《葬送のフリーレン》第147話「英雄のいない地」感想・考察

『週刊少年サンデー』(2025/10/15発売号)掲載《葬送のフリーレン》第147話「英雄のいない地」の感想です。ネタバレと先の展開に関する考察・予想が含まれます。

一つ前の第146話「人類最強の戦士」の感想・考察とそれ以降の最近の記事はこちらです。ネタバレ警告を兼ねて一言紹介します。

★印は私の中では「大魔法使い三部作」と呼んでいる作文で(笑)、物語の大枠に関する考察なのでお勧めです(一気に書き上げたわけではなく、一つ書いてはまた考え、私の思考をたどっているのでわかりにくいところもあると思いますが)。作者の構想と一致するかはわかりませんし、一つの仮説に過ぎませんが、この視点を持っておくとかなり物語の見通しが良くなるでしょう。ゼーリエが諦めてしまった夢をフランメが引き継ぎ、更にフリーレン、フェルンへと承継するという骨格があると思います。

では、ここからは最新話のネタバレが含まれますのでご注意ください。

はじめに

先週、第147話の予告を読んだ後に書いた予想がこちらです。

通りが良いので「予想」と言っていますが、「次はこんなお話になるのでは?/なってほしい!」という私の「期待」ですね。ですから、当たり外れより、期待にどのような応答があったのかを振り返りながら、第147話の感想(納得・驚き・疑問)を整理していきます。(通りが良いので使っている言葉として「考察」もあって、私がやっているのは国語の時間に習う「読解」だと思います)

最初に、「予告」に含まれていたキーワードが第147話でどう扱われたかを確認しておきます。キーワードは「魔王を倒した英雄」と「影なる戦士の過去」でした。

https://websunday.net/sunday/next/

第147話を読んでみると

  • 「魔王を倒した英雄」 → ヒンメル(とフリーレン)

  • 「影なる戦士の過去」 → レーヴェと爺の過去

「魔王を倒した英雄」と表記してヒンメル(とフリーレン)を指しています。ということは、「英雄」と「英雄」をしっかり使い分けている可能性がありますね。あくまでも可能性ですし、そもそも予告で読者をミスリードすることも(たまには)あると思いますが、次に予告を読むときは念頭に置きたいです。

「影なる戦士の過去」はレーヴェと爺の過去でした。

予想記事では次の二つの候補を挙げて…

  • レーヴェの過去 → 予知夢の続き

  • クライス(ヴァルロス)の過去 → 仲間のピンチを救う主人公達

「第147話は第15巻に収録される最終エピソードで、続巻への期待を生む役割を受け持つから、少年マンガ的に熱い展開となる後者だろう」と予想していたのですが、そうはなりませんでしたね。(第15巻に収録されるのが第146話までだとすれば、この点は納得ですが)

しかも、私はレーヴェが唐突に語り始めるのは不自然だ(だからレーヴェの過去を扱うなら予知夢の続きでだろう)とまで言っています。しかし実際にはレーヴェが語っているんですよねぇ。ですから私は二重に間違えています。(この点については後述します)

気を取り直して内容に進みます。

感想(第147話「英雄のいない地」)

場面を大きく三つに整理してみました。

  • 星を見るレーヴェと爺(レーヴェの目的)

  • レーヴェの回想1(レーヴェと魔法)

  • レーヴェの回想2(レーヴェと爺の出会い)

扉絵とタイトル

大きくレーヴェの横顔。その後ろにはヒンメルと、今まで見たことのない少年。タイトルは「英雄のいない地」。

「勇者ヒンメルの武勇が照らす光と」ともあり、勇者ヒンメルの功績だけではなく、その陰ではこんなこともありましたよという話をしたいようですね。

場面1. 星を眺めるレーヴェと爺

宮殿の屋上で星を眺めるレーヴェ(ヘルト)と爺(レーラー)です。

ここはゼーリエが予知夢で見ていた暗殺の現場のようです。なぜゼーリエはこんなところへ移動したのでしょうね?わかりません。

第147話
第145話

そして、二人の名前が明かされました。調べてみるとドイツ語でヘルトは英雄、レーラーは先生の意です。この二人の師弟関係も楽しみです。

細かい点ですが、二人に師弟関係があるのであれば、この場面(第139話)はすんなり理解できます。

使用人に過ぎないはずの爺が、暗殺理由を聞かれた対応に関して口を挟んでいます。本来レーヴェの一存で決めることでしょう(第139話)

