本能寺の変1582 【重史257】 №6-069 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史257】 №6-069
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮
1戦国時代=相互不信の時代
2美濃
3尾張
←2 光秀の実像
1信長という男
2光秀という男
3光秀と光慶 1光秀の素性 2光秀の年齢 3嫡男光慶
4先祖の教訓
5大量殺戮
6信長の弱点
←3 光秀の苦悩
1粛清の怖れ
2志向の相違
3光秀の老い
4四国問題
5自立への道
←4 武田の滅亡
1甲斐遠征
2勝頼の首
3武田効果
←5 信長の油断
「事態急変」
1 勝利の余韻 概略 4月21日 24日
2 四国出陣 概略 5月7日 1/3 2/3 3/3 11日
3 足蹴事件 概略 5月12日 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 15日
足蹴事件 1/3 2/3 3/3
4 中国出陣
5 時は今、・・・・・。
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【重史257】 №6-069
①私は日本に三年近く滞在して、今年当地に戻って来た
②日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである
③国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うから
④日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
⑤日本は、・・・最も国土が不毛且つ貧しい
⑥国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいる
⑦(日本は)征服が可能な国土ではない
⑧シナに於いて・・・日本は・・・非常に益することになる
⑨日本の地を極めて重視する必要がある。
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
ヴァリニャーノは、日本について、論じた。
日本のキリスト教界については、閣下に書(き)送るべきことが沢山有る。
何故なら私は日本に三年近く滞在して、今年当地(マカオ)に戻って来た
からである。
日本布教は、最も重要な事業の一つである。
私は閣下(フィリピン総督)に対し、霊魂の改宗に関しては、
日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の一つである旨、断言する
ことが出来る。
ヴァリニャーノの日本人観。
何故なら、国民は非常に高貴且つ有能にして、理性によく従うからであ
る。
日本は、征服事業の対象外。
否、征服できぬ国である。
尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。
その理由。
一、日本の国土。
不毛且つ貧しい。
何故なら、
日本は、私がこれまで見て来た中で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、
求めるべきものは何もなく、
一、日本の軍事力。
きわめて、強力=征服不可能。
また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練をつんでいるので、
征服が可能な国土ではないからである。
日本は、利用すべき国。
重要なパートナーである。
しかしながら、シナに於いて陛下(フィリペ2世)が行いたいと思っている
ことのために、
日本は時とともに、非常に益することになるであろう。
それ故日本の地を極めて重視する必要がある。
1582年12月14日付
「フィリピン総督宛ヴァリニャーノ書簡」
(「キリシタン時代の研究」高瀬弘一郎著)
【引用】【京都馬揃え】 【重史257】
【さらなる夢】
【光秀という男】 結論 18/x
【四国問題】 天正八年 天正九年 天正十年 目次
【参照】
【重史248】 ヴァリニャーノの見た安土。 『日本史』
【重史249】 信長は、ヴァリニャーノ一行を安土城に招待した『日本史』
【重史250】 ヴァリニャーノは、安土にセミナリオを開校した。「年報」
【重史251】 信長の心の中に、「さらなる夢」が芽生えた。 「年報」
【重史252】 信長は、ヴァリニャーノに気に入りの屏風を贈った「年報」
【重史253】 信長は、ヴァリニャーノに経済的援助を約束した。「年報」
【重史254】 信長は、ヴァリニャーノのために「夜祭り」を執り「年報」
【重史255】 信長は、安土城を挑灯(ちょうちん)で飾り立てた。『公記』
【重史256】 スペインの最大の目的は、シナを征服することだった。
⇒ 次へつづく
