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13_シェイクスピア『ハムレット』解釈:ハムレットが復讐をためらうのはなぜか?

Q. ハムレットが復讐をためらうのはなぜか?
『ハムレット』では、父(先王)の死がクローディアスの陰謀だったことを知った王子ハムレットが、復讐を決意します。けれど、クローディアスが部屋にひとりでいる絶好の機会に遭遇したにもかかわらず、ハムレットはあれこれ理由をつけて復讐を思いとどまってしまう。なぜでしょうか。今回は、多くの研究者や読者がさまざまに解釈してきたこの場面について、私なりの考察を試みたいと思います。
 
本稿の解釈はこう。
A. 若者が運命に抗い、乗り越えようとする意志を表現しているのでは。
けれど、最終的には乗り越えられず、さらに大きな運命に呑み込まれてしまう姿が描かれているのでは。以下に理由を述べます。




シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。

■ 問題の場面

まずは『ハムレット』の父殺しの場面を簡単にまとめます。
 
王子ハムレットは亡くなった先王(実父)の亡霊に会い、現王クローディアスに暗殺されたと聞かされて、復讐を決意する。役者たちに、クローディアスによる兄殺しの場面を再現した劇中劇を演じさせ、クローディアスの反応から、彼が犯人で間違いないと確信する。王妃である母に呼ばれ、天井画の雲を指して「クジラか  like a whale.」(153)とつぶやいたあと、彼女の部屋へ向かう。途中、クローディアスが部屋に一人でいる姿を見かける。復讐には絶好の機会だったにもかかわらず、現王が罪を悔い、天に祈る姿を見て、今復讐しても彼を天国に送るだけだと思いとどまる。けれどそのすぐ後、母ガートルードの部屋でクローディアスの気配を感じた瞬間、ハムレットは迷わず剣を抜き、壁掛けの裏に隠れていた者を刺し殺す。しかし、そこにいたのはクローディアスではなく、宰相ポローニアスだった。

復讐の機会があったにもかかわらず、一度は思いとどまり、しかし直後に今度は事実をよく確かめもせず剣を抜いた結果、狙っていたのとは別の人物を殺してしまったんですね。それが恋人オフィーリアと友人レアティーズの父だったことが、その後のオフィーリアの発狂や死、ハムレットとレアティーズの決闘、彼らの死という一連の悲劇へつながっていく。ハムレットが復讐をためらったのはなぜか。そして、間違った殺人を犯したのはなぜなのでしょうか。

■ オイディプス王の父殺し

フロイト派の研究では、ハムレットが復讐をためらう理由をオイディプス神話と結び付けて、息子が潜在的・普遍的に持つと考えられる、父を殺して母を娶りたいという無意識の願望を、現王クローディアスが実現しているからだと説明していますね。

本稿でもオイディプス神話と結びつけつつ、少し違う解釈をしてみたい。その準備として、以下にオイディプス神話に描かれている父殺しのあらすじを記します。

▶あらすじ
テーバイの王ライオスは、預言者から、やがて自分の息子に殺される運命にあると告げられる。恐れたライオスは、生まれたばかりの子供を殺せと命じる。妻は赤ん坊の足に金具を刺し、夫に内緒で捨てる。赤ん坊はコリントスの国王夫妻に拾われてオイディプスと名付けられ、育てられる。

成長したオイディプスは、預言者からいずれ父を殺す運命にあるといわれる。自分の両親はコリントス国王夫妻だと信じていたオイディプスは、運命から逃れるために独り国を出る。テーバイにスフィンクスという怪物が出るという噂を聞き、退治のためにテーバイへ向かう。途中、三叉路で、ある一行と道を譲るかどうかをめぐって争いになり、相手の男の名も知らぬままに殺してしまう。その後、オイディプスはスフィンクスを退治し、テーバイの王となり、王妃を娶る。国に不作と疫病が続くため、預言者に尋ねたところ、以前三叉路で殺したのが実の父ライオス、テーバイの先王であり、王妃は実の母だったことが明かされる。残酷な運命に耐えられず、オイディプスは自分の目を刺して盲目になり、国から追放される。
 
以上をふまえて、オイディプス神話と比較しながら『ハムレット』を解釈してみます。

1 父の弱さと傲慢

『ハムレット』の悲劇のそもそもの原因は、クローディアスの王になりたい、妃を奪いたいという身勝手な欲望と、そのために犯した兄殺しの罪。実力で兄を凌ぐための努力を怠り、人の命を奪って、自分の欲しいものを安易に独占しようとする汚れた心と浅はかな行い。クローディアスは王座に就いた後も、自分の悪事がバレないか、ハムレットに復讐されないかと怯え、ハムレットに「ただちに足枷をはめてしまおう」(156)といって彼の動きを封じようとする。
 
オイディプス神話では、ライオスが青年時代にクリュシッポスを凌辱する罪を犯したため、アポロンから「子孫を残してはならない」と命じられた。しかしライオスはそれを無視して一子をもうけたために「その罪の子は父を殺し、母を犯す」という呪いを受ける(参考『オイディプス王』ソポクレス、河合祥一郎訳、光文社古典新訳文庫、解説)。ゆえにライオスは神託が実現するのを恐れて息子を殺せと命じ、母は足に傷をつけて赤ん坊を捨てる。
 
この行動が、『ハムレット』におけるクローディアスの行動と符合するように思います。オイディプス神話ができた時代には、神託が大きな力を持っていたのかもしれませんが、それにしてもライオスの行いはひどい。もとはといえば、己の欲望を満たすために人を傷つける行動をとったことがすべてのはじまり。その罰を自ら負うことなく子供をもうけ、しかし神託がくだれば恐れおののいて、無垢な子供の命を守る責任も、己の罪を認めて運命を乗り越えようとする努力もあっさり放棄し、子供の命を犠牲にして安易に問題を解決しようとする。このライオスの弱さや未熟さが悲劇の元凶であり、めぐりめぐって自分にはね返ってくる。さらに息子オイディプスやその子供たちにまで苦難に満ちた運命を背負わせることになる。
 
