「離せ!」
女性が低い声で言うと、やっとお婆さんの手が離れた。そして、ばたばたと体を揺らしながら凪を引っ張って行こうとした道を行く。その姿を呆気に取られて見守ってたら頭上から声がかかった。
「坊ちゃん、大丈夫か? 変なことされてないか?」
顔を上げると、女性が隣に立っていた。
女性の見た目は六十代くらいに見える。背が高くしゃんとしている上に肌に張りがあるので若々しい印象だ。しかし、自転車のハンドルを握る手には皺が寄っている。
「大丈夫です。あのお婆さん、バスから一緒だったんですけど途中から変になって」
いや、最初からどこかおかしかったかもしれない。
「ああ、あの人のことは気にしないほうがいい。何もないならいい。それよりもどこの子? どっちの子?」
女性はじっと観察するような視線を向けて来た。
返答次第では殴られてしまいそうなほど表情が張り詰めている。
「吉野って家です。祖母がひとりで住んでます。こっちに」
そうして矢印の方を指さした。
すると女性の表情があからさまに緩む。
「そぉかぁ、マサちゃんとこの」
マサちゃん、とは祖母のあだ名だろうか。そういえば、祖母の下の名前を知らない。
「じゃあ、ついておいで」
自転車を押しながら歩く女性は、ミヨコさんと言うらしい。祖母の隣家に住んでいるだよ、穏やかな口調で言った。
「マサちゃんとは、マサちゃんがこっちに越してきてから仲良くなったんだ」
懐かしむ言葉に相槌を打つ。ミヨコは父の事も知っていた。
「ちっちゃい子とにね。もうこんな子供がいるのか」
ミヨコの話を聞いているとあっという間に目的地についた。
「ほぉら、ここだよ。マサちゃーん」
田舎の広々とした土地にたつ平屋の前で止まったミヨコが、大声で呼び掛けはじめた。
突然の行動にぎょっと目を剥く。
インターホンがあるのだから鳴らせば良いのに、とボタンを押してみるが、うんともすんとも言わなかった。壊れているらしい。
「はぁーい」
中からくしゃくしゃに掠れた声が聞こえてきた。とんとん、と軽いものが廊下を歩くような音がしたと思ったら、すぐに玄関扉が開いた。
「ミヨちゃんどうしたの?」
顔を出したのは、ふっくらとしたお婆さんだ。
会ったことはないが、顔写真は父親に見せてもらっていたので、祖母だとすぐに分かった。
「こんにちは」
凪が声をかけて漸く祖母は凪の存在を認識したようで、目を見開いた。ぎょろぎょろとした目は金魚を彷彿とされる。
「もしかして、凪くん? はじめましてよね」
祖母はぎゅっと目を閉じた。笑っている顔は、赤ん坊みたいだ。
案内してくれたミヨコに別れを告げ、家の中に入る。祖母の家は木造で、廊下なんか歩く度にぎしぎしと音がなる。そして、線香みたいな匂いがした。
「凪くん大変だったね。いくらでもいていいからね」
大変だった、というのは両親の泥沼騒動のことなのか、それとも一人で新幹線でやってきた旅のことなのか分からなかったが、どちら大変だったので頷いておいた。
祖母は静かな人だった。
凪も喋る方ではないので、夕食時にはかちゃかちゃと食器に箸が当たる音ばかりが響く。
気まずくなり、何か話題がないかと記憶を巡らせる。すると変なお婆さんに引っ張られて連れていかれそうになった出来事が頭に浮かんだので、その話をする。
「奥、の村ってどんな人が住んでいるんですか?」
回答がどうであれ、実はこんなことがあってと繋げるはずだったのに祖母は箸を持ったまま凪を凝視した。
「……会ったの?」
ぴん、と張りつめた声だ。
「え、いや、うん、お婆さんが、バスに乗ってて」
「子供は?」
「え? 子供?」
首を傾げると祖母はうんと頷いた。
「子供には会った?」
「会ってないよ。お婆さんにしか」
「向こうに行ったの?」
「言って無いよ」
そう答えると祖母は黙って食事を進めた。
それ以降、凪は祖母に話を振らなくなった。何だか不気味に見えたし、話が通じているような感じがしなくて怖かった。
食事を済ませ、少し早いが風呂に入る。
田舎は空が綺麗だというが、外に出てみる気分でもなかったので自由に使って良いと言われていた部屋にこもった。
布団の上に身を投げ、変な形の木目がついた天井を見上げながら思う。
帰りたい。
決して両親が恋しいわけではない。ただ祖母と一緒に過ごすのは何だか嫌だ。それに田舎はやっぱり暇だ。凪は外で遊ぶのは好きではないので、明日はどう時間を潰そうかと悩んだ。そうしているうちに気が付けば意識が落ちていた。
長旅の疲れもあり、昨日はぐっすりと眠った。夜の七時に眠り、起きたのも七時だったので、最初は全く時間がたっていないのかと思った。しかし、外はすっかり明るくなっていた。
「おはよう、凪くん。ご飯できているよ」
祖母が用意した白米と目玉きを食べた。