クレマティスがゼーリエ暗殺の理由をレーヴェに問うと、使用人に過ぎないはずの爺が口を挟むのです。レーヴェの態度は黒幕にしては妙だ、さらに上がいて誰かに操られているのでは?と私は感じたのですが、爺(レーラー)はレーヴェの師匠だったわけです。

月と宵の明星

さて、第147話に戻って、次はこのコマですが、最初に絵を見てみます。一コマ目では月と宵の明星が描かれていますが、二コマ目では双方とも見えなくなっています。

第147話

月はフキダシで隠されてしまいました。月は魔法の象徴でしょうか。女神様も大魔法使い達もみな女性ですからね。(なぜでしょうね?そして、英雄や勇者はみな男性です。ここも気になります)

第2巻17話

宵の明星はまるでレーヴェが握り潰してしまったようです。私たちの世界では宵の明星は金星です。ゼーリエの髪色を思い出します。ゼーリエを表しているのでしょうか。

世界の法則、世界のことわり

次に台詞です。ここは盛りだくさんです。

まず、レーヴェの「この世界から、魔法を無くす」(第139話)というのは、人類の魔法も魔族の魔法も関係ないそうです。

そして、「魔力を失い」「魔法がなくなる」という理屈が登場しています。魔族は死ぬと体が魔力の粒子になるわけですが、もしレーヴェの目論見通りにことが運んだ場合、魔族はどうなるのでしょうね。魔族の存在自体が消えてしまったりはしないのでしょうか。もしそうなら人類にとっては(レーヴェにとっても)悪くない結末でしょうけれども(読者にとってはイマイチですが)、レーヴェはそういうことは一切言っていませんね。この「もしレーヴェの計画通りになったらどういう事態になるのか?」は考え始めるとわからないことばかりです。

そして、やはり、ここで想起するのはソリテールでしょう。(第12巻116話)

第12巻116話

私はソリテールが好きで、彼女(とマハト、シュラハト)は復活すると考えています。

話を戻すと…

ソリテールは「世界のことわり。それを無理やりねじ曲げるだなんて言葉通り神の御業だわ」と言っています。

レーヴェは「神話の時代に書き換えられた世界の法則」と言っています。誰が世界の法則を書き換えたのかと言えば、現時点では女神様だと考えるのが素直でしょう。(可能性としては別の存在もあり得ますが、ゼーリエにそこまでの力はないとすれば新しい存在を持ち込む必要が出てきます)

そうすると、二人はほとんど同じことを言っています。女神様が世界の法則・理を変更したと。

ここからわかることがいくつかあります。

女神様と世界のどちらが先でどちらが後なのか?

ひとつは、レーヴェもソリテールも、まず世界(の法則や理)が存在していて、そこに女神様が変更を加えた(書き換え・捻じ曲げ)という捉え方をしているということです。(二人にとっては好ましくない変更です)

レーヴェは「元の形に戻る」、ソリテールは「それ(不可逆性の原理)は魔法技術の発展とは関係のない世界の理」とも言っています。女神様が最初から今ある世界の形を作ったのではなくて、オリジナル(元の形)の世界があって、女神様はそれに手を加えたに過ぎないというのです。

つまり、レーヴェとソリテールの理解では世界が先で、女神様は後です。

この、世界と女神様の先後関係に関する理解は、レーヴェとソリテール(魔族達)の独特な捉え方なのか? それとも、この世界の人たちが聖典や教会の教え等で一般常識として共有している認識なのか? そこも気になります。