『ハムレット』のクローディアスを、王子にとっての象徴的父と読むなら、どちらの物語も、遡れば悲劇の原因が父(たち)の弱さや傲慢さにあるというのが、ひとつの共通点と言えるのではないでしょうか。また、『ハムレット』では息子の目から見れば偉大だった先王も、かつては息子と同じように、未熟で弱い心の持ち主だったのではないか。耳に毒を流し込まれたという死因は、それを表現したものではないか、という解釈については以下で述べた通り。

殺された先王は、亡霊になってハムレットの前に現れ、自分の無念を晴らして名誉を回復するために、復讐せよと迫って息子を悩ませる。これも当時の騎士道精神にのっとれば当然のことなのかもしれませんが、自分の恨みを晴らすために息子に人を殺せ、それも叔父で一国の王で、今や母の配偶者でもある人を殺せというのはなかなか酷な頼み、というか命令に思える。クローディアスほど悪質ではないにせよ、先王にも弱さや身勝手さがあり、それが息子たちの運命を狂わせていくように思います。

2 息子の弱さと短気

復讐すべきか否か、自殺すべきか否かと迷い、恋人オフィーリアには愛しているといった直後に愛していないと前言を翻して傷つけ、周囲を振り回す王子ハムレットもまた未熟者。憂鬱に沈んだり、かと思えば音楽を鳴らせと変に陽気になったり。神話のヘラクレスの若い頃のように、ちょっとした出来事で気分が乱高下し、すぐに理性や正気を失って、狂気にとりつかれる弱い心の持ち主。
 
おそらくこれは、同様にヘラクレス的な気質を持っていた父から受け継がれたもの。『ハムレット』では、父と息子の闘いと、父から息子へ引き継がれる資質や、繰り返される宿命が描かれている、という解釈についても上記の記事で述べた通り。一度は復讐を思いとどまったものの、母の部屋で壁掛けの裏に気配を感じて衝動的に剣を刺し、間違ってポローニアスを殺してしまったのも、この不安定で激高しやすい性格のため。そして、ポローニアス殺害後の罪悪感のなさには、王子という立場への慢心と思い上がりのようなものも感じられる。
 
オイディプスもまた、預言を恐れてコリントスを離れる、言葉に惑わされるという点では父と似た行動をとっている。そして三叉路でライオス一行に出くわした時、争いになり、「かっとなって/私を押しのけようとした御者を殴りつけた」、父とは知らずに相手の一行を殺してしまったと語る。正当防衛だったという事情はあるものの、年長者に道を譲れといわれたくらいで激高して、衝動的に相手の一行を皆殺しにする気性の荒さ、皆殺しにしたことを罪悪感なく語る姿には、やはり若さゆえの未熟さが現れています。
 
ソポクレスの『オイディプス王』では、国の不幸の元凶は王自身にあると予言されたオイディプスが怒り狂う。ティーレシアスはそんな王に「怒りたければ、好きなだけ怒り狂えばよかろう」といい、オイディプスは「よし、怒りに任せ、わが思いを告げてやる」(38)と答えて預言者を罵る。さらに、預言を信じられないオイディプスは、事実を冷静に確かめることをせず、すべては王妃の弟クレオンの陰謀に違いないと思い込んで、怒りに任せてクレオンを責め立てる。クレオンから、「折れるときでさえ、激しい怒りを/抑えないのですね。そのようなご気性では/誰よりもご自身がきつかろうに」(62)と指摘される。というように、頭に血がのぼりやすい性格が何度も強調されています。

残酷な運命が明らかになり、オイディプスが破滅する際にも、「傲慢は、それにそぐわぬ富を得ると/とめどなく膨れ上がって/収拾がつかなくなり、/やがては真っ逆さまに奈落へ/落ちていく」(76)と語られる。王という地位はオイディプス自身の知恵で正統に勝ち得たもの。だけれど、王になったあとは権力を振りかざして、命令に従っただけのティーレシアスや、無実のクレオンを責め立てるようになる。最初は好青年だったオイディプスも、頂点にのぼりつめたことで、傲慢になってしまう様子が描かれています。

3 親の因果と己の過ち

オイディプス神話の悲劇のそもそものはじまりは、父ライオスの悪行。(ソポクレス版の『オイディプス王』では、ライオスの青年時代のエピソードは省略されていますが、私は神託を恐れて赤ん坊を捨てたという記述で、ライオスの罪深さは表現されていると思う)そこに、オイディプス自身の未熟さが加わって、破滅に至る。オイディプスの悲劇は、父から引き継ぐ因果と、オイディプス自身のなかにある負の要素の両方が絡み合って起こる。父殺しと母との婚姻という「二重」の罪は、父と息子「二人」のせいであるという、「二重性」がポイント。
 
二重性については後述しますが、『ハムレット』でも父から息子へ、ヘラクレス的な未熟さや狂気的な性質が引き継がれ、似たような行動をとっていく。それは必ずしも父のせいばかりではなく、ハムレット自身も自ら進んで父の性質を引き継ごうとしているところがある、という解釈については、過去記事で見てきたとおり。そして、壁掛けの裏にいるのが誰かを確かめずにポローニアスを殺したのは、完全にハムレットの過ち。ハムレットを襲う悲劇もまた、象徴的父たちとハムレット、両者のせい。父の罪の因果を引き受けつつ、息子もまた父と似た未熟さで過ちを犯す。その両方が混ざり合って悲劇を生む。このあたりも『ハムレット』とオイディプス神話の共通点だと思います。

4 自分探し

ハムレットは、もともとは亡き父や母、恋人、臣下や民衆の期待に応えられる王子になるべく努力していた青年。ゆくゆくは皆から尊敬される、強く立派な国王になりたいと願っていたに違いない。クローディアスの悪事により、運命が狂わされてからも、自分なりに正しい道を選び取ろうと、ひどい憂鬱に悩まされながらまじめに苦悩しています。

