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#21 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(八) 7.文化のみち二葉館

前回記事:#20 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(七) 6.徳川園・徳川美術館・蓬左文庫


こんにちは。

ぴかるまこと編集部、「ピカある探訪記」担当のぴかるまことです。

前回は、徳川園と、その敷地内にある徳川美術館・蓬左文庫を紹介いたしました。

今回は、閑静な住宅街に歴史的な建物が点在する、バス停「文化のみち二葉館」周辺を歩きます。


「メーグル」ルートガイド

名古屋駅🚏トヨタ産業技術記念館🚏ノリタケの森西🚏
四間道🚏名古屋城🚏名古屋城東・市役所🚏
徳川園・徳川美術館・蓬左文庫🚏 ─ ✎文化のみち二葉館🚏
中部電力 MIRAI TOWER🚏広小路栄🚏広小路伏見🚏
《復路》─ 名古屋城🚏四間道🚏ノリタケの森(4番)🚏トヨタ産業技術記念館🚏 )─ 名古屋駅🚏

バス停情報


バス停 文化のみち二葉館

バスを降りると、目の前に文化のみち二葉館があります。
最初に見たときは、少し立派な公民館のようにも見えました。しかし、その来歴を知ると、ここが名古屋の近代化を物語る重要な場所であることが分かります。

このバス停の通りには、「オオカンザクラの並木道」と名付けられています。
そういえば、この辺りには桜の並木道が多いような気がします。春に歩けば、今回とはまた違った景色が見られそうです。

文化のみち二葉館

文化のみち二葉館は、赤瓦を載せた和洋折衷の大邸宅です。

大広間や吹き抜け、色鮮やかなステンドグラスが印象的で、大正時代らしい華やかさを感じさせます。

この建物は、大正9年(1920年)頃に建てられた旧川上貞奴邸を移築・復元したものです。

もともとは現在地ではなく東二葉町にあり、2,000坪を超える敷地と豪華な建物から、「二葉御殿」と呼ばれていたそうです。

名古屋市は2000年(平成12年)に建物の寄付を受け、解体保存したうえで現在地へ移築・復元。2005年(平成17年)に開館しました。建物の一部は、国の登録有形文化財となっています。