第3巻24話

この点、フリーレンは「天地創造の女神様」と言っています(第3巻24話)。ですから、フリーレンの理解では女神様が先で、世界が後です。おそらくこれが聖典や教会の教えと一致する正統的な考え方なのでしょう。

ということは、世界が先、女神様が後というのはレーヴェとソリテール(魔族達)の独特な理解です。レーヴェがどこからこの知識を仕入れたのかは、ゼーリエ暗殺計画の黒幕と繋がる話になりそうですね。魔族と同じ理解をしているのですから、魔族からでは?というのが最も素直でしょう。

そしてここでは、「女神様と世界のどちらが先でどちらが後なのか?」という神学論争と言いますか、世界観をめぐる対立が生じているわけです。人類(女神様が先)vs.魔族(世界が先)です。

では、どちらが正しいのか?

私はレーヴェと魔族達の理解が正しいのだろうと感じます。

その理由は二つあります。

一つは、ゼーリエたち大魔法使いの女神様への信仰心に疑念を感じること。(たとえば、ゼーリエは神話の時代には熱心に魔族と戦っていたのですが、現在は戦いをほとんど止めています。第10巻93話参照)

神話の時代には有名人だったゼーリエですが、マハトはゼーリエのことを知りませんでした。魔族との戦いを止めてしまったからです(第10巻93話)

もう一つはメタ的な理由で、主人公達と読者の信じている価値観が大きく揺らぐという物語上の大イベントを作者が放っておくはずがないと思うからです。

となると、女神様って何者なのでしょう。 全てに先立って存在しているような、いわゆる「神」とは異なるようです。案外、ゼーリエのお友達だったりして、なんて思ったりもします。少なくとも全く次元の違う存在という感じはしません。

レーヴェとヴァルロスたちの相手は女神様

もう一つ。レーヴェは恐れ多くも女神様が世界の法則を変更された御業を無下にして魔法を無くそう(元に戻してしまおう)という罰当りなことを計画しています。ですから、レーヴェ(とヴァルロスたち)が相手にしているのは女神様です。これについては過去の記事で何度か触れています。

第146話

ヴァルロスは「神話の時代の大魔法使い」ゼーリエの背後にいる得体の知れない大きな存在を感じて「一体・・儂等は、何を・・」と表現したのでしょう。

女神様が魔法を生み出した

もう一つ、どうやら女神様が世界の法則・理を変更して魔法を生み出したらしいということ。

では、大魔法使いを殺すことがどうして魔法を無くすことと繋がるんでしょう?大魔法使いは女神様の分身(化身)なのでしょうか。大魔法使いの役割として魔法(魔力)の維持・管理といったことがあるのでしょうか?

しかしそもそも、どんな法則や理を変更したら魔法が生まれるのでしょうね?

世界の法則や理の例としてこれまでに挙げられているのは不可逆性の原理(時間は決して巻き戻らない)のみだと思います。(ソリテールとフランメが言及しています。第10巻94話、第12巻116話、第13巻122話)

第10巻94話
第12巻116話
フランメは百以上の理論を見つけているそうです(第13巻122話)

世界の法則や理と呼べるようなものとしてこれに相当するものは、私が思いつくのはエネルギー保存の法則しかありません。魔法は保存則を破るような「穴」を利用して、「向こう側」からエネルギーを取り出しているのでしょうか? この発想は安直ですがイメージ的にはピッタリ来ます。もしかして、魂の研究と何か関係あるのかな?という気もします。

場面2. レーヴェと魔法

ここからレーヴェの回想に入ります。

殺戮の魔法

ここで描かれた魔法は、私たちがこれまで《葬送のフリーレン》で慣れ親しんできた魔法とは全く異なります。私たちが今まで見てきたのは、生活に役立つちょっと便利な魔法であったり、そうでなくてもせいぜいが戦いのための魔法です。