父を殺し、母を奪ったクローディアスは悪だし憎い。けれど直ちに復讐を果たすことが本当に正しいのか、騎士道のおきてと道徳観の間で迷っている。この迷いこそがハムレットに課せられた試練。どうすべきか己の意志で選び取り、立派に乗り越えることができれば、彼は成長して国王にふさわしい資質を手に入れられただろうけれど、残念ながら乗り越えられなかった。失敗のポイントは、王妃の部屋で怒りに任せて剣を抜いてしまったこと。『ハムレット』はそんなイニシエーションの挫折の物語としても読めると思う。
 
オイディプス神話では、テーバイへの旅が両親からの自立、イニシエーションの過程ととれますね。若者が両親の保護を離れ、独りで見知らぬ世界へ立ち向かおう、自分の力で未来を切り拓こうとする姿が描かれている。怪物スフィンクスを倒し、社会の役に立つ人間になろうとしている様は、神話の英雄が大人になるための試練に立ち向かう場面として読めます。
 
また、『ハムレット』は「誰だ?」という問いから始まる物語。これが、戯曲全体を貫くハムレットの自分探しを象徴しているといわれる。中盤ではハムレットが「人間とは一体なんだ?」(191)と自問自答するセリフもある。オイディプス神話では、スフィンクスが出すなぞなぞが有名。朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これは何か。答えは人間。『ハムレット』もオイディプス神話も、人間とは何か、自分は何者なのかという根源的な謎を問い、答えを見つけ出そうとする。それが、青年が大人へと成長する際の試練として現れる点が重なります。

5 運命への抵抗

ハムレットが象徴的父(先王・クローディアス・ポローニアス)や女神(オフィーリア・ガートルード)、自分の中の狂気的な面(したい放題するヘラクレス)の操り人形として描かれているのではないか、という解釈については、以下で述べた通り。

そもそもハムレットを操っているのは、彼が自分の手で手帳に記した父の言葉の呪いではないかという解釈は、以下でみた通り。

ハムレットは、自分で自分に呪いをかけておきながら、一方で「運命の女神の笛になって/いいなりの音を出すこともない」(132)ホレイショーを理想とし、運命の女神の操り人形になってしまう自分を嫌がってもいる。運命に抵抗したい、操り人形の糸を断ち切りたいと感じている。

前回もふれましたが、物語の中盤、ハムレットは旅役者が朗読するトロイア戦争の物語を聴きますね。ピラスが父の仇プライアムを倒す場面で、クローディアスに復讐しようとするハムレットと重なる。役者はピラスが父の仇を討った直後、以下のように叫びます。

失せよ、失せよ、運命の女神、心なき女郎め!
天に集う神々よ、女神の力を奪いたまえ
運命の車輪の輪も輻も微塵に打ち砕き
天界の峰の頂きより
奈落の悪鬼に打ち投げたまえ

(107)

この直前まで、ピラスの敵はプライアムでした。けれどこのセリフで、ピラスの敵は〈運命の女神〉にすり替わっている。これがハムレットと重ねられる。ハムレットも最初は実父の仇を討つために、クローディアスに復讐しようと思っていた。けれど、いつの間にか闘いの相手がポローニアスになり、先王の亡霊になり、レアティーズになり、自分の中でしたい放題するヘラクレスになる。オフィーリアやガートルードとも言い争い、それらに〈運命の女神〉の姿が重なってくる。

クローディアスが部屋で独り祈りを捧げる姿を見かけたとき、すかさず剣を抜けばハムレットは容易に復讐を果たすことができたでしょう。けれど、ハムレットにとってそれは、運命の女神の笛になっていいなりの音を出すことと同じに思えた。自分の頭でそれが本当に正しいことなのか判断せず、父の亡霊の言葉のとおりに復讐を果たせば、父は喜ぶだろうし、周りからも騎士道にのっとった正しい行いだと褒められるかもしれない。でもハムレットにとってそれは、三叉路で楽な方の道を安易に選び取ることと同じに感じられたのではないでしょうか。

ハムレットは復讐を思いとどまるとき、クローディアスが過去の行いを悔い、祈りを捧げている今殺せば、王は天国へ行ける。「なんだ、これでは雇われ仕事 Why, this is hire and salary,」(160)といいますね。ここで復讐を果たせば、先王(亡霊)にとっても、現王クローディアスにとっても都合がいい。それではまるで先王や現王、つまり象徴的父たちに、あるいは運命の女神に雇われて仕事をするのと変わらないと考え、それを嫌がっている。

ハムレットが復讐を思いとどまったのは、自分の中にある呪い、運命の女神への必死の抵抗だったのではないでしょうか。剣をおさめることは、定められた運命に逆らい、あえて苦難の道を行こうとする、ハムレットなりの意志や自立心の表明、父の言葉への反抗だったのではないでしょうか。何も考えず、父たちや運命の女神の言いなりになって剣を抜いてしまう方が彼にとっては楽だったのであり、剣を抜かないという選択をする方が、ハムレットにとっては、振舞いとしては地味でも内心ではずっと勇気を必要とする闘いだったのではないでしょうか。ハムレットは復讐を思いとどまることで、自分の人生の手綱は自分が握り続けるという意思を示しているように思うのです。

オイディプスは預言者から、いずれ父を殺すことになるといわれ、その運命から逃れるためにコリントスを離れましたね。若者は自分を操ろうとする運命の糸から、どうにかして逃れようとする。運命に抵抗しよう、運命のいいなりにはなるまいともがき、自分の手で新しい道を切り拓こうと行動を起こす。これも共通のポイントです。