「凪くん、ばあちゃんちょっと出てくるからね、畑に行ってくるから」
「はい、わかりました」
「もし、出かけるなら鍵はかけなくて良いからね」
田舎特有の不用心さで祖母は出ていった。
初めて顔を合わせた孫を信頼して家を任せたのか、それともただ無頓着なだけたろうか。
玄関を開けっぱなしで出ていったので、恐らく後者だろう。
凪が玄関が開いているのに気が付いたのは、祖母が出ていって一時間くらいたった時だ。
声がした。
「すみませーん」
明るい女性の声だ。
居留守を使おうかとも思ったが、大事な用事だと困るのでそろそろと玄関に向かう。すると、玄関に四十代くらいの女性が立っていた。線の細い人だ。半袖から出ている腕なんて枝みたいでぽっきり折れてしまいそうだ。
「こんにちは」
女性はにこやかに笑い、挨拶をした。
「こんにちは、あの、祖母は今出ていて……」
そこで、玄関が開いた音がしなかったことに気が付いた。祖母の家の玄関扉は開けるとがらがらと耳障りな大きな音が家中に響く。なのですぐに開いたことに気づけるのだ。そういえば、祖母が出ていった時に閉めた音はしなかった。
「あのぉ、僕さぁ、どこのこぉ?」
女性は間延びした声で聞いてきた。
凪の返答を聞く前に女性が続ける。
「こっちにおいでよ、ね」
ね、ね、と言いながら、あろうことか勝手に家の中に入ってきた。
これが田舎特有の遠慮のなさかとどこか感動を覚えていたが、すぐに思考が冷えた。女は土足だった。
手を取られ、引っ張られる。
「ね、ね、行こう、向こうへ」
「ちょ、ちょっと」
女性は上がり込むなり、凪を引き摺って出ていこうとした。
「やめて、離してください」
女性は細腕なのに力が強い。ちらりと見えた表情は切羽詰まっている。
人攫いだ、と凪が大きな声を上げた。
「わーーーーー!」
突然声を張り上げた凪に驚いた女性の手が一瞬緩む。その隙に体当たりをして、玄関から飛びだした。
「待って!」
悲鳴のような声が背後から聞こえてきたが、無視して村を走り抜けた。
荒い息を吐きながら立ち止まったのは、村の外れだ。山の側に一本の道が奥に続いているのだが、その手前に妙なものがあった。
「なにこれ、石碑?」
道の両端に文字が彫られた石碑のようなものがどんど置いてある。
しかも石にはぐるりと赤いしめ縄が巻かれている。近くで見ようとしゃがみこむ。
「それは、結界だよ」
頭上で声がした。
はっとして顔を上げると前方に男の子が立っていた。
顔立ちは幼く凪と同い年くらいに見えるが、背が高く、異様に手足が長い。
「え、誰」
「こんにちは、僕はミチオ。君は?」
穏やかな声で問われ、躊躇いがちに応える。
「……凪」
「凪くんかぁ、よろしくね」
ミチオは不思議な男だった。気さくな態度ではあるが凪の側に寄ろうとはしない。そして、何よりさっきの言葉だ。
「結界ってなに?」
「悪いものを閉じ込めてるんだよ」
「へぇ」
オカルト的なものだろうか。
田舎には俗信とか民間療法が残っていると聞いたことがあるので、その類いかもしれない。
「こっちに来ない? 一緒に遊ぼうよ」
正直暇だったので、ミチオの誘いは願ってもないことだ。しかし、凪は首を横に振った。
「お婆さん家、開けっぱなしで出てきちゃったし」
「皆家は開けて出ていくものだよ」
「田舎はそうかもしれないけど、俺はそういうの無理だから」
ごめん、と謝るとミチオは少ししょげた表情をした。
「ううん、僕が突然誘ったのが悪いから。それなら明日はどう? 明日は遊べる?」
「明日か……」
不意に昨夜の祖母の様子が頭に浮かぶ。
子供に会ったのか、と聞いてきたが、あの子供というのはミチオのことだろうか。だったら遊ばないほうが良いのだろうか。もしかして、それって村八分とか差別とかの関係だろうか。色々な疑 問が浮かび、応えらずにいる凪が嫌がっていると思ったのか、ミチオが困ったような顔で首を傾げた。
「駄目?」
「いや……」
駄目じゃない、と反射で答えてしまった。
ミチオは凄く喜んで「明日が楽しみ」と笑っていた。
家に帰ると、変な女性はいなくなっていた。代わりに汗だくの祖母が待っていた。
「あら、どこ行ってたの?」
「ちょっと暇だったから外に出てた。あ、あと変な人が来たよ、細い人」
「そう。何かされた?」
「いや、何も」
そう答えると祖母はさっさと部屋に戻っていってしまった
興味なさ過ぎでしょ、とため息をつき家の中に入る。すぐに駆け寄ってきた祖母に手を取られた。
「赤くなっとるよ」
そう言いながら冷たいものを押し当てられた。
女性に捕まれた所が赤く変色していた。腫れたりはしないだろうが、青アザにはなってしまいそうだ。
冷やすものを取りに行ってくれたのだと気が付き、祖母への好感度がぐっと上がった。