しかし、これは殺戮のための魔法です。

第147話

レーヴェが経験した「二度目の魔法」の描写からは私は核兵器を連想しました。

第147話
特徴的な袖の形をしている服装から判断して、これはおそらくミーヌスです(第147話)
第133話

まあ、作品をどれだけ現実に引き付けて理解するかどうかは人それぞれです。

好き、ほどほど、憎悪

いずれにせよ、人々の生活を助けたり人々を楽しませたりするための魔法が、戦いのための魔法になり、ついには殺戮のための魔法になるという変容を遂げています。

この変容はフリーレン、フェルン、フランメの個人史でも起こっていますから(おそらくゼーリエを含む他の大魔法使い達も同じです)、《葬送のフリーレン》の大きなテーマなのでしょう。(第3巻22話、第1巻2話)

第3巻22話
第1巻2話

魔法というものが、結局の所、殺戮の魔法に「発展」するのが歴史の必然なのであれば、いっそのこと世界から魔法を無くすべきだ。勇者ヒンメルならそうしたはずだろうというレーヴェの発想も理解できます。(ここは魔法を科学や技術と置き換えて読んでもおもしろい所です)

レーヴェの魔法に対する認識は、フリーレンやフェルンの認識の自然な延長線上にあります。

  • 人々を助けたり楽しませたりする魔法 → 好き

  • 戦いの魔法 → ほどほど

  • 殺戮の魔法 → 憎悪(世界から魔法を無くす)

レーヴェの過去が説明されたことで、帝国編はレーヴェをやっつければハッピーエンドという単純な物語ではなくなりました。もちろん帝国編の最後でレーヴェが生きているか死んでいるかはわかりませんが、物語全体を貫く大きな問題提起を行なったキャラクターであることは間違いないでしょう。

場面3. レーヴェとレーラー(爺)の出会い

勇者ヒンメルの像の前での、少年レーヴェ(ヘルト)とレーラー(爺)の出会いです。第147話タイトル「英雄のいない地」が効いてくる場面です。

なお、英語版では勇者も英雄も同じヒーローです(勇者ヒンメルはヒンメル・ザ・ヒーロー)。ですので、勇者と英雄を区別する意味がない場面は結構あります。

「英雄(勇者)のいない地」

「英雄のいない地」とは「英雄が存在しない」というよりは英雄が英雄として機能しない、各地で戦乱が頻発しているために「個の力が強」い英雄がいてもほとんど意味をなさないということだと思います。

一人の英雄が一つの町を救っても、その間には、その英雄がいないいくつもの町が瓦礫の山と化している。

第147話

それに、英雄が存在したとしても、「第二の魔法」のような殺戮のための魔法が濫用されている状況では意味がないように思います。

レーラーは勇者ヒンメルに憧れて「この国を守る戦士」になりました。「百戦百勝と謳われる」「この国最強の戦士」ですから、この国の英雄です。しかし、レーヴェ少年の町を救うことはできませんでした。間に合わなかったからです。(「第二の魔法」の威力をみると、間に合えば救えたのかは疑問ですが)

南側諸国は「英雄(勇者)のいない地」(地獄)です。

けれども、レーラーは子供は英雄(勇者)を信じて育つべきだと考えています。(自分と同じように)

だから、レーヴェ少年に対して「(間に合わなかった、役に立たない「英雄」である)私を恨め」と言います。

すると、レーヴェ少年は、レーラーが別の町を守るために戦っていたことを指摘して、レーラーは「何も悪くない(だから恨むことはできない)」と言えてしまう。筋は通っています。

第147話

レーラーは子供がそんなことを言う現実は間違っていると考えて「…子供がそんなこと言っちゃいけない(だから私を恨め)」と言います。

するとレーヴェ少年は、レーラーが友人(自分の父)を失っていることを指摘して、レーラーも自分も「全部同じだ(だから恨むことなんてできない)」と言います。親を亡くした子供と友人を亡くした大人を比べるのは無理がありますが、筋は通っています。

第147話

レーラーは再び「…だから子供がそんなこと、言っちゃいけないんだ(だから私を恨め)」と言うのですが、読点(、)の入り方や表情(レーヴェ少年の顔を見ることができず俯いています)から、言葉に最初ほどの力はないことが読み取れます。