6 三叉路の選択

『ハムレット』には、「ヘラクレスの選択」のテーマが描かれていると言われていることは、以下でも示しました。《分かれ道のヘラクレス》はこれを描いた絵画作品で、ヘラクレスが道を歩いていて三叉路に行き当たり、どちらに進むか悩んでいるところを表現したもの。ヘラクレスが真ん中に描かれ、両隣に女性が一人ずつ描かれている。向かって右側に立っている女性は悪徳・快楽・安楽な道を、左側の女性は美徳と苦難の先にある栄光を表しているといわれています(Wikipedia)。楽で快い道を選んで悪に染まるか、苦難の道を選んで善を成すかの二択は誰もが行き当たる普遍的なテーマ。ヘラクレスは伝統的に、その迷いを象徴するキャラクターなんですね。

『ハムレット』では、妹に分別を説く兄レアティーズに向って、オフィーリアが下記のように言い返す。

私(オフィーリア)には天国への険しいイバラの道をすすめておいて、
ご自分(レアティーズ)はいい気になって放蕩三昧、
桜草の道を浮かれて歩くんじゃないでしょうね

(42)

レアティーズはハムレットの分身(鏡像・義兄弟)なので、レアティーズにいわれたセリフはハムレットと重ねられるのではないか、「to be, or not to be」と相反する二極に揺らぐハムレットの姿が、「ヘラクレスの選択」に結びつくのではないかというのが私の解釈です。
 
オイディプス神話では、父殺しの現場が三叉路だといわれていますね。三叉路なら一方へよけられるから争いにはならないのではないか、という考え方もあるようですが、私はやはり三叉路であることに意味があるのだと思う。一本道を歩いてきた人が、右へ行くか左へ進むか二者択一を迫られる分かれ道。
 
これはオイディプスが両親のもとを離れて、初めて自分の意志だけで人生の選択をしようとしている局面を象徴しているのではないでしょうか。オイディプスは父殺しのいきさつを「かっとなって/私を押しのけようとした御者を殴りつけた」、すると相手が「先が二つに分かれた/突き棒で、私の頭をしたたかに打った」だから「杖で即座に打ち返」(71)したと語る。先が二つに分かれた突き棒もまた、分かれ道の象徴なのかもしれません。

7 選択を邪魔する父

オイディプスが三叉路で右へ行くか左へ行くか決めようとしているとき、親元を離れ、自分の意志で初めて人生の道を選ぶ期待と不安に胸を高鳴らせているまさにその瞬間、向こうから馬車の一行がやってくる。見知らぬ年長者が目の前に立ちはだかって、道を譲れという。このとき、オイディプスは相手が実の父であることを知りません。けれど、ひと世代上の男性が、若者が道を選ぼうとして悩んでいるのを遮って、こちらに行け(退け)と命令する。
 
これは、象徴的父が子供に社会のルールを教えようとする行為として読めると思う。年長者(父)は子供のためを思って助言するのだけれど、子供は自分の選択を邪魔されたと感じて苛立つ。自立しようとする意志をくじかれ、成長の機会とプライドを奪われたことに反発し、頭に血がのぼって父に対決を挑む。オイディプスは自らの若い力を制御する術を知らず、勢い余って父を殺してしまう。
 
『ハムレット』もこれと同じなのではないかと思う。復讐すべきか否か、ハムレットは迷い悩んでいる。そして、一度は運命に抗い、復讐しないという道を自分の意志で選び取った。留保しただけという方が正確かもしれませんが、ともかく楽ではない方の道を選ぶ可能性を残した。
 
けれどその後、ガートルードの部屋で母と話をしているときに、壁掛けの向こうに義父の気配を感じる。これが三叉路でオイディプスの前に立ちふさがったライオスと重なる。ハムレットはまだ復讐すべきか否か迷っている、自分の意志で納得のいく答えを出そうと必死で考えている最中なのに、ぐずぐずするな、決断を急げ、早く復讐しろと象徴的父が暗闇からせかす。自立の機会とプライドを奪われたハムレットは、頭に血がのぼってすかさず壁掛けの向こうの人物に向かって剣を刺す。
 
オイディプス神話における三叉路の父殺しは、自由意志と運命の対立だといわれます。『ハムレット』も同じ。復讐するか否かを自分の意志で選ぼうとし、ハムレットは一度剣をおさめる。運命という名の衝動や憎しみを意志のちからで抑え込み、理性的に考えて復讐を思いとどまる。この瞬間は意志のちからが勝った。けれどガートルードの部屋で壁掛けの背後に人の気配を感じたときには、三叉路のオイディプスと同じように、一気に頭に血がのぼってしまう。自由意志など出てくる暇もなく、身体の奥深くから湧き上がる衝動のままに剣を突き刺す。運命の操り人形になってしまう。
 
すると、オイディプス神話でも、『ハムレット』でも、〈運命〉と呼ばれるものの正体は、主人公たちのなかに閉じ込められている怒りや衝動のようなものに思えてくる。自由意志とは、それを制御する理性のことなのではないか。普段は抑圧され、意志や理性のちからで制御されている悪の感情、本能や狂気のようなものが、頭に血がのぼって表に出てきてしまうとき、運命の車輪が大きく動く。自由意志と運命の対立とは、正気と狂気、理性と本能の対立と言い換えられるものかもしれない。そして、若い好青年が狂気にとりつかれ、運命の操り人形になる原因は、〈選択を邪魔する父〉にあるように思います。

8 ハムレットを見張る三人の父

ハムレットはポローニアスを殺した後、死体に対して「でしゃばりな阿呆」「お前の主人と間違えた」(164)とつぶやきますね。ハムレットは、ポローニアスをクローディアスの〈fool・阿呆・道化〉として語っている。その前には、ポローニアスが、もしも娘のオフィーリアを安売りすれば「バカを見るのはこのわしだ Me a fool.」と自らをfoolに例える場面もあります。道化は王の影・分身。だからハムレットはここで、ポローニアスの死体を、クローディアスの影という意識で見ている。
 