電力王・福沢桃介

福沢桃介は、旧姓を岩崎といいます。

福沢諭吉の娘・房と結婚し、福沢家の婿養子となりました。その後、木曽川水系の電力開発を進め、名古屋の工業化にも大きな影響を与えた人物です。

二葉館の設計・施工を手がけたのは、洋風住宅を専門とした会社「あめりか屋」。

大広間には政財界人や文化人が集まり、大正期のサロンとして使われていたそうです。

つまり二葉館は、単なる住まいではありませんでした。

桃介が進めていた電力事業を支えるため、人と人とが出会い、語り合う交流の場でもあったのでしょう。

桃介が起業に関わった会社の一つには、日清紡績もあります。

日本初の女優・川上貞奴

川上貞奴は、両替商「越後屋」の12番目の子として生まれ、芳町の芸妓置屋「濱田屋」の養女となりました。

芸妓として伝統ある「奴」の名を襲名し、そのときの「貞奴」という名が広く知られるようになります。

やがて名だたる名士や元勲からひいきにされ、名実ともに日本を代表する芸妓となりました。

その後、自由民権運動の活動家であり、演劇人でもあった川上音二郎と結婚。夫と苦労を重ねながら海外公演へ渡り、日本舞踊や芝居によって人気を集めます。

そして、「日本初の女優」と呼ばれる存在になりました。

音二郎の死後は女優を引退し、のちに福沢桃介と暮らすようになります。

貞奴と桃介の出会いには、馬術をしていた貞奴が野犬に襲われそうになったところを、桃介が助けたという逸話もあります。

華やかな芸妓時代、海外興行、日本初の女優、そして電力王との暮らし。

物語の主人公のような人生を歩んだ二人が住んでいた邸宅。それが、この二葉館です。


文化のみちとは

「文化のみち」という名前から、一本の観光道路を想像するかもしれません。

実際に歩いてみると、そこにあるのは普通の閑静な住宅街です。

少し古い街並みの雰囲気はあるものの、道だけを見て「ここが文化のみちです」と、すぐに特徴が分かるわけではありません。

この名称が名古屋市の事業で使われ始めたのは、1999年度(平成11年度)頃。

名古屋城から徳川園までの約3キロの範囲には、城下町時代の道筋や武家屋敷の記憶、近代産業を築いた人々の邸宅、寺院、教会、美術館などが点在しています。

それらを一つの歴史的な地域として捉え、「文化のみち」と名付けたそうです。

そういえば、そもそも「文化」とは何だろうと思い、少し調べてみました。

日本語の「文化」には、中国古典の「文治教化」、つまり学問や礼儀によって人を導くという考えが背景にあります。

一方、西洋の「culture」は、「土地を耕す」という意味を持つラテン語の「colere」に由来するとされています。

土地を耕すように、人の精神や暮らしを育てる。

点在する歴史をたどりながら歩く「文化のみち」には、どこか似合う言葉のようにも思えます。


文化のみち橦木館

二葉館から周辺を歩くと、「文化のみち橦木館」があります。

橦木館は、陶磁器輸出商・井元為三郎の旧邸です。大正末期から昭和初期にかけて建てられました。

約600坪の敷地には、洋館、和館、茶室、東西二棟の蔵、庭園が残されています。敷地の区割りには、武家屋敷時代の名残もあるそうです。

二葉館が一つの建物の中に和と洋を共存させているのに対して、橦木館は和館と洋館が分かれています。

同じ和洋折衷でも、それぞれに違った趣があります。

井元為三郎は1897年(明治30年)に井元商店を設立。その後、サンフランシスコ、ニューヨーク、シンガポールなどへ事業を展開したそうです。

洋館には外国人バイヤーを招き、商談や交流を行ったとされています。

ノリタケの森でも感じましたが、この建物からも、かつて名古屋が世界的な陶磁器輸出の拠点だったことが伝わってきます。


カトリック主税町教会

国道41号へ出て、北へ進みます。

白く塗られた木造建築の「カトリック主税町教会」が、現在も残っています。

1887年(明治20年)、名古屋・岐阜地方に初めてカトリックの教えを広めた井上秀斎が、テュルパン神父とともに造った教会だそうです。

もとは士族屋敷を改造して建てられたとされ、名古屋・岐阜地方におけるカトリック伝道の歴史を伝える重要な場所となっています。

白壁筋を歩く

そのまま白壁筋まで北へ向かいます。

途中で見かけるオレンジ色や赤レンガの塀も、この辺りの街並みを特徴づけるものの一つです。

白壁筋に入ると、今度は黒塗りの木造壁と白壁の建物が印象に残ります。

街並みは、時代とともに少しずつ変化しています。

それでも、赤レンガ、白壁、黒塗りの木造壁を眺めながら歩いていると、かつての景色の面影が残されているように感じます。


文化のみち百花百草

「文化のみち百花百草」は、岡谷家の旧邸宅を活用した文化施設です。

名称は、徳川美術館が所蔵する田中訥言の「百花百草図屏風」にちなんでいるそうです。

敷地には大正期の書院や茶室、土蔵が残され、旧母屋跡にはホールと庭園が整備されています。

歴史ある住宅を岡谷家が所有したまま公開している施設のようです。


旧豊田家門・塀

1918年(大正7年)頃に築かれた、豊田利三郎旧邸の門と塀です。

主屋は残っていませんが、門と塀が当時の邸宅の面影を伝えています。

1918年といえば、国内外で大きな出来事があった年でもあります。

  • 米騒動: 富山県の漁村から始まった米価高騰への抗議が、全国的な暴動に発展する。

  • シベリア出兵: 日本がシベリアへ軍隊を派遣する。

  • 原敬内閣の成立: 「平民宰相」と呼ばれる原敬による本格的な政党内閣が発足する

豊田利三郎は豊田佐吉の娘婿で、豊田家の事業経営を担った人物です。

建物そのものが失われても、門と塀が残っていることで、ここに邸宅があったことを想像できます。

妙道寺

妙道寺は、日蓮正宗の寺院です。

現在地は、尾張藩士・高梨五左衛門の屋敷跡と伝えられ、境内にはそのことを示す碑があります。

住宅街の中に、尾張藩士の屋敷の記憶が残されている。

こうした小さな歴史の点在も、文化のみちらしさなのかもしれません。

旧豊田佐助邸

旧豊田佐助邸は、豊田佐吉の弟・豊田佐助の旧宅です。

洋館は1923年(大正12年)以前、和館は同年に建てられたとされています。

白い外壁の洋館と和館を並べた木造二階建て住宅で、現在は名古屋市が借用し、一般公開しています。

近代産業を築いた人々が、どのような場所で暮らしていたのか。

工場や企業の歴史とは違った方向から、豊田家と名古屋の産業史を見ることができる建物です。


堀美術館

景観重要建造物
歴史、文化の一端を表現する建造物や地域のランドマークあるいはシンボルとなり、自然の豊かさを表現する樹木は、景観上重要な要素となっています。

https://www.city.nagoya.jp/kankou/kankouinfo/1013766/1014017/index.html

堀美術館は、ダイテックグループ創業者・堀誠氏のコレクションを公開するため、2006年(平成18年)に開館した私立美術館です。

藤田嗣治や梅原龍三郎など、西洋絵画を学びながら日本独自の洋画を模索した画家たちの作品を中心に収蔵しています。

そのほか、棟方志功や加山又造など、近代日本美術の作品も展示されています。

この周辺には、景観上重要な建造物や地域のランドマークとなる建物が多く残されています。

一つひとつの建物だけでなく、それらが並ぶ街の景色そのものが、地域の歴史や文化を表しているようです。


おわりに

今回は、二葉館を中心に「文化のみち」を歩きました。

実際に歩いてみると、分かりやすい観光地が一か所に集まっているわけではありません。

閑静な住宅街の中に、邸宅や教会、寺院、美術館、門や塀といった歴史の断片が点在しています。

そして、それらをたどっていくうちに、名古屋城の城下町から、明治・大正期の近代産業へとつながる街の変化が、少しずつ見えてきます。

特に印象に残ったのは、和と洋が混在する建物の数々です。

大正デモクラシーの時代を思わせる華やかさと、武家屋敷の記憶を残す落ち着いた街並み。

その両方が共存しているところに、「文化のみち」と名付けられた意味を、なんとなく感じることができました。

次回は、名古屋の街を見下ろすシンボル「中部電力 MIRAI TOWER」へ向かいます。

それでは、次のバス停でお会いしましょう。


名古屋観光デジタルマップ


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