レーラーは自分がやり取りをしている相手は聖人だと感じたのではないでしょうか。もし、相手が大人であれば。

しかし、相手は子供です。明らかに何かがおかしいです。

レーヴェ少年は、自分の町が一瞬で廃墟と化し両親を失うという壮絶な体験をしているのに、同時にレーラーによって救われた町があったことを想像できてしまう。(子供なのだからレーラーに感情をぶつけるのが当然なのに)

レーヴェ少年は、自分が両親を亡くしたこととレーラーが友(レーヴェの父)を亡くしたことを等しく並べて「辛いのも、助けたかったのも、悔しいのも、全部同じ」と言えてしまう。(両親を失ったばかりの子供なのだから他人の気持ちなど全く想像できなくて当然なのに)

このようにレーヴェ少年は悟りを開いているような達観を見せます。(この年齢不相応な物わかりの良さは幼いフェルンを想起します)

ただ、それはレーヴェ少年の言葉だけを追いかければということで、彼の表情を見れば彼の心が壊れていることは明白です。

そして、レーヴェ少年の虚な目は現在のレーヴェの目と同じです。レーヴェの心は今も壊れたままなのでしょう。

レーヴェとレーラーのロールモデル

南側諸国は「英雄(勇者)のいない地」です。

ですから、英雄(勇者)に意味なんてありません。英雄(勇者)のことを信じて待っていても、助けてなんてもらえないのです。

しかし、レーヴェとレーラーは勇者ヒンメルをロールモデルにしています。

なぜなら、勇者ヒンメルはレーヴェとレーラーにとっては「決して諦めることのなかった勇者」だからです。

「無駄な行為」で「何かが変わる訳じゃない」。けれども勇者ヒンメルなら「呆然と立ち尽くすなんてことはしない」だろうというのです。

第147話
第147話

その行き着いた先がゼーリエ暗殺計画だとすれば、何という因果だろうと思います。

レーヴェのお父さん

第147話

レーヴェのお父さんはレーラーの友人でした。この設定は気になります。

なぜなら、レーヴェとレーラーが全くの見ず知らずで、ヒンメル像をきっかけに偶然出会ったという方が運命的でドラマチックだと感じるからです。

第147話

どうして、このような設定を入れたのでしょう?

レーヴェのお父さんを描いたコマは上記で引用したものを含めて3コマあります。どれを見ても、普通の市民に見えます。魔法使いには見えません。けれども、魔法陣らしきものを描いた絵をレーラーに見せながら何かを熱く語っています。

第147話

それと関係するかどうかはわかりませんが、「南側諸国で魔族の封印を生業とする、カンム一族の守護法陣」というものにソリテールが言及していますので、念のため触れておきます。

第10巻94話

傾いたヒンメル像

第147話の最後のコマです。レーヴェはこう語っています。

今思えばこの像が———決して諦めることのなかった勇者の英雄譚が、彼に熱意を思い出させたのだろう。

第147話

印象論ですが、ここから感じ取れるヒンメルのイメージは、これまでの勇者ヒンメルのイメージとは異なると私は思います。

真の勇者であれば「諦め」等というものとは無縁のはずでしょう。

しかし、ここでレーヴェが語っているヒンメルは、「決して・・・諦めることのなかった勇者」ですから、何度も諦めそうになったのではないでしょうか。それでも、決して諦めなかった。そういうリアルなヒンメル、本物の勇者になろうと苦悩していた一人の若者としてのヒンメルを感じます。

このコマでヒンメル像は少し傾いていますし、ボロくなってもいます。町を一瞬で破壊し尽くした魔法によって土台から破壊されて倒れてしまい、それをレーヴェとレーラーが起こしたわけですから、それはそうなのです。

が、立派でかっこいい「勇者ヒンメルの像」よりも、この傾いてボロくなったレーヴェとレーラーのヒンメル像の方が、リアルなヒンメルを表していると思いました。

何と言いますか、北側諸国の勇者ヒンメルは理想的なヒーローで、南側諸国の勇者ヒンメルは人間くさいヒーローなんですよね。ヒンメルが「諦め」とは無縁の理想的な勇者だとしたら、レーヴェとレーラーのロールモデルにはならなかったと感じます。