ポローニアス殺害後、ハムレットには恋人や友人の父を殺してしまったという罪悪感がほとんど見られません。自分が間違った殺人を犯したと分かった後も、ハムレットはたんたんと、異様なほど長々と、死体のある部屋で母を責め続ける。これは、第一にはハムレットが狂気にとりつかれているからであり、第二には彼が王子でポローニアスが臣下だからかもしれませんが、深層ではポローニアスがもともと復讐しようと思っていたクローディアスの分身であり、うっとうしい象徴的父の一人だからかもしれない。
 
ポローニアス殺害後には、先王の亡霊が現れて、「こうして現れたのは/お前の鈍った決意を研ぎすますためだ」(170)、クローディアスに復讐せよと急き立てます。けれどハムレットにしてみれば、登場前から神出鬼没のspirit亡霊は常にそばにいて、四六時中見張られている感覚があったはず。先王の亡霊は、狂気のハムレットの幻覚、幻聴とも、本当に亡霊が出たとも解釈できる。幻覚、幻聴ならハムレットが内面化した父親像の現れだし、実際に亡霊がいたのだとすれば、遍在する実の父のspiritとして息子に強い影響力を持つ存在。
 
ヘラクレスの選択が仄めかされる場面で、オフィーリアが、兄レアティーズからの忠告を「心の見張りにしておくわ As watchman to my heart」(42)とこたえるように、ハムレットのなかには常に、心の見張りとしての先王の亡霊がいて(詳細上記リンク[ポローニアスが壁掛けの裏に隠れるのはなぜか?]参照)、それがハムレットの分かれ道での選択に影響を及ぼす。現実の義父たちと、先王の亡霊が、実際の父と内面化した父、両方との闘いと和解という神話的課題の複雑さをリアルに描き出していく。
 
母の部屋へ向かう途中で見かけた、罪を悔いて天に祈っていたクローディアスもまた、ハムレットの立場からすれば、今なら復讐されても天国に行ける。先王と現王は敵同士でありながら、同時にここでは象徴的父として、一緒になって復讐を急げとハムレットを責めさいなむ。そんな状況のなか、壁掛けの裏側でクローディアスの影=ポローニアスがうごめく。お前がぐずぐず復讐を先延ばしにしていると、王妃に危険が及ぶ。復讐を急げ、とハムレットの退路を断つ。父殺しの場面では、この三人がハムレットにとっての象徴的父、オイディプスに道を譲れと迫るライオスの役割を果たしているのではないでしょうか。
 
大廊下の場面ではクローディアスも壁掛けの裏におり、これがポローニアス=クローディアスの伏線になっている。壁掛けの裏のポローニアス、父の仇クローディアス、いつでもハムレットのそばにいる先王のspirit亡霊は、常にハムレットの動きを監視し、裏で糸を引く人形使い。壁掛けの裏も、亡霊がいる彼岸も、操り人形ハムレットがいる表の世界、此岸から見れば裏側、メタ的領域。三人の象徴的父は、ハムレットからは見えない一段上の視点から、人形使い=運命の神=父として、一体となってハムレットを見張り、操り、復讐させようとする。ハムレットからすれば、三人の父たちから常に見張られ、復讐をしないという道を選びたいのに、反対側の復讐をするという道へ行けと強制され、急き立てられて、徐々に逃げ場がなくなり、追い詰められていく。
 
復讐をためらうこと、復讐の絶好の機会にあえて何もしないことで、一見、宿敵クローディアスに屈しているようにも見える場面で、ハムレットは最も強く三人の象徴的父たちに反抗している。そして、王妃の部屋で壁掛けの裏のポローニアスを殺す場面で、ハムレットは最も強く父たちの操る糸に引っ張り返されてしまう。運命という名の内なる衝動、怒りに流されてしまう。ここで彼は、己の人生の手綱を運命にあけわたしてしまったのではないでしょうか。

9 運命への敗北

ハムレットは一度、運命に逆らって復讐を思いとどまった。けれどそれさえ、より大きな運命の手の内のこと。運命に反抗したハムレットは、王妃の部屋で頭に血がのぼって間違った殺人を犯すことになる。ポローニアスを殺してもなお、先王の亡霊はハムレットを苛み、クローディアスは生きてハムレット抹殺を画策する。ハムレットは父や義父たちが操る糸から未だに逃れられない。どころかいっそう複雑にもつれた運命の手玉にとられるようにしてポローニアスを殺し、それが恋人を発狂させて死に追いやり、友人に父の仇と敵視され、決闘することになる。このときついに、ハムレットは運命に敵わないことを悟り、運命の前にひざまずく。

ハムレットは自分がポローニアスを殺したことについて「これも天の御心。/こうして僕を罰し、僕を使ってこの男に罰を下された。/僕は神の鞭を受け、神の使者としてその鞭を揮ったのです」(174)という。開き直りにも聞こえますが、一度は運命に抗おうとした結果、さらにひとまわり大きな運命の渦に巻き込まれてしまった、もう自分は運命の女神のいいなりになるしかないのだというハムレットの諦念が込められているとも読めます。そしてハムレットは、運命には逆らえない、受け入れるしかないのだという境地に至り、以下のようにいう。

雀一羽落ちるにも天の摂理が働いている。いま来るなら、あとには来ない。あとで来ないなら、いま来るだろう。いま来なくても、いずれは来る。覚悟がすべてだ。生き残した人生のことなど誰に何が分かる。だったら、早めに死んでも同じことだ。放っておけ。

(256)

中盤でハムレットがいう「神のみぞ知る身の定め」(103)、劇中劇のセリフ「われらの意思と時の運とは互いに背き/われらの意図は常に覆される」(142)も似た意味ですね。こうしてハムレットは、運命から逃れようともがきながら、より大きな運命に絡めとられていく。
 
その姿は、オイディプスが運命から逃れようとコリントスを離れ、後に自分が殺した相手が実父であり、娶った相手は実母だと知ることと重ねられる。運命に逆らおうとして取った行動がすべて裏目に出て、自分でも気づかないうちに預言者の言うとおりに行動してしまっていたと分かり、運命からは逃れられないと悟る。運命に抗おうとしてとった行動さえ運命の手の内にあると絶望し、その大きな力の前にただ屈することしかできないと思い知る。
 
オイディプス王が真実を探ろうとするのは、テーバイで暮らす民衆を救うため。コリントスからの使者が、オイディプスが捨て子であったことを明かすのは、オイディプスの心配を取り除くため。良かれと思ってなしたことが悪い結果をもたらす。ハムレットも、より良い決断をと復讐を先延ばしにした結果、間違った殺人を犯し、恋人を発狂させて死なせ、六人もの人間が命を落とす悲劇に至る。運命に逆らって、より良いことを為そうとする意志が、悲劇の輪を広げてしまう。これが二つの物語に共通する、運命の恐ろしさ。
 
オイディプスにスフィンクスが出す、四本足、二本足、三本足の謎かけは、後半、ティーレシアスによって以下のように問い直される。

今は目が見えるが、盲人であり、
今は豊かだが、乞食であり、
異国の地にて杖で道を探り歩く者。
子らにとって、父にして兄弟。
産んだ母にとって、息子にして夫。
父を殺し、父の女を孕ませた男。
さあ、中へ入り、この謎を解くがよい。

(46)

かつてはスフィンクスの謎を解いた英雄オイディプスも、王となり、傲慢にとらわれた今では、自分の本当の姿が見えなくなっている。自分が何者なのかが自分でも分からなくなり、気づかないうちに恐ろしい運命に絡めとられてしまう。運命に抗おうとしてより大きな運命のはたらきに屈し、普段は制御している弱さや狡さ、傲慢や本能的な衝動にふとしたきっかけで足もとをすくわれ、高くのぼった分だけ転落して破滅する。これが、ハムレットがつぶやく「人間とは一体何だ?」という問いへのひとつの答えなのかもしれません。

10 ヘカテの三叉路

オイディプス王の父殺しの現場、ヘラクレスが選択を迫られる三叉路は、伝統的に女神ヘカテが現れる場所だといわれますね。Wikipediaによれば、ヘカテは海洋、地上、天界で自由に活動できる、天上・地上・地下の三世界に力が及ぶ、三叉路は過去・現在・未来の三相を表し、少女・婦人・老婆という三つの顔をもつともいわれる、強い力を持つ究極の女神のひとり。出産を司る女神でもあり、月の女神アルテミスや農耕の女神ペルセポネと同一視されることもあるというから、グレートマザーやアニマと重ねて見てもよいでしょう。三叉路は運命の分かれ道であると同時に、心を迷わせた者が母なる大地、本能の領域へ還る場所ともいえそうです。
 
ソポクレス版『オイディプス王』では、三叉路で父殺しがなされた際、ライオスはアポロンの神殿があるデルポイへ向かう途中だったと語られ、別の個所ではデルポイが「聖なる大地の臍」(78)と表現されます。父王ライオスの死は、母なる大地と息子の臍を結び付ける場所、母なる大地へ還り、再生へ導かれる場所と結びついている。オイディプスも最後は、大地に吸い込まれるように消えたという伝説がありますね。
 
ソポクレス版だと『オイディプス王』の続きで、オイディプスの娘を描いた『アンティゴネ』(制作年はこちらが先のよう)も、兄弟姉妹の二重性、二重の禁破り、閂、父と息子の闘い、傲慢への罰、運命に屈する人間など、『オイディプス王』と共通のテーマが幾つも描かれている。この作品ではヘカテ神への直接の言及があり、アンティゴネは「岩屋の中に掘りあけた空洞」(『ギリシャ悲劇Ⅱ』ちくま文庫_188)「お墓、墳のかわりに/築きあげられた岩窟」(192)へと閉じ込められて、婚約者もともにそこで命を落とす。さらに、洞窟や牢に閉じ込められた者についての悲劇的な言い伝えが三つ言及される。母なる大地の胎内、洞窟、ヘカテがあわせて語られています。
 
『ハムレット』は墓掘りの場をはじめ、死んで母なる大地へ還るイメージが強い作品。またハムレットがポローニアスを殺す場所、父殺しの現場も、母ガートルードの部屋、女神の領域。ハムレットは母の部屋に呼ばれたときに「クジラか」とつぶやきます。これは母の部屋が、神話におけるクジラの腹、神話の英雄が象徴的に死んだとき、癒し再生を促す空間であることを示すものだと思う。

ピノッキオが呑み込まれたクジラ、旧約聖書でヨナが呑み込まれたフカ(巨大な魚)ですね。『リア王』に出てくる「ドルフィン坊や Dolphin my boy」(古い歌からとられているとのこと)(135)や「深海の怪物 monsters of the deep」(170)といった言葉もこのバリエーションだと私は思っていますし(この詳細は改めて)、『テンペスト』の終盤にミランダとファーディナンドがプロスペローの洞窟でチェスをしている姿も分かりやすい。神話の英雄は象徴的に死んだり、結婚したりするとき、クジラの腹や洞窟から生まれなおすもの。シェイクスピアはこのモチーフにも意識的。
 
『ハムレット』の王妃の部屋は、父と母の気配が混ざり合った、原初的なウロボロス空間だということもできるでしょう。ピノッキオがクジラの腹のなかでゼペットと再会するように、ハムレットはガートルードの部屋の壁掛けの裏にクローディアス=ポローニアスの気配を感じ、途中から先王の亡霊も現れる。ユング派の神話学では、神話の英雄が象徴的に死んだとき、原両親が一体化したウロボロス空間へ還るのだという。オイディプスが父殺しをしたヘカテのいる三叉路、ハムレットが父殺しをした王妃の部屋は、これと重ねられるように思います。
 