たとえば、アニメ第1期最終話(第7巻59話「小さな人助け」)。ここで登場するヒンメルの名言があります。

確かに小さな人助けだ。きっとこんなことをしたって世界は変わらない。でも僕は目の前で困っている人を見捨てるつもりはないよ。

この台詞をしゃべっている時のヒンメルの表情は、実はアニメでは描写されていません。この間は、ヒンメルの言葉を聞くフリーレンたちが描写されているのです。ですから、ヒンメルの表情は想像するしかありません。なお、声は静かで落ち着いています。少し力が無いとも感じられますが微妙で、判断に迷います。

S1-EP28

小さな人助けをしたって「世界は変わらない」、けれども「目の前で困っている人を見捨てるつもりはない」と言った後のヒンメルの表情です。自信や確信といったものを感じるスッキリした表情です。

S1-EP28

次に、マンガのヒンメルです。愁いを帯びた少し悲しそうな表情です。

第7巻59話「小さな人助け」

アニメのヒンメルは後半の「目の前で困っている人を見捨てるつもりはない」という決意に重心が置かれていて、マンガのヒンメルではその決意の前提となる前半の「世界は変わらない」という状況認識に重心が置かれていると感じます。(ある一つの瞬間を切り取るマンガと異なり、アニメでは台詞をしゃべっているヒンメルの表情の変化を描く選択もあったはずですが、そこは視聴者に解釈を委ねたわけです。しかも、ヒンメルの「名言」を聞いているフリーレン達の反応は非常に淡白で(アイゼンとハイターは微動だにしません)、大袈裟な反応を示しません。こういったところはアニメ《葬送のフリーレン》の素晴らしいところだと思います。)

こんなふうに、どこに着目するかによって、ヒンメルのイメージは結構変わります。まあ、見たいものを見れば良いのです。レーヴェとレーラーも見たいものを見ているのでしょう。

ヒンメルは魔王を討伐した勇者ですから文字通り神格化されています(読者からも神格化されています)。しかし、素直に考えて、若干二十歳かそこらの若者から、あんなにポンポンと名言が飛び出るものでしょうか。これは、ヒンメルに関する大きな謎だと思います。フリーレンの思い出補正もあるでしょうし、私は時空干渉(過去改変)の影響もあると考えています。ほんとうのヒンメルには「普通の若者」という一面が結構あったはずでしょう。勇者ヒンメルと「ほんとうのヒンメル」の関係は、信仰の対象としてのイエス・キリストと「ナザレのイエス(史的イエス)」のような関係になっていると思うのです。

レーヴェの過去はレーヴェが語る

第147話を読む前、私は「レーヴェが唐突に語り始めるのは不自然だ(だからレーヴェの過去を扱うなら予知夢の続きでだろう)」と考えていました。

しかし、こうして実際に読んでみるとどうでしょう。

レーヴェ自身の回想として自身の少年時代を語らせたこのエピソードはとても効果的です。これを読んでしまったら、レーヴェを単純に「ゼーリエを殺そうとする悪い奴」だと思うことができません。皇帝からの伝聞情報ではレーヴェ少年の心情はここまで伝わって来ないはずです。

確かに、レーヴェの登場に唐突な感じは否めません。(あれ?ファルシュは?と多くの読者が感じたでしょう)

それでも、作者の選択が正しく、私が間違っていたと思います。

少年レーヴェと少年ヴィアベル

「英雄のいない地」の関連としては、少年時代のレーヴェとヴィアベル(第7巻59話)の対比という観点もおもしろいと思います。

7巻59話

ヴィアベルの村には勇者ヒンメルが来ましたし、そのことに意味があったわけです。

レーヴェの町には、「この国最強の戦士」「百戦百勝」の戦士レーラーが来たのですが、間に合いませんでした。たとえ間に合ったとしても、あのような殺戮のための魔法を使われたのでは意味がなかったでしょう。