ハムレットは国外追放になったとき、義父のクローディアスに向かって「さようなら、母上」といい、「父上だ」と返す義父に「母上です。父と母は夫と妻、夫と妻は一心同体、だから母上」(187)と言い返しますね。あるいは『ヴェニスの商人』でも、ランスロットが父に「親父さんとおふくろさん両方」(132)のイメージを付与したあと、その父が〈籠〉を持って登場する。これが、英雄が再生するための揺りかごとして読めるなど、父と母が一体化したウロボロス空間と、神話的な死と再生を結び付ける表現も、シェイクスピア作品にはいくつか見られます。このテーマについては下記でも考察していますので、あわせてご覧ください。

以前も触れたことがありますが、ポローニアスはオフィーリアに、「自分は赤ん坊だと心得ろ」(46)という。そんなポローニアスを、ハムレットは、「後ろ向きに這えれば」(91)ちょっとは若返るかも、「大きな赤ん坊は、まだおむつが取れていない」とばかにし、ローゼンクランツにまで「たぶん二度目のおむつでしょう。年寄りは子供にかえると申しますから」(101)といわれる。『ハムレット』には、登場人物たちが赤ん坊に退行するイメージもあり、これが死と再生の神話とリンクしています。

11 二重性の連鎖

『ハムレット』は父への復讐劇、騎士道精神をめぐる象徴的父との対決と、オフィーリアとガートルードという二人の女神との愛をめぐる物語、大きく二つの軸で読めるという解釈については、以下で述べた通り。王妃の部屋で激高してポローニアスを殺してしまうのは、永遠の少年であるハムレットにとって、象徴的父に母を汚されることが絶対に許せないからという理由もある。

オイディプス神話は、フロイトが述べたように父と母との三角関係で悩む息子の話。ゆえに、『オイディプス王』では、「犯した罪が二重ゆえ、/激しき嘆きも倍となる」(111)「二重に呪われた婚礼よ」(116)という言い方がされる。父に対する罪と母に対する罪の二重性が、悲劇性を倍増させるわけです。
 
これがさらに、「この手が父から流した、/私自身の血だった」(116)「父でありながら兄弟、夫でありながら息子。/そして私が娶った女は、母でありながら妻」(117)と、血縁がおぞましい形で重なりあう、二重性の連鎖として提示される。
 
ゼウスとアポロン、ライオスとオイディプス、神と人間、父と息子、神託と人間ティーレシアスによる予言、「血をもって血を贖う」(19)宿命、赤ん坊オイディプスの足を刺した金の針と、運命に絶望したオイディプスが自らの目を刺す金の針、「何と立派な外見を持ち、/その実、なんとおぞましい邪悪さを隠していたことか」(116)という表と裏の乖離、二人の息子と二人の娘といったいくつもの二重性が、コロスの右回りと左回りの旋回と響きあう。
 
スフィンクスがだすなぞなぞの「二本足」とは、知力体力共に充実した青年期から壮年期にかけての人間のこと。自分に自信を持ち、溌溂と生きられる時期。栄耀栄華を極めるオイディプス。三叉路や「先が二つに分かれた/突き棒」(71)が、ここにある罠を暗示する。最も調子に乗った者は、傲慢の罠にかかり、姿の見えぬ犯人へ恐ろしい呪いをかける。けれど、オイディプスが「どうやら私は、そうとは知らず、/この身に恐ろしい呪いをかけてしまったらしい」(67)「呪いをこの身に浴びせたのは、誰あろう、/ほかならぬこの私自身なのだ!」(72)と嘆くように、呪いは鏡に反射してオイディプス自身にふりかかり、彼のなかでかけた呪いとかけられた呪いが二重に反響します。
 
To be, or not to be. と二極のあいだを揺らぐハムレットもこれと同じ。王子として幸福を享受していたハムレットは、ある日突然、運命の三叉路に行き当たる。父か母か、生きるか死ぬか、復讐するか否か、愛しているか愛していないか、正気か狂気かでぐらつき、右へ行くか左へ進むか迷い悩む。二本足で立派に毎日を謳歌していたはずなのに、クローディアスの悪意に端を発する運命の車輪に巻き込まれてしまう。そして最後は自分の鏡像のようなレアティーズと相打ちになって果てる。まるでもう一人のハムレット=したい放題するヘラクレス=己の二重性に倒されるように。

12 内なるヘラクレス、アポロン、ディオニュソス

『オイディプス王』でティーレシアスは、オイディプスに「そなたの言葉がそなたを裏切るのだ」(36)「そなたは私の気性を責めるが、/ご自身の内なるものを知らぬ」(37)「そなたの破滅をもたらすのは私ではない。/これを明るみに出そうとなさった神アポロンのなせる業だ」「汝が敵は汝のみ」(40)といいます。
 
そして、先に引用したように、「子らにとって、父にして兄弟。/産んだ母にとって、息子にして夫」という言葉の意味について「さあ、中へ入り、この謎を解くがよい」と促す。中とは邸の中のことですが、それが心の中、深層心理、開けてはならないパンドラの箱の中の意味を持つのではという解釈については、サリンジャーの「コネティカットのひょこひょこおじさん」読解でもふれたとおり。
 
残酷な運命を明るみに出そうとしているのは、神託を告げるアポロン。オイディプス神話には、アポロンと対で、ディオニュソス(バッコス)が登場します。アポロン的なものとディオニュソス的なものの対比は有名ですね。アポロン的なものとは光・理性・秩序・自制など。ディオニュソス的なものとは闇・狂乱・混沌・解放など。アポロンは神託によって、ディオニュソスは狂気によって、オイディプスを内外から突き動かし、彼を残酷な運命へと巻き込んでいく。オイディプスの「内なるもの」とは、アポロンとその反転としてのディオニュソスである、ともいえるかもしれない。「汝が敵は汝のみ」を言い換えれば、「オイディプスの敵は、オイディプスの内側にあるアポロン的なものとディオニュソス的なもののみ」となるのではないでしょうか。オイディプスの〈運命〉をのせて進んでいく車の両輪、究極の二重性とは、オイディプス本人も自覚できずにいる、彼の心の奥深くに隠された光と影なのかもしれません。
 
オイディプスにとってのアポロンとディオニュソスは、ハムレットにとってのヘラクレスではないかと、私は思う。『ハムレット』では、ヘラクレスの狂気的な面と英雄的な面の二面性が描かれているのだという解釈については以下で述べた通り。

ティーレシアスがオイディプスに、「汝が敵は汝のみ」というのは、ハムレットがレアティーズに以下のように言い訳するのと同じ。

僕はひどい精神錯乱に悩まされてきた。(略)
レアティーズに害を加えたのはハムレットか? 決してハムレットではない。
もしもハムレットが正気を奪われ
己をなくした時にレアティーズに害を加えたとすれば
それはハムレットの仕業ではない。ハムレットがそれを否定する。
では誰の仕業か? ハムレットの狂気だ。とすれば
ハムレットも被害者の一人。
彼の狂気は哀れなハムレットの敵だ

(257)

オイディプスは自らの罪を認識したあと、己の目を潰して誰かに手を引かれなければ歩けない者になる。この姿は、一人で立つには足もとがおぼつかなく、常に二人組で行動する愚者・道化に通じるもの。オイディプスは「ああ友よ、/今もなおこの身を支え、盲の私を/大事にしてくれるのか。/ああ!/そなたがいるのが感じられる」「ああ友よ、アポロンだ。/ありとあらゆる苦しみを私に与えたのはアポロンだ。/だが、目を潰したのは、ほかならぬ私自身」(112)という言い方をする。オイディプスの同伴者・相棒・分身・シャドウはアポロンだとソポクレスは記しています。
 
『ハムレット』では、亡霊に会った直後のハムレットの様子を、オフィーリアが「目がなくても道は分かるとでもいうように、/目の助けなしに出ていかれた」(76)と回想する。これは、ハムレットが現実にいながら闇のなか(パラレルワールド)を彷徨っているからだという解釈については以下で述べました。

オイディプスの同伴者・分身としてのアポロンは、以下で考察した、ハムレットの鏡像としてのヘラクレスと重ねられると思う。

『オイディプス王』で「神託は永久に消えず、/つきまといて離れず」「その言葉信じがたけれど、否定もできぬ」(48)と語られるように、運命とは自分の内側からでてくるものだからこそ、決して逃れられない。ということに、オイディプス=ハムレットは薄々気づいている。自分の心の奥深くでうごめく黒々としたものに対して、はじめから何となく嫌な予感がしている。からこそ、そこから逃れようと必死に抵抗するのだけれど、すべてが裏目に出てしまう。そして、運命を受け入れるしかないという境地に至る。「人間とは一体何だ?」運命という名の、自分の内側から湧きあがってくる衝動を恐れ、そこから逃れるために右往左往したあげく、自分の運命を転覆させる愚か者 fool である……。

13 『ハムレット』から『リア王』へ

こうして見ていくと、『ハムレット』はオイディプス神話と重なる部分が驚くほど多いことに気づきます。ハムレットの悲劇には、オイディプスにふりかかる根源的なタブーを犯すグロテスクさはない。けれど、運命と呼ばれるもの、自分の心の奥深くから湧きあがる本能的な衝動と、それを制御しようとする理性との葛藤、無意識と意識の衝突、象徴的父との闘いという面では、とてもよく似た表現がされている。
 
比較して読むと、ハムレットの一見不可解な行動に込められた意味も理解できるような気がします。ハムレットが復讐をためらうのは、運命への抵抗であり、その後にポローニアスを殺してしまったのは、さらに大きな運命のちからには抗い切れなかったからではないでしょうか。そして、運命と呼ばれているものは、人知をこえたちから、神託や神の采配として語られながら、同時に内側からハムレットやオイディプスを突き動かし、思わぬ行動をとらせる狂気、無意識の衝動、父への反抗心とも結びついていく。
 
さらに、オイディプス神話の要素は、『ハムレット』の数年後に書かれたとされる『リア王』で、また別の形で語られていきますね。例えば序盤、コーディリアからの真心はこもっているけれど、痛いところを突く助言にリアが激高する場面では、「闇の女神ヘカテの夜毎の秘法に賭けて(中略)親子の縁も血のつながりもきっぱり断ち切る」(16)という。ここでコーディリアとの関係を断ち、長女と次女を優先したことが、後のリアの破滅と悲劇をもたらす。とすればここが、リアが選択を誤ったポイント。運命の三叉路。
 
前述の「ヘラクレスの選択」に照らすなら、苦しみながら善を成す道は三女コーディリアと、楽をして悪を成す道は長女ゴネリル・次女リーガンと重ねられます。この劇中では、道化がリアに「あんたが娘二人をお袋にしちまってからさ」(54)という。ここでの娘二人はゴネリルとリーガン。また、劇の最後では、コーディリアの亡骸を抱くリアが逆ピエタのようだといわれますね。この戯曲では場面によって、父王リアと三人の娘の立場が逆転し、娘たちがリアの究極の女神、グレートマザーのように描かれる。リアにとって三人の娘こそが三叉路にいるヘカテです。
 
また、リアが「俺は誰だ?」(48)「俺を知っている者はいないのか?」(57)と問い続ける自分探し、盲目になることで真実が見えるようになるというテーマ、最後に娘の顔に鏡をあてて、「俺の阿呆が絞め殺された!」(246)という場面での、愚か者としての自己の発見、グロスター親子を通しての父と息子の闘いと和解も別の角度から語られていて、比較してみると面白い。これについては改めてまとめます。お読みいただき、ありがとうございました。

続きはこちらから。ぜひご覧ください。


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