その二人が、ヴィアベルの出身は北の果て、レーヴェが帝国最北端領ロルベーア総督ということで、今後何らかのかかわりが生じそうなところも気になります。

そもそも、帝国編に限ってみればレーヴェの領地の場所がそれほど重要な設定だとは思えません。しかし、それがフリーレン達の今後の旅路とバッチリ重なっている上に、何度も言及されています。帝国編の後の再会を予定しているのではないかと勘ぐってしまうのが当然ではないでしょうか。これは一部の影なる戦士たち(ガゼレ、イーリス、ロレ、ルティーネ)の出身が「北」であることも同じです。

休載に関して

詳細は公式サイト等の説明をお読みください。

作者のプライバシーをあれこれ詮索するつもりはないので別の観点から書きます。

  • 第140話(2024/12/25発売号)→休載

  • 第141話(2025/07/23発売号)←連載再開

  • この間は隔週掲載

  • 第147話(2025/10/15発売号)→休載

  • アニメ第2期放送開始(2026/01/16)

《葬送のフリーレン》は今年7月に連載を再開しています。この連載再開した今年7月時点に立って、もし私がマンガを売る立場の人間であればと仮定して考えてみます…

原作マンガへの注目度が圧倒的に高まるアニメ放送期間中は「週刊少年サンデーで連載中」という体裁を是非とも保ちたいです。何としても避けたいのは、安易に連載再開した後にまた休載に入り、そのままアニメ放送期間に突入してしまうことです。

なぜなら、読者は物語の「終わり」に期待していて、納得できる「終わり」を期待できない物語には興味を持たないからです。(これには物語の結末(内容)だけではなく、打ち切りや絶筆といった「終わり方」も含みます)

そして、もし体調が理由で休載していたのなら、繰り返す可能性を十分考慮に入れて、連載再開は慎重に判断します。(偶発的な事故が原因ならその必要はないでしょう。たとえば原稿データがPCの故障で消失した等なら、しっかり対策を取れば済む話です)

ですから、大事を取って、アニメ放送期間中の連載の目処が立たないうちは連載を再開したくありません。アニメ第2期が2クールだとして約6か月。隔週掲載でも連載中と言えるのなら月一掲載でも連載中と言えるわけですから最少で6話ストックがあれば6か月持ちます。だから、その程度のストックの目処が立ってから連載再開します。

…と考えます。

つまり、現時点で少なくとも6話程度のストックは確保されていて、アニメ第2期放送期間中には「週刊少年サンデーで連載中」と銘打つ目途が立っているのではないでしょうか。

ちなみに私はこの業界に縁も所縁もなく、業界の慣行も知りません。ただ、「(私の)常識的に考えて」こうだろうというだけです。

まとめ

率直な感想としては、なぜこのタイミングでレーヴェの過去を扱うのか?という感じはしました。おそらく帝国編が完結して全体を読み直せば理解できるのでしょう。

もしかすると、ラント・ユーベルやフリーレン達の戦闘が終われば暗殺が発生して一気に結末へなだれ込むようなスピード感なのかもしれません。だとすれば、今が背景説明を終わらせておくべきタイミングなのでしょう。

おわりに

次の第148話は「三度目の魔法」についてだそうですが、これは未来視の魔法でしょうか。

私はさまざまな理由から黒幕(敵の未来視)は「女神の石碑編」と同じシュラハトの掌の上で踊る魔族だと考えています。ミーヌスの死の周辺で何があったのかも気になります。

楽しみに待つことにします。

黄金郷編をじっくり読むのも良いですね。原作マンガが頭に入っていれば、アニメ第2期を観たときに新しい気付きもあるでしょう。何か考えがまとまれば作文を上げるつもりです。

最後に、マガジンや過去記事の紹介です。《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。

150本近くありますが、最初の考察記事としてお勧めなのはこちらです。

これを読んだ上で、フランメ、ヒンメル、エーヴィヒなどで検索すると物語の全体像に関わる考察が出てきます。

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